第28話
裕子が「ビジネスパートナー」だと紹介した瞬間、正樹の顔に浮かんだ微かな失望を、裕子は必死で見ないふりをした。
「へえ、ビジネスパートナー。裕子が急にこんな田舎で何を始めたのかと思ったら」
健太はそう言い、正樹を見る目がさらに冷ややかになった。
「高橋さん、裕子は東京で激務を耐え抜いてきた。飲食店の仕事は大変だったはずです。こんな畑仕事の手伝いなんて、キャリアの無駄遣いだと思いませんか? 彼女はもっと都会で成功するべき人間ですよ」
健太の言葉は、正樹の生き方そのものを否定していた。正樹は一瞬、眉をひそめたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「そうかもしれねぇな。でも、裕子はここで笑ってる。それだけで、俺には十分だ」
裕子は正樹の言葉に胸が熱くなった。彼は、健太の都会的な価値観を、真正面から否定することなく、自分の信念で受け止めたのだ。
「とりあえず、健太。疲れたでしょ。実家で休んで」
裕子は、健太にそう言い、正樹に目配せをした。
結局、健太は裕子の実家に泊まることになった。夜、正樹が裕子のアパートにやってきた。
「なんで『恋人』だって言ってくれなかったんだ?」
正樹は、静かにそう尋ねた。彼の声には、怒りよりも、深い寂しさが滲んでいた。
「ごめん…」
「健太って奴は、裕子の過去を知ってるんだろ?裕子にとって、俺たちの関係が、**『一時の気まぐれ』**だって思われるのが嫌だったのか?」
正樹は、裕子の不安を言い当てた。裕子は、彼の腕にしがみついた。
「違う!違うの、正樹さん。ただ、彼の前で、私たちの関係を不安定なものにしたくなかった。私たちは、ただの恋愛じゃなくて、夢を追うパートナーでもある。そう言いたかったの」
嘘ではなかったが、裕子の言葉は、真実のすべてでもなかった。裕子は、健太の持つ**「都会の常識」と、正樹との「新しい現実」**の間に、まだ線を引いてしまっている自分に気づいていた。
正樹は、裕子を優しく抱きしめた。
「わかった。でも、忘れるな。俺たちは、ビジネスだけじゃない。愛し合ってる」
次の日、健太は裕子に、自分の会社に戻るよう熱心に説得した。
「裕子の才能は、こんな町で埋もれるべきじゃない。俺と一緒に東京で働こう」
その誘いは、以前の裕子なら飛びついただろう。しかし、裕子は窓の外のひまわり畑を見た。
「健太、ありがとう。でも、私にはここでやるべきことができたの」
その裕子の決意は、正樹との関係を隠したことで生まれた、小さなすれ違いを乗り越えようとする、彼女自身の覚悟でもあった。
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