30

 源爺げんじいの告白は、三十年という歳月さいげつを経てなお生々なまなましい悲しみと怒りに満ちており、囲炉裏いろりの火が揺らめく薄暗い小屋の中を、重い沈黙が支配した。

 水上といさおは、ただ息を殺して老人の次の言葉を待つ。

 母と、そして源爺の息子との間にあった、初めて聞く淡い恋物語。

 それはこの悲劇に、人間的なやるせない彩りを添えていた。


 沈黙を破ったのは、水上の静かな、しかし確信に満ちた声だった。


「源爺殿。三十年前にこの村を訪れたという、その背広せびろの男たち…私たちは、彼らが何者であるかを知っています」


 源爺の鋭い視線が、水上に突き刺さる。

 水上は、その視線を真っ直ぐに受け止めると、はっきりと告げた。


「彼らは、『玄洋会げんようかい』と名乗る者たちです。表向きは貿易商をよそおっていますが、その実態は、この国に古くから眠る『神器じんぎ』と呼ばれる品々を収集し、その力を利用して、おのれが野望を遂げようとたくらむ、危険な秘密結社ひみつけっしゃなのです」


神器じんぎ…」源爺が、その言葉を噛みしめるように繰り返した。「村のしゅうが『お宝』と呼んでいた、あの光る玉のことか…」


「おそらくは」水上はうなずいた。「彼らの目的は、三十年前から何一つ変わっておりません。彼らは、神邑かむらにあった神器じんぎを狙い、そして何らかの理由で失敗し、あの恐ろしい災厄さいやくを引き起こした。それは、山の神の怒りなどではない。人の欲望が招いた、人災じんさいです。そして今、彼らは再び動き出し、三十年前に果たせなかった目的を、今度こそげようとしているのです」


 水上の言葉は、源爺が三十年間、心の奥底でくすぶっていたであろう疑念ぎねん…あの災いは、天災ではなかったのではないか、という疑念を確信へと変えた。

 老人の目に憎悪ぞうおの炎が、激しく燃え上がるのが見えた。


 志乃は、静かに源爺に向き直った。


「源爺様。彼らは今、探しているものが二つあります。一つは、三十年前に神邑かむらから失われたという、その『お宝』。そして、もう一つは…」


 彼女は、そこで一度言葉を切り、自分の胸を指差した。


「…この、私です。私の母、千代ちよが受け継ぎ、そして私が受け継いだこの『斎部いんべ』の血を、彼らは必要としているのです。三十年前に村に来た者たちと、今、私たちを追っている者たちは、全く同じなのです」


 志乃の告白は、決定的な一撃いちげきとなった。

 三十年前、息子の想い人を村から奪ったと思っていた都会の人間。

 その娘が今、目の前に現れ、息子や村を奪った者たちと同じ敵を追っている。

 老人の心の中で、三十年もの間、からみついていた複雑な感情の糸が、一つの大きな目的に向かって、ゆっくりと確かに解きほぐされていく。


「……そうか」


 源爺は長く深い息を吐いた。

 それは、三十年の時を経てようやく見つけた、戦うべき敵を前にした、老いたる猟師りょうしの、覚悟の息吹いぶきであった。


「…奴らは、今どこにいる」


 源爺の問いは、彼が志乃たちのちからになってくれることを決意した、何よりのあかしであった。

 その覚悟を受け止め、水上はこれまでに入手した全ての情報を、包み隠さず老猟師に伝えた。


「我々がつかんでいる情報では、玄洋会…その男たちがこの町を訪れたのは、ひと月ほど前のことです。郷土資料館の記録を調べたところ、彼らは陸軍の測量部が作成した、古い神社の位置を示す特殊な地図を閲覧えつらんし、写真に収めていったようです」


 その言葉に、源爺は「ほう」と低い声を漏らした。

 ただの宝探しではない、明確な目的地を持って動いていることを、彼は即座に理解した。


「そして、これは資料館の館員かんいんから直接聞いた話ですが…」水上は続けた。「彼らは、腕利きの山案内人やまあんないにんを探していた、と。しかし、その高圧的な態度が災いしたか、誰も協力する者はいなかったようです」


 それを聞くと源爺は、にやりと口の端をゆがめた。

 それは、三十年の鬱屈うっくつを晴らすかのような、満足げな笑みであった。


「…ふん。山の神は、まだ見捨ててはおらんかったようじゃな。山のことを何も知らん都会の人間が、地図だけを頼りにあの山に入れると思うておるなら、そいつらはとんだ命知らずだ。地図には、熊の通り道も、崖崩がけくずれの起きやすい場所も、そして、神々の通り道も、何一つ書かれとらんからのう」


 源爺の心強い言葉は、一行に希望を与えた。

 玄洋会は、すでに一ヶ月もの時間を先行しているのだ。

 しかし、彼らは最も重要な案内人の協力を得られていない。

 一方で、自分たちの目の前には、この山の全てを知り尽くした最高の案内人がいる。


「源爺様」志乃は、囲炉裏のそばに置いていた土産物みやげものを、改めて彼の前に差し出した。「どうか、私たちに力を貸してください。母の故郷で起きた、三十年前の悲劇の真相を突き止めるために。そして、玄洋会の者たちが、これ以上このお山をけがすのを、止めるために」


 源爺は、志乃の顔をじっと見つめた。

 その瞳の中に、三十年前に失われた息子の想い人であり、村一番の巫女みこであった千代の面影を見る。

 そして彼は、ゆっくりと力強く頷いた。


「……分かった。この源兵衛げんべえ、老いぼれの最後の仕事として、お前さんたちに力を貸そう。三十年前の、落としまえをつけさせてもらう」


 そうしてここに、古物屋ふるものやの娘と、大学の考古学者、沈黙の守り手、そして孤高ここうの老猟師という、一見して奇妙な取り合わせだが、強固な協力体制が生まれた。

 目標は、『日鎮ヶ岳ひずめがたけ』の麓にあるという神邑かむらの跡地を抜け、山頂のやしろに辿り着いて『陽霊ようれいの玉』を確保すること。

 そして、三十年前に隠蔽いんぺいされた、神邑かむらの悲劇の真相を明らかにすることである。

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