第3話 妖刀《桜霞》

大地に崩れ落ちた魔狼は、しばらく痙攣した後、完全に動かなくなった。

 一葉は膝をつき、肩で荒い息を繰り返す。


 その時——。


 桜色の刀が低く唸りを上げた。

 刃先が、魔狼の傷口に向かって微かに光を放つ。次の瞬間、黒いケムリのようなものが魔狼の体から立ち昇り、まるで吸い込まれるように刀へと流れ込んでいった。


 「……な、にこれ……?」


 刀身に黒い妖気が絡みつき、しばらく桜色と混じり合った後、静かに沈む。

 一葉の脳裏に記憶が蘇った。


 ——ゲームで設定した、この刀の特性。

 倒した魔物の魂を喰らい、妖気へと変換し、主の力を蓄える“妖刀”。

 使い続ければ膨大な力を与える代わりに、持ち主の精神を侵食し、いつか呑み込む危険を秘めた武器。


 「……そんなのまで、引き継がれてるのか」


 震える手で柄を握り直す。

 強大な魔物を倒せたのは、この妖刀の力があったからかもしれない。

 だが同時に、この力を使い続ければ自分が自分でなくなる——そんな不安が、胸の奥に巣くった。


 地面に倒れ込むようにして息を整える。肺が焼けるほど苦しい。肩口から流れる血は止まらず、視界は揺らいでいる。


 それでも、一葉は立ち上がった。震える膝を押さえつけ、刀を杖のようにして。


 目の前には、焼け焦げた魔狼の亡骸。

 そして、その骸から立ち昇る黒い煙を妖刀が吸い込み、妖気として刃の奥に沈めていく光景。


 「……これが、俺の武器……俺の……現実」


 夢じゃない。遊びでもない。

 ほんの一戦で、命を失いかけた。もしあの奥義が発動しなければ、確実に死んでいた。


 胸の奥に恐怖が渦巻く。

 けれど、それ以上に鮮烈に刻まれた感覚があった。——生きたい。生き延びたい。


 「この世界で……生きていくなら……」


 拳を握りしめる。

 自分はもう茉莉ではない。桐原一葉として、この世界に立っている。


 「強くなるしか……ないんだ」


 呟きは、森の風にかき消された。

 けれどその目は、先ほどまでの怯えを拭い去り、決意の炎を宿していた。


 血に濡れた桜色の刀身が、微かに煌めいて応えるように光った。


 息を整えながら、傷の痛みに耐えて座り込む。

 さっきの戦闘で使った技と、体の反応を頭の中で整理する。


 「……やっぱり、俺の体は“一葉”だ。操作していた時の動きが、そのまま自然にできる」

 刀の握り方、重心移動、斬撃の軌道。どれも訓練を積んだ兵士のように身体が覚えている。

 ——だが、精神はあくまで茉莉のまま。恐怖や迷いは現実にのしかかっていた。


 次に、力の源。

 「炎……と、花の力。ゲームと同じ、二属性を持ってる……」

 先ほどの奥義で確かに炎が舞い、桜の花弁のような光が広がった。

 炎は純粋な破壊力、花は……微かに体の痛みを和らげる感覚があった。傷口の熱が鎮まるような、不思議な癒やし。


 さらに、武器。

 桜色の妖刀は、魔狼の亡骸から黒い煙を吸い込んだ。

 「……妖刀桜霞。倒した者の魂を妖気に変換して、力を蓄える設定……まさか本当に反映されてるなんて」

 力になる一方で、扱い続ければ精神を侵す危険がある。ゲームではロマン設定で済んだが、この世界では冗談にならない。


 一葉は拳を握り、深く息を吐いた。

 「炎と花、妖刀……そして俺の体の戦闘本能。

 これが、俺の武器……この世界で生き残るための手札か」


 血に濡れた刀身が、月光を浴びてわずかに揺らめいた。

 その妖しい輝きは、祝福にも呪いにも見えた。


 血で濡れた手を握りしめながら、一葉は荒い息を吐いた。

 肩の傷は深く、血が止まる気配はない。

手遅れになる前に花属性の力で回復を試みる。


 ゲームで設定した時の、一葉の特徴。

 「花属性には、回復と再生の効果があった……」


 震える手を傷口に当て、深く集中する。

 「頼む……発動してくれ……!」


 刹那、手のひらから淡い光が広がった。

 桜の花弁のような粒子が舞い、傷口を包み込む。

 熱を持っていた傷がじんわりと冷まされ、血の流れが収まっていく。


 「……効いてる……!」


 痛みが少しずつ和らぎ、体の奥から新しい力が湧いてくるようだった。

 完全に治ったわけではないが、戦えるだけの余力は戻ってきた。


 一葉は小さく息を吐き、改めて刀を握り直す。

 炎が破壊を司るなら、花は命を繋ぐ力。

 この二つを使いこなせれば、この世界で生き延びる道が見えるかもしれない。

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