第2話 ゼカロンの過去 ~理外人~

 裕福な商人の息子であったゼカロンは、物心ついた頃から、世界のことわりを知ることに強い興味を抱く子供だった。村の子供たちが野山を駆け回って遊ぶのを横目に、彼は木陰で家の書斎から持ち出した分厚い書物を読みふける。その夢は、世界の真理を探究する者、すなわち魔術師になることだった。

 彼が10歳になったある日、自室で奇妙な現象に気づく。机に置いたはずの羽根ペンが、本棚の上に移動していたのだ。最初は勘違いか、あるいは家族の誰かが動かしたのだろうと思った。しかし、同じようなことが何度も続いた。大切にしていた石ころが、ポケットから枕元へ。読みかけの本が、部屋の隅へ。偶然では片付けられない不可解な現象に、ゼカロンは首を傾げた。

 彼は持ち前の探究心から、この現象を体系的に調べ始めた。日誌をつけ、持ち物の配置を細かく記録し、何が起きているのかを観察する。試行錯誤の末、彼は一つの結論に達した。物が移動するのは、自分が「ここにあればいいのに」と強く意識した時であり、特に、普段から愛用している物に限り発現するらしかった。ただ、その成功率は1割にも満たず、移動距離も数メートルが限界だった。ゼカロンはこの不可思議な力を「転送」と名付けた。

 さらなる実験の中で、彼は決定的な発見をする。対象となる物に「印」をつけることで、「転送」が格段に容易になるのだ。小刀でつけた傷でも効果はあったが、最も強力な印は、自分自身に深く関わるものだった。親からもらったペンダントに、自分の髪を結びつけてみる。すると、これまでとは比較にならないほど容易に「転送」が成功した。

 そして、彼は究極の印を見つけ出す。それは、自分自身の血液だった。好奇心と一抹の怖れを抱きながら、裁縫針で指先を突き、一滴の血をただの石ころに垂らしてみる。生暖かい血が石の表面に染み込んでいく様は、どこか冒涜的な儀式のようにも思えた。その石を遠くの森に投げ捨てた後、目を閉じ、意識を集中させた。次の瞬間、ひやりとした石の感触が、音もなく彼の手の中に蘇った。距離の制約はなく、発動は瞬時。彼はついに、自らの能力を完全に掌握したのだ。その万能感と同時に、己の血が持つ未知の力に、背筋が凍るような感覚を覚えた。

 当初、ゼカロンは興奮に打ち震えた。魔術は15歳を超えなければ行使できないとされる中、自分はそれ以前にこれほどの力を得た。きっと、自分にはとてつもない魔術の才能があるのだと信じて疑わなかった。しかし、村の図書館の片隅で、埃をかぶった古文書のある一節に目が留まった時、彼の高揚感は氷のような恐怖へと変わった。そこに記されていたのは『理外人りがいびと』という言葉と、まさに自身の能力を指し示すかのような記述だったからだ。

 彼の「転送」は、魔力を源とする魔術とは根本的に異なる仕組みで動いていた。そして、ごく稀に発現するその種の特異な能力を『理外の力』と呼び、それを行使する『理外人』は古来より人々から忌み嫌われる存在であることを知った。古文書には、その力を持つ者が人々から迫害されたとして、火刑に処される様を描いた陰惨な挿絵まで添えられていた。この力を行使すると人は本能的な畏怖や恐怖を覚えるらしい。この力を持つ者は、悪魔の落とし子、悪魔に魂を売った者、あるいは悪魔そのものだと見なされ、例外なく殺されている。この力の研究のために、理外人を保護しようとした魔術師が、その理外人を殺害してしまったという記録も残っている。

 その事実を知る前、ゼカロンは一度だけ、仲の良い友人たちに「転送」を見せて自慢しようとしたことがあった。ゼカロンは友人たちの驚き喜ぶさまを期待していたが、誰もがおびえるような眼差しでそれを見つめていた。そして、その話はすぐに親たちの耳に入る。数日後、村の大人たちが厳しい顔でゼカロンの家にやってきた。彼らの目に宿るのは、好奇心ではない。得体の知れないものを排除しようとする、原始的な恐怖と蔑みの色だった。その冷たい視線に射抜かれた瞬間、ゼカロンの背筋を氷が走り、彼の賢い頭脳が警鐘を鳴らした。真実を語れば、自分の居場所はなくなる。瞬時にそう理解した。


「あれはただの奇術だよ。ここにこうして隠しておいた石を、さも移動したように見せかけただけさ」


 彼は即座に嘘をつき、簡単な手品を演じてみせた。大人たちは半信半疑だったが、子供の戯言と結論づけ、それ以上追及することなく去っていった。その日を境に、ゼカロンはこの能力のことは誰にも言わないと、固く心に誓った。

 忌むべき力を持ってしまったからこそ、彼は魔術師になる夢を諦めなかった。正統な魔術の道を極めることで、この忌まわしい力を乗り越え、自分自身を証明したかったのだ。あるいは、いつかこの力の正体を解き明かすために、賢者の塔が持つ膨大な知識が必要だと本能的に感じていたのかもしれない。彼は「理外の力」を魂の奥底に固く封印し、純粋な魔術の探求に没頭した。15歳になる頃には、魔術の基礎理論を完全に理解し、同年代の誰よりも抜きん出た知識を身につけていた。

 15歳になったゼカロンは、魔道都市で唯一の学び舎である魔道学院の門を叩いた。5年制のこの学園は、一流の魔術師を育成するための機関だが、その講義は過酷を極める。毎年100名近い入学者がいながら、卒業できるのは十数名。ほとんどの生徒が厳しいカリキュラムに耐えきれず、夢破れて去っていくのだ。

 ゼカロンは、その地獄のような5年間を、一度も立ち止まることなく駆け抜けた。常に自身の特異な能力を隠し通さねばならないという緊張感が、逆に彼の魔術への集中力を極限まで高めたのだ。彼の知識欲は底なしで、その知性は教官たちをも驚かせた。そして卒業式の日、彼は首席として学園長から卒業証書を受け取った。その名は、魔道都市中の魔術師たちに知れ渡っていた。

 卒業後、ゼカロンは当然のように、エリート中のエリートのみで構成される組織、賢者の塔への所属を許された。総勢100名を超える魔術師のうち、十数名しかいない上級魔術師。さらにその上に君臨する4人の賢者。そこは、彼の夢がようやく叶う場所だった。

 しかし、その栄光の陰で、誰にも明かせない秘密が静かに息を潜めていた。理外の力と呼ばれる『転送』の能力。それは、彼の輝かしい未来を根底から覆しかねない危険な火種だ。その危うい予感を胸に秘め、ゼカロンは賢者の塔へと続く、新たな一歩を踏み出した。

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