呉萠妃、多喜亮珠――駅救護室から病院

 傷にラップを巻き直したついでにレギンスを脱いでミニスカートに生足の状態でパーテーションを戻すと、多喜は再びスカートの上から圧迫止血を続けてくれた。


 その状態で、駅員と最寄り交番から駆けつけた女性警察官に事情を話すことになった。


 まず最初に、氏名と連絡先を求められ、萠妃はやや面倒に感じてスクールバッグから財布を出し、そのカード入れから学生証を抜いて差し出した。表面には顔写真と氏名に学年クラス学籍番号、裏面には母親の携帯電話の番号と住所まで書いてある。


 それを見て、警官と駅員は顔を見合わせた。


「帰化してます。ふりがなは『くれめぐみ』でお願いします」


 そう言い添えると、大人たちははたとした顔で頷き、それぞれのタブレットに学生証の内容を入力した。

 

「あなたは」と続けて多喜も身分と氏名を問われ、彼は制服のポケットから生徒手帳を取り出し、差し込まれた学生証を見せながら、校名、所属、氏名を流れるように名乗った。


 ひき続き、被害を受けた時の状況の説明を求められた。


 萠妃は、つい最近まで他校の国防コース生と思しき格好の男性に後をつけられていたこと。身の危険を感じてバレエレッスンの受講時間を変えたこと。遭遇率の高かった路線での帰宅時は多喜が身の安全の確保のために同行してくれていたこと。そして今までは再遭遇することもなかったが、先程の後ろからのぶつかりおじさんのような挙動で不意打ちに刃物で切りつけられたことまでを説明した。


「なるほど……刃物で切りつけてきたのが、当局関係の学生なら服装は明確ですし……あの位置だと防犯カメラにきちんと映ってると思いますから、大丈夫ですよ」


 駅員はそういってくれたが、萠妃には喉の奥に張り付いたような不安があった。


「……怖い目に会いましたね。確認しましたので、学生証お返しします」

 それを受け取りながら、萠妃は力なく笑った。


「多喜くんに聞いたんですけど、彼らのボディカメラの顔認証で出てくる名前って、ふりがなが無いらしいんですよね。だから他校の灰色の制服の人たちには半島系の外国籍だと思われてるらしくて……ひいじいちゃんの代からこの国に住んでるんですけどね」


 それを聞いて、警官は、なぐさめるようにぽんぽんと萠妃の肩を叩いてくれた。


「典型的なヘイトクライムですね。怖かったね、大変だったね。救急車きて、搬送先の病院が確定したら学校に連絡するから、それまで心細いだろうけど、ごめんなさいね」


 そう言われて、萠妃は少し泣きそうになった。

 ほどなく、遠くから救急車のサイレンの迫る音が聞こえた。



 多喜は病院までは同行できたが、家族ではないため診察室まで来ることは許されなかった。


 医師の手で傷を包むナプキンを剥がされるとまだじわりと血が湧き出て、即座に洗浄液で傷口が洗い流された。

 傷口のやや厚い皮膚の下の白いものについて、これは何かと医師に尋ねたところ「皮下脂肪です」と言われた。


 バレエのレッスンでそんなものはほとんど落としたつもりでいたが、まだあるところにはあるものだと萠妃は思った。


 傷は幸い筋肉やそれを包む筋膜までは達していないとのことだった。あとは地元の外科クリニックを紹介され、そちらで2日に一度程度の頻度で消毒と経過観察を行うよう指示された。


 がらんとした待合室に戻ると、多喜は離れたところで学校と地元の統合治安推進局支部に直接通報をしていた。


 その剣幕は激しいもので、あと少しで歩けなくなったかもしれないなどとやや誇張した言葉まで出るほどだった。それを遠くに見ながら、萠妃も母親に病院名と傷の具合をメッセージで送った。

 電話を切った彼はまだ怒りの炎がくすぶったような表情で戻ってきた。


「容態、どんな感じですか?」

「うん、15針縫って、あとは地元の外科やってる病院で抜糸まで消毒と経過観察だって」


「バレエや学校は?」


「通学は徒歩と電車ならいいって言われた。あと合唱と声楽もオーケー。だけど、バレエは抜糸するまで無理って言われた。……そっちは? すごい怒ってたけど」

「まあクソですね。学校はともかく、支部は監視カメラの映像が届き次第判断するとしか言ってくれなかった。まったく、何が治安推進局だよ。国防コースの推薦枠のスコアってそういうの含めて人間性を判断するシステムじゃねえのかって話ですよ」


「まあ、色んな子がいるからね。私も薔舎中に入るまでは『半島人』って言われて、そのたびに男子相手につかみ合いの喧嘩してたし。それに国防コースでしょ。ほら、なんとか監獄実験ってあるじゃない? アメリカの大学生を看守役と囚人役にわけて何ヶ月か様子を見たら、看守役が囚人役に暴力を振るうようになったっていう」


「スタンフォード監獄実験ですか? ……確かに、城戸先生のやり方見てると、あの高圧的なやり方が標準ならに染まる人が出る可能性もありえなくもないですけどね」

「で、の当事者としてはどうなの?」


「ぼくですか? 正直胸糞悪いと思ってやってますよ。特にこの暑い時期の昼礼。さすが外でプランクはナシだろって毎週思ってます。まあ、ぼくの場合はまだ愚痴り合える子がオーダー科の中で見つけられたからよかったですけど、上田みたいに誰にも相談できないで抱え込むタイプだったら、思い詰めてたかもしれません……呉さんは親御さんに連絡は?」


「ママにメッセした。駅員さんからも家の電話に連絡してくれてたみたいで、心配してそう」


 携帯電話の時刻表示は、午後6時40分を指していた。まだ日は傾き始めたばかりで、病院の窓の日光避けのブラインドは黄色く染まっていた。


「……今日、ありがとね」

「いえ、こういう事態を防ぐために一緒に帰ってたのに、力になれなくてごめんなさい」


「ううん、ここまで一緒にいてくれただけで十分だよ。正直、人目の多いところでまだよかったと思ってる。これが地元の暗い夜道だったら何をされてたか……」


「今度は、自宅まで送り迎えしたほうがいいですかね?」

「してくれるの?」


 多喜はまっすぐに萠妃を見て言った。

「呉さんが望むなら、いつでも、いつまででも」


 そういわれて、萠妃はすこしにやけて、顔をそらした。


「私が歌劇団志望じゃなかったらよかったのにねえ」

「なんすか」

「いや、なんでもない……それに私年上の方が正直好みだし」


 それの言葉になにかを察し、けらけらと笑い出す多喜。

「なーにバカなこといってんすか。やっぱり頭も見てもらったほうがいいっすよ」

「うーるーさーいー」

 そう言い合っていると、萠妃の携帯が通知音と共に画面を光らせた。


 彼女が携帯を見ると、ああ、とがっくりと天井を仰ぐように病院の長椅子に後頭部を寄せた。


「多喜君さ、今日はもう帰っちゃっていいや」

「え、ご家族来るまで居ますよ。さすがに犯人も病院まで殴り込んでは来ないでしょうけど」


「いや、パパが車で迎えに来てくれるっていってるから。病院ここからのバスが無くなる前に帰ったほうがいい」


「そうなんですか?」

「うん、っていうか君、今の自分の服装わかってる?」


 そう言われて、多喜は一瞬考えた。国防コースと同じ制服に同じ帽子、犯人との違いと言えば体格とカバンくらいだ。


「ああ、犯人と誤解されるおそれがある、と」

「さすがにそれはないだろうけど、なんでお前が守らなかったんだくらいは言われると思う」


「そういうことなら、甘んじて受け入れます」

「だめ、ちゃんと話し合ってなんとかなるレベルだったら店すっぽかして迎えになんて来ない。うちのパパ、キレてる時はマジでハルクだから、絶対今日は全身緑色でパンイチで来るから」

「ハルクって、そっちのハルクですか……そういうことなら、怪我しないうちに帰ります」

「うん、そうして」


「じゃあ、また学校来る時は連絡してください。できる限りのことはしますから」

「うん、ありがとう」

 そう言い合って、その日は別れた。


 再び彼と学校で会うまでは、週明けをまたいで4日ほど掛かった。

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