呉萠妃――夢とルーツ
午前の授業時間を終えるチャイムが鳴り、入学式前の新1年生達がぞろぞろと校門から出ていく。
それを4階のテラスのような屋上から見下ろしながら、卒業した演芸部員達が置いていったプラスチックのプランターに、ラベルの剥げたペットボトルで水をやる。ペットボトルも今や貴重な遺物だ。炭酸飲料の多くはラムネのようなガラス瓶に回帰している。
水をやっているのは、3年もののローズマリーである。
『決して野に放ってはならない』という卒業生の言いつけのもと、このように太陽光だけは豊かな半屋上の音楽室前の屋外の吹きさらしに置かれているのである。
この草は晩秋から春まで青い花をつける。その上花より葉のほうが香りが強く、海外では魔除けの草ともされている。そして一度野に放てばたちまち雑草のように生い茂ってしまう。
そんな根性だけはある自己主張の強い植物……そんな所が自分に似ている気がして好きだった。
もっとも、本当に自分が咲かせたいのは“スミレの花”だ。本来なら今頃、音楽学校の合否の結果を見て泣いたり笑ったりしていたはずなのだ。
10歳からバレエを習っているのもイタリア歌曲の個人レッスンを受けているのも、偏にそのためだった。
頭上を、低空飛行の軍用機が小ぶりな護衛機と編隊を組んで轟音を立てて南から北西へ飛んでいく。おそらく首都西部にある同盟国と国防軍の共用空軍基地へ向かっているのだろう。護衛機がついているのは、長距離攻撃無人機の襲来に備えてのものか、それとも南西の同盟国領土の諸島からここまでの公海上での敵性国軍機との遭遇を備えたものなのか、どちらともつかない。
いずれにせよ、学校のチャイムをかき消すほどの轟音は、地響きすらしそうだった。
まるで、天から地上の自分たちを抑圧しているようだった。
実際、天の上に神がいたとして、その神は『私の夢』を2度に渡って抑圧していた。
この植物に水をやる少女には夢がある。
西の大都市圏の女性歌劇団入団を目指している。
それには専属の音楽学校に入る必要がある。競争倍率は少子高齢社会の最中にあっても首都大学並み、その上15歳から18歳までの4度しか受験資格はない。
受験の機会はあと2回。
去年15歳の際は、歌劇団の親会社の鉄道会社の主要路線がミサイル攻撃被害を受けた影響で子会社である歌劇団が倒産の危機に陥り、新入生募集中止となった。
倒産の危機を脱した今年は、首都会場での一次面接試験には合格した。
だが、本校での二次試験の2日前……まさにほんのつい先日、今月の23日だ。国土南岸寄りの東西の大都市圏をつなぐ高速鉄道駅と首都最大の国際空港をつなぐ主要ターミナル駅が、長距離無人機の爆撃の直撃を受けて首都から西への遠距離路線が全線運休となった。
夜行バスの路線も、先月より首都と西の都市の間にある中部大都市圏の高速道路のジャンクションが都心ターミナル駅と同様の爆撃被害を受けた影響で無期限の運休となっている。
実質、西への移動経路は自家用車で一般道を抜けるか、東南沿岸を渡るフェリー船団航路しかなくなった。それらも緊急の物流経路維持を優先する非常事態体制によって一般市民の利用が大幅に制限され、試験日までに二次試験会場である本校までたどり着ける状態ではなかった。
この非常事態体制の移行を受け、首都面接合格者の二次試験は、当面の保留を経て、中止と発表された。
2年続きの異例ともいえる状況下で、わずかに希望を見出すとしたら、この年の首都会場一次合格者の翌年への繰り越し受験に変更となったことくらいだろうか。
そしてその分、次の二次試験競争倍率は高まることも意味する。
来年の年明けから3月の終わりまでの間に、また東西をつなぐ高速鉄道路線への爆撃があったら、そのときは最終年度である18歳の受験1度きりにかけるしかない。
10歳の時から追いかけてきた夢を、もしかしたら今起こっている西の国の戦争によって、踏み潰されるかも知れない。
そう考えると、この戦争を始めたあらゆる大人たちが憎くて仕方ない。
だがその怒りを振り下ろす宛もない。自分はまだ、17歳にすらなっていない小娘なのだ。
油断すると頭の中に渦を巻きそうな負の感情を部活や習い事の中で、未来へ意識を向けることで散らしている。
自らの身体の音の響きや、定められた動きをなぞることで得られる精神の落ち着き、細やかな指導の言葉の吸収と、自分の体を通しての出力に集中するほどに、怒りが自分の中から遠のいていく。
バレエのレッスンは貴重な戦時下という日常を忘れさせてくれる緊張感がある。合唱は、人と声を重ねることでのみ得られる独特の心地よさがある。
――だがその歌声も、低空飛行の軍用機の地響きのような轟音に塗りつぶされる。
(せめて、夜中だけでも高く飛んでくれればいいんだけどね)
毎日のように、夜中に1度は航空機の音で目が覚めるのだ。家族も同様のようで、最近はそういうときはリビングに集まって他愛もない話をする。
父の現役プロレスラー時代の遠征の話とか、母の初めての主演舞台の稽古の時の思い出話とか、父と祖父がもう亡くなってしまった曽祖父から聞かされた本邦の『半島人兵』時代の戦地の話とかだ。
曽祖父は元々出稼ぎで北西の海の向こうの大陸の半島から本邦に移住してきた。当時は既に大帝国に併合されており、労働力や交易での人の行き来は盛んだったのだ。
曽祖父は首都西部の山奥から支流を集めて南の隣県との境界に沿い、東南の湾に流れ込む一級河川の河川敷で建築用採石掘りの土方作業員をしていた。その頃に同地域で同じ仕事をしていた半島人系のコミュニティに入り、その人の繋がりを介して曾祖母と結婚した。
そして当時の戦争が始まるとコミュニティへの差別の解消を志して志願兵として陸軍兵士として大陸に出兵した。前線にも出たが、砲撃が近距離で炸裂した影響で片耳の聴力を失い、傷痍軍人として、家族のいる川沿いのコミュニティへと戻った。
戦時中は防空壕堀りの手伝いをして過ごし、戦後は日雇いの採石掘りの土方仕事と進駐軍のゴミの転売で糊口をしのいだ。
進駐軍の食料用の豚肉の臓物が安く仕入れられるルートを確保できるようになってからは、コミュニティ内でホルモン焼きの店を構えるようになった。その店を祖父が受け継ぎ、ホルモンと焼肉の店に変えた。
『
『いいや、20年前からブチギレてるわ。そのうち化けて出るんじゃないの。死んだら高血圧も心配ないし』
などと言って夜な夜な祖父母や両親は不謹慎に笑っていた。
曽祖父母はどちらも、ひ孫の顔を見ずに亡くなった。曾祖母は長年の煙草が祟って肺がん、曽祖父は高血圧からの脳溢血だったらしい。
(おじいとおばあには、長生きしてほしいなぁ)
そんなことを思う背中に、ふいに誰かが触れた。
びくりとして振り向くと見慣れた顔の頭一つ小柄な、というより自分のほうが身長差で15センチはデカいという感じの、同じ音域の先輩が顔を見せていた。
「もえぴー、みーちゃん来たよ」
呼ばれたプランターに水をやっていた少女、普通科2年の
「いま行くー」
と返事して屋外の手洗い台でペットボトルに水を満たし、プランターの影に転がした。こうしておけば強風で飛んでいってしまうことはない。
――呉一家は5年前の改憲を境に、差別を被る事を恐れて全員揃って帰化した。同様の事を考える半島ルーツの人は多かったようで、順番待ちや手続きなどで3年近く掛かったが、どうにか萠妃の高校入学には間に合った。
実際、萠妃は半島の言葉は全く話せない。下手をしたらアジアアイドルやコスメ好きの子らの方が流暢に話せるかもしれないくらいだ。
そのくらいに遊びを覚えることもなく習い事に打ち込んで生きてきた。
幼少期は父と祖父の影響で空手を、10歳からは歌劇団を目指して歌とバレエを。
空手は小学1年生の時から組手で都大会女子の部を3連覇するほどの実力だった。学校の成績も文系ツリーだが学年で上位5人に常に入っている。
常にトップを意識して、同じ夢を追う子らと切磋琢磨しながら生きてきた。
――手洗い台の蛇口を閉めたときには、既に空を包む轟音も黒い影のようにしか見えない飛行機達も失せていた。
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