第2話 二度目の恋・後編(side 周)

 失恋と同時に自分の性癖を認めたとはいえ、何かが大きく変わる事は無かった。臨時教師と距離を置いた以外は。「安心安全で無害な男」としてにこやかに。本心など絶対に見せる事もなく、完全に閉ざした心の奥を知られないように。感情のこもらない笑顔を貼り付けて。息苦しくも、穏やかな高校生活を送った。

 

 そして、僕の心が再び動き出したのは、大学に入学してすぐだった。

 オリエンテーションで使われる教室へ向かった僕は、まだ誰も来ていない教室を一人、見回した。それまで経験した学校の教室の中で、もっともだだっぴろい空間。ほんの少しの埃の匂いと、何とも独特な空気が漂う。等間隔に配置された机と椅子は、その人数の多さを物語り、再び息苦しさを感じた。

 閉められた窓を開ければ、ひんやりとした空気がすかさず入り込む。春とはいえ、まだ空気は冷たい。息苦しさから漏れた深いため息が、四角い窓枠の外に広がるブルーグレイの空に溶けていく。

 そんな時だ。


「すごいため息」


 その声に、僕は出入り口を振り向いた。

 短髪で背の高い、服越しにも良い体型をしているのが分かる男が、ニカッと歯並びのいい歯を見せながら笑った。


「まだ大学生活も始まってないのに、めっちゃ憂鬱そうな顔してんな」


 そう言いながら、彼は僕の側に近寄ってきた。今日のオリエンテーションは、学科別に部屋が分けられている。だから、彼も僕と同じ学科の生徒だろうと思いながら、黙って彼を見上げる。


「この教室に居るってことは、同じ学科だよな。俺は、木原諒平きはら りょうへい。おたくは?」


 明るい声に促されて、僕は戸惑いつつも軽く頷くと自己紹介をした。


天音周あまね しゅう」と応えれば、諒平は人懐っこい笑顔を浮かべ手を差し出した。


「よろしく」

「こちらこそ……」


 自己紹介で握手をするなんてことは今まで無かったから驚きはしたが、諒平のあまりに自然な動きに釣られて手を差し出した。がっしりと握られた手は、僕のよりも大きくて分厚く、思わず胸の奥がキュッとなる。それが、恋の始まりだと気がつくには、さして時間は掛からなかった。


 オリエンテーション以降、諒平は人懐っこさから多くの友達が出来ていて、当然ながら女子にも人気があった。そして、僕もまた。僕の顔だけを好み、告白され断る日々。外野の男達の嫌味が聞こえる様になり、それにウンザリしていた僕は、一人の行動が増えた。が、諒平は何だかんだ、いつも僕の所へやって来ては、何をするにも必ず僕を巻き込んだ。

 面倒見がいいと言えば、そうなのだろう。きっと彼なりに気を遣っていたのかも知れない。だから、僕は言ったんだ。


「そんなに気を遣わなくて良いよ。僕は、ひとりでも平気だから」


 そういうと、彼は酷く落ち込んだ犬の様に眉を下げ「そんな寂しい事いうなよ」と言った。そして。


「てか、俺が周と一緒にいたいんだよ。なんか、お前と居ると落ち着くんだよな。不思議と」


 そう言って笑った顔に、僕は目を奪われた。

 心の奥底に仕舞い込んでいた感情が疼き出す。ああ、そうか。そう来たか。いや、初めて会った時から知っていた。けど、この感情は仕舞い込まないといけない。絶対にバレてはいけない。隠しに隠して、細心の注意を払って。ただ仲の良い友達でいることを、演じ続けるんだ。


 そんな日常の中、グループワークで一緒に課題を行なった早川真樹子はやかわ まきこ小野田おのだみくりの女子二人と意気投合し、いつの間にやら僕らは四人で連む事が増えた。

 みくりは女の子らしくフンワリした空気を纏い、穏やかな性格だ。だが、異性に媚びる様な仕草はない。容姿も整ってはいるが、どこか幼くも見える見目も相まって男からの告白が絶えず、ストーカー紛いな者まで現れた。それもあって、諒平が「俺たちを利用したら? 少しは牽制になるかもよ」と言い、休日も四人で遊ぶ日が増えだした。そうなれば、嫌でも互いのちょっとした行動や癖が見えはじめる。そして、僕はみくりの秘密に気が付いた。


 彼女もきっと、だ。

 確信はない。ただの感だ。けど……。


 僕は彼女に交渉をした。


「ねぇ、みくり。僕ら、カモフラカップルにならない?」


 と、言って。

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