第4話
その日は雨だった。
俺は教室にいて、窓から外を見る。
雨雲が灰色の空と町の景色を作り出していた。
窓を叩く雨音が、教室の活気を際立たせていた。
そこで俺は気がついた。
ナズナと出会ってから、毎日の昼休みは屋上で彼女の手作り弁当を分け合うのが日課になっていたけれど、今日は屋上にはいけない。
まあ、こういうときでも俺は困らなかった。
俺には空き教室があった。
そこは、雨の日限定の居場所だった。人気がなく、静かで、窓からは雨が降っている校庭が見えた。
そして、なによりその教室には、カギがかかっていない。そして、教室の後ろには椅子と机が乱雑に置かれていて、それを持ってくることで座ることができる。
その上、なぜかここに来る生徒はいない。
誰かがすぐに気が付きそうなものだが、今のところ、俺以外に使用している生徒を見たことがなかった。
やがて、授業が終わった。
「さて…。」
俺は独り言を呟く。
いつものように…。いや、今日は、雨だったから久しぶりの相棒を買っていた。
いつもの菓子パンとペットボトルのお茶だ。
ナズナをどうするか?
その問題を棚上げにした俺は、とりあえず、俺は空き教室に向かうことにした。
空き教室。
そこは単なる教室だ。
レイアウトは、普通の教室と変わらない。
広い窓、黒板、床は教室らしいフローリングで白い天井だ。
ただ、学習机はすべて、教室の後ろへとまとめられていて、椅子も机の上に重ねられていた。
そんな普段は使われていない空き教室。
俺はそこで昼食を食べる、いや、スマホを見る準備を始める。
机と椅子を後ろから引き出す。
その重労働を終えて、やっと昼食を食する権利を得るのだ。
まあ、地べたに座ってもいいのだが、俺は俺の流儀ではなかった。
ようやく、座る椅子と机を用意した俺は、そこに座る。
そして、持ってきた有料の白いビニール袋から、いつもの菓子パンとペットボトルのお茶を取り出す。
そして、今、俺が座っている机の上へ、それらを置く。
最近は毎日、ナズナの弁当を分けてもらっているから、こんな昼食も久しぶりな気がした。
その時、ポケットの中でスマホが振動した。
ポケットからスマホを出して、俺は画面を見る。
『先輩、今日はどこにいますか?』
なんとなく予想はしていた。メッセージの送り主が誰なのかは、もう疑う余地もない。このスマホに連絡をくれる人は、彼女しかいないのだから。
『空き教室』
短く返信を打つと、すぐに返事が来た。
『どこの空き教室ですか!』
冷静なツッコミが返ってきた。俺は思わず笑ってしまう。
ああ、失礼、失礼、ナズナ様っと。
それから、俺は自分がいる空き教室を詳細にメッセージとして返信した。
『待っていてください!』
そう来るだろうな、と思っていたら、程なくして教室のドアが静かに開いた。
ナズナだ。
半開きのドアから、ナズナが半分だけ見えた。
キョロキョロと教室内を確認するしている。
そして、俺の姿を見つけると、ニッコリと笑ってから、教室へと入った。そして、ドアを完全に閉めて、こちらへと近づいてきた。
「こんな所にいたんですね。」
「ああ。雨だからな。」
俺の隣の席に腰掛けながら、彼女は窓の外を見やった。
雨に煙る景色を、どこか物憂げな表情で眺めている。
いつもの屋上とは違う、この教室という空間。
「さて、じゃあ、一緒にお昼を食べましょー!」
彼女は近くにあった椅子を持ってきて、俺が座っている机へと運ぶ。
「お、おい。一緒の机で…。」
食べるのか?と。
「大丈夫です。食べれますよ、先輩。」
彼女はそう言って、俺の前に椅子を置いて座った。
まあ、机をもう一つ、置かなくとも、なんとかなるかな。
ちょっと机が狭いけれど。
俺はナズナと向かい合って、昼食を食べることになった。
ナズナは、いつもの藍色の風呂敷包みを広げ始めた。いうまでもなく、弁当箱は、二つ。
その手際の良い動きを見ていると、いつの間にか、この状況に慣れてきている自分がいた。
「今日はハンバーグですよ。」
蓋を開けると、食欲をそそる香りが漂ってきた。デミグラスソースがかかったハンバーグに、ブロッコリーの付け合わせ。彩り良く詰められた副菜たち。
「いつも悪いな。」
「気にしないでください。むしろ、作るの楽しいんです。」
ナズナの言葉には嘘がない。本当に楽しんでいるんだろう。
俺の手元には、まだ開けていない菓子パンが置かれていた。
「あ、先輩。それは要りませんよ。」
ナズナは菓子パンを指差しながら、そう言った。ナズナの腕が机の上で俺に触れそうになる。一人用の机で向かい合えば、そのくらいの距離感になってしまう。
「そうか?」
「はい。今日も二人分作ってきましたから。」
彼女は自然な笑顔を浮かべている。その表情には、少しも無理している様子がない。その笑顔は屈託なく無邪気なナズナらしく感じた。
近すぎる距離のせいで、なにかいい香りすらする。
…ああ、いかんいかん。
俺は思考を切り替えながら、菓子パンを夕食にすることにして、ビニール袋へとしまいなおす。
雨の音が静かに響く教室で、俺たちは向かい合って食事を始めた。
机一つを二人で共有するのは少し窮屈だけど、それもいつものことだった。
まあ、屋上で隣り合わせていつも、昼食を食べているのと変わらないのか、俺はそう思った。
ただ、この二人っきりの教室という初めての場所に俺が慣れていないのかもしれない。
いや、正直、ナズナというどちらかといえば、綺麗な容姿を持つ彼女には、ドキドキしているのは否定できない。
それに、彼女と出会ってから、いつも思っていることだったが、ナズナの距離感は異常だ。
まるで、付き合いの長いカップルのような近さ。
そんなことを考えた途端、少し顔が熱くなった。
「美味いな。」
「ありがとうございます!」
ナズナの瞳が嬉しそうに輝く。
近い距離だからこそ、その表情の細かな変化まで見えてしまう。
彼女は本気で喜んでいるのだ。
俺はそれ以上、考えることをやめた。
そして、空き教室の窓から外を見た。そこでは、雨が降り続いている。
時折、廊下を走る足音が聞こえるが、この空き教室の存在を知る人はいないようだ。
この狭い空間で、二人きりで過ごす時間。
食事を終えると、まだ昼休みの時間が残っていた。
机の上に残された弁当箱を片付けながら、ナズナの腕が俺の手に触れる。さっきまでの距離が、さらに縮まったような気がした。
弁当箱を片付け終わると、まだ昼休みの時間が残っていた。
これといってすることもなく、俺は自然とスマホを取り出していた。
「先輩は、昼休み、いつも何をしているんですか?」
突然、ナズナが尋ねてきた。距離の近さは変わらないまま、彼女は興味深そうに俺の手元を覗き込んでくる。
「ああ、スマホをいじってるだけだ。」
俺は正直に答えた。彼女の髪の端が、机の上で俺の腕に触れる。
「へっー。そうですか。あの、先輩は、どういったものを?」
「ああ、俺は動画なんかを見ているんだ。」
そういって会話が終わってしまった。
なにしろ、俺が見ているインターネット上の動画をナズナに紹介しても…。
絶対に会話が合わない。
俺はそう思っていた。
一方のナズナは少し考え込むような仕草を見せて、それから突然顔を上げた。
その仕草は、この近い距離間では、より印象的に見えた。
「ああ、そういえば。先輩、空き教室のこと、知っていますか?」
「いや?空き教室?」
「ええ、この教室かどうかはわかりません。けど。」
ナズナはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、話を続ける。
俺は首を横に振った。もちろん、この空き教室の存在は知っている。けれど、他に何を知る必要があるのだろうかと、思った。
「これも、学校の七不思議の一つなんですよ。それが空き教室の怪談です。」
「七不思議?」
俺は思わず聞き返してしまった。
「はい。ある空き教室で、ふと、生徒の笑い声が聞こえるんです。でも、中を覗くと誰もいない。そして、その笑い声を聞いた人は、あの世に連れ去られるという噂なんです。」
「そうか。」
俺は淡々と答えた。興味ないし。
それにだから、それがなんだというのだろう?
まず間違いない。そんな噂は嘘だろう。
別に怖いから、小学生のごとく、怪談を小意地になって否定しているのではない。
なぜなら、俺は…。
雨の日といえば、この空き教室にずっといるのだが、もちろん、そんなことは一度たりともなかったからだ。
「だから、みんな空き教室に入らないんですよ。」
「なるほど、だから誰も来ないのか。」
雨音だけが響く静かな空間。快適だ。空調も利く。机や椅子は普通の教室と同じだ。
確かにこの快適な空き教室に他の生徒が来ないのは不思議だった。カギもかかっていないのに。
「先輩は、怖くないんですか?」
ナズナがにっこりと笑いながら尋ねる。その表情には、どこか意地悪な楽しみが浮かんでいるように見えた。
「別に。そんな噂なんて…。」
その時、突然、俺の腕が掴まれた。
冷たい感触が俺を襲ったのだ。
「ヒィっ!」
俺の情けない奇声。
俺の腕を見た。
小さな手が俺の腕をつかんでいた。
目の前のナズナが笑っている。
…よく見ると、ナズナの手だった。
「連れ去られちゃいますよ…先輩?」
明らかに、ナズナが俺で遊んでいる様子だった。
「おい、脅かすなよ。」
「先輩、もうちょっと、面白く怖がってくださいよぉ。」
ナズナは、どうしても俺を怖がらせたいらしい。
「俺は、そんな噂…。信じてないから。」
俺は言い返した。ナズナの笑顔に少しイラっとしながら。
「先輩は、噂を信じていないんですか?でも、この教室に誰も来ない理由って、そこじゃないんでしょうか?」
「だったら、それはそれで好都合だ。」
「なるほど。」
「そうだな、いつもの屋上と言い。この空き教室といい。もしかしたら、七不思議が俺たちを守ってくれているのかもな。」
「…守る?」
ナズナは首を傾げた。俺が話す意図が理解できていないようだ。
「ああ、いや。俺のボッチ生活をサポートしているというか。」
そう、怪談を信じる生徒たちによって、屋上、そしてこの空き教室へ、生徒たちの立ち入りがなくなっている。
心理的なバリアだ。
「ああ、そういう…。」
ナズナは納得した様子だ。
「そうですね。じゃあ…図書室に行きませんか?」
「図書室?」
「はい。実は、この学校の敷地って、元々は神社の跡地らしいです。これって、結構有名な話らしいんですけど。」
ナズナの声音が変わった。まるで、秘密を打ち明けるような感じ。これもまあ、オカルトな感じだ。やっぱりこれも学校の七不思議と関係があるのだろうか?
「それで?」
「そこでですね、この学校の図書室には古い資料があるのです!」
図書室に入った俺たちは、奥へと進んでいった。誰もいない図書室の中で、本棚が立ち並ぶ通路を抜けていく。
「郷土資料コーナーはこっちです。」
まるで目星をつけていたかのように、ナズナは本棚の前で立ち止まった。
「先輩、これ、見てください。」
ナズナは棚から一冊の本を取り出した。
それは、まるで図鑑のように分厚い本だった。
分厚い厚紙の装丁で、表紙は真っ白なのだが、長年の時間経過によって、色あせていて、黄ばみを帯びていた。そして、表紙の角はところどころ擦り切れていた。
表紙には『郷土の歴史』という金文字が刻印されていて、どうやら、それが本のタイトルらしい。著者名も出版社名も、発行年も記されていない。
ただ、確かに重厚そうなつくりであり、これぞ、資料という感じだった。
「これ、どう思います?」
手渡された俺はページを開く。ずっしりと重い。本のページはそれなりに黄ばんでいるが、綺麗だった。
「あっ、このページです。」
隣にいるナズナは、そういって本を開いていった。丁寧にページを繰っていく。絵巻の写真や古文書が複写されているのが見える。
それらについて、ページの端には簡素な細い罫線が引かれ、そこに説明文が記されている。淡々と簡単な説明と資料の複写や写真が続いているようだった。
どうやら、この地域にある古い絵巻や古文書を記録した資料らしい。
そして、しばらくすると、ナズナの手があるページで止まった。
見開きいっぱいに、不思議な絵が掲載されていた。簡単にいえば、神社の鳥居や本殿や拝殿らしきものが、日本古来の描き方で、模式的に描かれていた。
だが、その日本の古典的な筆運びの絵らしきものに、どう見てもセーラー服を着た女子生徒らしき人物が描かれていた。明らかに時代とあっていない。
まあ、明治時代からセーラー服を着た女子生徒がいると考えれば…。
いや、でもこの絵は明治なんてものじゃないだろうに。さすがの俺でも、それは理解できた。
絵の具の使い方や紙の風合いからして、もっと古い時代のものに見えるのだった。
「これ、おかしくないですか?」
「確かに…。」
古い絵巻のはずなのに、そこに描かれているのは、間違いなく学校の制服を着た人物だった。
「こんなの、あり得ないですよね?」
ナズナの声には、興味津々という感じが見て取れる。
「この本自体が、誰かの作り物じゃないか?」
「でも、誰がこんな手の込んだものを?しかも、図書室の郷土資料コーナーにあるんですよ?」
「うーん。」
たしかに…。
「しかも、これ見てください。」
ナズナは次のページを開いた。
さて、この謎な絵巻の説明があるのかな?
と、思ったのだが。
そこには、『かつて、神社がそこにあった。』の一文があるだけで、次の資料へと解説が移っていた。
他の記述と比べて不自然なほど情報量が少ない…。なんてものじゃない。
もはや資料ではないだろう、これ。
「分からないな。」
「そうですよね!」
ニコニコとナズナは微笑んでいる。
こういうモノが好きなのだろうか?
たしかに、学校の七不思議のことを嬉々として話してくる彼女である。
多分好きなんだろう、こういったオカルトな話を。
…まあ、確かに謎ではあるのだが。
「そうか!よし。」
俺はひらめいた、人類の英知に頼るのだ。
そう、画像検索。
スマホを取り出す。
「そうだ、画像検索してみよう。」
俺はスマホを取り出し、絵のページを撮影した。
ああ、うまく撮れなかった。図書室の蛍光灯が本の上ではね返って、真っ白になってしまう。
もう一度、角度を変えて、撮影。なんとかはっきりとした写真が撮れた。
そして、画像の類似検索をする。
そんな俺の様子をナズナはじっと見ていた。
「どうですか?」
ナズナが肩越しに覗き込んでくる。
「…全然違うな。」
画面には、日本各地の古い絵巻の写真が並んでいた。
確かに神社の絵は多いが、どれも俺たちが見ているものとは似ても似つかない。東北地方の古い神社の絵巻や、九州の山奥にある古刹の記録写真。そして、どこかの博物館が所蔵する絵巻の複写など。
しかし、さすがにセーラー服の少女らしきものが書かれている絵はない。
「くすくす…。」
横で、ナズナが笑い出す。
「何がおかしいんだ?」
「だって先輩、こんな絵、ネットで見つかるわけないじゃないですか。」
そう言って、ナズナは本の上に指を這わせた。さっきから不思議に思っていたが、その説明文の少なさは異常だった。図版の複写自体は見開きで大きくあるのに、肝心の解説がほとんどない。
もしかして、これを編集したやつも匙を投げたのか?
「でも、この本自体は図書室にあるわけだよな。」
そこで俺はひらめいた。
「よし、次は本のタイトルで検索してみよう。」
俺は、検索欄に『郷土の歴史』と入力する。
結果が出る。
しかし、内容としてはあまりにも一般的すぎて、まったく手がかりにならない。
「どうかな?データベースとかでも、この本を探してみるか。」
全国にある図書館の蔵書検索サイト。
すると、いくつかヒットした。
「ふむふむ。」
ナズナも覗き込んでくる。
「けど、これ、全然違うな。」
確かに『郷土の歴史』というタイトルは同じでも、県や市から発行された立派な資料集ばかりだった。著者も出版年も、すべてがはっきりとしている。そして、どれも俺たちが見ている本とはまったく内容が違うようだ。
「まあ、でも当然ですよね。」
ナズナはクスクスと笑っている。
「この本の特徴を入れて検索してみましょうか。」
白い表紙、金文字、著者名なし、出版社なし…。
でも、そんな情報ではまともな資料が見つかるわけがない。
ああ、せめてISBNコードでもあれば…。もちろん、そんなものは資料に記載されていなかった。
「やっぱり、これって…。」
「うふふ。」
ナズナは嬉しそうだった。なにが楽しいんだろう?
ああ、たぶん、彼女にとって、この現代にあるオカルトが楽しいのか?
しかし、確かにこの本は不思議だ。図書室という公的な場所に、こんなにも出所の分からない本が置かれているなんて。
俺がそれ以上、どうしたものかとあれこれと思案していたら、チャイムが鳴り響いた。昼休み終了の合図だ。
「続きはまた、今度にしましょう。」
ナズナは本を大切そうに元の場所に戻していく。
「ああ、そうだな。」
俺もそんなナズナを見ながら、その本について考えるのはやめにすることにした。
だって、これ以上考えても意味がない気がしたからだ。
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