口約束の契り
アワイン
1
どぉおんと音が響く。遠くの山からは煙と、多くの石が飛び出ている。山の頭からは血のように赤くて熱いものが流れているだろう。
「ああ、今日もお山様が怒っている。
しずよ。わかっているな」
「……はい、長様」
白髮の男性──村をまとめる長の幻朝様だ。長は私が幼い頃から多くの子供を引って面倒を見てくれている。小さい頃、父と母は火事で亡くなった。私が寝ている間に、村の人が私を助けてくれたから助かった。
今でも覚えている。かつて住んでいた家が燃えていくさまを。燃えた瓦礫の中から、父と母を探そうとしていた頃を。
そんな親を亡くした私を幻朝様は引き取って面倒を見てくれた。でも、育ててくれたからといって、唐突に空いた胸の内の穴は塞がらない。お父さんとお母さんを亡くして、生まれた私の胸の内に穴がある。
その穴が何なのかはわからないけれど、その穴を埋めるべく今日から私はお山様の贄となる。
代々、この村では、適した女性がお山様の贄となることが決められている。火が噴くのが起きるたびに、贄を出して火が噴いて鎮める。ここの村はそうしてきた。前に一回。その前々にもう一回。たくさんの贄をお山様に出してきた。
そうやって、身を尽くした女性は多い。私はお山様に気に入られるほどに、綺麗に着飾れているだろうか。
「しずねぇ」
「しずおねぇちゃん」
「しずおねちゃん。がんばってね」
私より幼い子たち。私にとって皆は血が繋がってなくても家族だ。皆のためにも、先に逝った皆のためにも、……私の胸の内にある穴を埋めるためにも。
「うん、行ってきます」
カゴに乗ると、運ばれていく。
今日初めて私は村の外に出る。外は危険だから、普段行くときは大人が付く。町と言う場所に行くには遠い。時折商人がくるから、ある程度満たされてしまうから外に出なくてもいいと皆思っている。
──お山様まで行く道の前に運ばれた。籠から下りると村の人は急いでそのまま去っていく。危ないから去るのは当然だろう。
入り口を見ると煙の出る山があった。
私の人生はお山さまで終わる。
お山様で死ねば、山は鎮まれば。山が鎮まれば、私の内にある穴が埋まって、私は父と母に──。
「おい、あの火山に行こうとしているのか」
声をかけられて首を向ける。
声を向けて、私は驚いた。
一瞬だけ緋色に見えたけれど、黒い長髪で高く結われている。
見惚れるほどに男らしい顔立ちだ。顔の堀が深いというのだろうか。村の人では見かけないほどの凛々しい男の大人の男の人。着物の腕から見える筋肉も、身長も大きさも、たぶんこの国では見かけない。
首を真上に向けなければならないほどの、私を覆いそうなほどの。高さではなく、大きさともいえる。
「……だい、だら、ぼっち?」
私の口から出た言葉に、彼は嫌そうに息をつく。
「……当たらずも遠からずだが、今はあの山を越えるような大きさではないな。だが、今はそうじゃない。貴様、あの村からの贄か」
いわれてびっくりしてしまう。
「わかるの?」
思わず聞いてしまう。聞かれた彼はしゃがんで私と目線を話す。
「ああ。お前のように懇願して贄になりにいく女は多い。
だが、この先は行くな。贄にふさわしくない」
「……ふさわしくないって」
「我は山に行く前に気絶させて、あの村以外の遠い人里に置いて逃がしている」
「……じゃあ、今までお山様が静まらなかったのは」
貴方のせいと言おうとしたとき、彼は呆れていた。
「あんなの雨が降ったり、風が吹いたりするようなものだぞ。小さな噴火が起きるたびに贄を出してたのか、あの村は。それに、あそこにはお山様なんて大層な存在は居ない」
「……えっ」
なんだか、とんでもない真実を聞かされたような気がした。
でも、彼は知らない人。嘘を言っていることも。
「山の火噴きは何回起きた?
前にも一回起きている。それでも、あの村は贄を出したのか?」
疑惑を持つ前に質問をされる。なんだろう。この人。
「……出したよ。その前の」
「一月も何回噴火して贄を出すなんておかしいな。よく村から人が居なくならないな」
言われて、気付く。火が噴くたびに贄を出していたけれど、昔は大きな噴火の時にしか出さなかったと聞いた。小さな火噴きの度に出しているのは、確かに考えてみるとおかしいかもしれない。
でも、それでも。
彼は仕方なさそうに息をつくと、立ち上がった。
「……嫌、だ」
「は?」
私の返答に相手は不機嫌そうな声を出していた。
「嫌だ……私は死にたい……!」
彼の横を通り過ぎて走る。
死んだ父と母に会いたい。私の自分の穴を埋めて、あの世にいる父と母に──!
「馬鹿が」
彼の言葉とともに目の前がふつりと暗くなった。
パチパチと音がする。
薄く目を開けると、先ほどの彼が石に座っていた。小石を積んで、鍋を支えている。鍋の下には火を焚いているようだ。
明かりは焚火だより。周囲は少し拓けていて……?
匙で鍋を掻き回しており、彼は私に顔を向ける。
「起きたか」
「……っ」
ゆっくりと手を付いて身を起こす。私は
なんで。
「なんで、死なせてくれないの」
思わず出た言葉に、彼は鍋を見ながら話す。
「普通なら死なせにいく。だが、ここで命を捨てさせる訳にはいかない事情がこちらにはある」
椀に小さな箸が乗せられて、目の前に出された。何気なく受け取ると、椀の雑炊は少し熱めだ。葉のものと根菜で、雑穀の……。
渡された意味が分からない。
「なんで、こんなものを渡すの?」
「腹が減っているだろ。ちゃんと話すためにも、食事は取れ」
「……贄にいく人に、そんなの」
とてもいい匂いが鼻を擽る。ぐぅっと腹が鳴った。
そんな、まさから空腹だったなんて。顔に熱が集まるのを感じる。私の顔は赤いのだろう。私の驚いている様子に、彼は可笑しそうに、でも優しそうに笑う。
「言った通りだったな。ほら、食べろ」
「……! …………っ」
美味しそうな、匂い。でも、私は──。
我慢しようとした。でも、いい匂いと食欲に勝てなくて、雑炊の一粒を箸で掬って食べる。
……葉のものの風味と、根菜の旨味と塩味が効いていて美味しい。
ふぅと息を吹きかけて、冷ましつつ箸で少しすくって食べる。
食べていると、香ばしい匂いがする。パチパチと音がする部分をみていると、鍋は自慢におろされている。かわりに川鮎を焼いていて塩を振っていた。鮎の焼き方に手慣れているのか、彼は私の方を見て意地悪く笑う。
「鮎も焼けるからな。言えば、おかわりもある」
「っ……! ……」
そうか。いい匂いで自分を空腹だと自覚させて、死ぬ覚悟を鈍らせる。しかも、おいしいし、おかわりしたくなるほど。贄や死ぬ覚悟は、空腹と美味しいものの前で粉々に砕け散ってしまった。
「これ、食べ終えたら、おかわり、くださいっ……!」
彼は勝ち誇ったような顔をしていた。
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