中年オジが異世界で第二の人生をクラフトしてみた

Mr.Six

1話 いきなり転生からの崖っぷち!?

 ――俺は、なぜこんなところにいるんだろうか?


 俺の名前は中島佑太(なかしまゆうた)、35歳。仕事はそこそこ大手の商社に勤務している営業マンで、なかなかに忙しい毎日を送っていたのだが、正直やりがいを感じたことは一度もない。上司から振られる面倒な案件を捌き、同僚と愚痴を吐き、後輩に気を使う毎日、それらを必死にやり過ごすことで精一杯。近頃は帰り道に飲む酒が俺の唯一の楽しみになっていた。


 昨夜も会社の飲み会の後、一人で居酒屋をはしごして、かなり深く酔っていた記憶がある。どこをどう歩いたのかなんて覚えていないけど辛うじて記憶の断片があるのが、ふらつく足で橋を渡ろうとして……そこで、足を滑らせて川に落ちたこと。あの瞬間、冷たい水が全身を包む感触ははっきりと覚えている。なのに、次に目を開けると、見渡す限りの草原のど真ん中だった。


 朝を迎えてすぐのような太陽の高さ。眠たい目をこすりながら上体を起こすと、背丈の低い雑草が風にそよぐばかりで、人の気配がまるでない。ビルも車も見えやしない。遠くには木々が茂る森らしきものがあった。


「ここ……どこだ……?」


 シャツの裾はびしょ濡れで、履いていたはずの革靴も泥まみれ。靴下の中までぐっしょりとしているのは不快だが、少なくとも生きている実感はある。酒がまだ体に残ってるのか、頭がボーっとするし、目の前に広がる非現実的な光景にどうも脳が馴染んではくれない。あたりを見回しても道路や建造物は一切なし。ただ青空と草原と森。そのへんのドラマでもここまで開けた景色はそうそう見ない。まるでゲームの世界みたいだ。


「まさか死後の世界の天国……ではないか、感覚あるし」


 薄ら寒い冗談を言いながら、やっと立ち上がる。全身の筋肉がこわばり、あちこちが痛んだ。あのまま溺れ死んだ可能性を考えれば奇跡に近いが、夢オチにしてはリアルすぎる気もする。顔を上げて酔いを醒ますため深呼吸をしようとした時だった。視界の隅に奇妙なメニュー画面のような文字が浮かんだ。


[ステータス | クエスト | インベントリ]


 それはまるでゲームのUIのように空中に浮かんでいる。ウィンドウらしき枠線がぼんやりと透けていて、そこにタブのような文字がズラッと並んでいる。


「ん? なんだこれ?」


 俺は咄嗟に腕を伸ばした。勿論触れられるはずもなく、俺の腕は見事に空ぶった。首を横に振ろうが、上を見上げようが、UIのような文字は常に俺の視界に入り込み、文字に意識を向けると若干の拡大縮小ができる程度……。驚きで声を失っていたが、その中の〈クエスト〉という文字が微かに光を放っていた。その文字をじっと見つめると、まるでカーソルが合わさったように文字の色も灰色に変化した。これは……もう一度意識しろという事だろうか?


 頭の中で文字をクリックするイメージを浮かべると、さらに新しい文字が浮かび上がる。


《クエスト発行!》

夜明けまでゾンビからの襲撃から逃げ延びろ!

制限時間:24時間

報酬:経験値+10、スキルポイント+1、木材+10


 え、何? クエスト? 報酬? なんだこれ。どうやら俺はまだ酔いが醒め切っていないらしい。こんな夢を見るとは、いよいよ俺の精神も崩壊を始めてるのか?


「ゾンビ……? しかも『襲撃から逃げ延びろ』って、どこのホラーゲームだよ」


 呆れたように苦笑する。そりゃそうだ、現実世界でゾンビなんて湧くわけないし。自分から死にかけてショックを受けてるのも原因の1つだろう。試しに〈インベントリ〉というタブも覗いてみることにしてみたが、何も表示がなく、〈持ち物なし〉と表示されている。まぁ、”現金”も”スマホ”も持ち合わせていないところを見ると半分正解なのだろうか。とはいえ、このまま立ち尽くしたところで状況は何一つ変わらないことは理解した。


「まぁいいか、現実世界には疲れてたし、夢だろうが異世界だろうがなんでもいい、有給休暇中だと思って……楽しみますか♪」


 どこか投げやりな思考に、自分でも苦笑いが漏れた。これが現実だと信じるにはあまりにも荒唐無稽だが、かといって他にどうしようもないしな。とりあえず近くの森に向かってみるかな? 俺はこの状況を楽しむことにして森に向かった。痛む体を引きづりながら、鬱蒼と生い茂る木々を掻き分けていく。木々の間から光が差し込み、地面には枯葉や苔が積もっている。手に振れる木の感触はそれはもうゲームと呼ぶには生々しいほどリアルに感じる。それどころか、鼻を通る木の匂いや、ジメジメした湿り気も本物そっくりに再現されている。仮想現実世界なんだとすると相当に手が込んでいるな。


「すげぇな、ほんとに生きてるみたいだぞ」


 それに気になってるのがもう一つ、俺の視界の左上隅で減り続けている数字……おそらくクエストで見た制限時間ってやつだろうな、22時間ってことは、数字が0になるとクエスト達成ってことかな?


「ゲームの世界なんだか、現実なんだかよくわかんないことになってきてるな……俺の頭大丈夫か?」


 少しずつだが自分の身が心配になってきていることに気が付く。それにお腹も減ってきてるし、喉も乾いた。さらに進むと、微かに小川のせせらぎのような音が聞こえる。とにかく、何かを口に含むのがいいだろうな、せせらぎの音を頼りに歩くと、そこには透明度の高い綺麗な川を発見した。見つけた瞬間、思わず唾を飲み込む。


「飲めるよな?」


 飲めるかどうか心配だが背に腹は代えられない。コップ代わりの物はないから、俺は膝をついて、両手で水をすくうと恐る恐る口に運んだ。スゥっと喉を通る水、ひんやりと伝わる水の温度……。


「うまっ!」


 若干、体力が回復した気がするのは恐らく気のせいだろうがそれでも体が軽くなったのは確かだ。この世界、意外に普通の自然環境なんじゃないのか? ヘタすりゃ腹を壊すのではと警戒をしていたが案外そんなに気を張る必要は無さそうだ。さらにもう一度水を口に運んで、一息つくと、胃に染みわたるような安堵感を得られた。


 その後、森の中をあちこち歩き回ってみたものの、人影どころか獣さえも見当たらない。苔むした岩や雑草が生い茂るだけだ。ここまで人気がないとむしろ不安になる。


「人がいないのが気になるな、もしかして……迷子か?」


 こんなところで迷子なんてシャレにならんぞ。遊びだと思って安易に森に踏み入れるんじゃなかったな、ちょっと後悔……。


 パキッ……


「ん?」


 何やら足元から音が鳴ったので下に視線を向けると、木の枝が踏んだことで折れたようだ。俺は何の気なしに木の枝を手に拾ってみる。すると、UIの〈インベントリ〉が淡く点滅した。


「おっ? お次は何だ?」


 意識をそこに向けると〈インベントリ〉に〈右手:木の棒〉という文字が浮かび上がった。なるほど、手に持った物はこのように表示されるわけだな、てことは、左手にも何か持てるんじゃないか? 俺は折れた方の枝を左手で拾うと、今度は〈左手:木の棒〉と表示される。


「ははっ、二刀流……ってか?」


 まぁ、この先、何が起こるかわからない、この木の棒は持ち歩くことにしようか。か弱い棒切れかも知れないが、何も武器が無いよりはマシだろ。せっかくならもう少し丈夫な棒とかがあればいいんだけれど……。クエストを達成したときの報酬ってそういえばどうやって受け取るんだろ? このままだと両手塞がってるし、受け取ろうにも受け取れないよな。そうこうしているうちに気が付くと、左上の数字が13時間と表示されていた。


「うわぁ、もうそんなに時間が経ってたのかよ、意外と時間経つの早いな」


 そんなに練り歩いていたつもりはないが、どうやら森の中で相当な時間を費やしていたようだ。太陽の光も徐々に薄まっていき、森の影がこちらに伸びてくる。空もオレンジ色に染まり、風がひんやりとして始めていた時、気になってクエスト画面を確認した。


「夜明けまでってことは、夜になったらゾンビが突然現れるってことか?」


 思わず笑みがこぼれる、まさか本当にゾンビが襲ってくるなんてことは無いだろう、とはいえ、ゾンビではなくとも、森の中だ、何が現れるかわかったもんじゃない、もしかしたら熊とか現れるかもしれないし、となると、森の中にいるのは危険か……一旦この森を出るとしようか。その後に簡単な寝床でも作成して一日を過ごそう。


 沈みゆく太陽を眺めながら森を抜け、最初に目覚めた草原へ戻ると、辺りはすっかり黄昏色。風も一層冷たくなってきて、肌寒い。こんなヨレヨレのワイシャツだけだと心もとないな。木の棒2つじゃ、寝床も作れやしない、もうちょっと真剣に物を集めとけばよかったな。


「まぁ夜になったら暗いだろうし、なるべく安全そうな場所で寝るしかないな。ゾンビなんてホラ話だと思うけど……念のため木陰に隠れておくか」


 どこかのゲームなら土をガシガシ掘って地下に潜る、なんて手段もあるが、今の俺には素手しかない。重たいシャベルもないし、体力は限界に近い。


 日が沈み、あたりが闇に包まれた。夜風が肌を刺すように冷たい。俺は近くの茂みを背にしてうずくまり、木の棒を握りしめたままうとうととしかける。すると、突然遠くのほうで「うぅ……」という、かすれた声が聞こえた気がした。まるで苦しんでいる人間のうめきのようにも聞こえる。さすがに胸騒ぎがして、茂みの奥からそっと顔を出す。暗闇の中、月の明かりがわずかに地面を照らしていて、草の先に人影らしきものが動いているのが見えた。


 それは見るからに不自然な姿勢でヨロヨロと歩いていた。髪の一部が抜け落ち、肌はどす黒い。衣服はボロボロで、人なのか化け物なのか判別しづらい。


 ――まさか、本当にゾンビ?


 心臓がドクンと跳ねる。これは夢の世界、現実じゃない、きっと誰かが仮装でもして、夜を徘徊してるだけだ、背筋に冷たい汗が伝う。人間なら、この場所の事も、人が集まる場所も知ってるかもしれない。俺は勇気を振り絞って茂みから顔を出すと、「おぉーい!」と呼びかけるため小走りで駆け寄った。


 するとそいつは、勢いよく首を巡らせ、こちらに視線を向けた。血の気のない皮膚に奥深く窪んだ眼球。唇からは何か黒ずんだ液体が垂れている。


「ゲッ、な、なんだよコイツ!?」


 唸るような声とともに、そいつはやや加速してこちらに近寄ってくる。見れば見るほどゾンビそのもの。右腕の一部が欠けているのか、骨がちらりと覗いていて見るに耐えない。ただの作り物でも仮装でもない、本物の死者のような雰囲気に息が止まりそうになる。俺は慌てて身を引き、木の棒を握る手に汗が滲む。ここまでリアルに作りこむ必要あるか? と疑いつつも、俺は人間だと信じてさらに一歩近づいた。


 その刹那――


 そいつはガバッと腕を伸ばすと、俺の腕を掴んだ、一瞬何が起こったのか理解できぬまま、反射的に腕を振りほどこうとすると、やつの爪が俺の皮膚をひっかき、鋭い痛みが全身を駆け巡った。


「なっ!? い……いてぇ!」


 傷口がグジュグジュと痛む、そいつは腐りかけた歯をむき出しにしながら、「うう……」と喉を鳴らしている。夢だとしてもこんなリアルな痛みはしないだろ……いや……これは夢じゃない。


 現実!?


 だとするなら俺の目の前にいるのは……本物のゾンビ!?


 一気に血の気がサーっと引いていく。俺を引き寄せようとするその力も、骨と皮ばかりの見た目に反して異常に強かった、息がつまりそうな酷い悪臭に、明らかに腐敗している皮膚。こんな奴に噛まれたら、絶対にただじゃ済まない――!


「うわぁぁ!」


 俺は咄嗟に握っている木の棒を振り回した。しかし、ゾンビの身体に当たろうが、びくともせず焦りと痛みで完全に冷静さを失っていた。ゾンビは躊躇うことなく距離を詰め、右手を振り上げた。咄嗟に避けようとするが、それでも気圧されてしまい、俺は派手に転んでしまう。


 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!


 酔いが完全に冷めた頭が俺の体中に全速力で恐怖信号を発している。


 逃げろ……――。


 恐怖で腰が抜けて、立ち方すらも忘れてしまった。崩れるように膝をつき、泥の感触が掌に広がる。逃げなきゃ、と頭ではわかっていても、足がもつれて思うように動かない。俺は握っていた木の棒を地面に落としたことに気づかず、転びかけながらも必死に森の中へと走り出した――

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