第3話

 橿原神宮前駅西出口の改札口で、手に持つスマホと、過ぎ行く人の群れを、交互に眺めながら落ち着かない様子で、木之本は久米を待っていた。




 昨日の出来事は別のサイトに拡散され、新たな書き込みが増え続け炎上になりかねない様子を漂わせていた。


 SNSで見つけたサイト




【全世界腐女子連盟】通称【WFF】




 には、久米と、縄手が抱き合っている動画がアップされており、すでに反響を呼んでいた。




 腐女子、要するに男性同士の同性愛であるボーイズラブなどを好む全世界の女子が集まるサイトだけあり、現役の男子高校生と教師との恋愛話は鉄板ネタのように、多種多様な言語のレスで盛り上がりを見せ始めていた。


 個人名や高校名の書き込みはまだないが、時間の問題であろう。




 当事者たちを置き去りに勝手に盛り上がる外野のコメントに、苛立ちを隠せない木之本は、昨日のすれ違いでできてしまった溝を、この話題を共有することで埋め合わせ、さらに二人の関係を強固なものにできるのではないかと考え、到着を待ちわびていた。








 通勤ラッシュの人波に隠れるように、改札口を抜けた久米は、昨日と同じように野球帽を深く被り、目立たないよう通路の隅を選ぶように歩いてきた。




「香月!おはようさん!」


 木之本が駆け寄るが、俯きイヤフォンで両耳をふさいだ久米は、気づかないまま歩き続ける。






【俺のことが好きなんだって?俺も久米のことが好きやで!マジで】




【俺は最後の最後の一人になっても久米を守り抜くからな‼】




 自分を抱きしめながら、叫んだ縄手の姿が脳裏にリフレインする。






 久米は自分の気持ちを伝えたい思いが、繰り返す縄手の姿と、学校に近づく距離と共に強くなっていた。




『今日も話せるかな』


『今日も抱きしめてくれるかな』


『今日も頭を撫でてくれるかな』


 欲求は強くなるばかりで、自己を保つ軸がずれ始める。






「言わなきゃ。」


 先生に俺の気持ちを伝えたい。


 伝えなきゃいけない。




 芽生え始めた衝動は加速し始める。




「俺も久米のこと好きやで!」


「俺も先生のこと大好きです!」言わなきゃ!


 きっと、きっときっと分かり合えるはず。


 受け止めてくれるはず!




「俺も久米のこと好きやで!」


「好きやで‼」・・・・・・・




 続くリフレインに、残像なのかリアルなのか、久米の目の前に、縄手の姿がたたずんでいるように思えていた。




 ―――――


「いやいや。ちゃうやろ。冷静になれや。」


 ボヤっとした世界の中


「先生に迷惑をかけるだけやって気付けや。」


 自問自答が始まる。




「それでも、俺は先生が好きで、好きで・・・・」


「あの言葉は、本心なんかとちゃうって、なに真剣に受け止めとんねん。」


「そうやとしても、もうこの気持ちは止められへんねんって。」


「嫌われる可能性だってあるんやで。」


「もうみんなにバレてもーてるやん。すべて失ってもええし!この気持ち、伝えるんやって。」


「実際、無謀やで。」


「アカンかもしれん。きっと無理やと思う。せやけど、伝えるだけ伝えるんや。」


「また・・・不幸になってまうな。」・・・


 ―――――――




 ふいに腕を掴まれる。ぼやけいた景色がグルッと一回転した。




 我に返った久米は、掴まれた腕の方を見た。木之本が口を動かし、何かを言っていた。


 慌ててヘッドフォンを軽く一回叩き、音楽を止めた。


「あ・・・・おはよう。」




 小さくつぶやく久米に


「香月っ!ホンマに大丈夫?しっかりしてや!」


 そのまま久米を引っ張り寄せるように腕を絡ませた木之本は、少し睨んだ。




 大きくため息をついた久米は、両目を強くこすり、瞬きを何度かさせて、今いる場所を確認するように辺りを見渡した。




「ごめん、考え事してた。」


 木之本にちらっと目をやり、俯いたまま歩き出した。




 昨日に続き、元気がなさそうに見えた久米に木之本は話しかけた。


「縄手ってやっぱ、頭おかしいって!あんなみんなの前で香月を抱きしめるなんて!セクハラやでガチで!」


 口元を歪ませながら続ける




「あいつこそゲイちゃうの?」


 挨拶をしてから、一向にこちらに視線を移してくれない久米の肘を軽くゆすり同意を求めるが、久米は深く被った野球帽で目元を隠し歩き続けていた。


「ねえ!香月!もうあんな奴と関わるのやめや!」




 心を閉ざしたように、反応がない久米に不安が積もり始めた木之本は、ネットの話ができないまま、なんとか自分に心を向かせようと、思いつくままの言葉を投げかけ続けた。


「明日からテストやし、今日は一緒に勉強しょうよ!全然進んでへんねんやろ?」




 歩きなれた街の風景に背中を押されるように、自分の気持ちを早く伝えたい思いが加速していく久米には、肘に伝わっているはずである木之本の腕のぬくもりは、忘却の彼方に追いやってしまった過去ように、無いものとなっていた。




「夏の大会もすぐやし、ガチで忙しいけど、一緒に頑張ろうや!」


 不安に押しつぶされそうになりながら、思いっきりの作り笑顔で久米を覗くが、無反応のままいつの間にか学校下の坂道に差し掛かっていた。




 どうしても、反応が欲しい木之本は


「ホントに縄手はキモイ‼キモイ‼キモ過ぎって‼」


 久米の横顔を見ながら、縄手を罵倒した。




 一瞬歩みを止めた久米は、「キモイ」という言葉に、自分の胸がナイフで貫かれた気持ちになり、木之本を睨んだ後、突き放すように歩調を速めた。




 その視線に言ったらいけないことを言ってしまった感覚に陥り、体が固まってしまった木之本は、腕がほどかれる様をスローモーションのように目に写し取っていた。










 いつの間にか、威風堂々とした足取りと視線を前に上げた久米は、教室へ続く階段を一段一段踏みしめるように登っていた。




 追いついた木之本は久米の背中を見失わないよう、階段を上り、必死に歩調を強めた。






 コソコソと、きっと自分のことを話しているだろう、すれ違う生徒たちに見向きもせずに、真っ直ぐ教室に向かう久米。






 不意に隣の教室のドアが開き、縄手が姿を現した。




 手に持ったタブレットに事前連絡をうけた欠席者数を入力しながら、廊下に足を踏みだした縄手は、上げた視線の先にまっすぐこちらを見て立っている久米の姿を見つけた。




 咄嗟に縄手は、不安なまま覚悟を決めて登校したような顔つきの久米に


「おはよう!久米!」


 昨日のこともあり気持ちを和らげようとと両手を広げ、思いっきりの笑顔で近づいた。




 その行動を見た木之本は、また久米を抱きしめられてしまうと思い、


「香月!行こ!」




 近づく縄手の横をすり抜けるようと、久米の手を廊下の脇へ引っ張った。




 しかし久米の腕に力が入り、それを拒んだ。




 不安が不安を呼び始めた木之本はもう一度、催促するように手を引っ張った。


 一切、木之本に目を合わせないまま踏ん張り動かない久米。




「香月‼」


 縄手は、大声になった木之本を不思議顔で見ながら


「朝練来んかったから、心配したって!」


 笑顔の縄手は、久米の肩に手を置いた。




 表情が真剣なままの久米はまっすぐ縄手を見たまま動かない。






 唾を何度も何度も飲み込まないと、喉が一瞬にしてカラカラに乾いてしまう。


 その度に意識が遠くなり、頭の中が真っ白に塗りつぶされそうになる。


 久米は何とか踏ん張り意識を整えることに集中しながら、「今、伝えないとだめだ。俺の気持ちを伝えないとだめなんだ。」かさぶたのようにこびりついた躊躇をむしり取る様に、繰り返し自分に言い聞かせていた。






 胸の中に一気に暗雲のように広がった最悪な不安と、この場を切り抜けることができない自分の無力さに、木之本は


「香月は私の部屋で一緒に朝まで勉強してたんで、めっちゃ疲れてるから失礼します。」


 嘘を付いた。




「そうだったんや!本当に木之本とは仲ええよな!」


 久米の肩から手を離した縄手は、「木之本がついているし、いじめ問題はもうなさそうだな。」と安心して笑顔で二人の顔を交互に見ながら話した。




 その笑顔が、久米には寂しそうな作り笑顔に見えてしまった。


「言わな・・・・・」


 小さく強くつぶやいた久米は、木之本の手をほどいた。




「いやや‼」


 不安が最高潮になり、叫ぶように声をあげた木之本は、ほどかれた手を握り返そうとする。


 その手を払いのけた久米は、大きく息を吐き、木之本の顔を見据え


「ごめん!本当にごめん!」


 頭を深く下げた。




「あかん‼私は香月の彼女なんやから!香月は私と付き合ってるんやから‼」


 手を払われる瞬間、木之本は縄手に向かって叫び、頭を下げる久米を縄手の視線から体で遮る様に前に立ちはだかった。




「あげない!絶対あなたにあげない!香月は私の彼氏!私以外許せない!絶対に渡さない!」


 口に出したい思いを必死で抑え込みながら、木之本は縄手を睨む。




 ゆっくり頭をあげた久米は、そんな木之本から体をずらし縄手の視線軸に立った。




「本当にごめん。」


 自分の体の陰をすりぬけた久米の言葉に、心を思いっきり突き飛ばされた感覚に陥り、目の前が暗くなっていくのがわかった。




 涙があふれてくる。


 胸が大きく脈打ち「なんで?なんで?なんで?」疑問ばかりが零れ落ち、膝を折ってゆく。




 その場にへたり込むように膝をつきへたり込んだ木之本は、流れ落ちる涙を掬い取るように、両手で顔を覆ってしまった。




「おいおいおいおい・・・・ちょちょ!こんなとこで喧嘩すんなって・・・・・・木之本、大丈夫か?」


 あまりにも唐突過ぎで理解できないままの縄手は、崩れ落ち泣いている木之本に近づこうとした。




 その間に割り込むように立ちはだかった久米は


「先生。俺、先生に言わないといけないことがあるんです。」


 不意に割り込んだため、至近距離に位置にいる縄手の目をしっかり見据えて言った。




 もう、躊躇などかけらもなかった。


「お・・・・おう。」


 その気迫に少し押された縄手は、目を丸くしてつぶやいた。




「俺は・・・・・・・・・・・・俺は本当に縄手先生のことが好きなんです。本当にめっちゃ好きなんです!だめっすか・・・・。」


 たったこれだけの言葉を落ち着いて伝えようとするだけで、息が上がり、汗がにじみ出る。




 久米の告白を聞き、木之本の鳴き声が上がる。




 縄手は真剣に見つめ立っている久米と、その脇で泣き崩れる木之本という状況に思考回路が完全に停止してしまい、何をどう言えばいいのか、まったくわからないまま、その場しのぎの言葉が零れ落ちた。


「おう!そうか!ありがとう‼」


「そりゃ俺はかっこいいからなぁ!誰からも好かれるしなぁ!」


 腰に手をあて、ハハハハハと大きく笑った。




 そんなちゃかす縄手に、少し苛立ちながら、


「真剣に聞いてください!お願いします!俺はすべてを失くす覚悟で言ってるんです!俺は先生のことが・・・・・」


 唾をゴクっと飲み込み


「先生のことが本気で、本気で好きなんです!」


 感情が一気に高ぶり、声が震えるが構わず叫んだ。




 気づけば校舎は静まり返り、その場に居合わせた生徒たちは、三人の成り行きを静観していた。教室の窓や扉から顔を覗かせ、スマホをこちらに向けている生徒もいる。




 遠くの国道からの雑踏が耳に届く状況で、誰一人身動きせず、声をたてず見守っていることがわかる。




「・・・・・」


 この歳の性は揺れ動きやすい。


 一時的な感情。


 大人への憧れ。


 勘違い。


 木之本とのけんかの腹いせ。


 実は冗談。






 縄手は一気に思いつく要素を頭の中で並べ立てた。


 しかし、どれも確信がないまま、言葉が見つからず時間がこの空間を横切って行く。




「久米・・・・あのや・・・・」


 縄手が胸の奥からひねり出した言葉を遮る様に


「いいんです‼ただ伝えたかっただけなんで!迷惑ですよね。本当にごめんなさい!」




 久米は縄手の何かを探すように動かした視線が、自分が聞きたくない答えを見つけるのではないかと怖くなり、この場から逃げ出す選択を瞬時に選んでしまった。




「本当にごめんなさい!ありがとうございました‼」


 不幸への入り口を回避するように、久米は縄手に頭を下げ、背を向け今来た階段を一気に駆け下りた。


 その後を追うように木之本も口元を押さえたまま立ち上がり、久米に続く。






「ちょ・・・ちょっと待ってぇーや・・・・」


 縄手は手を指し伸ばしたまま動けないでいた。






 朝礼が始まるチャイムが、すべてを現実の引き戻すように、校舎に大きく響き渡る。




 それを合図のように、見守っていた生徒の緊張が一気に解けた。


 次の瞬間


「うおおおおおおおおお――――‼」




 校舎が揺れるほどの歓声が響き渡り、興奮の渦がその空間を支配した。




 この様子はすぐさまあらゆるネットサイトに流出し、ものの数分でトレンド入りになる勢いとなった。






「キター‼めっちゃリアルBL!」


「マジで無理。キモ過ぎ。」


「ホモ4ネ」


「TVドラマよりよっぽど面白い!早く続き!」


「この教師のアホ面ムリ。」


「大和まほろば高校!奈良県の恥!」


「がんばれ!高校生!青春は一瞬だ!燃え尽きろ!」




 日本語に限らず、英語、中国語をはじめ多数の国からのコメントが溢れ始める。その数が増えるごとに、全世界に久米と縄手がお披露目のきっかけとなった動画は、ネット界に増殖し続けた。






 ―――――――――――






 期末テスト直前の職員室は、学校名がネットに晒されてしまったことにより、三回線しかない電話がなり続ける状態になっていた。そんな中、緊急に生徒指導部が招集され、今後の対応を協議していた。


「久米がまたエスケイプですね。今度は木之本まで。」


「やはりスクールカウンセラ―に相談しましょう。」


「期末テスト直前なので、他の生徒に影響が出ないように注意しないと。」


「大きな騒ぎにならないように、保護者からの電話があったら、対応コメントを一律にしましょう。部外者からの電話は、適当に聞いておいていいでしょう。」


「縄手先生は久米をどうされるおつもりなんですか?」


「・・・・うーーーーーーーーーーん。」


 ミーティングテーブルに集まった生徒指導部の全員が、縄手に視線を集める。




「うーーーーーーーーーーーん。」


 腕を組んだまま、一点を見つめ縄手は動かない。




「いや、久米のことではなく、校内の出来事が流出している方が大問題であって、先に対応するべきですよ。」


 一人が縄手から目を外し、椅子に座りなおしながら、全員に視線を回した。


「確かに。」




 納得した全員がスマホ対応を協議し始めたが、話題はどうしても同性愛に移ってしまう。




 LGBTQの当事者ではない者同士では、耳にしたセミナー内容を全てだと思い込んでしまい、偏った意見のコピペの会話になってしまう。


 さらに「人権」というキーワードを重んじてしまう教育関係者は、誰も傷つけない世界を理想としてしまいがちで、人間のカオスである部分を無いものとしてしまう傾向にある。


 だから、久米がセクシャリティーに関係なく、自分の欲望のまま突っ走ってしまったことを指摘する教員は一人もいなかった。






 縄手はそんな協議を右から左へ流しながら、「どうすれば久米が卒業する時、心の底からこの学校に入学して本当に良かったと思ってもらえるのか。」を考えていた。


 それは教師魂に火が付き、激しく燃え始める瞬間だった。






 ―――――――――――






 開け放った窓から入ってくる南風が余計に、蒸し暑くさせた野球部の部室で、葛本達はスマホを弄り焦りながら、ネットに書かれたコメントを検索していた。




「葛本‼。これは本当にヤバいって。」


 一人が埃っぽい床にひかれたマットの上で胡坐をかき、体を大きく前後に揺すり落ち着かない様子で訴えた。




「あーーーーーーっ!おっとろしいーッ!」


 肩が凝ったように何度も首をひねりながら葛本は、前かがみの状態でベンチに座りスマホを手にしていた。






 本当に久米を社会的に抹殺しようとしていたわけではない。クローズドな学校の掲示板だから、画像などの情報は流出しない、どうせ教師連中が気づき、止められる。そう思っていた。




 甲子園など到底目指せない弱小野球部に、遊び半分の気持ちで参加している部員にとって、朝練を提案するような、久米の野球への熱い思いはうっとうしく思え、そんな気持ちに対して、軽いいたずら心で久米の恥ずかしい画像を使い、笑いものにしてやれという誰かのつぶやきが今の状況のきっかけとなった。




 ただ、母親同士が同級生である葛本にとって、久米は幼馴染であり、幼少期から同じ野球チームに属していたため、多少なりとも家族間で交流がある存在であった。


 しかし、ライバル心ではなく、嫉妬でもなく、いつの間にか芽生えた腹の底からわき上がる、久米への言葉に出来ない違和感が苛立ちとなり、かわす言葉も気づかないうちに減り、今では目障りな存在となっていた。だから余計に、身を乗り出した計画だった。




「やっぱりさぁー、久米に謝らなあかんのんとちゃうか?・・・・・・」


 騒動の大きさに罪悪感に苛まれた一人がつぶやく。




「遅せーわ!もうこんな騒ぎになってもーてんから!今更謝ったとこで、どーにもなんわ!」


 葛本はスマホから目を上げ、イラつき睨み返す。




「いや、謝りもせんとバレたら、俺ら退学とか、マジ勘弁やで。」


「今のうちに謝っておいた方がいいんじゃねー?」




「チッ!お前らなぁーおっとろしいーの!」


 立ち上がった葛本は、ビクつくチームメイトにゆっくり近づいた。


 そんな葛本に謝罪への共感を促すように、一人がチームメイトを見渡す。


「だってやぁー、本当にゲイって知らんかったし。もう、俺らだけでどうこうのできる問題やないって!」




 SNSに増殖し続けるコメントの数は、多過ぎれば過ぎるほど他人事のように思えてくる。




「全員で謝んに行こうや・・・・・」


 完全に白旗をあげてしまった一人が「お願い」と手を合わせる。




「お前、裏切ってちくったら、ぶっ飛ばすからなあ。ホンマにおっとろしいよぉ!」


 胸のむかつきが絶頂に達した葛本は、低い声で威嚇し、ここにいる全員に鋭い視線で見渡した後、久米のロッカーに貼ってある名札を、眉間に激しいしわを現せながら凝視した。




「やったっるで!徹底的になぁ!」


 覚悟を決めたように振り返った葛本は、ベンチに置いたバックを持ち上げ、床の砂埃を蹴り上げながら、弱腰になったチームメイトを置き去りに、部室のドアを大きな音とともに閉めた。






 ――――――――――






 縄手の唇が動き、そこから発せられる言葉が怖かった。


 聞きたくなかった。


 だから全力で、縄手の言葉が届かない距離へ姿を消したかった。






 やっぱり言わなきゃよかったのだろうか。


 なんの変哲もないこれまでと同じ毎日の中で、生徒という役割を演じる時が再び来る日を、我慢強く待てばよかったのだろうか。




 でも、もう後戻りはできない、したくない。




 伝えたかった思いは縄手に届いたのだろうか。


 容易く想像できる過酷になる未来を、突き進むしかないのだろうか。




 自暴自棄なんかじゃない、呪いから解放された清々しい気持ちだけれど、手にした自由は息苦しい世界かもしれない。


 多大なる後悔と嘘のない自分でいたい気持ちが、激流のごとく交差する。






 久米は、いつの間にか辿り着いた新沢千塚古墳群公園にある、街全体が見渡せる屋上庭園のベンチの上に寝転び息を整えた。






 初夏の空は雲一つなく、深く広く、見上げる久米の目の前に広がっていた。それは無辺世界のように、上下も左右もわからないこれから進む未来を予感させていた。






 ――――――――――






 どれだけ流したかわからない涙の跡をかき消すように、木之本は何度も何度も手の甲で頬をこすりつけた。




 久米の言動が悪夢のように、涙でぼやけた視界の薄いスクリーンに繰り返し映し出される。


 失意、裏切り、絶望、喪失、嫌悪、胸をかすめては消えていく、どれも当てはまらない言葉の数々。


 自分を少しでも落ち着かせようと、今の気持ちを言葉に表そうとするが、どこにも見つからない。


 相対的に脳裏に浮かび上がる幸せだった日々。手を繋いで歩いた駅までの距離。二人のマスコットを渡したときに見せた笑顔。誰もいない教室で頬を寄せ合って撮った写真。公園の屋上庭園ではじめてキスしたあの日。




 木之本はぐちゃぐちゃな感情に足元をすくわれそうになりながら、それでも何故か久米がいると確信する場所に、真っ直ぐ向かっていた。






 この場所に久米はいる。きっといる。


 いて欲しい。


 この場所は二人が初めてキスをした場所。




 龍のモニュメントを通り過ぎ、公園の階段を駆け上り、遊歩道を突き進み、古墳を乗り越え、展望台ミグランスが見えてくる。その先にある屋上庭園。


 この場所に久米がいたら、自分のことを忘れていない。好きな気持ちでいてくれている。さっきの久米の行動は一瞬の気の迷い。




「お願い、いて!」


 不安定な強い自信のまま走り寄る庭園奥のベンチ上に、木之本は久米の姿を見つけた。




「あ!」




 一気に緊張が解け、願った場所に久米がいてくれたことで、魂までもが救われた気持ちになった木之本は大きく息を吐き、歩調をゆるめた。


 そして、何もなったように声掛けたらいいのか、どう切り出せばいいのか、余裕のできた心の真ん中で考えながら、久米に少しずつ近づいていった。






 照り付ける太陽を、顔を覆ったタオルで遮りながら、久米は行き先を失った宇宙船のように半分放心状態のまま、過ぎ行く時間に漂っていた。それは何も考えられない状況ゆえに、静寂を与え、心が落ち着いた時間だった。






「あ!いた!」


 聞きなれた声と床板を踏みしめる足音に、小さくため息をつき、久米は顔を覆っていたタオルを取り、振り返らずにゆっくり上半身を起こしベンチに座りなおした。




「ここにおったんや。よかった・・・」


 木之本は冷静を装い、久米と並ぶように、ベンチの上に腰を下ろした。


「ごめんな、泣いてもーて。本当にごめんなさい。」




 この場所から見える見慣れた街並みを、太陽のまぶしさに目を細めながら見つめる久米の横顔につぶやいた。




「謝りたくて…本当にごめんなさい。あんなつもりやなかったんやけど、びっくりしてもーて・・・・・」


 木之本は何かしら謝ることが、広がったお互いの溝を縮めるきっかけになると信じ、久米の顔をのぞき込むように体をずらした。




「だって香月も突然すぎやん・・・。先に言ってや。」






 庭園に溜まった熱を拡散するように、南風が吹き、木之本の髪を揺らす。




 どんな言葉にも反応しない久米の心がわからないまま、ただ不安が再燃し胸が苦しくなり始める。


「落ち着いたら学校に戻ろうか。先生たち慌ててるやろうし。な、そうしよ!香月!」


 久米の同意を求めるために、隣に座る久米に触れたい衝動を押さえながら、体を寄せた。




 ゆっくりと久米の顔が木之本に向く。


「謝らんとあかんのんは、俺の方や。」


 視線の先があやふやなままの瞳が揺れる。


「香月は何も悪ないって。」


 やっと返答してくれたことで、安心できると思っていた思いとは真逆に、さらに不安が募り出し、胸を苦しめだす。


「香月はな・・・香月のままで・・・・」


 そのままの姿でいいよと伝えたい思いが言葉に出来ずに、声が詰まる。




「私は香月のことが好きやねん。本当に好きやねんで。」


 木之本の手が伸び、久米の肘に触れる。




「香月も、私のことが好きやんな・・・・」


 拭いきれない不安のまま久米の顔を見つめる。




 久米の顔が小さく動く。


「うん。・・・好き・・・やで。」




「あぁ・・・・・・」


 声にならない安心感が、熱をため込んだ胸にしみわたる。木之本は空を見上げ、大きく深呼吸した。


「やんな。よかったぁーだからここで待っててくれてたんやな。」


 日差しに感謝するように、目を閉じて両手を顔の前で合わせた。




「あーなんか一気に喉乾いたわ!」


「香月、何か飲まん?」


 満面の笑顔で木之本は、目の前に今確かに存在する久米の額を流れ落ちる汗を、指先でそっと拭った。


「香月、ホンマに大好きやで。」


 そうつぶやいた、頬に当たる木之本の手を久米は優しく掴み、ゆっくりと外した。






「ごめん。ホンマにごめん。俺の好きはその好きやなかったかもしれん・・・・」






 しっかりと焦点を合わせ、謝罪の瞳で見つめる久米の視線から逃げるように、木之本は持たれた手をほどき、立ち上がりスカートに付いた埃を払って背を向けた。




「久しぶりにファンタでも飲もうかな!」




 声を張り上げながら一歩足を踏み出そうとした。


 声を張り上げたら、久米の言葉を聞かなかった事にできると思った。




 だけど、背中に感じる久米の視線は悲しく、優しく、木之本を突き放した。


 呼吸が荒くなる、また眼の前が涙でぼやけ始める。


 一歩も動けない。




 芝生の上を時折そよぐ南風が、秒針をゆっくり進ませる感覚に陥らせた。




「嫌や!」


「嫌や!もうわけわからんやんかぁ!」


 立ち上がる気配のない久米に背を向けたまま、俯いた木之本は抵抗するように叫んだ。




「ごめん。」


 はるか遠くに聞こえる声に、


「違う!香月はゲイなんかとちゃう‼」


「今まで、ずっと一緒におったやんかぁ‼」


「何度も何度もキスもしたし、抱きしめ合ったりしたやんかぁ‼」


「絶対ちゃう‼騙されてるんや‼」


「私にはわかる‼香月のこと全部知ってる‼香月は騙されてるんや‼」




 あふれ出すように言葉が次々に湧き出てくる。心の奥底で隠れていた思いが一気に浮上してくる。




「私はホンマに香月しかいらん‼世界中が敵になってもええ‼香月は私の傍におってや‼」






「・・・・ごめん。本当の自分がわか・・・」


「ちゃう‼」




 木之本は久米の言葉を遮り、振り返りながら、思いっきり否定の叫びをあげた。




「一人で訳の分からないことを言うな‼」


 力強くねじ伏せる木之本を見上げた久米は、


「俺はもうこれ以上、嘘を付き続けて、毎日を生きたくないんや‼」


 予想していた木之本の行動に冷静に目を合わせた。




「ちゃう!ちゃう!嘘なんかやない‼私が証明してあげる‼」


 木之本は久米の腕を掴み、引っ張り立ち上がらせようとした。




「今すぐエッチしよ‼私の部屋に行こ‼」


「そうしたらわかる‼香月は私のことが好きやってこと‼」


 久米の腕を掴む手に力が加わる。




 そんな木之本に久米は顔をしかめて俯いた。お構いなしにさらに引っ張る。


「な‼はよ行こう‼私、香月の子供を産みたい‼」


「お願いやって‼」




 びくともしない久米の腕を激しく振り、立ち上がらせようと催促をする。


「早よ‼」




「ごめん‼本当にちゃうねん‼」


 我慢の限界を超えた木之本が、渾身の力で立ち上がらせようとするタイミングと、その腕を振り払おうとした久米のタイミングが合い木之本がバランスを崩し、久米に覆いかぶさった。




 ベンチの上に重なり倒れこんだお互いの体の暖かさと鼓動は、更に感情のくさびを外した。


「いやや・・・いやや・・・いやや・・」


 久米が体をどかそうと動かす前に、思いっきり力を込めて抱きしめ動きを封じた。


「私は香月のことが、この世の誰よりも好きなんや‼」


 木之本は起き上がろうとする久米の唇に口を押し付け、すべてを食い尽くすように舌を絡ませた。




 抵抗をしようと久米は一瞬全身に力を込めた。しかし、痛いほど伝わる木之本の思いと、自分の今までの謝罪に、これが最後だとの思いでそれを受けいれた。




 だけど、追いすがるような木之本を抱きしめ返そうと持ち上げた腕は、躊躇し、そっと地面に戻って行った。



【この話の感想や★をいただけると嬉しいです!よろしくお願いいたします!】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る