ペチカの家の晩餐
閉店してすこし待ってから、連れ立ってペチカの家へ。
ペチカの家は、店から一本道をまたぎ、5分ほど歩いた先の平民区にあった。
このあたりはそこそこの生活ができる中層といったところで、さらに下層が街の東側の下町、端に追いやられる家すら持てない人々のスラム街、という平民でも境があった。
「お邪魔します」
「こんばんは、呼んでいただいて」
玄関のドアのところで挨拶すると、ペチカの母に満面の笑みで出迎えられた。
「ようこそ!お久しぶり、マキアさん。あら、ビクトルくん、立派になって!」
「はは、どうも。エイーダさんはお元気そうで」
照れたように後ろ頭をかくビクトルは、本当にペチカの一家を覚えているようだ。
「ええ、おかげさまで」
「お母さん、はやく通してあげてよ」
奥からひょいと顔を出すペチカに、エイーダは苦笑した。
「ごめんなさい、じゃあ、どうぞこちらへ」
案内されたのはリビングだ。
店は店舗に面積を割いているから小さいが、その5倍はあるけっこうな広さだ。
その真ん中にあるテーブルに、ずらりと並ぶ料理の数々。
素直にビクトルは感動している。
「おお、すごいです」
「ビクトルくんも来るっていうから、気合が入ってしまったわ」
さあ、と椅子を促され、すぐに父親のトズも現れた。
「おお、本当にビクトルくんだ、衛兵になったんだって?」
「はい、トズさんもお元気そうで」
「ああ、本当に……感謝している」
マキアの方を見て、しみじみと言うので、何となくそわついてしまう。
「……ん?」
ビクトルが気づいてこちらに視線をよこしたが、エイーダのさあどうぞ、という言葉に全員でフォークを持った。
ビクトルと一家が昔からの知り合いと言うことで、思い出話が花を咲かせていた。
ビクトルの家は下町にある。以前はペチカも家もそこにあり、やはり貧しかった。
だが、ビクトルの家だけは、事情が違う。
父親も衛兵で、彼こそ叩き上げで下町の貧しい家から立身出世したらしい。
隊長まで務めていたが、家を中層へ引っ越すことはしなかった。
「頑固な親父でさ、ここが俺の町だって言い張ってテコでも動かないんだ」
なんでも恩人が暮らした町でもあるらしい。ここで育ててもらったという意識が強く、絶対に死ぬまで動かないと言っている。
ビクトルの父親が、下町をどうしようもない町にはしなかった。人々が助け合い、できる限りのことを自分たちでするように。おかげで犯罪発生率はかなり低いらしい。
10年近く前に事故に巻き込まれ、片足を悪くし退任。けれど名誉の負傷であり、治安隊から保障金も出ているというのだからかなりの勇退だ。
そんな父の影響をモロに受けたのがビクトルだ。人の助けになるように、と幼いころから聞かされ、衛兵を目指すのも自然なことだった。
「俺はひとまず衛兵になれたし、どうするか分からねえが……下町も悪くないしな」
「そうそう、ジンさんのジュニアって呼ばれてて、私たちが引っ越すころにはもうあなたも下町の顔だったものねえ」
「……恥ずかしいっすよ」
なるほど、ビクトルは昔から変わっていないようだった。
「でも、本当に驚いたな、ペチカがビクトルくんと会ったと言い出したから」
「衛兵さんにちゃんとなれていたしねえ。引っ越すときあなたはもう寄宿舎に入っていたから、直接挨拶できなかったし」
「すいません、あの頃は入隊試験に必死で、トズさんたちのことは聞いてはいたんですが……」
「ええ、いいのよ、がんばっててえらいわ」
「………っす」
やはり、ビクトルも親的な存在には弱いらしい。
マキアもだ。
しかし、いろいろ興味深い話を聞いている。
「あ、マキアさんはたぶん治安隊のこととか知りませんよね」
ペチカが気を回してくれた。別に十分なのだが。
ビクトルがそうなのか、と横で首を傾げている。
「……もともと、ここの人間じゃないんだ」
以前貴族に名乗りを上げた時のことを思い出したのか、ビクトルはあっという顔をした。
「どこかの地主の息子だとか」
「ああ」
「そうなのか?」
今度はトズとエイーダが首を傾げている。
まあ、特には言っていなかった。
ペチカにはすこし話したことがあったが、彼女は触れてはいけない話題だと悟ったらしい。両親にも言っていないとは、律儀な子だ。
「……今は疎遠だ。この街には3年前に来て、店を始めたんだ」
「え、3年も前に?お前いくつだ?」
「今は21。とは言っても、俺はオーナーの意向で店を任されているだけだ。店番くらいなら出来たからな」
「オーナーがいるのか!へえ」
「……まあ、いろいろ事情はある」
「ですので、治安隊のことはビクトルさんが詳しいですよね?いかにすごい人たちかマキアさんに教えてやってください!」
「いや……まあ、すごいかどうかは、な」
また照れている。
治安隊の重要さは、この都市の特徴でもある。
ノウスール河はこの国だけでなく大陸西側の有数の運河になっている。よってカイメは河岸区を中心に、国やその周囲の国の重要拠点としての役割も持っている。
そこで俄然安全性が求められる。
犯罪や事故は、一つ間違えれば国際問題にもなりかねない。
その保安を、治安隊が担っているのだ。
「たしかに……すごいんだな、お前」
言われてみれば当たり前だが、そういう重要な役職に就いていると忘れそうなほど親しみやすいビクトルだった。
「とはいっても、俺の所属はまだ本当に有事の際に動くようなところじゃない……見回り隊だから。ともかく街のためにっていうのは、入隊までの訓練生のときに叩き込まれるんだ」
「訓練生?ああ、寄宿舎とかさっき……」
「ああ、12歳から入れて、日々訓練するところ。まースパルタだな」
ビクトルはからからと笑う。
ラインハルテとは、その頃から親しかったのだという。馬が合ったというが、年々ひどくなるラインハルテのお目付け役になってしまったという。
「ああ、なるほど……」
「哀れむような目で見ないでくれるか。まあそんなわけで、昇進は目標だが、いつになるかは分かんねえ。焦らずいくさ」
「いつも衛兵さんたちには世話になってるからなあ、ビクトルくんにもお礼を言わなくてはな」
「本当に」
「どもっす」
「でも、マキアさんには……もっと感謝しているのよ」
微笑むエイーダの視線が、何となく居心地が悪い。
感謝は自分には必要ないと言ったら、それはさすがに不義理だろうが。
「……ペチカちゃんが店で働いているのは何かわけが?」
不思議そうな顔でビクトル。
大したことではないのだが、ペチカたちにとっては泣いて喜ぶことだったのだということは分かっている。
「えっとですね、今のこの生活はすべてマキアさんのおかげです」
「ペチカ」
「いいじゃないですか。別にマキアさんがしゃべらなくても私がしゃべりますので」
むん、とどこかやる気のようなものを見せるペチカ。
そういう問題ではないのだが。
「3年前ですね、私は夕ご飯の買い出しを任されて、外でスリに遭いました」
「なに」
衛兵が気色ばんだ。
ペチカはゆるく首を振る。
「たぶん、スラムの人でしょうねえ、もう覚えてないですが。で、途方に暮れてたんです。今日、2回目の家族のご飯が私のせいでなくなっちゃったと」
ぼうぜんと、しばらく道端に立っていたペチカを、マキアが見つけた。
様子がおかしかったから声をかけたのだが、見知らぬ男が怖かったのか、泣き出してしまった。
慌てて持っていたパンを差し出したのは、今でもどうかしていると思うが……それで泣き止んだペチカが言ったことは、今でも覚えている。
――なんでもしますから、ごはんをふたりぶんくださいませんか。
決意の目だった。
気圧されて、これもまたどうかと思うが……店に連れ帰った。
マキアも当時は世間に疎かったのだ。犯罪者と間違われてもおかしくなかったが、幸いにも誰にも見咎められなかった。
その時悩んでいたのは、ガラクタの整理。オーナーに先日押し付けられて、途方に暮れていた。
ペチカには、そこからともかく丁寧に物を並べる仕事をしてもらう。1時間したら、いくつか食べ物を持たせると約束して。
せっせとペチカは言われたとおりに仕事をして――
「なぜか気に入られました!」
いろいろすっ飛ばしたが、まあそういうことだ。
え?っとビクトルが説明を求める顔をするが、それはどの点についてに説明を求めているのか。
「……ペチカに言ったのは、物を並べるっていうだけだ。分類とかじゃない、綺麗に並べてあるだけで十分だった。けど、ペチカは……似たものを固めて置き分け、さらに数まで数えていた」
「そりゃあ……」
ビクトルの驚いた顔で見られて、ペチカは照れくさそうだった。
「それで目をつけた、って言ったら怒るか?」
「そりゃ目をつけるわ」
ビクトルは他はいろいろと突っ込む事を忘れたらしい。
文字すら書けない無学の子が、本当にして欲しい仕事を見抜いてその通りにやった。マキアが衝撃を受けたのは、ビクトルにも理解できたようだった。
「俺はともかく困っていたし、ダメもとでペチカの両親に会いに行った。それで……しばらく手伝いに雇うことになった。まあ、オーナーの名前が効いたな」
「ええ、まさかでしたからねえ」
「ねえ」
「なあ」
「オーナー何者?」
ビクトルが半眼でマキアを見るが肩をすくめた。
「守秘義務だ。ともかく、手伝いのかたわら、俺は文字と簡単な計算を教えた」
「ん?……ああ、地主の息子とか、っと、悪い」
「いや、気にするな。だから、俺が一通り教えて、オーナーにペチカの事を知らせて、学校に編入することに決まった」
「ってことは、そのオーナーが後援で……」
「ああ、金をよく使うお人だから、喜んでな」
この街で学校はただひとつ。
商業都市らしく、実践的な学びが多い。ペチカは性に合ったらしくメキメキと頭角を現していた。
おかげでペチカの将来はほとんど決まってしまったようなものだが、本人はむしろ喜んでいたから、マキアの小さな罪悪感は一家には言っていない。
喜ばれているからましだが、3人の運命を自分が変えてしまったような気がして、あまり素直に受け止められなかった。
そういうところが向いている、となぜかナンリに太鼓判を押されたが、まだマキアには理解が及ばない。
「……本当に……マキアさんでよかった……っ」
「感謝しているのよ本当に……!」
「もー、毎回泣くのやめてよねー」
当時を思い出したのか、両親は目頭を押さえている。
マキアも思い出すといたたまれない。
ほとんど覚悟して訪ねていったのだが……ペチカが連れた見知らぬ男を見て青ざめた二人の顔。本当に今でも申し訳ないと思う。
心配性なんだからー、とあっけらかんと言うペチカだが、頭が良くてもそのあたりに気付くには大人になってからだろうか。
ビクトルもなんとなく分かってだろう、苦笑してマキアを見た。
分かっている。次があったら衛兵を連れてくる。
たらふく食べさせてもらい、最後は酒も入ってみんな上機嫌で晩餐は終わった。
ビクトルは店まで道なりだと言うので、並んで戻る。
カンテラを持ち、ビクトルは鼻歌を歌っている。
「近所迷惑だ」
「おっとすまん」
よほど楽しかったらしい。まあ、いつもこの男は楽しそうだ。
「まあまあ大きい街で、毎日なんかあったが、最近は本当にいろいろあるな」
「そうか」
「小箱とかー首飾りとかー変な爺さんとかー」
「最後のはちょっとやめておけ」
悪気はないのだろうが、こっちはドキッとする。
「おお、わるいわるい。で、全部、お前と会ったからなんだよな」
それは勘違いというものだろう。
「……そんなわけないだろ。小箱はお前、というかラインハルテからだし、首飾りも……」
「でも、あんなに面白いものいっぱい見れたのは、お前のおかげ」
にっ、と笑ってこちらを振り返るビクトルに――どう返せば満足なのか、聞きたくなる。
分かっている。自分に誰かを喜ばせることなんてできるはずがないのだ。
道化のように喜んで見せればいいのか、それはただお前が勘違いしているのだと説けばいいのか、からかうのはやめろと怒ればいいのか。
人の本当なんて分からない。途方に暮れるばかりだ。
「……マキア?」
黙り込んだこちらに、不審がってビクトルが身体を除けて……それで、目に入った。
少し遠いが、店の前。
人が立っていた。
黒い外套で、背が高い。まるで大木のような揺るぎない力を感じる気がする。
思わず走っていた。
老師は、たしかにすぐとは言ったが。
(すぐ、にもほどがある)
こちらにはずっと前から気づいていたのだろうに、マキアがそばに立つとようやく彼はこちらに身体を向けた。
「夜分に失礼。こちら、古道具屋さんで合っているか?」
「……当てこするなよ。老師からすぐとは聞いたがまさか今日だなんて」
「ああ、まだ卜占は教えていないからなあ」
「たしかにな。久しぶりだ、ナンリ」
ナンリは被っていた帽子をそっと浮かし、撫でつけて後ろに流した長い黒髪を一房揺らす。
暗がりでよくわからないが、精悍な日焼けした顔を笑顔にゆがめているんだろう。
「おお、元気だったか、マキア」
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