恋する子兎、夢をみる

ナシリカ

第1ぴょん うさぎと帝王の交わした約束

 「ののちゃん!お誕生日おめでとう〜!!」


 お父さんは、湯気の立つ焼き魚に、なぜかロウソクを一本ぷすりと刺し、ドヤ顔でテーブルに置いた。


 油の香ばしい匂いと、ほのかに漂うロウソクの匂いが混ざる。……なんとも不思議な空気だ。


 「ふふ……焼き魚にロウソクを刺してお祝いなんて、きっとうちだけだよね。」


 ののが笑いながらそう言うと、お父さんの口元がふっと緩み、そのあと少ししゅんとした。


 「誕生日なのにケーキすら用意できなくて、ごめんな……こんな貧乏な家に生まれて、不幸だよな……」


 パシッ。


 ののは、ためらわず、お父さんの手を握った。


 「そんなことないよ! お金が無くたって、お父さんが居てくれるだけで私、幸せだよ!」


 「の、ののちゃああああん!!」


 お父さんは、ののをぎゅっと抱きしめた。

 肩にずしりと重みがかかり、ののは顔を赤くする。


 「なぁ、ののちゃん。俺は、ののちゃんのそんな我慢強いところが大好きだ。でもな、たまには、『叶えたい夢』を話してみてもいいんだよ?」


 (私の『叶えたい夢』――)


 脳裏に、あの日の記憶がふっと差し込む。


 『のの、大きくなったら夢お兄さんと結婚する!』


 赤ちゃん界の帝王――信道 夢しんどう ゆめ様。


 哺乳瓶と王冠とよだれかけが似合う、ちょっと変な優しいお兄さん。


 私は、そんなお兄さんを14年間、思い続けたんだ。


 『夢お兄さんは、絶対ここに帰ってくるからな! じゃあな!』


 あの約束を信じて……。


 (帝王と交わした約束を――叶えたい!)


 ののはお父さんに、夢お兄さんとの思い出を語り始めた。


 そして、


 「ねぇ、お父さん。私、夢お兄さんに会いたい。保育士になりたいんだ。」


 (困らせるかもしれない。だけど、嬉しかったんだ。お父さんが、私の夢を聞いてくれて。)


 お父さんはののの頭をそっと撫で……。


 「素敵な夢だ。その夢、叶えよう」


 優しくて、芯のある眼差しで、お父さんは、ののの夢を肯定してくれた。


 「お父さん……ありがとう!」


 (受け入れてもらえて、本当に良かった。夢お兄さん、もう少しだけ待っててね!)


 こうして私、子兎こうさぎ ののは、夢お兄さんと再会できることを願い、保育の道への一歩を切り開いたのだった。


 の・だ・が……。


 「おいおーい! なんか返事しろよー?」


 甲高い笑い声とともに、背中を軽く突かれる。


 ふわふわの黄緑髪に、ハートのアホ毛。

前髪には、葉っぱのついたかわいいヘアピン。

ピンクと赤のオッドアイがきらめく、妖精みたいな男子ーー隣の席の植花 葉うえはな よう

彼は毎日のように、こうして絡んでくるのだ。


 (……でも、いいんだ。夢お兄さんに会うための試練だと思って我慢するのみ。)


 「ったく〜! なーんも喋んねぇな? なにも言い返さないのか? おいおーい!」


 机を指でコンコン叩きながら、葉は、ニヤニヤと覗き込む。


 (はー、マジで何も話してくれないじゃん。でも! これくらいで、オレのメンタルは崩れない!)


 葉は、ぐいっと前のめりになり、距離を詰めた。


 「そういえば! 明日から実習だな?」


 その一言に、ののの表情がパッと花開く。


 「そうなの! 明日から実習なの! はぁ〜楽しみ〜! 夢お兄さんに……会える……!」


 体がうさぎのように弾み、肩がぴょこぴょこと揺れる。


 (ののが、ようやく反応をしてくれた……! けど、夢お兄さんって一体……! ののの好きな人だったら、どうしよう。)


 「めっちゃ楽しみにしてるじゃん? ……そのーっ、夢お兄さんって誰?」


 少し声が上ずり、葉は探るように尋ねた。


 「夢お兄さんは……私が5歳の頃、保育園に遊びに来てくれたお兄さんだよ。かっこよくて、優しくて……素敵な人なの。」


 夢お兄さんのことを思う、ののの瞳は、まるで光を含んだ宝石のようにきらめいていた。


 「……俺に見せる顔と大違いだな。」


 「え? 今なんか言った?」


 「え! ええっとー! どこの保育園に実習行くのかって聞いたんだよ! 一度で聞き取れ! バーカ!」


 (はー、ムカつくわ。俺にそんな顔、一度も見せたこと無いくせに。)


 「相変わらず口が悪いね……友美保育園ともみほいくえんだよ。友美中学校ともみちゅうがっこう系列の……」


 「友美保育園?! ま、マジかよー! オレも同じ実習先だわー」


 (超嬉しい。夢野郎の顔をぶっ叩くのが楽しみだなぁ……どんな手を使ってもののは絶対に渡さない。)


 「は? さいあく!……あ、思わず言っちゃった。」


 「そ、そんなこと言うなーー!!」


 * * *


 (ついに――この日が来た。保育実習!! 夢お兄さんに早く会いたいな。)


 ののは保育室の前で、思わずニヤニヤした。


 「お前、顔キモいよ?」


 (うざぁ、めっちゃ幸せそうな顔しやがって。)


 葉はそんなののの顔を嫌そうに見ていた。


 ピトッ。


 ののは、葉の口元に人差し指を当てる。


 「っ……!」


 急接近してきたののに、葉はドキドキが隠せなかった。


 「子どもたちの前で、その言葉使いはダメだからね?」


 「きゅ、急に近づくなよ!」


 (あー、だめだ。可愛すぎる。)


 葉はののに一目惚れをしたあの日のことを思い出した。


 「ご、ごめん! 確かに近すぎたね。」


 「べ、別に! いいけど。」


 葉とのやり取りが終わり、ののは深呼吸をしてから――


 「よし……!」


 小さく気合を入れて、ゆっくり保育室の扉を開けた。


 (やっと、夢お兄さんに会える! って……あれ? あれ?)


 ののは、保育室を何度も見渡した。


 しかし――。


 そこに、夢お兄さんの姿は……無かった。


 (夢お兄さん……どこ行っちゃったの?)


 うさぎと帝王の交わした約束が、バラバラに砕け散った瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る