執事な彼の主になりました!?

無月兄(無月夢)

第1話 この学園には執事がいる

「痛っ……」


 季節は春。その日の授業が全部終わった放課後。

 私、水瀬仁奈は、入学したばかりの白鳥学園高等部の廊下で、派手にすっ転んで尻もちをついていた。


 目の前にいるのは、執事服を着た一人の男子。廊下の角を曲がろうとしたところ、向こう側からすごい勢いでやってきた彼とぶつかってしまったのが、私がすっ転んだ理由。


 えっ? どうして学校の中に執事服の男の子がいるのかって?

 実はこの白鳥学園。お金持ちの子どもがたくさん通っているセレブ校。校舎は学校とは思えないくらいにオシャレで、少し前にあった入学式の後には、学校内にパーティー会場が用意されて、超豪華な歓迎会も開かれたんだ。

 敷地の中にパーティー会場が用意できる学校ってなに!?

 そしてそんな白鳥学園には、普通の生徒たちの通う一般コースとは別に、執事を育てる特別コースってのがあるの。


 執事コースの人たちは学校でも普段から執事服を着て、一流の執事になるための勉強をしているんだって。


 目の前にいる男子も、多分その中の一人。

 すると彼は、ずっとしゃがんで膝をつき、私に向かって深々と頭を下げた。


「大丈夫ですか? 俺の不注意で、申し訳ありません!」

「ふぇっ!? い、いいよ。前をよく見てなかったのは、私も同じだから」


 急にかしこまって謝られたもんだから慌てちゃう。

 しかもこの男子。少しだけ上げた顔をよく見てみると、すっごくイケメンなの。そんな子からまじまじと見つめられると、心臓がうるさくなってくる。


「と、とにかく、もう大丈夫だから」


 そう言って立ち上がろうとするけど、その瞬間、右手と右足にズキッと痛みが走る。


「ケガしてるですか?」

「転んだ時、少し打ったみたい」


 こんなこと言ったら、また責任を感じちゃうかもって思ったけど、痛がるのが思いっきり顔に出ちゃったから仕方ない。


 すると、彼は何を思ったのか、一歩こちらに近づいてくる。

 それから手を伸ばしてきて、なんと私の体を横にしたまま持ち上げたの。


「ふぇぇぇぇっ!?」


 こ、これって、お姫様抱っこってやつだよね!

 なんで!?


「すぐに保健室まで運んでいきます!」

「い、いいって。それに、私重いから、腕が疲れちゃうよ!」


 恥ずかしくて手足をバタバタさせるけど、そのせいでまたズキッと衝撃が走る。


「やっぱり、まだ痛むのでしょう。本気で嫌ならやめますが、どうか無理はしないで」


 うぅ……

 そんなこと言われたら、嫌なんて言えないよ。

 結局、私はそのままお姫様抱っこで保健室まで運ばれていったけど、その間ずっと、心臓はドキドキバクバクの大合唱だった。


 そうして保健室で手当を受けて、保険の先生から、痛みが和らぐまでベッドで休んでなさいって言われちゃった。

 言われた通りベッドで横になると、執事の男の子が、もう一度頭を下げてくる。


「俺は、長篠幸人。執事コースの一年です。君に気づかずケガをさせてしまって、本当に申し訳ありません」

「あっ。私、水瀬仁奈って言います。あと、気づかなかったのは私も同じだから気にしないで」


 不注意だったのはお互いなんだから、そんなに何度も謝らなくてもいいのに。

 と思ったけど、長篠くんは断固として譲らなかった。


「いえ、執事たるもの、常に周りに気を配らなくてはなりません。人がいることにも気づかずぶつかって、しかもケガさせるなんて、以ての外です」


 執事たるもの。それを聞いて、本当に執事なんだなって、今さらながら思った。

 この学校に執事コースがあるのは知ってるし、執事服の生徒を見たことは何度かあったけど、執事なんて私にとってはまるで別世界の存在。

 私のうちは普通の家よりはちょっと裕福みたいだけど、執事がいるような超お金持ちの家とは、天と地くらいの違いがあるからね。

 だから、本物の執事がいるなんて、いまいち実感がなかったんだよね。


「執事コースの人って、本気で執事を目指してるんだよね。なんか、すごいな」

「そうでしょうか? 俺にとって、執事を目指すというのは当たり前のことなのですが」


 執事を目指すなんて、現代の日本じゃ滅多に思わないんじゃないのかな?

 けど、そんな風に夢や目標があるのは、なんだか羨ましい。

 私には、そういうやりたいことも、特別自慢できるような特技もないからね。


 それはそうと、長篠くんとぶつかった時のことを思い出して、あることに気づく。


「そういえば長篠くん。ずいぶん急いでたみたいだけど、何か用事があったんじゃないの?」


 もしも急ぎの用事があるんだとしたら、いつまでも私に付き添ってる場合じゃないかも。

 すると、それを聞いた長篠くんが、アッと驚いた顔になる。


 それから、私から少し離れると、ポケットから取り出したスマホでどこかに電話しはじめた。

 何を喋っているかはよくわからないないけど、かすかに聞こえてきた長篠くんの声は、なんだか焦っているようだった。


 大丈夫かな?

 心配しているうちに、電話が終わる。途切れたスマホを見つめる長篠くんは、浮かない顔をしたまま黙り込んでいた。

 やっぱり、どこかに行こうと急いでて、私に構っていたせいで間に合わなくなったんじゃ……


 気になるけど、聞いていいのかわからなくて悩む。

 するとその時、保健室のドアが開いて、一人の女子生徒が入ってきた。


「ちょっと幸人。ケガさせたってどういうこと? 相手の水瀬さんって子は……あっ。あなたね」


 そう言ってその人は、私を見る。

 長篠くんの知り合いっぽいし、私のケガを知ってるってことは、この人がさっきの電話の相手なのかな?


 というかこの人、どこかで見たことある気がする。

 背は私より高いし、多分先輩かな。それにすっごく美人で、周りの人の目を引きつけるような、強い存在感をはなっていた。

 長篠くんと並ぶと、まさに美男美女って言葉が似合いそう。


 こんな人、一度会ったら忘れそうにないんだけど、違う学年の人に知り合いなんていないし……あっ、そうだ!


「せ、生徒会長の、天野有紗先輩ですか!?」

「あら。私のこと、知っているの?」


 知ってる! というか、この学校の生徒なら知らない人なんていないと思う。

 私たちの入学式では生徒代表として挨拶してたし、天野家ってのは、大きな会社をいくつも経営している日本有数の名家。

 お金持ちだらけの白鳥学園でも、別格な存在って感じ。


 そんな天野先輩が、なんと私に向かって頭を下げてきた。


「幸人がケガをさせたみたいで、ごめんなさい」

「い、いえ、そんな!?」


 長篠くんにも十分すぎるくらい謝られたのに、その上天野先輩にまで頭を下げられたら、もうどうしていいのかわかんないよ!

 だいいち、天野先輩には謝る理由なんてないんじゃないの!?


「有紗様。今回の件は俺の失態で、有紗様には関係ありません!」


 長篠くんも、慌てたように天野先輩に声をかける。

 けれど、天野先輩は首を横に振る。


「いいえ。幸人。あなたがこの子をケガさせたのは、私からの依頼の最中。依頼中に起きた失敗やトラブルは、ロードである私にも責任はあるわ」


 そう言ってもう一度謝ってくるけど、私はそれよりも、天野先輩の言ったロードって言葉の方が気になった。


「ロードって、長篠くんって天野先輩の専属執事なんですか?」


 実は白鳥学園にはあるシステムがあって、執事コースの生徒は、他の特定の生徒の専属執事になるって契約を結んだら、その人の学校生活を徹底的にサポートできるようになるの。

 契約を結ぶ相手は、主人を意味するロードって呼ばれていて、優秀な人の専属執事になること、優秀な執事のロードになることは、とても栄誉なことだって言われてるんだ。


 天野先輩の専属執事になれるなんて、長篠くんってすごい人?

 って思ったけど、長篠くんも天野先輩も、これには微妙な顔をした。


「いえ。正確には、俺はまだ有紗様の専属執事ではありません」

「どういうこと?」

「幸人は、私の専属執事になるためのテストの最中だったのよ。テストの内容は、頼んだ雑用を決められた時間内に終わらせるってものだったんだけど、その途中であなたにぶつかったのよ」


 そうなんだ。長篠くんにとってはすごく大事なテストだったんだろうし、それなら急いでたのも納得。

 って、ちょっと待って。そんな大事なテストの途中で、私にぶつかって、そのままこうして保健室に来たんだよね!?


「あの。それじゃあ、長篠くんのテストの結果はどうなったんですか?」

「もちろん、不合格よ。言われたことをこなせなかった上に、こうしてあなたにケガまでさせたんだから、とても合格なんてあげられないわ」


 やっぱり!

 長篠くんはそれを聞いてもなんの反論もしなかったけど、一瞬、暗い表情を見せる。

 大事なテストで不合格になったんだから、当然だよね。


「ご、ごめんなさい! 私のせいで……」


 さっきから謝られてばっかりだったけど、謝るのは私の方だよ。

 私がもっと注意していたら、長篠くんに気づいてサッと避けていたら、こんなことにはならなかったのに。

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