第四話『夢の理由』


『帝国に勝利を!愚かな共和国に、正義の鉄槌を下すのだ!』

 そう声高らかに言っている政治家の言葉に、もう何度目か分からないため息をついた。

 俺の出兵する日まで、後三日。幸いにも今日は火曜日だから、最後にレイディアの歌配信は聞ける。

 それと、あと…レイくんに会って、言わないといけない、か。

 そう思った俺は携帯を出し、短く打つ。

 ──明日、会える?

 理由もなしに迷惑かな、と思ったものの、数秒後に返信が返ってきた。

 ──分かりました。じゃあ、いつもの場所で。

 その返信に、安堵の息を吐く。断られたらもう説明出来ないと思っていたから。


「ごめん、明日は…帰ってこれないかもしれない」

「あら、何かあったんです?」

「会社にある荷物とか…整理しなきゃいけなくて。荷物は多い方じゃないけど、他にも手続きとか結構残ってて」

「分かりました、お気をつけて下さいね」

「……うん、ありがとう」


 …嘘。そんなのは残っていない。ただレイくんに会うための口実なんだ。

 そう、俺はそんな優しい妻に対する罪悪感よりも、レイくんに会いたいと思う気持ちの方が強かったのだった。



 水曜日。俺はいつものように、待ち合わせ場所へと向かった。

 けれど、珍しくそこにレイくんの姿は無く。とはいえ約束の時間まであと五分あるので、遅れている訳ではない…のだが。

 それでも、今まではずっと、俺より早く来ていたレイくんを知っているから──少し違和感を感じた。


「っ、ごめんなさいゼルさん!電車が遅れてて……!」

「別に待ってないよ、ちょっと新鮮だったけどね」

「もう、ゼルさんってば!──それで…何かあったんです?」


 控えめに、けれどそれでいて単刀直入。なんともレイくんらしい言い回しに、思わず笑った。真剣な話をしたいはずなのに、どうしてレイくん相手だと、思うようにいかないのだろう。

 ──あぁそうか。取り繕わないで良いからだ。


「……あのね、レイくん。俺、出兵する事になったよ」

「───え」

「金曜日の、朝に。だから最後に、レイくんの配信は聞け──」


 そう、言い切る前に。

 レイくんに胸を力強く押され、思わずよろめく。どうしたの、と問い返す前に、レイくんは俺の胸に頭を預けた。


「……何で、そんなに冷静なんですか。そう淡々に言う事じゃないじゃん……!」


 あれ、と思わず首を傾げる。珍しく感情的だ。

 迷った挙句、俺は取り敢えずレイくんの頭をゆっくり撫でる。ふわふわとしているその髪。幾度も触ったその感覚。それも今日で最後だった。


「…ごめん、俺が悪かったね」

「……馬鹿」

「うん、ごめん」


 でも、変えられない決定事項で、歪められない運命。

 ……そう、レイくんは全部、受け入れてくれたから。

 何も気にしなくて良い、何も取り繕わなくて良い。無理に守る必要もない。

 それに、俺という──“アゼル・コーディアル”本人を見てくれたから。

 ……だから、甘えていたのかもしれない。思っていたよりも、ずっと。


「……それで、今日はどうするんですか?まさか、それだけの為に呼び出したとかじゃないですよね?」

「あ、今日はねレイくん。……一日、いるよ」

「……え?夕方とかじゃなくて……明日、まで?」

「うん、明日の朝までいるよ」

「嘘じゃ…なくて?」


 確認するような声色に、そっとうなづく。湖の底に沈んだ星空は、突然俺の胸から顔を上げてそっぽを向いてしまった。

 俺が回って正面に立とうとしたら、また後ろを向かれて。


「な、なに?どうしたのレイくん」

「……本当に、ずるい」

「?ご、ごめん?」


 何故か今日は謝ってばかりのような気がする。

 でも──不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。



 いっぱい話して、いっぱい笑って。

 たくさんの思い出話をした後、俺たちは寄り添って眠った。

 明日なんて来なければ良い──そう思いながら。

 けれど、それでも。時間の流れには逆らえない。




「…………」

「…ねぇレイくん。そんなに悲しそうな顔、しないで?」

「……無理ですよ。笑っていられる人の方が神経おかしいです」

「はは、じゃあ俺がおかしいのか」


 刺すような冷たい空気。透き通った快晴の空に、残酷なまでに美しい朝焼けが広がっていた。

 レイくんは俺より年下とはいえ、立派に配信したりしていたから、大人だと思っていたけれど。まだまだ子供なのかもしれない。

 …まぁ、そんな子供に付き合わせてる俺も俺、か。


「…ゼルさん。一つだけ、教えて下さい」

「うん、良いよ」

「なんで貴方は、そんなに落ち着いていられるんですか」


 躊躇うようにレイくんが紡ぎ出した言葉は、昨日にも問われたこと。確かに昨日は、有耶無耶になってしまったかもしれない。

 ……落ち着いていられる理由、か。

 思い当たる節は幾らでもある。でも、やっぱり、一番の理由は。


「──解放、されたかったから……かもしれない」

「……どういう、意味ですか」

「無意識に、救いを求めていたのかもね。君という“罪”から。…家族という“鎖”から」

「…それは、我儘じゃないんですか」

「うん、そうだね。俺はきっと、我儘なんだ」


 そう。身勝手で、我儘で。ただただ自由でいたい男──それが、アゼル・コーディアル。


「……ふふ、別に捨てても良いんだよ?こんな俺を」

「い、嫌です!だってゼルさんは…“レイディア”を創ってくれた。人生を示してくれた…。捨てるなんて、絶対にしません!」

「──驚いた。まさかそこまで言ってくれるなんて」

「え?あ…」


 レイくんの熱の籠った言い方に思わずそう返すと、本当に無意識に言っていたのか、レイくんは慌てて両手で口を押さえる。

 どこまでも、優しい人。けれど、そんな君に依存する日は、きっと今日で最後。

 ──あぁでも、一つだけ言ってみたかったんだ。


「ねぇレイくん」

「…なんですか?」

「──戦争が終わったら俺と生きてくれない?……なんて言ったら、怒る?」

「……は?な、にを……?」

「別に返事は今じゃなくても良いよ?俺が出発するまでに教えてくれたら」

「え?いや、ちょっと待っ──」


 その言葉を遮るように、俺はレイくんの頭を撫でた。

 混乱からか、それとも俺の意味不明な要求からか。そのどちらかは分からないが、レイくんはいつものように笑っていて。

 ──そう、レイくんに落ち込んだ顔は似合わない。

 だから最後くらい、笑顔が見たかった──なんて。

 ……言ったら怒られるんだろうな。



『……はい!じゃあどうも皆さんこんばんは〜、レイディアです!』

『明日はね、戦争に行かれる方の出立式という事で』

『…まぁ、誰に届くかわかんない歌だけど。でも、誰か一人でも元気になってくれたら良いな〜、なんてね』

 木曜日。すっかり街が沈んでしまったこの時間に、ラジオからはレイくんの…レイディアの明るい声が流れてくる。

 けれどそれは、取り繕っている声だと、嫌でも気付いてしまった。

『……それじゃあ聴いて下さい。

 ──“さよならが言えなかった人へ”。


 ねえ 昨日 夢の中で 君が笑っていた


 まだ少し あどけない顔で


 まるで何もなかったように 


 「おはよう」って言うから


 僕も笑ってしまったよ


 砲音の止んだ夜だけ 


 本当の声が聴こえる

 
目を閉じれば そこにあるのは


 交わせなかった最後の言葉


 さよならが 言えなかった人へ


 まだこの声が 君に届くなら


 ただ一言だけでいい

 
「凍えないで」と 願うだけでいい

 
僕は今日も 歌ってるよ


 ねえ 君の 名前だけは 言えずに過ぎた日々


 ラジオ越しの世界には “平穏”が必要だった


 誰にも気づかれないように


 そっと忍ばせた想いを

 
旋律に乗せて運ぶよ


 君がいる どこかの空へ


 忘れないと 約束したことも


 守れないまま 時間だけが過ぎて


 でもね 声にすればほら


 君の輪郭が 少し戻ってくる


 もういない君へ 届ける歌』


 下がる、ギターの音色。それでも、耳を澄まさなければ聞こえないぐらいの声で、レイディアは小さく息を歌った。

『…遅かったんだ、全部』

『取り返しのつかない事だって、知ってたのに』

『それでも……これだけは届けたいんだ』

 微かに感じる、寂しげな声。淡く、ゆっくりと。最後の言葉を完成させる為に、レイディアはそっと息を吸った。


『さよならが 言えなかった夜に


 声にならない 想いが残ってる

 
風に紛れてもいいよ


 それでもきっと 届くって信じてる


 僕は今日も 歌ってるよ』


 ギターの音色が、段々と緩くなる。今までの事が夢だったのではないかと錯覚してしまうぐらいには、短い時間だった。

 パチパチと、誰にも届くことのない拍手を送る。もう二度と、送ることはないだろうと思って。

『…じゃあ、今日はこの辺で』

『世界が平和であれば、良かったのにね』

『──おやすみなさい、良い夢を』


「……うん、良い夢だったよ」


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