Episode.20 尾行ジャマー大暴走! 湯けむりラブコメ騒動


◆ まさかの大失敗


翌日。


ネルフィは胸を張り、得意げな足取りで街を歩いていた。

ポケットには、昨夜ラボに籠もって徹夜で仕上げた自信作――小型発明品【尾行ジャマー】。


「ふふふ……これさえあれば、もう尾行なんて不可能よ!」


小声でつぶやきながら、ネルフィはポケットの中でスイッチを押した。

カチリ、と音がして、機械がピコピコと光を放つ。

魔力干渉の波動が広がり、周囲の空気がかすかに揺らいだ。


――完璧。

これであの双子も、リーも、絶対についてこれない!

ネルフィは心の中でガッツポーズを決めた。


だが数分後。


「……ネルフィ様」

黒猫アルスが隣で歩調を合わせ、冷静に囁いた。

「背後から“明らかに不審な視線”が三つほど」


「えっ!?」


慌てて振り返ると――

柱の陰からレイナとエレナがにやにやと顔を覗かせ、さらに屋台の串焼きを豪快にかじりながら、リーが片手を振っていた。


「や、やっぱりここにいた~」

「にゃはっ、尾行って楽しいわね」

「くっくっく、社長は今日も面白いことしてるわねぇ!」


「な、なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


ネルフィの絶叫と同時に、ポケットのジャマーが「バチバチッ!」と火花を散らした。

途端に街中が大混乱。

通りのランプが一斉に点滅し、屋台の秤は勝手に跳ね上がり、近くの楽器屋のオルガンが突然「ジャーン!」と不協和音を奏でる。

さらには洗濯物を干していたおばちゃんの紐が勝手に巻き取られ、干していたパンツがくるくる回りながら空高く舞い上がった。


「ちょっ……! なんでこんなことにぃぃぃぃ!」


ネルフィが必死にポケットを叩く横で、リーは腹を抱えて大笑い。

「はっはっはっ! これ、いいじゃない! まるでお祭りじゃない!」


双子はすかさず肩を組み、即席の歌を作って大合唱。

「さすが社長!」「街を巻き込むエンタメ発明!」


周囲の人々まで「お祭りだー!」「音楽だー!」と笑いながら踊り出す始末。

ネルフィは顔を真っ赤にし、頭を抱えて地面に膝をついた。


「ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! これはデート用じゃなくて、セキュリティ発明なのぉぉぉぉぉぉぉ!」


街中にその悲鳴がこだまし、人々は余計に笑い声を上げる。

――結局その日、ネルフィは「祭りを呼ぶ発明娘」として街の人気者扱いされ、【尾行ジャマー】は研究資料行きとなったのだった。




◆◇◆◇


◆ 新たな応募者 ― 二人の来訪


その日の午後。

工房に取り付けられた通信端末がピン、と明るい音を鳴らした。

「アウルディーン工房の求人広告を見ました」という問い合わせ。


数分後、転移ゲートを通じてやってきたのは、二人の新しい応募者だった。


最初に姿を現したのは、ふっくらとした体格で柔らかな雰囲気をまとった女性。

「マルタ・ロッセリと申します」

彼女は深々とお辞儀をし、エプロン姿のまま笑みを浮かべた。

「みんな、お腹が空いては戦えない――これが私の信条です」


ネルフィはぱちぱちと瞬きをして、思わず「……母さん?」と呟いてしまったほどだった。

温かさと包容力を湛えた眼差し。

その瞳の奥には、かつて娘を失った悲しみを隠しながらも、なお他人を慈しむ強さがあった。

かつて帝国騎士団の料理長として部隊を支えたが、帝国の腐敗を嫌って脱退。

今はただ、料理で人を笑顔にしたいと願う女性。


「……採用!」

ネルフィは思わず両手を握りしめた。

「マルタさん、あなたは工房の大食堂の料理長! みんなを、食卓で守ってほしい!」


「ふふ、任せてちょうだい。ネルフィちゃん」

その言葉に、仲間たちから拍手と歓声が起きた。

「やったぁぁ! これでご飯が豪華になる!」ラムがぷるんと弾けるように揺れ、

「にゃふにゃふ! おかわりにゃ!」アカとシロが飛び跳ねてはしゃいだ。


――そしてもう一人。


長身で痩せたシルエットのダークエルフ、リュシアン・エルドレイン。

彼は俯きがちに髪を揺らし、声も細い。

「ぼ、僕は……その……発明……を……」

言葉を切り切りにしながらも、繊細な指先で差し出したのは小さな試作品。

それは小型の魔導ランタンで、手のひらに収まるサイズながら光の色を自在に変化させる芸術品だった。


「……これ、すごい!」

ネルフィは瞳を輝かせた。

リュシアンは顔を赤くして視線を逸らす。

「ち、違……ただの、余暇で……」


だが次の瞬間、彼が発明の説明を始めると様子が一変した。

滑らかに、饒舌に、光の屈折や魔力干渉の理論を語り出す。

ネルフィと意気投合し、気づけば二人で専門用語を矢継ぎ早に飛ばし合っていた。

仲間たちはぽかんと見つめ、アルスが小さく笑った。

「……これはまた、新しい頭脳の仲間が増えましたね」


ネルフィは大きく頷き、満面の笑みで宣言した。

「――採用! リュシアンは研究部門で! 私の発明仲間として、よろしく!」


リュシアンは一瞬きょとんとした後、耳まで赤く染め、ぎこちなく頭を下げた。

「……よ、よろしく……」


拍手がまた広がり、デイジーがお茶を差し出し、リーが「歓迎の乾杯だー!」と声を上げる。

こうして、母のように仲間を包むマルタと、発明に生きるダークエルフのリュシアンが、

アウルディーン工房に新たな風をもたらしたのだった。


――その瞬間、工房の「家族」はさらに大きく、そして賑やかになった。




◆◇◆◇


◆ 新たな仲間の加入 ― 工房に広がる温もり


ネルフィが「採用!」と宣言したその瞬間、アウルディーン=ネクサスの大広間は拍手と笑い声で満ちた。


マルタは照れくさそうに笑いながら両手を広げ、仲間たちを見回した。

「さぁさぁ、まずは腹ごしらえよ。戦いも発明も、空っぽの胃じゃ始まらないでしょ?」


その言葉に、ラムがぷるるんと震えて跳ねた。

「ご飯! ご飯! マルタのご飯~~!」

「にゃふー! おかわりにゃ!」アカが跳ね、シロが「お菓子も頼むにゃ~」と追随する。

リーは腕を組みながら豪快に笑った。

「気に入ったわ! あんたの料理、毎日食わせてもらうからな!」


マルタは嬉しそうに頷き、さっそく大食堂に立つと、まるで魔法のような速さで鍋を煮立たせ、香ばしい匂いを漂わせた。

「おふくろの味ってのはね、腹だけじゃなく心も満たすのよ」

その言葉は、仲間たちの胸をじんわり温めていった。


一方のリュシアンは、まだ人前に慣れずタオルで顔を隠しがちだったが、ネルフィにラボへ連れられると一変。

発明の話題になった途端、目を輝かせて早口でまくし立てた。

「こ、これなら……魔力の消費効率が20%改善できる……! さらに……蒸気循環を導入すれば……!」

ネルフィも負けじと椅子に乗り出し、

「いいね! じゃあその設計を転移式のコアに組み込めば……!」

二人の声が重なり、ラボの空気が熱を帯びていった。


ユリウスは額を押さえて笑い、

「おいおい、もう“研究デート”始めてんじゃねーか」

双子は「ネルフィが新しい相棒見つけた!」「ちょっと妬けるわね」と頬を膨らませ、

アルスは冷静に記録を残しながらも、口元に小さな笑みを浮かべていた。


こうして、料理で心を満たす母のようなマルタと、発明で未来を描くリュシアン。

二人の加入は、工房をさらに「家族」として強固にし、そして「未来の灯」をより強く輝かせることとなった。


――その夜、湯気と笑い声に包まれる大浴場で、誰もが実感するのだった。

ここには戦いだけではない、確かな温もりが根付いているのだと。




◆◇◆◇


◆ 奇跡の錬金建築 ― 2号店完成 ◆


未完成だったミッドウェル街の工房二号店は、まだ骨組みと瓦礫の山に過ぎなかった。

しかしネルフィがその前に立つと、空気そのものが変わった。


「――錬成、開始!」


その小さな声と同時に、床一面に魔法陣が広がる。

錬金魔法特有の白銀の光がほとばしり、散乱していた木材や鉄骨、瓦礫にまで一斉に走った。


鉄骨はまるで意思を持つかのように浮かび上がり、規則正しく組み上がっていく。

レンガは自ら重なり合い、カチリカチリと音を立てながら壁を築き、窓枠や柱が精緻に形を取っていく。

さらにガラスが流れる水のように嵌め込まれ、看板の文字が浮かび上がった瞬間――街の人々がどよめいた。


「すごい……!」

「工事が一瞬で……!」

「まるで魔法の城だ!」


子どもたちが歓声を上げ、若者たちが目を輝かせる。

屋根の上に掲げられたアウルディーンの紋章は、太陽の光を受けて煌めき、まるで空に新しい星が降りてきたかのようだった。


榊はその光景に眉を寄せ、呆れたように肩をすくめる。

「……数分で建てるなんて、常識が泣いてるぞ」


レオンは隣で微笑し、ネルフィの横顔を見ながら誇らしげに頷いた。

「これが、俺たちの社長のやり方だ」


ユリウスが口笛を吹いて両手を広げる。

「やれやれ、こりゃ客の大行列間違いなしだ! 店の宣伝ポスターに“完成所要時間・数分”って書いとけよ!」


すると双子のレイナとエレナが、早くも制服談義を始めていた。

「わぁ、新しいお店って素敵!」

「ねぇ、制服はフリル? それとも大人っぽいスーツ?」

「まだ決まってないってば!」

セレナが額を押さえ、慌ててツッコミを入れる。


そんな賑やかな声を背に、ネルフィは額の汗を拭った。

小柄な体をしゃんと伸ばし、小さな胸を張って高らかに宣言する。


「――ここからが、本当のスタートだよ!」


その言葉に、仲間たちの顔が一斉に綻ぶ。

拍手が起こり、笑い声が混じる。

工房の未来を象徴する三階建ての店舗は、光に包まれてミッドウェル街の中心に堂々と立ち上がった。


アウルディーン工房二号店。

それはただの店ではない。

この街に「未来」を灯す象徴であり、仲間たちが新しい日々を築く舞台となるのだった。




◆◇◆◇


◆ 夜 ― 大浴場のひととき ◆


その夜、新設されたアウルディーン工房の大浴場は、湯気に包まれ、まるで街の温泉宿のように賑わっていた。

廊下からは仲間たちの笑い声や、桶をぶつけ合う音が響いてくる。


――だが、その裏で“事件”はひっそりと始まろうとしていた。


ネルフィはタオルを抱え、軽い足取りで浴場へ向かっていた。

「ふぅ……今日も一日がんばったし……やっと、一息つける……」

小さな身体を包む疲れをほぐすように、扉を開ける。


入り口に掛かっていた札は目に入らなかった。

女湯か男湯か――そんな確認をすっ飛ばしてしまったのだ。


湯気の立ち込める露天風呂に足を浸し、肩まで沈む。

「気持ちいい……」

静かな時間。今日は工房の仕事に、街の視察に、設計に……。頭も身体もフル回転だった。

だからこそ、この湯の温もりに全身が解けていくのを感じ、目を閉じて頬を緩めた。


――ガラリ。


「ふぅ……いい湯だな」


男の声に、ネルフィの目がカッと見開かれる。

入ってきたのはレオンだった。


「……えっ!?」

「……ネルフィ!?」


目が合った瞬間、湯気の中で時間が止まる。

ネルフィは顔を真っ赤にし、慌てて肩まで湯に沈み込む。


「ち、違うのよっ! 女湯だと思って――!」

「し、静かに! 誰か来る!」


レオンが慌てて声を潜めるや否や、またしても扉が開いた。


「ふぅ……今日も疲れたな」

のしのしと現れたのは榊だった。


ネルフィは慌てて湯に飛び込み、ぷくぷくと泡を立てながら必死に息を止める。

レオンは反射的にネルフィを腕で抱き寄せ、その小さな身体を自分の影に隠した。


「……どうした、レオン?」榊が怪訝そうに眉をひそめる。

「な、なんでもない! 湯がちょっと熱いだけだ!」

「ふむ……そうか」榊は特に疑わず、肩までどっぷりと湯に浸かった。


――ガラリ。

今度はマリウスがタオルを肩にかけて入ってきた。

「いやー、格納庫で汗だくだ! ひゃー、極楽極楽!」


ネルフィは限界を迎えかけて「ぷはっ」と顔を出しかけたが、レオンが咄嗟にタオルでその顔を覆い隠す。

「しーっ!」

「む、無理だってばぁぁぁ!」ネルフィの小声は湯気に消え、泡がぶくぶくと浮かぶ。


「……? レオン、お前、顔赤くないか?」マリウスが首を傾げる。

「き、気のせいだ!」

「いや、どう見ても熱中症――」

「気のせいだって言ってるだろ!!」


さらにゼルダンまで現れ、「……風呂は情報交換の場だ」と言いながら腰を下ろす。

「い、今は情報なしだ! な!?」レオンは声を裏返しながら、必死に誤魔化す。


ネルフィは真っ赤な顔でレオンの胸に押し付けられ、心臓が爆発しそうだった。

(ち、近すぎる……! レオンの心臓の音、聞こえちゃう……!)

耳に届くのは自分と彼の早鐘のような鼓動。熱い息が頬をかすめるたび、胸の奥まで熱くなっていく。


レオンもまた、必死に冷静を装いながら内心は混乱していた。

(くそ……こんなに可愛い顔して必死に息止めて……余計に誤魔化せねぇ……!)


息を潜める二人。周りでは男たちが談笑し、桶を鳴らし、笑い声が湯気に響いていた。

だがネルフィとレオンの間だけは、時間が止まったように熱を帯びていた。


――ぷはっ!

ネルフィがついに顔を出した瞬間、レオンはタオルで彼女を包み込むように抱き寄せた。

「しーっ! バレるな!」

「ちょ、近いってば……っ!」


彼女の頬は限界まで赤く、レオンの心臓は破裂寸前。

それでも、湯気に包まれたその数分は、二人にとってかけがえのない“秘密のひととき”になった。


――やがて仲間たちにバレて大爆笑されるまで、この事件は二人だけの胸キュンの思い出として刻まれることになるのだった。




◆◇◆◇


◆ 翌朝 ― 暴かれる秘密 ◆


朝の食堂。

マルタの焼き立てパンと香ばしいシチューの匂いが漂い、湯気に包まれた温かな空間。

……だが、その中央のテーブルでは修羅場が広がっていた。


「もう工房出たくない……」

ネルフィは机に突っ伏し、耳まで真っ赤にして涙目。

ラムが横でぷるるんと震えながら、「ネルフィ、顔がトマトだよ」と小声で呟く。


「頼むから忘れてくれ……」

レオンはスプーンを持つ手で顔を覆い、低く呻いていた。


だが、その必死の願いはあっさりと踏み潰される。




「いやぁ~、聞いた聞いた!」

ユリウスが身を乗り出し、にやにや笑う。

「社長とレオンが“温泉カップル”だってな! 青春だねぇ!」


双子のレイナとエレナが同時に頬杖をついて、にやり。

「夜の露天風呂で泡が立ってたらしいじゃない?」

「しかも隣にレオンがいたって?」


ネルフィ「ちょっ、なんで知ってるの!?」

榊が湯飲みを置いて淡々と告げる。

「昨夜、風呂で妙な泡があったのは事実だ」


ネルフィ「だから違うってばぁぁぁぁぁ!」




極めつけはアカとシロ。

テーブルに飛び乗り、元気よく歌い始める。

「にゃふにゃふ♪ 男湯で~」

「にゃふにゃふ♪ レオンと一緒~」


「やめろぉぉぉぉぉぉ!」

ネルフィが頭を抱えて絶叫。




マリウスはスプーンを口に運びながら、さらりと一言。

「設計図の横に“尾行ジャマー”と“温泉防御兵装”って落書きあったぞ」

「やめてぇぇぇぇぇっ!」ネルフィが机に突っ伏す。


ゼルダンは顎に手を当て、真顔で呟いた。

「……“温泉カップル”という異名。裏社会でも既に流れている」


「ちょ、ちょっと待って!? 世界規模で広まってるの!?」

ネルフィは顔を真っ青にして叫ぶ。


アルスは冷静に眼鏡を押し上げ、淡々と報告。

「帝国の諜報網により、“温泉カップル”の呼称が宮廷記録に登録されました」


ネルフィ「登録しなくていいぃぃぃぃ!」

レオン「もうやめてくれぇぇぇ……!」




ラムがぷるんと震えながら、にこにこと締めくくった。

「でも、みんな笑顔になったよ。……だからいいんじゃない?」


ネルフィとレオンは揃って机に突っ伏す。

「「よくなぁぁぁぁぁぁい!!」」


――こうして、“温泉カップル事件”は完全に工房の伝説として定着し、

二人の黒歴史は仲間たちの永久ネタとなってしまったのだった。




◆◇◆◇


◆ 街の広まり ◆


午後。

ネルフィは買い出しのために市場を歩いていた。

荷物を抱え、なるべく目立たないようにと早足で進む――が。


「おやおや、“温泉カップル”じゃねぇか!」

露店の老商人が笑い皺を深くしながら声を張り上げた。


ネルフィ「ちがっ……な、なんで知ってるのよぉ!?」


「何を言ってる。もう市場中の噂だぞ。若いのう、若いのう!」

周囲の客までクスクス笑い出す。


ネルフィは顔を真っ赤にして足早に通り抜けようとするが、今度は魚屋の店主がにやりと声をかけた。

「へっへっへ、温泉カップルには今日の鯛をおまけしとくぜ!」

「い、いらないからぁぁぁ!」


隣を歩くレオンは完全に耳まで真っ赤に染まり、天を仰いで呻いた。

「……神様、お願いだ。今すぐ俺を地面に沈めてくれ……」




その後、二人は喉の渇きを潤そうと酒場に立ち寄った。

だが、入った瞬間に店中がざわつく。


「おーい! 温泉カップル、ご注文は湯気多めでいいかぁ?」

「ひゅーひゅー! 仲良く同じジョッキでどうだい!」


客たちがどっと笑い声を上げ、テーブルを叩いて盛り上がる。

ネルフィは頭を抱え、真っ赤になってカウンターに突っ伏した。

「もうやだぁぁぁぁ!」


レオンも肩を落とし、手で顔を覆った。

「……これは一生ついて回るんだな」


酒場の主人がにやにやしながらジョッキを置いた。

「ま、仲がいいってのはいいことだ。温泉でも戦場でも、隣同士でいな」


その言葉に、二人は思わず顔を見合わせる。

……そして同時に視線を逸らし、さらに顔を赤くした。


――こうして“温泉カップル”の噂は市場から酒場へ、酒場から街全体へと広まり、

すっかりミッドウェル街の名物話となってしまったのだった。




◆◇◆◇


◆ ギルドマスターの反応 ◆


数日後。

ネルフィとレオンは、依頼報告のためにミッドウェル支部ハンターギルドを訪れていた。


ギルドの扉を押し開けると、依頼掲示板の前で冒険者たちがざわざわと笑い、こちらを振り返る。

「お、来たぞ!」「おいおい、“温泉カップル”だ!」

その声にネルフィの顔が一瞬で真っ赤に染まる。

「も、もうぅぅっ……!」

レオンも無言で天を仰ぎ、深いため息を吐いた。


そして二人は、執務室に通された。

机に肘を置いて腕を組むギルドマスター・グラウスが、じろりと二人を見据える。


「……お前たち。街で妙なあだ名で呼ばれておるようだな」


「うぐっ……!」

ネルフィとレオンは同時に俯き、肩を寄せ合うように固まった。

まるで罪人のように小さくなり、言い訳もできない。


グラウスはしばらく真剣な表情を保っていたが――次の瞬間、豪快に肩を揺らし、大声で笑い出した。


「はっはっはっは! 温泉カップル! いいではないか! 若者らしいではないか!」


「わ、笑い事じゃないですぅぅ!」

ネルフィは真っ赤な顔で机にしがみつき、涙目で抗議した。

「ただのハプニングだったのに……もう街中に広まっちゃってるし!」


レオンは頭を抱え、呻くように呟く。

「……地獄だ……死ぬより恥ずかしい……」


グラウスは腹を抱えて笑い続けた後、ようやく息を整えて言った。

「いやいや、若い芽が伸びておる証拠だ。街の連中も楽しんでおる。むしろ評判は悪くないぞ?」


「悪くないって……!」ネルフィが机に突っ伏す。

レオンは肩を落とし、諦めたように小さくため息をついた。


――こうして「温泉カップル」の異名は、ギルドマスター公認のものとして、

さらに強固にミッドウェル街全域に根付いていくのだった。




◆◇◆◇


◆ クラリスの爆弾 ◆


ハンターギルド本部。

報告を終えて帰ろうとした時、受付カウンターのクラリスがそっと微笑んだ。

書類を束ねる手を止め、小さな声で――しかし確かに響くような声で言う。


「……でも、羨ましいです」


ネルフィとレオンの足がぴたりと止まった。


「私も……そんな風に、誰かと一緒に笑える日が来たらいいな」


――その純粋な言葉に、二人は同時に固まる。

真っ赤になって顔を見合わせ、互いに慌てて目を逸らす。

「そ、そんなの違うしっ!」

「お、おいクラリス……変な誤解を生むこと言うな!」


だがクラリスは首をかしげ、柔らかく微笑むだけだった。

その無邪気な一言が、二人の胸をぐさりと突く。


すると背後から、双子のレイナとエレナが同時に顔を覗き込むように囁いた。

「……社長、完全に図星ね」

「次はデート用の制服を作らなきゃ♡」


「やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!」

ネルフィの悲鳴がギルドに響き渡り、冒険者たちがどっと笑い声をあげた。


「温泉カップル、制服コレクションか!」

「いやぁ、次はどんな噂が広まるんだ?」

「頼むからもう勘弁してくれ……」レオンは頭を抱え、必死に顔を隠す。


クラリスは頬を赤くしながら、どこか羨ましげに二人を見送った。

グラウスは机を叩いて豪快に笑い、仲間たちまで冷やかしの渦に加わる。


――こうして「温泉カップル」の噂は、ギルドですら冷やかしの場と化した。

だがその夜、ネルフィとレオンの胸の奥に残っていたのは――

恥ずかしさと同時に、ほんのりとした温かさ。


誰にも言えないけれど、確かにそれは二人の間だけに灯った、小さな「秘密の灯火」だった。




◆◇◆◇


◆ 尾ひれの広まり ― 世界を揺るがす!? ◆


ネルフィとレオンの「間違い風呂事件」。

当人たちにとっては、ただの黒歴史であり、工房仲間やギルドの酒の肴で終わるはずだった。


――だが、ミッドウェル街は交易都市。

噂話はまるで火に油を注ぐように膨らみ、旅商人や吟遊詩人、酒場で酔った冒険者の口から口へと拡散していった。


「聞いたか? 空に浮かぶ工房の女社長が、護衛の剣士と一緒に男湯で……」

「え? 何それ!?」

「しかも湯気の中で熱い誓いを交わしたらしいぞ!」

「キャーーッ!」


事実は「偶然鉢合わせて慌てただけ」なのに、尾ひれはどんどん増えていく。


ある港町の居酒屋では――

「おい、ネルフィって小娘、風呂場で恋を告白したんだとよ!」

「なんだと!? あの子供社長、やるじゃねぇか!」


砂漠のオアシスでは吟遊詩人が竪琴を爪弾き、こう歌った。

『湯気の中で結ばれし、若き二人の契り……』


しまいには帝国の密偵までもが報告書に記す。

『対象ネルフィ、護衛と情を通じた疑いあり。心理的弱点として利用可能』

――いや、それ絶対誤解だ、とネルフィが知ったら地面にめり込むほど赤面するに違いない。


果ては聖女が住む国にまで届き、巡礼者たちが真顔で語る。

「空の工房の少女は、神に選ばれし伴侶を湯煙の中で得た……」

「それは奇跡の象徴に違いない!」


ネルフィ本人が聞けば絶叫して逃げ出すだろう。

だが、すでに噂は「英雄譚」のように広まり、彼女とレオンを“湯気に結ばれし宿命のカップル”として描き立ててしまっていた。


アウルディーン工房の仲間たちはその報告を聞き、大爆笑。

「世界規模でネタになってるじゃん!」

「もう“温泉カップル”じゃ済まないね、“伝説カップル”だよ!」


ネルフィは頭を抱え、レオンは壁に額を打ちつける。

「も、もう外を歩けない……!」

「いっそ隠し部屋で一生発明してたい……!」


だが、この恥ずかしすぎる尾ひれ付きの噂が、思わぬ形で世界の注目を集め、

アウルディーン工房の名をさらに広げていくことになるのだった。




◆◇◆◇


◆ 帝国宮廷 ― 湯気の報せ ◆


黒曜の玉座に重く座す、腐蝕帝国ヴァルガルド皇帝ダリウス・ヴァルガルド。

大理石の床に跪く密偵の声が、広間の冷気に震えるように響いた。


「……ご報告いたします。件の小娘――ネルフィ・アウルディーンですが……」


皇帝の目がぎらりと光る。

「新兵器か? それともまた新たな要塞か」


「いえ……それが……」

密偵が妙に言い淀み、視線を逸らす。


「申せ」

玉座の一言が、広間に圧を落とす。


「……世間では、“温泉カップル”という異名で呼ばれております」


「…………は?」


玉座の間に、奇妙な沈黙が広がった。

十二柱のひとり――冷血なる蛇の魔導卿が、咳払いで場を繋ぐ。

「ど、どうやら……市井では“温泉で仲睦まじく湯に浸かる小娘と剣士”という噂が広がっておりまして……社交場でも話題になっております」


皇帝はこめかみを押さえ、深く息を吐いた。

「ふざけおって……戦場に名を轟かせるべき者が、湯煙で名を売るとはな」


十二柱の別の一人――紅蓮の戦姫が口元を覆いながらくすりと笑う。

「若いとは羨ましいものですわね。湯けむりの恋……ふふ、帝都の舞踏会でも流行りそうです」


「黙れ」皇帝の冷声が一喝する。


だが、広間の端で小さな拳を固める影があった。

第一皇子――アドラステアス。

彼の胸中は怒りと嫉妬で煮えたぎっていた。


(ネルフィ……! あの小娘が……湯に……湯に……! しかも、あの剣士と……!)


「父上!」

堪えきれず立ち上がる。

「この“愚かしい噂”を一刻も早く打ち消さねばなりません! 我が剣で奴らを討ち、帝国の威光を示すべきです!」


皇帝は半眼でその激情を眺め、鼻で笑った。

「……嫉妬で剣を抜くのは、まだまだ未熟者の証よ、我が息子よ」


アドラステアスは真っ赤になり、唇を噛む。

しかし胸の奥で燃えていたのは、忠誠心でも覇権欲でもなく――

「ネルフィを奪われた」という、どうしようもない個人的な想いだった。


玉座の間は再び沈黙に包まれた。

皇帝の嘆息が、静かに石壁にこだました。


「……まったく。小娘一人の噂で、帝国の空気すら揺らぐとは。滑稽よな」


その口調には苛立ちよりも――わずかに、羨望めいた響きが混じっていた。




◆◇◆◇


◆ 裏社会 ― 湯気の冷笑 ◆


薄暗い裏路地の酒場。

壁は煤で黒ずみ、床は酒と血で湿っていた。

そこに集まるのは、街のはぐれ者たち――赤牙(レッドファング)のチンピラ連中。


「おい聞いたか!?」

小刀を弄んでいた若いチンピラが、酒にまみれた息で叫ぶ。

「あのガキの社長と、剣の兄ちゃん……“温泉カップル”だってよ!」


「ひゃはは! マジかよ! 」 「帝国と戦った英雄様が、お風呂でいちゃついてたって? ギャハハ!」

「今度現れたら“お風呂様~”って呼んでやろうぜ!」


粗野な笑い声が酒場に響き渡る。

彼らの手にあるのは、刃物と安酒。

だが、口から出るのは英雄を嘲る軽口ばかり。


「なぁに、所詮は子どもだろ。戦場じゃ格好つけてても、中身はガキの恋愛ごっこだ」

「そんなんにやられた帝国と俺らが、逆に笑い者だな!」

――その言葉に、場の笑いはさらに高まった。


だが、笑い声が響く一方で、酒場の奥の席では別の影がグラスを傾けていた。

黒薔薇一家の幹部、マルグリット。

深紅のドレスに包まれた肢体を椅子に預け、妖艶な笑みを浮かべる。


「ふふ……戦場での異名より、恋愛スキャンダルの方が早く広まるとはね」

ワイングラスを揺らし、深紅の液体を唇に触れさせる。

「情報は毒。使いようによっては、刃より鋭い」


幹部の一人が囁く。

「姐さん、利用しますか?」

「ええ。街の笑い種にするだけじゃ勿体ないわ。

 “英雄が恋に溺れる”――そう囁くだけで、味方は疑い、敵は付け入る。

 世論は、湯気よりも速く広がるものよ」


マルグリットの言葉に、周囲の闇の連中は一斉に頷いた。

彼らにとって、この噂はただの笑い話ではなく――新たな武器、敵を崩すための格好の材料。


赤牙のチンピラたちは、酔いに任せて声を張り上げる。

「ひゃっはは! 温泉カップルに乾杯だぁ!」

「次に会ったら“湯気ごっこ”って呼んでやらぁ!」


安酒の瓶が叩き割られ、笑い声と共に床に広がっていく。


――こうして“温泉カップル”の噂は、裏社会の冷笑と悪意を伴い、さらに広がっていったのだった。




◆◇◆◇


◆ 異国の王侯 ― 湯気の余波 ◆


エルフの国、古き森の議場。

千年を生きる長老が、杖を突きながら重々しく語り出した。


「……諸君。ネクサスの継承者ネルフィには、“温泉カップル”なる異名が……」


厳粛な空気が漂う――はずだったが、若き議員が手を挙げた。

「……え、それ議題に必要ですか? 王国の外交方針に関係あります?」


議場にくすくすと笑いが広がり、長老の顔がみるみる赤くなる。

「し、静粛に! 我らエルフは軽口で議会を開くのではない!」

「でも長老、ちょっと気になってる顔してません?」

「わ、私は……別に……!」

笑いを堪える若者たち。だが結局、議場はいつになく柔らかい空気に包まれた。




魔界の王の玉座。

深紅の瘴気に包まれ、王は顎を撫でながら呟いた。


「……温泉……カップル? ふむ、それは新しい呪術の名か? 煙と熱で魂を絡め取る類いの……」


側近の魔族が慌てて進み出る。

「い、いえ陛下……これは俗世の……その……恋の噂でして……」

「……恋の噂?」

魔王は目を細め、しばし黙した後、低く笑った。

「なるほど……ならば利用できる。愛と恥辱ほど強き呪縛はない。ふふ……」

その笑いは、謎めいた瘴気と共に広間を震わせた。




氷霧王国の氷の宮殿。

玉座に座る氷の女王は報告を聞くと、眉をひそめた。

「くだらぬ。国家の安寧に何の関係があるというのか」


だが隣にいた王女は、頬をほんのり赤らめ、小声で呟く。

「……素敵。私も……一度でいいから、そんな風に呼ばれてみたい……」

その言葉に侍女たちは顔を見合わせ、くすりと笑った。女王は冷たい視線を向けたが、娘の頬に浮かんだ柔らかな光は隠せなかった。




竜冠連邦ドラコニア。

会議の場で、若竜が翼をばたつかせながら腹を抱え、声を張り上げた。


「ギャハハ! ネルフィと剣士が牙より先に“湯気”で有名になるとは! 伝説の初陣よりも風呂が先とはな!」


老竜たちは溜息をつきながらも、笑いを堪えきれない。

「若者よ、少しは真面目にせんか」

「ですが長老、笑わずにはいられません。人の英雄とは、実に愛嬌深い」


竜たちの咆哮混じりの笑いは、山々に反響し、遠くの谷までも響き渡った。




かくして“温泉カップル”の噂は、国境も種族も超えて広がり、時に冷笑を、時に憧れを、時に政治的な利用価値すら帯びて、異国の王侯たちの議場にまで届いたのであった。




◆◇◆◇


◆ 工房の地獄タイム ◆


アウルディーン=ネクサス本拠地のラボホール。

昼下がりのはずなのに、中はまるでお祭りのような笑い声で溢れ返っていた。


「やだぁぁぁぁぁぁぁっ! 世界に広まってるぅぅぅぅぅ!」

ネルフィは机に突っ伏し、両手で髪をぐしゃぐしゃにしながら泣きそうな声を上げる。


「……頼む。もういっそ殺してくれ……」

レオンは頭を抱え、魂の抜けた顔で隅の椅子に座り込んでいた。


仲間たちは腹を抱えて転げ回る。

双子のレイナとエレナは両手を打ち鳴らし、目に涙を浮かべながら声を揃える。

「まさか世界デビューが“温泉カップル”とはね!」

「戦場じゃなくて銭湯デビュー♡」


「はっはっは!」リーは机を叩いて大笑い。

「帝国の宮廷にまで届いてるんだって!? いやぁ、拳じゃなくて湯気で名を上げるとか最高じゃない!」


ユリウスは椅子に座ったまま転げ落ちそうになり、涙を拭いながら言った。

「ぷははは! 俺のナンパ伝説より先に“温泉伝説”作っちまうとか反則だろ!」


アカとシロは机に飛び乗り、尻尾を振りながら即興の歌を披露する。

「にゃふにゃふ世界版~♪」

「おんせんカップルにゃふふ~♪」


それに合わせてラムが湯呑の中でぷるぷると踊り、

「ぷるるん♪ おんせん♪ 世界のスター♪」

と愛嬌たっぷりに歌い上げる。


ネルフィは顔を真っ赤にして机に突っ伏したまま、涙目で絶叫した。

「やめろぉぉぉ! 歌にするなぁぁぁぁ!」


アルスは一同の大騒ぎをよそに、冷静にデータパッドを操作していた。

「……“温泉カップル”の呼称、すでに帝国宮廷、裏社会、異国諸侯にて拡散確認。情報の完全抹消は――不可能です」


「うわぁぁぁぁぁぁ! 世界規模の黒歴史ぃぃぃぃ!」

ネルフィは机に額を打ちつけ、レオンは天井を仰ぎながら呻く。

「……敵の刃より恥ずかしい……」


仲間たちの爆笑は鳴り止まず、大浴場の一件はすっかり工房最大のネタとなった。

――こうして、「温泉カップル伝説」は敵味方を問わず世界中に広まり、ネルフィとレオンの赤面の日々はしばらく続くことになるのだった。




◆◇◆◇


◆ネルフィ、ブチギレ大暴走 ◆


爆笑渦巻く工房。

「温泉カップル~♪ 世界にゃふにゃふ~♪」

双子とアカシロの大合唱が響き渡る中、ネルフィはぷるぷると震えていた。


「……うふふ……なるほど……」

机に突っ伏していた彼女の影がぐわりと揺れる。


「……お前ら、そんなに死にたいのかァァ……?」


その瞬間、ラボの床下から魔力回路がうなりを上げ、ネルフィの手には真新しい銀色の魔導銃が握られていた。


「ひゃっ!?」

ユリウスが顔を上げた瞬間――


バァンッ!


銃声が響き、魔導弾が彼の頬を掠め、紙一重で壁に突き刺さる。

焦げ跡から煙が立ち上り、ユリウスは青ざめた顔で固まった。


ネルフィの瞳は真っ赤に血走り、声はドス黒く低く響いた。

「……今度は、外さない」


銃口がゆっくりとユリウスに向けられる。

「ちょ、ちょっと待てネルフィ!? それ冗談だろ!?」

「誰が冗談なんか言ってると思ってんのよぉぉぉ!」


再び引き金が引かれ、弾丸が連射される。ユリウスはテーブルを転がって必死に逃げ回る。


「うおおお!? 誰か止めろぉぉぉ!」


――だが、止まるどころかさらに悪化した。


ネルフィは床に転がった設計図を一瞬で魔力で錬成し、次々と銃器を作り上げる。

片手にガトリング、肩にはロケットランチャー。


「これが! 私の最新兵装だぁぁぁぁっ!」


ガトリングが火を噴き、ロケット弾が壁を抉り、アウルディーン=ネクサスの内部が大爆発寸前の惨状に。


榊が叫ぶ。

「おいっ! このままじゃ拠点が吹っ飛ぶぞ!」


マリウスは必死に壁にシールドを張り、ゼルダンは床下の情報端末を抱えて逃げる。

リーが飛び出してきて、「待て待てぇ! 拳法でなんとか止め……ぎゃあ!?」と爆風で吹っ飛ばされる。


ネルフィは完全に“暴走モード”。

「狙った獲物は絶対に外さない……次は誰がいい!? 榊? レイナ? それともアカシロかぁぁぁ!」


銃口があちこちに向けられ、仲間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

「やめろ社長ぉぉぉ!」

「ぷるるん!? 直撃は無理ぃぃ!」


アルスは冷静に結論を下した。

「……やはり“温泉カップル”の件はネルフィ様の精神に深刻な影響を与えたようです」


その直後も、ロケット弾が廊下を吹き飛ばし、ネクサスの壁が一部崩落。

ネルフィの高笑いが工房中に響いた。


――この日、アウルディーン=ネクサスは “温泉カップル事件”に続く新たな伝説――

【社長ガチギレ銃乱射事件】を刻むことになるのであった。




◆◇◆◇


◆ レオンの抱擁 ◆


ネクサス内部を揺るがす轟音。

ガトリングの弾幕が壁を抉り、ロケット弾が天井を震わせる。


「ひゃぁぁぁぁ! 社長殺る気満々だぁぁ!」

「ぷるるん! 無理無理ぃぃぃ!」

仲間たちは転げ回って逃げ惑い、食堂は一瞬で戦場と化していた。


ネルフィは髪を振り乱し、両手に銃を構えて高笑いする。

「全員まとめて的にしてやるぅぅ! これが! 私の技術力だぁぁぁっ!」


その姿はまるで小さな魔王。

誰も止められない――そう思われた瞬間。


「……ネルフィ!」


背後から強い声が響く。

振り返ったネルフィの瞳に映ったのは、迷いなく飛び込んでくるレオンの姿だった。


「やめろっ!」


ドン――!

彼は容赦なくネルフィの身体を抱きしめ、その両腕を胸に押し当てる。


「っ!? レ、レオン!? 離しなさいよ! まだユリウスに一発ぶち込んでないんだからぁぁ!」

「もう十分だ! これ以上撃ったら……お前自身が壊れちまう!」


ネルフィは必死に暴れた。

しかし、レオンの力強い腕に抱きしめられるたび、心臓の鼓動が自分のものじゃないくらい速くなる。


「(な、なんで……? 身体が動かない……)」

「ネルフィ……!」


至近距離で呼ばれる自分の名前。

胸板越しに伝わる体温と心音。

銃を振り回していた小さな手は、いつの間にかレオンの胸を掴む形で止まっていた。


「……っ……私、ただ……恥ずかしくて……」

ネルフィの声は震えていた。

「世界中に“温泉カップル”なんて広まって……耐えられなくて……!」


レオンは優しく目を細め、ネルフィの頭を撫でる。

「馬鹿だな……そんなことで壊れるお前じゃないだろ。俺が横にいる。だから――安心しろ」


ネルフィの瞳から力が抜け、次の瞬間、彼女はレオンの胸に顔を埋めて小さく呟いた。

「……ずっと、隣にいてよ……」


「……ああ」


工房中に静寂が訪れた。

荒れ果てた食堂に立ち尽くすのは、抱き合う二人の小さな影。


仲間たちは息を呑んで見守り――やがてユリウスがぽつり。

「……なぁ。結局、俺は撃たれ損か?」


「シーーッ!!」

全員のツッコミが飛び、爆笑が再び広がった。


――こうして【社長ガチギレ銃乱射事件】は、レオンの抱擁によって幕を閉じた。

だがその余韻は、ネルフィとレオンの胸に新しい温もりを残していたのだった。




◆◇◆◇


◆ 後日談 ― ラボでの黒歴史追加 ◆


翌日、アウルディーン=ネクサスのラボ。

ネルフィは机に突っ伏し、髪をぐしゃぐしゃにかき乱しながら絶叫していた。


「うぅぅぅぅ~~~~っ!! なんで私、あんなことしちゃったのよぉぉぉぉ!!!」


机の上には昨夜使った銃の残骸や、即席で作り出したロケットランチャーの設計図が散乱している。

しかもその横には大きく書かれた見出し――


【黒歴史リスト】

1.温泉カップル事件

2.尾行ジャマー暴走事件

3.銃乱射で工房半壊事件 ← NEW!!


「増えてるぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」


アカとシロが机の上でコロコロ転がりながら大合唱。

「にゃふにゃふ♪ 黒歴史三連発~♪」

「次は四連発にゃ~♪」


「やめろぉぉぉ!!!」ネルフィがクッションを投げつけるが、にゃふにゃふズは大喜びで跳ね回る。


そこへユリウスが顔を覗かせ、頬に貼られた絆創膏を指で弾きながらニヤニヤ。

「おーい社長、俺の頬まだヒリヒリするんだけど? これ慰謝料請求したら勝てるかなぁ?」


「~~~~っ!!」ネルフィは再び銃を掴もうとするが、黒猫アルスが即座にしっぽで押さえ込んだ。

「ネルフィ様、もう十分です。これ以上は“黒歴史リスト”が増えるだけです」


「ぐぬぬぬ……!」


そんな中、扉の前で腕を組んでいたレオンが一歩進み出る。

「……ネルフィ。昨日のことは……俺は悪くなかったと思ってる」


「な、なにがよ……」


「お前が泣きそうになってた時、止められたのは俺だけだった。……だから、俺にとっては誇らしい黒歴史だ」


その言葉にネルフィの頬が一瞬で真っ赤になる。

「な、なに言ってんのよバカ! そんなこと言ったら余計に……余計に忘れられなくなるじゃない!」


「なら、忘れなくていい」

レオンは短くそう告げて背を向け、静かにラボを出ていった。


残されたネルフィは胸を押さえ、顔を覆ったまま机に沈む。

「~~~~っ……ほんと、もうやだぁぁぁぁぁぁ!!!」


だがその声は、泣きそうで……どこか甘酸っぱい響きを含んでいた。


――こうして、ネルフィの黒歴史は確かに増えた。

だが同時に、胸の奥に新しい「大切な記憶」も刻まれていったのだった。


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