Episode.10 ギルドマスターとの邂逅


◆ 密やかな招待◆


ブラッドウルフ・ロードを討伐して数日。

街は平穏を取り戻したように見えても、工房の空気には未だ緊張が残っていた。

整備と補給、戦闘ログの整理……日常は戻りつつあるが、誰もが次なる嵐を予感していた。


そんな中、ネルフィはギルドの受付嬢から、一通の封書を受け取る。

羊皮紙に刻まれたのはただ一言。


> 「夜、辺境支部の奥の間へ。人払いは済ませてある」




差出人はギルドマスター。

あまりにも唐突で、あまりにも不穏な誘い。


ネルフィは仲間に見せるか迷った。だが、心が告げていた。

これは、自分だけが受け止めなければならないもの。


その夜、白衣に外套を羽織り、ネルフィは工房を抜け出した。

振り返れば、暖かな灯りの奥に仲間の気配がある。

レオンの真っ直ぐな瞳を思い出すと、胸が少し痛んだ。

榊に知られれば必ず止められるだろう。

――だからこそ、誰にも告げず、たった一人で進むと決めた。


王都の喧騒が遠ざかり、石畳を叩く足音だけが響く。

夜霧の中に浮かび上がるのは、辺境支部の重厚な影。

表の入口はすでに閉ざされ、人影もない。

ネルフィは深呼吸を置き、重い扉を押し開いた。


冷たい結界の気配が肌を撫でる。

廊下を進み、蝋燭の揺らめく奥の扉の前に立つ。

その光は――彼女を試すように、静かに揺れていた。


「……待っていたぞ、ネルフィ・アウルディーン」


低く響く声。

部屋の奥から現れたのは、歴戦の傷を刻んだ大男。

白髪交じりの髪、剛腕、揺るぎなき眼光。


――辺境支部ギルドマスター、グラウス・エルンスト。

勇者と共に戦い、生きる伝説と呼ばれた戦士。


その眼差しが、静かに少女を射抜いた瞬間、ネルフィは悟る。

ここから、自分の過去と未来が交錯する――。





◆裏視点 ― レオンの影


その頃、工房の影。

ネルフィがそっと外套を羽織って出ていく姿を、ひとりの青年が見ていた。


「……ネルフィ?」


レオンだ。

彼女が夜にひとりで出歩くなど滅多にない。

心配に駆られ、気づかれぬよう後を追う。


だが――。

辺境支部の入口を遠くから見つめた瞬間、鋭い結界の気配に足が止まった。

霧の中に立ち昇る魔力障壁。

まるで「彼女以外の者は一歩も通すな」と告げるかのように、冷たく夜を封じている。


レオンは歯を食いしばり、拳を握る。

だが結界に踏み込めば、かえってネルフィの立場を危うくする。

――信じるしかない。


闇に溶ける彼女の背を、ただ見送ることしかできなかった。


「……ネルフィ。無事で戻ってこい」


赤い瞳に宿る想いは、言葉にならぬまま夜に溶けた。

彼の胸に残ったのは、不安と、それ以上に強い誓い。

もし何かあれば、必ず自分が支える――


そう決意を抱き、レオンは静かに工房へと戻っていった。




◆◇◆◇


◆生きる伝説◆


結界に守られた静謐な部屋で、ネルフィの前に座していたのは壮年の戦士だった。

白髪交じりの黒髪を束ね、剛腕には無数の古傷。彼の存在だけで、空気は重く揺れる。


「……よく来たな、ネルフィ・アウルディーン」


その声の持ち主こそ、勇者と共に戦い大陸を駆け抜けた戦士、グラウス・エルンスト。

人々から「生きる伝説」と呼ばれ、今は辺境支部を束ねるギルドマスターだった。


ネルフィは思わず息を呑む。幼い頃から聞かされてきた英雄譚の語り手――黒き竜を討ち、絶望の荒野を越えた戦士が目の前にいる。

だが、その眼差しは戦士の鋭さだけではなく、どこか懐かしむような柔らかさを宿していた。


「……お前の父、バルグ・アウルディーンとは大親友だった」

「――!」ネルフィの胸が強く脈打つ。

「母、リュシア・フェルディナントもまた我らの仲間。彼女は古代文明の末裔であり、帝国はその血を狙った。……そして両親は“腐蝕十二柱”の影によって奪われたのだ」


ネルフィは唇を噛み、幼い日の記憶が胸を締め付ける。

その時、肩口で控えていた黒猫姿のアルスが、小さく咳払いをした。


「グラウス殿。……僭越ながら。ネルフィ様にとって真実は重い。しかし“知らずに歩む”ことこそ、より深い闇でございます」


その声音は冷静ながら、どこか温かみを含んでいた。

ネルフィは震える声で応える。「アルス……」

「ネルフィ様。私は記録と守護の執事。あなたの歩む一歩一歩を、決して見失いません」


グラウスも深く頷き、「……なるほど。その黒猫が傍にいるなら安心だ」と静かに言った。

ネルフィの胸に、確かな誇りが宿り始めていた。




◆ギルドの影と謝罪


その後、グラウスは机の引き出しから一枚の依頼票を取り出した。

ネルフィも目に覚えがある――ブラッドウルフ・ロード討伐の依頼票。だがそこには不自然な改竄の痕跡が残っていた。


「ネルフィ……まずは謝らねばならん」

グラウスの声は低く、重かった。


「この依頼票は本来、Gランクの者が受ける内容ではなかった。内部の裏切り者が書き換え、お前たちを死地へ追いやったのだ」


ネルフィの瞳が大きく揺れる。

「……やっぱり、誰かが……」


「だが、お前たちは生還し、そして討伐を果たした。その事実は覆せん。……本当にすまなかった」


彼が深く頭を垂れると、ネルフィは逆に戸惑うしかなかった。

“生きる伝説”と呼ばれた戦士が、自分に頭を下げる――その光景に胸が熱くなる。




◆受付嬢の秘密


グラウスはさらに声を落とした。

「……あの件を最初に察知し、私に報告してきた者がいる。――ギルドの受付嬢、クラリスだ」


ネルフィは驚いて瞬きをする。

真面目で、どこか気弱そうに見えた若い受付嬢の顔が浮かんだ。


「……実は、あれは私の孫娘だ」

「えっ……!」


「このことは誰にも明かしてはならん。ギルド内にも、他の幹部にもだ。彼女は“ただの職員”として働いている。それが彼女を守る唯一の道だ」


ネルフィは言葉を失った。

だが同時に、クラリスが見せていた真剣な眼差しを思い出し、胸が温かくなった。

――彼女もまた、自分を守ろうとしていたのだ、と。


グラウスは静かに続けた。

「ネルフィ。お前の戦いはもう“遊び”ではない。帝国と十二柱の影が直接、お前を狙っている。……だが、私も、そして孫も――陰から必ずお前を支える」


ネルフィは強く頷き、小さく息を吐いた。

「……ありがとうございます。私、絶対に負けません」


アルスが尾を揺らし、記録を残すように静かに告げた。

「ただいまの誓言を記録しました。工房とギルド――その絆は既に結ばれております」




◆◇◆◇


◆秘密の繋がり◆


グラウスは声を潜め、さらに言葉を続ける。

「エリムハイド王国第二王女、リュシェルから頼まれている。『ネルを陰ながら支えて欲しい』とな」


ネルフィは驚きに目を見開く。「リュシェルが……?」


「そうだ。腐敗したギルド内部には帝国と通じる者がいる。だからこそ、お前の存在は秘匿されねばならん」

机に置かれた小包には、王城と繋がる水晶符号と回線拡張キーが収められていた。


アルスが一歩進み、淡々と告げる。

「リュシェル殿下の“目と耳”が遠方で働くのならば、私は工房の日常を“平常”に保つ盾となりましょう」

ネルフィは小さく頷く。遠くで見守るリュシェル、傍らで支えるアルス。二つの守護が確かに自分を支えていた。

グラウスはやがて重く息を吐いた。

「ネルフィ。これを渡す時が来たようだ」


彼が机の奥から取り出したのは、黒鉄で作られた小箱。

古代文字が刻まれ、封蝋はとうに朽ちているのに、不思議な魔力の脈動が今も微かに伝わってくる。


「これは……?」


ネルフィが手を伸ばすと、小箱の表面が淡く輝き、アウルディーン家とフェルディナント家の紋章が浮かび上がった。

彼女の血に反応するかのように。


「……お前の両親から託された遺産だ。いつか“娘が真実を知る日”が来たなら、必ず渡して欲しいと頼まれていた」


ネルフィは震える手で小箱を受け取る。その瞬間、アルスがすぐに解析を開始し、端正な声で告げた。

「ネルフィ様。内部に刻まれているのは古代遺跡都市の座標データと推測されます」

ネルフィが小箱を開けると、中には鍵が入っていた。


「……古代遺跡都市……!」


リュシェルの通信がすぐに繋がる。

《ネルフィ、それは“ゲートの鍵”。帝国が血眼で探しているものよ。……でも、機動させられるのはあなたしかいない。血と意思が一致して初めて作動する仕組みだから》


グラウスが頷き、厳しい声を続ける。

「帝国の狙いは、まさにその遺跡に眠る技術と知識だ。ネルフィ……お前が相続したのはただの形見ではない。“未来への通行証”だ。そして、ここにある転移装置ゲートもそなたの物だ」


ネルフィは小箱を胸に抱き、強く息を吸い込んだ。

「お父さん……お母さん……必ず、この手で守ってみせる。奪わせたりしない」


アルスが静かに一歩前に出る。

「ネルフィ様。これで工房が次に進む理由が整いました。帝国の影が迫る前に、“新たな居場所”へ移転すべきです」


ネルフィは頷き、涙を堪えて仲間を思い浮かべた。

仲間の笑顔、支えてくれる声、寄り添ってくれる温もり――。


「うん……私たちで築くんだ。工房の未来を」


その瞬間、彼女の胸に灯った小さな炎は、確かに第2章への道を照らしていた。




◆◇◆◇


◆揺れる絆◆


両親を奪ったのは帝国。

その事実を胸に抱いた瞬間、ネルフィの心に影が差した。

工房で待つレオン――彼は帝国皇帝の血を引く。自分の両親を奪った存在と、彼は繋がっている。


「……私は、信じてもいいの……?」

小さな呟きが結界の空気に滲んだ。


アルスが静かに答える。

「ネルフィ様。血筋は呪いではなく、名札でもございません。大切なのは“選び取る意志”。レオン様が今この瞬間、ネルフィ様の隣で剣を振るっているのは、紛れもない彼自身の選択です」


その時、水晶端末が淡く光り、リュシェルの声が届いた。

《ネル……痛みを知っているあなたにしか、“新しい絆”を選ぶことはできない。だから迷わないで。あなたの隣にいる彼を、あなた自身が選ぶのよ》


ネルフィは涙を堪え、深く息を吸い込んだ。

「……うん。私は血じゃなくて、意志を信じる」


グラウスは静かに頷き、「よく言った。それこそが覚悟だ」と告げた。

ネルフィの胸に宿った小さな炎は、今度こそ消えない決意となって燃え始めていた。



◆◇◆◇


◆決意◆


グラウスはゆっくりと立ち上がり、ネルフィの肩に分厚い手を置いた。

その手は戦場で数えきれぬ仲間を引き上げてきた、重みと温もりを持っていた。


「ネルフィ。お前は既に多くの敵に狙われている。……そして近いうちに、この街全体を揺るがす“大事件”が起きるだろう」


ネルフィは目を見開いた。

「大事件……?」


「帝国の手か、裏社会か、それとも腐蝕十二柱か――まだ定かではない。だが、嵐は確実に迫っている。

その時が来たとき……お前自身の覚悟が試される」


言葉は重く、部屋の空気をさらに張り詰めさせる。


ネルフィは唇を噛み、震えを堪えながらも、強く答えた。

「……私は逃げません。工房も仲間も、絶対に守ります」


肩口で黒猫のアルスが小さく尾を揺らし、静かに言葉を添える。

「ネルフィ様。記録と守護の執事として、この決意を確かに記録しました。

嵐が来ようとも、私が見失うことはありません」


卓上の水晶端末が淡く灯り、リュシェルの声が遠隔から響いた。

《ネル……あなたの背を押す力は、ここにもある。

どんな嵐が来ても、私と王城の目は決してあなたを見放さない》


ネルフィは涙を拭い、拳を固く握った。

「……ありがとう。私は――絶対に負けない」


グラウスは深く頷き、結界を解く。

その扉の向こうには、再び戦場へ続く現実が待っていた。


ネルフィは振り返らずに歩き出す。

胸の奥で燃える炎は、もはや迷いではない。

それは――嵐に立ち向かうための確かな誓いだった。





◆◇◆◇


◆揺れる想い◆


夜の結界を抜け、工房の扉を押し開けた瞬間、灯りに照らされた仲間たちの姿があった。

整備を終えたリルが静かに横たわり、榊は刀を膝に置いて瞑想している。

だが真っ先に立ち上がったのは――レオンだった。


「ネルフィ……どこに行っていた?」

その声には怒りではなく、不安と焦りが混じっていた。


ネルフィは一瞬だけ視線を逸らし、柔らかく微笑んだ。

「……ちょっと、考え事をしていただけ」


だが、胸の奥では嵐が渦巻いていた。

――両親を奪った帝国。

――帝国の皇子であるレオン。


真実を知った今、彼を見つめる瞳に迷いが生じる。

けれど、同時に思い出す。

血に呑まれそうな時も、自分の隣で戦い続けてくれた彼の姿を。

「……それでも、私は彼を信じたい」

その願いが、小さな炎となって胸に灯る。


レオンは彼女の表情の揺らぎに気づきながらも、あえて追及はしなかった。

ただ真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。

「何があっても……俺は君を守る。それだけは、絶対に変わらない」


ネルフィはわずかに唇を噛み、視線を落とした。

真実を口にすれば、彼を傷つける。

けれど黙っていることもまた、自分を締め付ける。


「……ありがとう、レオン」

その言葉は不器用で、揺らぎを含んでいた。

だが確かに彼女の胸の奥では――“彼と共に歩みたい”という想いが芽生え始めていた。


その空気を、静かに解きほぐす声が割り込む。

黒猫姿のアルスが、尾を揺らしながら柔らかく咳払いをした。


「ネルフィ様。大切なことを心に秘めるのも勇気ですが、仲間と紅茶を分け合うのもまた勇気でございますよ」


ネルフィとレオンが同時に目を瞬かせると、アルスは優雅に盆を差し出す。

そこには温かなカップが二つ。

「冷めないうちにどうぞ。……心を温めるには、まず喉からでございます」


思わずネルフィは笑みを零し、レオンの緊張も少し緩んだ。

胸に渦巻く迷いはまだ消えない。だが、この工房には――影を和らげてくれる存在がいる。


ちょうどその時、卓上の水晶端末が淡く灯り、王都からの通信が繋がった。

リュシェルの声が柔らかく響く。


《ネル……無事に戻ったようね。よかった》

《こちらから追加報告。帝国の裏口ルート、いくつか潰せそうな痕跡を掴んだわ。工房周辺の監視網も拡張済み。あなたたちの背中を、決して独りにはしない》


ネルフィは小さく頷き、静かに答えた。

「ありがとう、リュシェル……。遠くにいても、ずっと一緒だね」


工房に広がる光は温かく、迷いの影を少しずつ溶かしていく。

ネルフィの胸に芽生えた小さな炎は、仲間と支援の手によって確かな灯火となりつつあった。






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