第6話 盗人、取引所、足

「おーい、君? こんなところで寝てるなんて、昼間っから酒の飲み過ぎかー?」

 さて、薄暗い路地裏の夕方の影の下、警棒でつつかれながら、その人物は意識を取り戻した。

 勇者に足を払われて、自走の速さの勢いのまま壁に激突して意識を失った盗人である。

「ひょっ?! さ、サツがなんでここに…!?」

「うん? なんだその反応は? 酒に酔って眠っていたにしては、取り乱しすぎだなァ?」

「いや…! なっ、なんでもねえよ~? あー、あったまいって~。クジラで飲み過ぎた。知ってるか? あそこのヒレ酒は最高なんだ」

「知ってるよ。でも昼くらいもう少し自制するんだな」

「はいよ、心得ておくぜ」

 盗人はまた達者な芸でのらりくらりと頭を押さえて警察官の脇を抜けて、そそくさと逃げていく。

(あッぶね~~。この辺りのエリアじゃまだ顔が割れてなかったってのに、よもやサツにこんな声の掛けられ方されちまうとは…くそっ!)

 盗人は虫の居所がたいそう悪かった。

(思い出したぜ、全部あのド貧相なガキのせいだ、異常に足が早えアイツ…! 確かに俺の足は神器擬きだが、常人に追いつかれるはずねえのに、あのガキは只の安物の靴で…!!)

「ムッカつくぜぇ!? 何か仕返ししねえと腹の虫がおさまらねえ! 見つけ出して分からせてやる、“取引所”の名にかけてなァ!」

 盗人は屋根の上に飛び乗る。

 日没近くの空は路地に満遍なく影を落とし、屋根の上を動く者の影を見えにくくしていた。

 そして僅かな空気の破裂音と共に、盗人は加速する。屋根の上を縦横無尽に駆け巡り、記憶に残っている憎き人物(勇者)を探すために。

 そして屋台街の一角にて。

(おっ…! 見つけたぜ!)

 盗人は足を止めた。

 そこに、あの勇者の姿と金髪の女性が並び、屋台で買った物を食べる様子が見えたのだ。



 勇者は屋台で買った赤いソースがかかったコロッケを一口食べる。そして口を押えた。

「か、辛~~っ…!? これ、ちょっと辛すぎ…!」

「いや、これピリ辛くらいじゃない?」

 同じコロッケを食べて、平然と咀嚼するゾーナ。

「うそお…ふだん味薄いものしか食べてないせい? 僕の舌のほうが変?」

 舌を手で仰ぐ勇者を見て、ゾーナは笑う。

「あっはっは。アンタ辛いの苦手だったのに大丈夫かなって思ったけど、案の定じゃん」

「久々に食べたらいけるかと思ったのに」

「さすが無駄に勇気あるわね…」

「別のやつにする」

「ならあっちの甘いやつは?」

「あ、甘い物なんて…。そ、そういう軟弱なのは僕良いんで」

「はーい店主、クレープ4つ」

「良いって言ったのに!? しかもシンプルに頼みすぎだし!」

 そんな二人が屋台を楽しむ様子を上から見ていた盗人は、困惑して、眉を顰めた。

(なんだァこいつらは? 姉妹か姉弟? いや恋人、いや親戚…? 金ピカの女と釣り合ってねえから、ガキは使用人かと思ったが。話し口調は対等…どころか女の方が気を遣ってるようにすら見えるぜ…??)

 手を出すタイミングを窺っているものの、二人の関係性が全く分からず、妙に手をこまねていた。勇者とスポンサー、あるいはビジネスパートナーという関係性など、到底思いもよらない。

 ともかくしばらく観察を続けていたところ、やがて屋台街を外れ、二人が移動するのが見えた。

(おっ! ともあれチャンス到来!!)

 勇者たちが屋台街から別の通りにたどり着くまでの、人気の少ないタイミングを狙い、盗人は屋根から飛び降り、勇者の前に立ちふさがった。

「よォ…! 昼間はどうも、クソガキィ」

「…?……あっ」と勇者。

「ん? 何方?」

「ほら箱盗もうとした奴」

「あー。そういえば…」

「若干忘れてんじゃねぇ! 盗まれかけたのに忘れるって、どういう神経してんだテメェら!?」

「あははー…。ほら早くて私はよく見えなかったから」

「ふふん、そうだろう!? それが普通だ、俺の早業を見極めるなんて出来ねぇんだ――だがなァ! その貧相なガキはあろうことか俺に追いついて来やがったんだ、許せねェ! てめえら、まとめて身ぐるみ剥いでやる!!」

 ドンっ、と破裂音がして、盗人が加速する。それはもはや神業の域、常人の目に留まらないほどの速さ――その魔の手は、ほんの一呼吸、瞬きにも満たない時間で迫った。

(上等な服着てる金髪女から盗む……と見せかけて狙うはガキ! 今度こそ足より下に埋葬してやらァ!! 今夜は土で眠れ!!)

 そして盗人の標的が勇者に向いた瞬間。

 盗人は目をむいた。

(えっ、いない)

 勇者は、すでに忽然と姿を消していたのである。

 そして直後、勇者に後ろ襟をつかまれ、盗人の首が絞め上がった。

「こひゅっ!?」

「学ばないね君は――僕を、貧相なガキって言うな!」

 勇者はその襟を持ったまま、地面に盗人を叩きつける。どごっ、と鈍い地響きが轟き、盗人は白目をむいた。

「ぐうえっ…! い、いつの間に…背後にっ…!?」

「普通にさっき移動したけど」

「ば、ばけもの…」

 がくり、と盗人は気を失った。

 完全に沈黙した彼のもとに、ゾーナが歩み寄る。

「ふーん。足はかなり速いのね、この人。どこで鍛えたのかしら? 今のも走りも全然見えなかったわ」

「常人に比べればちょっと早いくらいでしょ。魔王と比べれば大したことない」

「それにしても魔物がいなくなっても平和ボケした馬鹿は消えないものね…。盗みなんて魔物と比べれば可愛いものだけど」

「ゾーナ。僕、こいつを見て決めたよ」

「なにを?」

「3年ひっそり暮らしてたけど、配達のついでに今のジパングを見て回る。せっかく魔王倒したんだし、世界にはもうちょっと平和になってもらう」

「あら、良いんじゃない? どうせ今の配達ビジネスは半分慈善事業だから、もうちょっと慈善的でも気にしないわよ」

「…うん」

「そうそう、晩御飯食べたらお土産買っていかない?」

「うん。てかまだ食べるの?」

 かくかくしかじかで、勇者は最初の配達を終えてエルダーへと帰ったのだった。


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