第六夜-日溜(ヒダマリ)と暗影-(後編)
4幕
ハル休みが明け、フッフ月1日となった。マドラの誕生月だ。しかし、エールを含め、祝ってくれそうな者はいないかもしれない。
ベルテーン祭での彼女の激情が、休みが明けても忘れられず、話しかけることなく終業した。
放課後、いつものように図書館に向かっても、エールもイヴァンもいなかった。しかし、珍しい先客がいた。
「…チェーザレ??」
「…マ、マドラ氏っ?!」
話しかけられた瞬間、チェーザレは手に持っていた本を慌てて背中に隠した。
「こんなところで、何してるんだ?」
「あ、青属性呪文の、研究史を、さ、探してただよ。」
チェーザレの視線は斜め下で泳いでいた。
「ふぅん。」
追及しようとしたが、さすがに躊躇われた。どうやら自分には、人を知らぬうちに傷つけてしまう性質があるらしい。
「……なあ、チェーザレ。」
そう思うと、このチェーザレにはそんな胸中を話してみても面白いのではないか。マドラの中で、ひとつの小さな“思考の冒険„が始まる瞬間だった。
「僕は昔、大切な人に”正直に生きなさい„って言われたんだ。でも、そうした結果――人を傷つけてしまったみたいなんだ。」
一度、言葉を飲み込むように息をつく。
「正直に生きるって、どういう意味なんだろう。正直に生きたことで、どんな結末が待っていても、それを貫いたことに満足して、その事実を受け入れろ。
……そういうことなんじゃないかな。」
マドラの目は、図書館の壁を向いていた。チェーザレの姿など、視界に入っていない。
「これは、僕が都合よく考えているだけかもしれない。でも、そういうことだとして、全てを自然の摂理として受け入れて進む、そう決めたよ。」
そう言い切り、チェーザレを見ると、
「………そう、だよな。」
その目は、虚ろとも鋭いとも言える、浮世離れした気を纏ったものになっていた。
「どう、したんだよ。」
マドラは恐る恐る聞いた。
「…正直に生きる。……おら、好きな人に、思い伝えてくるだよ!」
チェーザレは、胸のあたりで左の拳を握りしめている。どうやら、強く感化されたようだ。マドラの声も、自然と熱を帯びていく。
「あ、あぁ。そう…か。……僕も、友達とちゃんと話すよ!後悔のないように。」
――――――――――――
5日が過ぎた。ここ最近は、エールとは軽い挨拶しかできなかった。図書館の古文書コーナーにも、足は向かなかった。幸か不幸か、イヴァンの監視もなくなっている。いざいなくなってみると、寂しいものだ。
よく考えると、学長の意志で監視していたとしても、イヴァンの考えは読めない。もしかすると、父である学長の言いなりになっているだけ、という可能性もある。何にせよ、話してみないことにはわからない。
――明日こそ。
そう思うしかなかった。明日は、赤属性クラスとの勝ち抜き戦の日だ。
5幕
フッフ月7日の3限。攻撃実践の時間。
遂に、予告されていた赤属性クラスと白黒合同クラスの、全員参加の勝ち抜き戦が行われる。円形闘技場に集まった両クラスの面々は、会場をざわめきで満たしている。審判が両クラスの先鋒を呼び出す。公平を期すため、どちらのクラスの担任でもない。
出順は、ハル休み前の授業内でのクラス全員の話し合いによって決められていた。白黒合同クラスは、バネッサ・ライスが先鋒を務める。一方の赤クラスは、初めから全速力。首席候補筆頭のイヴァンが先鋒だ。
バネッサとイヴァンはゆっくりと闘技場の中央に歩み寄る。
観客席上段には、教員席が設けられている。
ニマ・ホロゥウェンは、いつもの黒衣を纏い、学生たちを見下ろしている。彼女の隣にはローフも座り、表情は硬い。下段では、控えの学生が座って試合を見守っていた。
マドラはエールとは離れて座っている。近くに座ろうとしたが、エールの方が自然に距離を取った。
バネッサ・ライス。ゴドフリーが退学した今、彼女はマドラにとって唯一の白属性の仲間だった。なかなか掴み所がなく、距離は縮まないが。
「ゴドフリーくん、いなくなっちゃったね~。なんか寂しいよね~。彼、よく見ると顔とか女の子みたいで可愛いし、結構好きだったんだよね~。」
いつもこんな調子だ。
だが、彼女の呪文は観察する価値がある。そう思い、マドラは目を細めた。
――試合開始。
バネッサは、
「カルミィ!」
と唱え、光の鏡を作った。イヴァンは火球を生み出し、すぐに放った。
まずは威力偵察だ。
火球は鏡にぶつかるや否や、反射して倍の速さで戻ってきた。
イヴァンは即座に新たな火球を放ち、衝突させて相殺する。
(やっぱり、遠距離攻撃は打ち返すか。でも、近距離なら?)
イヴァンが一歩、前に出た。
その足音と同時に、炎が空を裂いた。
「ハトゥガ・カヴェム・ジル・ヘンライ!」
炎の獅子が咆哮とともに現れ、バネッサに急接近する。イヴァンのお家芸に、学生たちは声をあげる。
この獅子は、ヒトガタを召喚する呪文を応用して生まれ、イヴァンの霊魂の一部を借りることで存在している幻影だ。
「カルミィ・ショーシャ・クース!」
バネッサの鏡から光線が放たれる。だが、その光線の前に、炎の獅子が咆哮を上げて飛び出した。鋭い爪が鏡面をひっかき、まばゆい閃光とともに結界を砕く。
イヴァンは獅子の動きに合わせ、間を置かず杖を振り抜いた。
炎をまとった一撃が鏡の残骸を薙ぎ払い、反撃の隙を与えぬままバネッサを退ける。
手数の多さと圧に、彼女は完全に対応しきれなかった。
火と光が交錯し、砂煙が晴れるころには――
バネッサは既に杖を下ろしていた。
勝負あり。イヴァンの勝利となった。
「赤クラス、最初からイヴァン様とか、ちょっと狡くない~?」
バネッサが呟いた。
「あんた、イヴァン様の顔に気を取られてたんじゃないの?」
メアリが声をかけた。
少しむっとしたバネッサは
「そういうのは、試合のときは切り替えてるよ。」
と目を合わせず答えた。
続く2番手は、サリア・コリス。毒を使った戦術で善戦しかけたものの、イヴァンの大技の前では風塵に同じだった。
3番手。遂にマドラの出番となった。ちなみに、エールは最後の大将だ。
夕暮れの光が、円形闘技場の砂を赤く染めている。その中央で、イヴァンとマドラが無言で向き合った。審判が両者の間に立ち、厳粛に結界呪文を詠唱する。
――試合開始だ。
イヴァンは杖の両端に火を灯した。一方のマドラは冷静な表情を崩さず、杖を構えてその出方を伺う。この試合を終えたら――エールと、そしてイヴァンとも、もう一度話せるはずだ。そう信じて、杖を力強く握りしめた。
「あの人、イヴァンと一緒によくいるよね。」
「でも霊力がどんなもんかはよくわかんないよな。」
赤クラスの反応はこのようであった。
「ね、あの子の実力ってどんなもんなの、バネッサ?」
サリアが前傾姿勢になって、バネッサに聞いた。
「私よりは絶対強いよ。でも、相手が相手だからなぁ~」
その横で、男子生徒たちもなんだかんだと話してはいるが、エールはどちらに加わるでもなく、両の目で、しかと二人の霊魂を感じていた。
ローフは、表情一つ変えずに見守っている。ある種の諦観を含んだ目ではあるが、ある意味では愛弟子への信頼の裏返しと言い換えることもできる。左隣のニマは、伝令に呼び出され、離席した。伝令の妙な急ぎ足から、今までにない緊張感を、ローフは感じ取った。
イヴァンの視界に映るマドラは、いつもよりわずかに鋭い目つきをしていた。
あれほど長く監視していたというのに、彼の本気の戦闘を見るのは、これが初めてだ。おまけに、最近は故あって監視も緩めていたため、尚更何を仕込んでくるかわからない。
――先に動いたのは、イヴァンだった。
左手の杖に炎を宿して掲げ、マドラの方へ駆け出した。
「カヴェム・ハッシャ・フェール・ランス!!」
と、殴り掛かると同時に唱え、炎の柱を無数に発生させた。炎は地を裂き、砂塵が空を覆う。炎の柱が次々と立ち上がり、轟音を上げて空を焦がす。
砂塵が舞い、視界を奪うほどの熱風が吹き荒れた。一度生まれた柱は、何度も湧き上がっては消え、同じ場所から再び立ち上がる。
杖の先が、マドラの頭上に迫る。
しかし、
「ヘークェ・ボータ!」
とマドラが唱えると、杖の先から白い小さな光が無数に生まれ、イヴァンの視界を一瞬で奪う。その隙に逃げるつもりか。そう読んだ。
(その方向には、火柱が伏せている……!)
そこへ向かって走るマドラの姿を見て、イヴァンは口角をわずかに上げた。
勝負あり。こんなにあっけなく勝ってしまうとは、味気ない。
そう思った次の瞬間、頭上に大きな衝撃が走り、全身を痺れが襲った。
(なんだ? 何をされた?)
視線を上げると、無傷のマドラが立っていた。
熱風の中で、まるで何事もなかったように杖を掲げている。その目は、鋭いどころか、超然とした、どこか野性的な開き方をしている。
(まさか……火柱の位置を、正確に覚えていたのか?)
僅かに位置を見誤った自分とは対照的に、マドラはあの激しい動きの中で、全てを微細に記憶していた。
――常軌を逸している。
いよいよ本気を出さざるを得ないと判断したイヴァンは、炎の獅子を召喚し、横に並んだ。イヴァンが采配のように杖を振ると、獅子は真っすぐマドラに襲い掛かった。
さすがに不規則な動きなこともあり、マドラは壁面に追い込まれていた。
「…マドラっ!」
観客席のエールが、思わず立ち上がり、その声を裏返らせた。
しかし――
「ラヴィクル・ハッシャ・メ……!」
額に汗を滲ませながら、マドラが詠唱する。その瞬間、轟音が闘技場を揺らした。
地面が裂け、そこから白い光が噴き上がった。雷の柱が、獅子の脚元を貫いた。炎の獅子の脚元を貫き、熱を帯びた霊魂を一瞬で麻痺させた。
これまでの攻撃は全て上方から。イヴァンの注意がそちらに向いた、一瞬の隙――
それを逆手に取った、見事な一撃だった。
イヴァンの意識が、わずかに逸れる。獅子は主の集中が切れた瞬間、存在を保てなくなる。動きを止め、音もなく崩れ落ちた。
(……あいつ、俺の呪文をいつの間にパクって――)
そう思う間もなく、マドラが目の前に迫っていた。彼はすでに杖を構え、イヴァンと刃を交えるように、交差させていた。
(今度はシルフ・ミ・ビンか??)
俊敏化呪文だ。おそらく、杖の両端に雷を宿しているのだろう。
(そうか。こいつは座学が唯一にして、最大の武器。目に映った全てを一瞬にして記憶に刻み込む。知識を喰らい尽くす、《叡智の犬》だ。)
――睨み合う緋色の若獅子と、叡智の犬。
そこに、汗ばんだニマの声が轟いた。
「試合中止ー!!」
駆けながら闘技場の真ん中に入ってきた彼女の水色の髪を上に束ねたヘアスタイルは、大きく乱れていた。
「今から呼ぶ学生は、私と一緒に、馬に乗ってゾーノハンナに向かってください!」
学生たちのざわめきがこだまする。
「エールさん、マドラ君、イヴァン・アウルスト君。ローフ先生もお願いします!」
マドラとイヴァンは、腑に落ちない様子で杖の構えを解いた。互いに、何かを含んだように目を合わせた。
6幕(終)
5人が出発した後、残された学生たちの私語が闘技場に氾濫していた。
「何があったんだろう?」
「イヴァンが呼ばれたんだし、なんか事件じゃね?」
メアリも動揺を隠せないうちの一人だった。
「なんであたしは呼ばれなかったんだろう。」
観客席で、ため息のように空に向かって言った。
「ま、ここは成績上位者に任せるのが得策じゃない~?」
バネッサは気楽に答えた。
「ま、多分魔獣かなんかが町を襲ったんでしょ。海の魔獣ってデカいって聞くし、港町だとよくあることなんでしょ。」
サリアも言う。
「……じゃあ、あたしも、行くっ!!」
メアリは異常な速さで駆け出した。彼女の並外れた身体能力からくるものなのか、将又焦燥感がそうさせたのか。
「ちょっとメアリ!?」
バネッサとサリアは目を合わせた。真剣な面持ちで頷き、あとを追うべく走り出した。
――――――――――――
マドラ、エール、イヴァン、ローフ、ニマの5人は厩に向かって走っていた。
「ホロゥウェン先生。ゾーノハンナで何かあったんですか?」
イヴァンが聞いた。
「厩に着いたら教えます。」
5人は厩に着くと、貸出制の馬に乗った。そして、ニマが小さな声で告げた。
「ゾーノハンナに、巨大な動く人形が出現しました。」
「え?」
4人は大きく息を吞んだ。特にローフは、故郷ということもあり、気が気でない様子だ。
「それは、魔獣、ですか?さすがに魔獣、ですよね」
マドラが恐る恐る聞いた。
「恐らく。恐らく。ただ、中には腕が武器になっているものもいるようです。」
「ものもいる、ってことは、複数体いるんですか?!」
イヴァンは慣れた手つきで馬を操りながら聞いた。
「えぇ、実に、100体弱。」
その数字には、誰も声をあげて驚けなかった。
ニマが続ける。
「しかも、その胴体に、三つの楕円が並んだ紋様が描かれていたそうです。つまり――」
「敵は、バロ教、カリブルヌス帝国……!」
マドラの胸に、小ゴール島での日々と強い敵愾心が込み上げてきた。
――――――――――――
遡ること、数ベル前。
学院の応接室に、主だった教員たちが呼ばれていた。蔦の紋様が刻まれた荘厳な机に腰掛ける学長と理事長を中心に、教員たちが円環状に立っている。
「ゾーノハンナに、帝国が巨大な兵器を伴って襲来した。教員各位は、ゾーノハンナに防衛に向かってほしい。」
学長の野太い声が部屋中に響き渡る。
その響きは、石の壁まで震わせるようだった。教員たちは、少し間をおいて、
「…はい!」
と応えた。
「学生たちは動員しますか?」
と、とある教員が聞いた。
「今から私が読み上げる、現状の成績が優秀な学生に限り、動員する。
イヴァン・アウルスト
マルク・マク・マルク
チェーザレ・セデュツ
エール・ペンドラゴン
そして、マドラ・イモルグ。」
「…マドラ・イモルグ?!」
理事長が声を裏返らせて繰り返した。
他の教員たちも、帝国からきたマドラを参加させるのは危険だと思ったのか、周囲で顔を見合わせた。
「異邦人を2人も?!」
「しかも、王家の分家もいる?」
「聞き間違いじゃないですか?」
そこに、
「…これは、私が、提案したこと、だ。」
ゆっくりと低く響く声が、教員たちの頭を重く揺るがした。
「ドルイド長!!」
全教員が膝をついた。
ドルイド長アラム・ベルテーンは、渦巻き模様が至る所に描かれた黄色いローブを纏い、髭のない弛んだ頬をしている。しわがれた左手を、緑属性の秘書の女性が握っている。立ち昇る霊力の圧が、室内の空気をゆがませている。
まるで空間そのものが、古の儀式の場へと変わっていくようだった。
「――マドラ・イモルグの忠誠心を、この戦を通して、試す。」
アラムの低い声が、石壁を伝って反響した。
「もし隙を見て、裏切るようであれば……そのときは、手段は選ばぬ。」
教員たちは息を呑んだ。
その声には、老いではなく、確かな意志の炎が宿っていた。
「各地の領主には、既にドルイドを通じて、援軍を要請してある。……準備が整い次第、私も、出陣しよう。」
その宣言は、まるで神託のように静かに響いた。
ドルイド長の言葉を前には、いかなドルイドでも反論はしない。教員たちは、
「はっ!!」
と力強く応答した。
――――――――――――
ゾーノハンナの湾には、夕陽によって赤茶色に照らされた複数の巨大な銅の人形が並んでいた。既に町の一部の建造物は、人形によって破壊されていた。異様な光景に、町民たちは逃げようにもどこに逃げるかわからず、右往左往している。
中心にいる色の違う人形の頭に、剣を構えた青髪の男が悠然と座っている。
「――さて。」
男は、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「
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