無名暗殺者、守護者になる

カフェラテ

第1部 サーリア村編

第1章 暗殺者の夜明け

第1話 狂気の夜

俺の名前は、030(マルサンマル)。訓練は、俺たちがまだ自分の足で歩くことしかできなかった頃から、始まった。ここに集まった人間たちは親に捨てられたり、魔獣の襲撃に生き残った子供だったりする。俺も、師匠の話では森の捨てられた子供だったようだ。

俺たちの日課は、まずは基礎体力作りだ。暗殺者として、強靭な肉体は必須だった。毎日、日が昇る前から、師匠の指示で森の中を走り回る。

ただ走るだけじゃない。

足には重りがつけられ、手には石が握らされていた。

「これは、お前たちの命だ。これ以上、重さを感じてどうする?生き残るには、この重さを感じさせないように、闘気を全身に巡らせるんだ!」

師匠の怒鳴り声が、俺たちの背中を叩きつけた。


そして、最も過酷だったのは、「鬼ごっこ」だ。森の中に放り出され、師匠や同期たちから逃げ切る。逃げ切れなければ、その日の食事は抜き。鬼であれば、捕まえなければその日の食事は抜き。

生きるために、必死で走った。闘気を足に集中させ、木々を飛び回り、まるで風のように駆け抜ける。そして、気配を消す。


「気配を消せなければ、獲物に気づかれるぞ!」


師匠の言葉が、俺たちの心を蝕んでいく。

生き残るために、俺たちは鬼のように、また小さな動物のように、気配を消して、森の中を走り回った。


毒に対する耐性をつける訓練も、地獄だった。師匠は、俺たちに毒草を食べさせた。


「毒にやられたら、それで終わりだ。だから、体で毒を覚えるんだ」


身体は毒に侵され、激しい痛みに襲われる。吐き気、眩暈、そして全身の痺れ。それでも、声を上げることは許されなかった。声を上げれば、さらに過酷な訓練が待っていた。

俺たちは、痛みと苦しみを、闘気で押し殺すことを覚えた。そして、身体が毒に慣れるまで、ひたすら耐え続けた。訓練は、俺たちを人から道具に変えていくための、儀式だった。




「お前たち任務だ。村を殲滅する」


師匠の冷たい声が、俺の耳に届く。感情のない、機械的な命令。背後には同じ番号(ネーム)を与えられた同期たちが、下品な笑いを浮かべ、剣を抜いている。彼らの顔には、獲物を見つけた獣のような、忌まわしい狂気が張り付いていた。こいつらは、俺には理解できない表情をしている。

彼らは俺と同じ、暗殺者集団の戦闘兵器。俺たちの集団は、どこかの貴族によって何かの目的を持って養われているらしい。しかし、俺たちにはその貴族に会ったことも見たこともないのだが、その貴族がいなければ、俺たちは全員死んでいたと思うと、俺たちの中にあがなえない恩を感じざるをえないのだ。


他の奴らと一緒に俺も、同じように闘気を全身に巡らせた。体内を巡っている闘気が、黒い靄となって俺を包む。足元から湧き上がるような、しかし、どこかひどく冷たい力。この力を使うことが、俺たちの存在意義だった。そう、暗殺者集団の戦闘兵器として、俺は生まれてきた。


(俺は、ただの道具だ。)


与えられた任務を遂行する。村を殲滅しようが、魔獣の群を駆逐しようが、近くの街に潜入しようが。任務遂行。それだけが、俺の存在理由。


今、俺たちの目の前に広がる村は、平和そのものだった。畑で野菜を収穫する若夫婦、無邪気に走り回る子供たち。すべてが、俺たちの標的だ。


剣を構え、最初の一歩を踏み出した。闘気が視界を研ぎ澄ませ、すべてがスローモーションに見える。俺たちは森の中から一気に村を襲撃した。

若夫婦の驚いた顔、子供の頬の汚れ。すべてを『鑑定』し、弱点を割り出す。これは俺だけができる闘気の応用技だ。どうやら俺だけが闘気を自由に体の部位に集中できる。闘気を目に集中させて分析すれば、相手の身体の構造、筋肉の流れ、骨の強度、そして、闘気の巡りまでが分かる。すべてを、一瞬で頭の中に叩き込む。この能力のおかげで、俺は常に任務を完璧に遂行できた。だからこそ、俺は「030」として、この暗殺者集団の中で最も優秀な兵器と見なされている。


村の中では、無慈悲に剣が振るわれる。一瞬で、若者たち、老人たちが倒れていく。子供たちの悲鳴が、耳を劈(つんざ)いた。その声に、俺の心臓が鉛のように重くなる。過去の任務では、何も感じなかった。しかし、任務をこなし続け、泣き叫ぶ人たちの声を聴き続けていくと、だんだんと俺の中の、感情が動き始める。道具には許されない行為だ。それなのに、目の前の光景は、俺の心に重くのしかかる。


「ハハハ!見ろよ、043。030が動かねぇぜ?」

「どうした?!もう疲れたのか?!」


同期の043と045が、赤く染まった剣を掲げて笑う。その顔には、狂気が張り付いている。俺も、昔はあんな顔をしていたのだろうか。それでも、今、この虐殺を前にして、俺の胸に込み上げてくるものがあった。


(なんで、俺はこんなことをしているんだ?)


吐き気がする。それは、目の前の光景に対する嫌悪か、それとも、こんなことをしている自分自身への嫌悪か。同期たちが、さらに奥の家へと向かっていく。悲鳴が、絶望に変わっていく。俺の剣が、まるで意思を持ったかのように、重く、動かなくなった。


(やめろ・・・やめてくれ・・・!)


声にならない叫びが、内心で響く。目の前にいる、無抵抗な村人たち。彼らが、俺の過去の任務と同じだというのに、今回は違う。なぜだかわからない。ただ、これ以上、この狂気に身を委ねたくない。このままでは、俺は本当に、ただの人間を殺すだけの化け物になってしまう。

俺は、剣を地面に突き刺した。


「030、何を遊んでいる?」


師匠の冷たい視線が背中に突き刺さる。


(遊んでるんじゃねえ、これ以上は……!)


俺はゆっくりと師匠に顔を向けた。

師匠の顔は、仮面のように無表情だ。だが、その仮面の下に、俺がよく知る闘気が隠されている。その時、背後から悲鳴が聞こえた。


「ひっ…いやあぁぁ!」


振り返ると、同期の042が、若い女の村人に剣を振りかざしている。女は恐怖に顔を歪ませ、地面にへたり込んでいた。042の顔には、狂気が貼り付いている。


(止めろ…!)


俺は、闘気を一気に足に集中させ、一歩で村人たちの間合いに飛び込んだ。


「なんだ、邪魔をするな!」


042が叫び、剣を振り下ろす。俺は、剣を抜く。闘気を目に集中させ、042の剣の動きを完璧に読み取る。剣の軌道、スピード、力の込め方。すべてが、スローモーションのように見えた。俺は、剣で042の剣を受け止めた。


キン!


金属がぶつかり合う、甲高い音。俺の右腕に、黒い闘気が渦巻く。

「なっ…!」042が驚愕の声を上げる。俺は、さらに闘気を集中させ、素早く剣を振り上げ、042の剣を叩き斬った。


「馬鹿な…俺の剣が…!」


042は、折れた剣を握りしめたまま、呆然と立ち尽くしている。俺は、折れた剣の先端を042の喉元に突きつける。


「止めろ…これ以上、人を殺すな」


俺の言葉に042はわなわなと体を震わせて、俺を睨みつけた。そして、後ろにいる女に静かに言った。「ここから逃げろ。偽善かもしれないが、俺ができるのはここまでだ」

女は震えながら俺の言葉を聞いて、森の中へと走って逃げていった。


俺はゆっくりと後ろにいる師匠に顔を向けた。師匠の顔は、仮面のように無表情だった。だが、その仮面の下に、俺がよく知る殺意が隠されている。それでも、俺は決めた。


(逃げなければ…ならない…か)


俺は、この狂気から、人間を殺すという罪悪感から、逃げたかった。たとえそれが偽善だとしても。たとえどんな代償を伴うとしても。俺は、もう一度、剣を握り直した。今度は、村人を守るためではなく、自分自身を守るために。そして、人として生きるために。その代償が、かつての仲間たちとの戦いだと、俺は悟った。


(俺は、もう、人には戻れないのかもしれない。)


絶望が、冷たい風のように心を吹き抜ける。それでも、俺は、この狂気から、逃げたかった。

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