第44話 二つのカメラ
翌朝、彼は、シオンと共に、伊勢へと向かう国道23号線沿いに立っていた。隣に彼女がいる、という事実が、まだどこか現実味を帯びない。シオンは、彼と同じように、小さなリュックを一つ背負っているだけだった。黒い服に、インナーカラーの紫が、朝の光の中で鮮やかに映える。
「で、どうすんの。本当に親指立てるわけ?」
「もちろん」
彼は、ダンボールに「伊勢」と書き、いつものように、それを掲げた。シオンは、面白そうに、しかし何も手伝おうとはせず、少し離れた場所からその様子を眺めている。
これまで一人でいる時は、何も感じなかった。だが、彼女に見られていると思うと、なぜか少しだけ気恥ずかしく、背中がむずがゆい。
一台、また一台と、車が通り過ぎていく。
「…全然、止まんないじゃん」
シオンが、呆れたように言った。
「まあ、こんなもんだよ」
「あんた一人なら、もっと早く捕まるんじゃないの。私みたいなのがいると、警戒される」
彼女は、自分の見た目を自覚していた。だが、その言葉に卑下はなかった。ただ、事実を述べているだけだ。
「関係ないよ」と彼は言った。「止まってくれる人は、止まってくれる」
その言葉通り、三十分ほど経った頃、一台のワゴン車が、彼らの前で停車した。中から、人の良さそうな家族連れが顔を覗かせる。
「伊勢まで行くけど、乗ってくかい? ちょっと狭いけど」
後部座席に乗り込むと、子供たちが、珍しそうにシオンのピアスや髪の色をじっと見つめている。シオンは、意に介した様子もなく、窓の外を眺めていた。
彼は、車を運転する父親や、助手席の母親と、いつものように旅の話をした。だが、会話をしながらも、彼の意識の半分は、隣に座るシオンの横顔に向けられていた。
彼女は、このありふれた家族の風景を、どう見ているのだろうか。彼女のダウナーな瞳には、今、何が映っているのだろうか。
彼は、自分が一台のカメラであると同時に、シオンという、もう一台のカメラの存在を、強く意識していた。同じ景色を見ていても、彼女のレンズは、きっと自分とは全く違うものを切り取っている。その違いが、彼をひどく興奮させた。
伊勢市内で車を降り、二人は外宮へと続く参道を歩き始めた。
「…なんか、疲れた」
シオンが、早くも音を上げた。
「他人の善意って、意外と体力使うね。ずっと、いい子にしてなきゃいけない気がして」
その言葉に、彼は思わず笑ってしまった。彼が旅の中で、当たり前のこととして受け入れてきた感覚。それを、彼女は、いとも簡単に言語化してしまう。
「これから、ずっとこれ?」とシオンが尋ねた。
「そうだよ」
「…まあ、いいや。それも、悪くないかも。世界の、綺麗事の部分を見てやるのも、一興か」
シオンは、そう言って、ひとつ大きく伸びをした。
二人の旅は、始まったばかりだ。思考も、価値観も、驚くほど噛み合う。だが、世界に対するスタンスは、正反対。
ポジティブフィルムと、ネガティブフィルム。
二つのカメラが、これからどんな風景を写し撮っていくのか。彼の物語は、予測不可能な、新たな化学反応を、その内に孕んでいた。
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