第14話 土地の味と、託された言葉
秋田の街は、夕暮れの茜色から夜の深い藍色へとゆっくりと姿を変えていた。ネオンが灯り始め、仕事帰りの人々が足早に行き交う。彼はユウキと別れた交差点にしばらく立ち尽くしていたが、やがて空腹を思い出し、駅前の方へと歩き出した。
ポケットの中の千円札が、不思議な温もりを持っている。ユウキが「投資」だと言ってくれたこの一枚。これをただ安い宿代の足しにするのは違う気がした。
――今夜は、この土地の味をちゃんと味わおう。
彼はスマホで郷土料理の店を探し、雑居ビルの二階にひっそりと灯りをともす、カウンターだけの小さな店を見つけた。引き戸を開けると、「いらっしゃい」という少し訛りのある優しい声に迎えられる。
カウンターの向こうには、人の良さそうな大将と、かいがいしく動く女将さんがいた。彼は隅の席に座り、壁に貼られた品書きの中から「きりたんぽ鍋定食」を注文した。
「兄ちゃん、旅行が? 荷物、おっきいな」
女将さんがお茶を出しながら、人懐こく話しかけてくる。
「はい。北海道からヒッチハイクで」
「あらまあ! んだば、腹も減ったべ」
大将が驚いたように顔を上げ、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
やがて、土鍋がぐつぐつと音を立てて運ばれてきた。比内地鶏の出汁が香ばしく立ち上り、中にはきりたんぽ、セリ、舞茸、ゴボウが彩りよく並んでいる。
彼はまず、出汁を一口すすった。じわりと体に染み渡るような、深く優しい味。北海道で食べた海鮮丼とも、リンゴジュースとも違う、大地の滋味がした。
きりたんぽを頬張る。もちもちとした食感の米の塊に、鶏の旨味が凝縮された出汁が絡み、噛むほどに甘みが広がる。夢中で箸を進める彼の姿を、大将と女将さんは満足そうに眺めていた。
「口に合うたが?」
「すごく、美味しいです。なんだか、力が湧いてくるような味がします」
その言葉に、大将は嬉しそうに頷いた。
「きりたんぽは、もともと山で働くマタギたちが食ったもんだ。冷えた体を温めて、明日も山に入るための力だす」
――明日への力。
それは、今の自分に最も必要なものだった。
会計を済ませ、店を出る。ユウキの千円札は、温かいきりたんぽ鍋と、大将の言葉に変わった。
「へばな(じゃあね)、気ぃつけてな」という女将さんの声を背に、彼は今夜の宿を探した。駅近くの安価なビジネスホテルにチェックインし、狭い部屋のベッドにリュックを放り出す。
シャワーを浴びてから、彼はノートパソコンを開いた。
画面に、新しいファイルを作る。
これまでは、出会った人や見た景色を、そのまま言葉にしようとしていた。だが、今は違う。
ユウキが言った「計画的な旅」。リンゴ農家の女性がくれた「旅のお守り」。きりたんぽ鍋の大将が語った「明日への力」。
それらの言葉や思いが、自分の中で混ざり合い、新しい意味を帯びてくる。旅は、ただ景色を拾うだけではない。人から人へと託される見えないバトンを受け取り、それを自分の言葉という形に変えて、また次の誰かへと繋いでいく営みなのかもしれない。
彼はキーボードに指を置いた。
「旅のスタイルに、正解はない――」
打ち込む音は、以前よりも強く、確かだった。ユウキの千円札が、秋田の夜が、彼に新しい物語のページをめくらせていた。
窓の外では、街の灯りが静かにまたたいている。その光のひとつひとつに、それぞれの物語があることを、彼はもう知っていた。
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