第7話

「モテるとかモテないとか、お前に言われたくない」


 顔立ちもよく身長も高く、さりげなく細かいことにまで目が行く深井浩二は中々いい物件である。と、少なくともクラスメイトの女子達からは評価されている。


 何よりポイントが高いのは、細かい部分にまで気づいても、いちいちそれを口に出しておおっぴらに指摘しない点らしい。イコールで、キヨイの評価が彼よりも低いのは、同じように細かい部分に気づくまではいいものの、つい口に出してしまうところだ。


 外面がいい自覚はあった。昔から、一目惚れです、と告白されることはよくあった。


 小学校と中学校の頃は大抵学年の違う相手から告白されて、高校に行きはじめてからはそこに他校の生徒が混ざるようになった。


 どちらにしても、中島キヨイの内面をよく知らないままにのぼせ上がって告げられる愛の告白であり、ちゃんとお付き合いをはじめたところで、すぐに理想と現実のギャップに耐え切れなくなって別れてしまう予感があった。


 人間とは、そういうものだ、とキヨイは冷めた部分で思っている。


「でも、親友だったら一番優先しちゃいけないって言うんならキヨイ、お前、俺の恋人にでもなってみるか?」


「――、は?」


 一瞬言葉を聞き逃した、本気でそう思った。


 考え事をしていたのは確かで、意識がそれている間に浩二が何かを言ったのだと咄嗟に思ったのだ。


「悪い。……もう一度、言ってくれない?」


 俺はどうやら大事な前振りを聞きそびれてしまったみたいだ、と思う一方で、聞いてさっきと一語一句変わらない言葉が返ってきたらどうしようと、幾分冷静な部分が戸惑ってもいた。


 親友の眼差しに、自分と似たような困惑を見つけてしまって、キヨイは目を瞬く。


 そのうちに深井は目をそらして、どこを見るでもなく、そわそわと視線を揺らしながら口を開いた。


「……運命の相手って言葉は、お前に使うのは間違ってるような気がする」と、深井が言う。


 それはそうだ。キヨイも頷いた。


 この先なにがあっても、互いに手を振り解くことだけはない相手を知っている。親友と幼馴染のカップルが別れてしまうならきっと、この世界に本当の愛は存在しないのだ。


「で、俺はお前のことを親友だって思ってるけど。お前のことを一番に優先させるっていうか、困ってるお前と困ってるほかの人間、どっちを助けるかって言われたら、やっぱりお前のほうを助けると思うんだ。設楽が困ってても後回しにするだろうし、前の彼女の時も、」


 途中でぶつりと、深井の声が途切れる。


 言いよどんだのではなくて、彼女とのやり取りを思い出しているのだろう。それたままの横顔を、キヨイは見つめた。




 ――中島君って深井君の、親友、なんだよね?




 きっと深井は知らない。


 以前に深井の彼女と交わした言葉を、キヨイは脳裏で反芻する。


 親友という言葉を、まるで命綱のように握り締めて問いかけてきた彼女は、暗に、恋人という立場は親友よりもとても重たくて尊いもののはずだから、と言いたいようだった。


 私は貴方よりも深井君にとって大切な存在なんだよね? と質問されているようなもので、キヨイが頷いたのは、自分もそう思っていたからではなく、彼女が肯定してほしそうな潤んだ目で、今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。


 浩二がなにを一番大事にしているかなんて、知るわけもない。


 なのに親友の恋人である彼女を慰めるためだけに、キヨイは頷いていた。不誠実に。


 その時のことを思い出すキヨイの側で、深井は言葉を続ける。


「キヨイが親友だから一番優先しちゃいけないっていうんなら、お前が俺の恋人になれば一番いいじゃないかと思う」


「それはなんていうか、――理屈か?」


 電車に乗るためには切符を買わなければいけません。そんな、ならば命題のような問題の解き方で恋人にならないかといわれても、困る。


 一番優先されるべきは恋人である、確かに言い出したのはキヨイのほうだったけれど、だったら親友の看板の上に恋人になりましたと張り紙を貼っておけ、と指示されて、はい。分かりました、と頷くのはちょっと違うと思った。


 冷やし中華はじめましたみたいなノリで、恋人をはじめてしまっていいわけがない。


 脈絡といえばいいのか、気持ちの問題か、他愛なく済ませられる事務的な処理でないのは確かだ。


 親友の看板に満足しているから? 自問して、キヨイは首を横に振る。いや、そういう道筋のはっきりとした分かりやすい問題ではなくて。


「浩二。つまり、恋人って言うのはようするに、」


 言い出して、声が上擦っているのに気づいた。


 両手が空いているなら、悪ふざけ半分に浩二の胸元でも叩いて笑い飛ばしてやれただろうに。重たいノートで塞がれている両手の自由と一緒に、選ぼうと脳内でひっくり返した言葉達も途端に、数が減ってしまったような錯覚を陥っていた。


 冗談にオチをつけて締めくくれるだけの、軽々しい語彙を瞬時に選択できなかった。


 言葉を選ぶ時間が長引けば長引くほど火照っていく顔と同じで、だんだん深井を真っ直ぐに見られなくなっていく。


(続)

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