【二日目】
こと、と静かにドライバーを置く。
細心の注意を払いアンテナを伸ばし、ツマミを柔く回す。
『……しん…………ぉた、る……きィな……』
ゆっくりとツマミの位置を再調整する。と、ザーともシューともつかない砂嵐の音が止み、沈黙が訪れた。
ツマミの周りをそっとなぞる。身体は疲れ切っているのに頭が冴えているものだから、眠ろうにもそれができない。涼葉が何かを言っていたような記憶が微かにあるが。そんな曖昧な物言いになってしまうのは、これが大きな要因だろう。
ラジオの横に鎮座する物体に目を遣る。昨日帰ってから引っ張り出してしまった、このカメラが。しかし興奮状態が解けた今、もう一度触れる気など起きなかった。カメラを見ていると、蛍の輝きやら涼葉の煌きやらやり場のない虚しさやら汚らしい後悔やらが押し寄せて気持ちが悪くなり、机の隅に追いやった。無理矢理、視線をラジオに向ける。
古びた
やはり接触が悪いのか。
汚れがまだ残っているか。ラジオは東西の周波数の違いは関係ないよな?
ドライバーに手を伸ばした時、木々から溢れた夕日が目を刺してきた。一気に部屋に流れ込んだ光は、すべてのものを呑み込んで影にしてしまう。
涼葉の顔もそのうちの一つだった。
「おーい、薫。蛍見に行こら」
ひょこりと縁側に現れた涼葉は、その黒髪を煌かせながらそう言った。行き場を失った手に気がつき、次にドライバー、ラジオに目を向ける。
「あれ、そのラジオって私ん家のやんな?」
「うん。おばちゃんに頼まれた。でもあんま良くなんない。接触が悪い、たぶん」
「そら、曾祖父ちゃんのやったからなー。そろそろ買い替えたらいいのになー」
「それは勿体ないよ。まだやれる、こいつ」
「おおきんな。……こっちは直ったん?」
きっと、劣化したあれを指さしているのだろう。
「それは、直ってない」直すつもりもない。
固く口を閉ざした薫を見て察したのか、それ以上は何も言わなかった。
「じゃ、行こら」
影法師が長い。足元に伸びていた。今日は酷く暑い。葉がギシギシと嘲笑っている。熱風が纏わりつくように眺めまわす。陽炎がひそひそ話している。
……
うるさい。いいだろう、別に。
……
ちょっと黙ってくれないか。いつ迷惑を掛けたというのだ。
「……ぁーおーるってば!」
目の前に涼葉の顔がにゅっと現れ、飛び上がる。
「どうしたの、涼葉」
「なーにが『どうしたの』や。ブツブツ言って歩きよって。どうしたんや」
「なんか言ってた? 無意識だったな」
ああ、変なこと言ってないといいけど。
暫く黙々と歩いていたが、不意に涼葉が言い切った。
「私はなんでカメラを止めたんかは知らへんし聞かんけど、薫の写真はめっちゃ好きやからな。……お世辞やないで」
お世辞でも嬉しいと思ったが、それも見抜かれていたらしい。真っ直ぐな目に射抜かれ、笑みがこぼれた。
どことなくこそばゆくなって、駆け出す。
「あ、待てー!」
後ろから声が追いかける。涼葉も走っているに違いない。そう思うと笑いが込み上げてきた。
柔らかく微笑むお地蔵様の前で抜かされ、山に入るとその差はどんどん開いていった。蛍が涼葉の行先を示すようにふわりと漂っている。倒木を飛び越えあの場所に向かうと、涼葉は岩の上に大の字に寝転んでいた。
地面に座り、岩にもたれる。ひやりとした感触が頭を冷まし、這うようにやってきた川風が足を通り過ぎていく。
そのまま目を閉じると、瞼の裏に蛍の光が見えた。
「じゃあさ、これは仮定、だけど……カメラ、直せたら、
葉擦れを聞きながら、返事を待つ。一瞬にも一生にも感じるこの間に、何を思っているのだろうか。
やがて耳に触れたのは、いつもの澄みきったあの声だった。
「しゃーないな、可愛く撮ってな?」
綻びそうになる口元に力を入れるが心許なく、目元を腕で隠す。
ちょっとくらい夢を見たって罰は当たらないだろう。
頭上を舞う蛍は呆れているようにも喜んでいるようにも受け取れた。
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