第35話 決別の言葉

放課後の校舎は、窓の外に沈む光で朱色に満ちていた。

 俺は昇降口で、靴紐を結び直していた。指が少し震えているのに気づき、苦笑が漏れる。


 背後から名前を呼ばれた。

「……カイ」


 アヤメの声だった。

 振り返ったとき、彼女は深々と頭を下げていた。

 長い髪が肩に落ち、表情は見えなかったけれど、その姿勢に迷いはなかった。


「ごめんなさい。私はあなたを弱いって決めつけて……手を離した。

 もう、止めない。あなたの歩き方に口を出さない。

 ――それが、私にできる最後です」


 彼女の声は震えていたが、確かに届いていた。

 かつての恋人としての響きはなく、ただ一人の人間としての悔恨の色があった。


 胸の奥がざわめいた。

 “許す”とか“許さない”とか、そういう言葉で片付けられない感情が押し寄せる。

 裏切られた痛みは、消えてなどいない。

 それでも――。


「……ありがとう」


 俺の口から出たのは、それだけだった。


 アヤメが顔を上げる。

 その目に映った俺は、どんな姿だったのだろう。

 彼女は小さく頷き、歩き去っていった。

 その背中が角に消えるまで見送って、ようやく俺は呼吸を整えた。


 ◇


 足取りは軽くない。

 けれど、どこかで「区切り」がついたのを感じていた。

 彼女と俺の物語は、終わった。

 終わらせることができた。


 夕焼けの街を歩きながら、ふと隣を思い出す。

 ユリ。

 あの子は、俺の隣に立ち続けてくれた。ときに強引に、ときに過剰に。

 支えと呼ぶには重すぎるときもあった。

 でも――それでも、俺を見捨てなかった。


 その姿が頭を離れない。


 俺は臆病だ。

 「好き」なんて簡単に信じられない。裏切られた痛みは、まだ身体に残っている。

 それでも。

 ユリの真剣な目を思い出すと、心の奥に小さな灯がともるのを感じた。


 ◇


 校門を出ると、ユリが待っていた。

 制服のリボンを指で弄びながら、まっすぐに俺を見つめている。

 ああ、やっぱり逃げられないな、と思った。


「お帰りなさい、先輩」


 柔らかな声。

 でも、その奥には狂気じみた確信が潜んでいるのを俺は知っている。

 誰にも渡さない、という強い意志。


 だけど今は、その重さを受け止められる気がした。


「……一緒に帰ろう、ユリ」


 自分から口にした言葉に、ユリの目が大きく見開かれた。

 次の瞬間、彼女の唇が震えて笑みに変わる。


 彼女の歩幅に合わせて歩き出す。

 今度は“俺が選んだ”隣として。

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