【零章 刹那の追憶】第2考 だからきっと、此処に立ってる
どれくらい時間が経っただろう?
おおよそ、6時間ってとこだろうか。
ここ1、2時間はただひたすら、雪の中で
胸元まである雪を崩し、足場を作って一歩踏み出す。
しかし、しっかり固めたつもりでも、抜けて膝上まで沈んでしまう。
これを先ほどからずっと、気が遠くなるくらい繰り返している…。
……。
…クソがっ!!
いくらなんでも雪質が悪過ぎる!! ふざけんな!!!
……。
……。
…いや、違う。落ち着け。
焦るな、苛立つな。
大事なのは、踠かないことだ。
下手な動きは、明日の足に影響する。
優雅に水の中を歩いているとでも思えばいい…。
『己の全てを!! お前自身の全てをぶつけることの無い、そんな生に!!!』
『そんな生に、果たして価値などあるのか?』
汗がインナーに染みてしまったか…。
降雪と強い風も相まって、先ほどから震えが出て来た。
ビバークポイントまでは、あと20分も登れば着く筈。
着込むか、着替えるか、このまま動いて体を温めるか…。
此処まで、無限に思える傾斜を登り続けて来た。
やっとのことで登り切ったと思えば、目の前にはまた果ての見えない傾斜が待っている。
それを数えるのも馬鹿らしくなるほど、登り続ける。
ひよっこだった頃はよく地図や時計を見ては、ほとんど全くといって進んでないことに絶望したもんだ。
あの時の自分に会えたら、言ってやりたい。
大事なのは、この無限を受け入れることだ。
むしろ、ずっとこのままでいてくれと願うのがコツだ。
我ながら、この肉体のどこにそんな力があるのか、いつも不思議に思う。
『欠乏を知らずして…』
『欠乏を知らずして、豊かさを知ることなど、出来るのか?』
テントの中、アラームの音で目を覚ます。
それなりに寝れたみたいだ。
ただ、疲れが抜け切ることはない。
この後の行程を考えると、うんざりする…。
氷点下二桁を優に下回るテント内では、全てが凍り付いていて、シュラフから出る気にすらなれない。
それに昨日は、雪に手を突っ込み過ぎた。
指先の感覚が戻らない。
こうなると指が
クソったれ…。
…いや。
いや、待て待て…。
良かったことも、あるだろ…。
昨晩、テントの表面をかなりの雪が叩く音がしたが、やはり潰れはしなかった。
真夜中の雪かきをサボって、今回は正解だった。
自分をやり込むように無理やり気持ちを上げて、渋々、
ひとしきり朝の儀式を済ませ、用を足そうと、ヘッドライトを付けてまだ真っ暗な外に出る。
尻は雪で拭くようになって、久しい。
此処では
そんなことが一番の楽しみになるなんて、
『死を知らずして』
『生を知ることなど、出来るのか?』
随分、人を見ていない気がする。
言わずもがな、こんな所には自分以外誰もいない。
いや、人間どころか、生命さえも無いだろう。
こんな状況が続くと、自分の足跡すら人の気配を感じて、愛おしくなってしまう。
下を見てはいけない。
元々、高い所は得意な方では無い。
臆せば死ぬぞ。
見なきゃいけないのは向かうべき先と手元、そして、気にしなきゃいけないのは足場の感覚だ。
先ほどから死の。
あの女の気配がしている。
此処はきっと、生物の存在して良い場所ではない。
わざわざ生きて返す気などないことが、ありありと分かる。
そんな筈は無いのに、殺気すら感じてしまうほどに。
『苦しみを知らずして』
『苦しみを知らずして、喜びを知ることは、あるのか?』
死ぬ覚悟は、未だに出来ない。
出来ると言ったら自分の言葉が、これまでやって来たことが、全て嘘になる気がする。
いつも、もう君に会えないように思えてしまう。
下界と完全に隔絶されたこの領域では、イメージが湧かなくなるんだ。
夢のような時が、再び自分の手に入るイメージが。
目の前に果て無く広がる、白く輝く天空の世界に、こんな美しいことが現実なのかと、いつも驚かされる。
思わず、今、生きていることの喜びを叫び出してしまう。
この声はどうせ直ぐに雪に吸い込まれて消えてしまうけれど、そんなの全然構わない。
君に会いたい。
今直ぐにでも会いに行きたい。
自らの愛する者を。
夢のような今を。
最後の時に悔いの無いように愛し尽くし。
そして、心からの感謝をしたいと思う。
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