これは遺書ではありません。とある友人への愚痴なので開かないでください
翡翠エイト@Vtuber
これは遺書ではありません。とある友人への愚痴なので開かないでください(前編)
カーテンのすき間から、淡い光が静かに射している。
私にとってもう何度も見てきたはずの病室の景色……なのに、どうしてかな。
「なんか、いつもより綺麗……?」
白い天井、微かな電子音。
鼻をつく消毒液の匂いは、もうすっかり空気の一部になっている。
左手には点滴の針が刺さり、そこから透明な液体が一定のリズムで送り込まれている。
慣れてしまった僅かな痛みと、少しの違和感。
三ヶ月前、先生は言った。
――このまま状態が悪化すれば、持って三ヶ月かもしれません。
たったそれだけの言葉だった。
未来を断言されるような響きはなかったし、実際、私もどこか他人事のように聞いていた。
だけど、体は正直だった。
ごまかしながら、笑いながら、過ごしてきた三ヶ月。
そして、今。
なんとなく私は予感する。
もうすぐ終わるのだと。
そんな日の朝のこと。
「……ふぁぁーあぁ」
私――雪優希は呑気に欠伸をしている。
「先生から言われた余命まで3日かぁ、私の身長と同じく短い人生だこと」
――来世はきっと180センチの高身長モデルになってやるんだから。
そんなことを考えつつストレッチをしていると、ベッドサイドの棚にある、一冊の白いノートが横目に映った。
「あのノート、買ったはいいけど使わなかったなぁ」
所在なさげに棚の中で縮こまっているノートに手を伸ばす。
「……そうだ!」
それは、天啓と呼ぶには過剰な、ほんの些細な思い付きだった。
私はボールペンを手に取り、表紙に、乱雑な字でこう書いた。
『これは遺書ではありません。とある友人への愚痴なので開かないでください』
何もない人生だった。
だからせめて、何かをひとつでも書き残そう。
遺書というほどの覚悟も責任もない。
ただ、自分のことを整理したくて――あるいは、誰かに見つけてほしいような、ほしくないような。
ノートの表紙にそっと指を滑らせて、私は窓の外に目を向ける。
風に揺らされた葉が、枝の先でしがみつくように震えていた。
落ちそうで、まだ落ちない。
「あれが落ちた時に私も死ぬ的な……いや、ベタすぎるか」
そうボヤきつつも、落ちかけの葉を今の自分に重ねて見てしまった事実に、自嘲気味な笑みがこぼれる。
唐突に、枕元に置いていたスマホの通知ランプが点滅する。
私の幼馴染――春人からのメッセージだった。
「今日もプリント持ってくね。あと余ってるおやつある?」
相変わらず呑気な文面だけど、それが救いだ。
彼は、私がもうすぐこの世界から居なくなることを知らない。
私もまだ、完全には信じきれていない。
だけど、心だけは、少しずつ準備を始めていた。
この三日間で、人生という名の舞台を降りよう。
そんなふうに思っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日の午後。
私は左腕に点滴をつないだまま中庭のベンチに腰掛ける。
外は思ったよりも穏やかで、光がやわらかい。
風が頬をかすめる。
ベンチに重なる葉の影が、緩やかに揺れていた。
「よっ、ゆっけ」
声がして振り向くと、中庭の入り口から春人が現れた。
手にはプロ野球チームのロゴ入りのクリアファイル。
いつものように、きっちりとプリントがまとめられている。
春人は、小さい頃からずっと私のことを「ゆっけ」と呼ぶ。
どこから来たあだ名だったか、正直もう覚えていない。
たぶん、なんとなくだろう。
「……それ、いる? 私しばらく病院暮らしだけど」
ファイルから取り出されるプリントに怪訝な表情を向けると、春人は少し眉をひそめた。
「そりゃいるだろ。そのうち学校戻ってくるんだから」
ああ、そっか。
そういうつもりで来てるんだ。
その当たり前のような言い方に、ちょっとだけ胸が痛くなった。
「……ありがと」
私は小さく言って、プリントを受け取った。
ベンチの横に腰掛けた春人は、ふうっと一息ついている。
幸運なことに、この病院は私達の学校からさほど遠くない位置にある。
それでも、いつもわざわざプリントを持ってきてくれる春人には頭が上がらないが、感謝よりも申し訳なさが勝る。
そんな彼に何気なく言った。
「そういやさ、最近部活は顔出してるの?」
「たまーに。もう引退したけどな。受験に集中しなきゃだから」
「そっか、もうそんな時期か。えーっと……どこ目指してんだっけ?」
「白麗高校」
「あー、それだ! なんか名前だけ聞くとお嬢様学校っぽいやつ!」
「いや普通に進学校だから」
「模試の結果は?」
「……D判定」
瞬間、私は思わず吹き出した。
「なにそれ、D! Dって! だめじゃん!」
「うっせ。こっちは必死なんだよ」
「ごめんごめん、でもさ、変に夢追いかけるとこは昔から変わらないよね。馬鹿げた夢、よく言ってたじゃん! 『野球とサッカーどっちもプロになる』とか、『星の数だけフライドポテトを食う』とか!」
「それを言うなら、お前だって『180センチのモデルになる』とか言ってたじゃん!」
「え、それは本気なんですけど?」
「アホか」
「バカって言ったな」
「言ってない、アホって言った」
「変わらんわ!」
二人で、くだらない言い合いをして、また笑い合った。
こんなやり取りを何百回も繰り返してきた私達。
笑うたびに少しずつ、特別になっていく。
「……でもさ」
私はふと、声を落とす。
「勉強しなきゃでしょ。もうあんまり、お見舞いに来なくていいから。ちゃんと勉強しな?」
言いながら、どこか少し寂しくなった。
春人の隣にいれる機会は残り僅かだと、もう分かってしまっているから。
「……はぁ?」
春人が、思っていたよりも真顔でこちらを見ていた。
「来なくていいとか言うな。勉強もちゃんとする。……でも、見舞いには来るからな」
少しむくれたその顔が、なんだか嬉しかった。
でもその優しさが、今は何だかすごく胸に刺さるんだ。
「ねぇ、ハルト」
「ん?」
「私さ……今度、死ぬんだって」
春人の表情が一瞬、止まる。
風がそよぎ、枝の葉がかすかに鳴った。
しかし、春人はすぐに口を開いた。
「生きるよ」
短くて、まっすぐで、力強い言葉。
病気のことなんて何も知らないくせに。
でも私はよく知っている。
春人にとって夢は夢じゃない。
馬鹿げた話でも、いつだって本気でそうなるって信じているんだ。
今は、その純粋さがちょっと憎い。
「……もし、本当に死んだら?」
我ながら意地悪な質問だと思った。
春人は少しだけ目を伏せて、そして私を見た。
「ゆっけの分まで、生きるよ」
「……ありがとう」
口から出た言葉は、確かに本心だった。
しかし、言葉にできない何かが喉につっかえている。
うまく飲み込めなかった錠剤みたいな違和感が、喉の奥からじわじわと広がっていく。
「それで、俺のことを天国から見守っていてくれよ」
春人が、いつもの調子でそう言った。
私はもやもやを飲み込んで答える。
「えぇー! まぁ……しょうがないなぁ」
「そんで俺が夢を叶えるとこ、しっかり見ていてくれ」
「お、言うね〜!」
私はわざと大げさに頷いた。
「でも私の見守りはスパルタだよ〜? 春人! ちゃんと勉強してるのか!! サボってんじゃないわよ!!って」
「オカンか!!ていうかなんでサボる前提なんだよ」
「あと、春人の気になる女の子の悪口言うかも!」
「……は?」
「『あの子は危ないわよ〜胸デカい子は基本性格悪いわよ〜』って」
「デリカシーなさとウザさがオカン過ぎる」
そんなくだらないやり取りをして、私はまた笑った。
笑っている間だけ、怖さも、寂しさも、どこかに行ってくれた。
ふっと風が吹く。
それまで穏やかだった空気が、一気に冷たくなる。
「……寒くなったね」
「秋どころか、冬みたいだな」
春人が言った。
私も、うん、と頷く。
太陽が傾き、夕暮れの色が、じわじわと空を染めていく。
気づけば、時間はあっという間に過ぎていた。
「そろそろ帰るよ。じゃ、また明日」
「うん、また」
短く言葉を交わして、春人は立ち上がった。
「またねって、あと何回言えるのかな」
手を振る彼を、私はベンチに座ったまま見送った。
彼の背中を見送り、立ち上がろうとした瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
目の前の景色が、崩れるように傾く。
――次の瞬間、私は地面に倒れ込んでいた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
☆☆☆☆☆
タイトル
『これは遺書ではありません。とある友人への愚痴なので開かないでください』
春人へ。
自分の存在意義を探す旅路もどうやら終わりが近いようで、私の命はあと3日で尽きるそうです。
遺書なんて残す勇気は出ないけれど、小さい頃から仲良くしてくれて、いつも優しくしてくれた春人へ、最後に愚痴を遺そうと思います。
春人は昔から、色んな夢を語っていたね。
将来はヒーローになりたいとか、野球とサッカーどっちもプロになるとか、星の数ほどのフライドポテトを食べるとか。
私はそれを聞いて笑っていたし、最初は本当にバカだなぁって思ってた。
だけど春人と一緒に過ごす内に、全部本気で言っているんだって分かったよ。
真面目に夢を語って、まっすぐ頑張ることのできる春人のこと、主人公みたいにかっこいいと思うし、心から尊敬しています。
そんな春人に私から一つお願いがあります。
どうか、私のことを忘れてください。
私の分まで生きると言ってくれた時、嬉しかったけれど申し訳ないなって思ったの。
幽霊になって春人のことを見守るなんて言ったけど、私にそんな資格はないと思うしね。
夢を追って頑張って生きている春人は、
何も出来ない私にとっては、遠い憧れだったよ。
春人は、私のことやみんなのことを笑顔にする力がある。
でも私は、誰かのことを悲しませることしか出来ないからさ。
とある本の中ではね、主人公の側にいた誰かが死んで、そうしたら主人公がその後、呪われてるみたいに、
『死んだアイツに怒られる』
『死んだアイツが見守ってくれる』
『死んだアイツのお陰でここまで来れた』
なんて言う展開があったの。
私は、死後そんな風に思われるような立派な存在じゃないんだ。
役割がなくて、夢もなくて、誰かを悲しませて、ただ死ぬだけの人生だったもの。
あなたが夢を叶えるのは、あなたが精一杯頑張ったからで、
あなたが過ごす時間は、あなたの脚で歩んで行く道で、
あなたが生きる時間は、私が生きたはずの未来なんかではなくて、
あなたの人生に私は関係ないの。
だから、私のためには生きないでください。
あなたのためにこそ生きてください。
私のことは忘れてください。
この言葉もろとも忘れてください。
春人の人生を生きてください。
雪 優希
☆☆☆☆☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ベッド脇で、モニターの電子音が一定のリズムを刻む。
自分へ充てられた手紙の、最後の行を目でなぞる。
ノートのページには、不自然なシワがいくつかあり、それは水滴が落ちた跡だとすぐに気づいた。
「……ゆっけ、泣いてんじゃん」
このノートを書いた時の彼女の心境を、できる限り理解しようとしたが、俺自身の感情がそれを邪魔する。
言葉が見つからない。
『生きるよ』
『忘れてください』
『見守っていてくれ』
『資格なんてない』
二人で交わした言葉と彼女の言葉が、何度も頭の中でぶつかり合い、うるさいくらいに反響している。
「あれ……」
ノートの不自然なシワの一つ、水滴が乾いておらず、指先で触れると、重なっていた文字が微かに滲んだ。
「俺も……泣いてんじゃん……」
点滴スタンドの車輪が一度だけ、カランと小さく鳴った。
俯いていた顔を上げる。
白いシーツの上で、細いまつ毛がかすかに震えた。
ゆっくりと、雪が瞼を開く。
病室の光が、彼女の黒目にじんわりと差し込む。
「はる……と……?」
弱々しく名前を呼ぶ彼女と目が合った。
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