〔Side:Shino〕21. 待ち合わせ


 ウチは普段の生活圏とは別の駅で一人、改札を出て歩いていた。

 有名な交差点や犬の銅像があるこの駅は、いつ来てもとにかく人が多い。


 駅から大量の人波に流されないように必死になりながら、ジュリに指定された待ち合わせ先へと向かった。


 ここで、あってるよね……?


 何度も店名を見て、ジュリの送ってきてくれた画数の多い店舗名が同じことを確かめてから中に入った。


 落ち着いた大人な雰囲気と漂うコーヒーの香りが外の喧騒から遠ざける。

 ここが都内の繁華街であることすら忘れてしまうような感覚に陥る。


 大正時代をイメージした内装。

 ぴっしりした黒ベストのウェイターさんや、クラシックな白のカチューシャとエプロンを黒の七分袖のワンピースと合わせたウェイトレスさんたちが給仕をする喫茶店。


 店内にはお客さんもたくさん入っているようだったけれど、店内の雰囲気と同じようにみな落ち着きや気品が感じられる立ち居振る舞いをしていた。

 普段は学生たちが多くやってくる店で働いているウチとしては、同じようにコーヒーを主体としたお店なのに、その雰囲気の違いに圧倒される。


 待ち合わせをしていることを伝えると、カウンター席ではなくテーブル席に案内してくれた。

 ジュリを待つ間、何かを注文しようと本のように装丁のついたメニュー表を開く。

 ケーキセットの文字とその横の数字に、またしても圧倒された。

 これ、ウチのとこなら一番大きいのの3杯分。


 けれどそれにも理由があって、厳選されたアラビカ種の豆を使用し、扱いの難しいサイフォン式で抽出した味を追求したコーヒーと、評判のケーキがセットになったものだから。

 清潔で落ち着いた空間、コンセプトのしっかりとしたお店の雰囲気と、有資格の方がこだわりの豆で淹れた洗練さた味のコーヒーを嗜める場所。

 数十年も都内の高地価の駅にほど近い立地に店を構え続けているのだから、並みたいていのお店ではないということなのかもしれない。


 黒ベストの方が、サイフォンで抽出したそのままの状態でコーヒーを席まで運んできてくれた。

 そのコーヒーを海外ブランドのカップに目の前で注いでくれた。

 訪れた客一人一人にこうしたサービスを提供できることは、非常に贅沢な時間の使い方で、それこそがこのお店の良い雰囲気を損なわない秘訣なのかもしれない。


 ケーキとカトラリーを音もたてずに置かれ、「ごゆっくりお寛ぎください」といって一礼して下がっていくウェイトレスさんも、所作が洗練されていてすごいとしか言いようがない。

 コーヒーの味も普段自分で淹れるのとは比べ物にならないくらい風味豊かでおいしく感じる。

 アラビカ種特有の切れの良さや甘味も素晴らしい。

 フォークを手にして一口食べてみると、スポンジとクリームの絶妙な甘さがコーヒーとの相性の良さを実感する。



 こんなおしゃれな場所を待ち合わせに指定するなんて……


 やっぱりウチとジュリとじゃ何もかもが違い過ぎる……



 この間は自分の浅はかな嫉妬でジュリにあんなことをしてしまったけれど、そんなことしてしまうのはずるいことだった。


 これじゃ笹原さんのときと同じだよね……

 せっかくの休日にジュリの時間を奪ってしまうとは……

 ジュリならもっと素敵な人と、こういうお店や素敵なデートを楽しめるはずなのに……


 でも、笹原さんとはキスをしてないし、離れたくないと強く思うこともなかった。

 笹原さんに告白された時、本当は友達のままで居たかったけど、自分の居場所が無くなるのが怖くて断ることができなかった。

 あの頃のウチは付き合うことの意味もわかってなくて、最後まで笹原さんとは友達のままでいたのだと思う。

 だからその一線を越えられそうになって、ウチは逃げだしたのだ。

 あの日、もしも笹原さんとキスをしていたら、ウチは笹原さんのことを好きになれたのかな?

 そうは思えない自分がいることはわかっていた。


 でも、ジュリとはキスができた。

 最初は明らかに事故だったけれど、それでもまたしたいと思えた。

 自分の中で笹原さん時とは明らかに違う、そう思いたいと感じている。


「ねえねえ、そこの黒髪の綺麗なカ〜ノジョッ。今からお茶でもどう?」


 耳を疑った。

 その声はよく知る人の声なのに、何を言われたのか瞬間的にはわからなかった。

 お店の大人な雰囲気に思いっきりそぐわないおちゃらけた言葉。


 顔を上げると、そこにはジュリがテーブルに手をついてニコっとこちらを眺めていた。


 シルバーのネックレスを首から下げ、黒のノースリーブロングカーディガンと白シャツに黒のハイウエストワイドパンツ、足元も黒にシルバーな留め金のパンプスを合わせたモノトーンコーデ。

 メイクも目元にしっかりシャドウをひいていて、濃いめのリップとシェーディングでふっくらとした印象の唇に仕上げている。

 チークは暗めのブラウンと明るめの色で輪郭を出してスッキリとした小顔の印象。


 つまり、普段の仕事に行く時とは違って、同性にこそ良さのわかる綺麗めメイクをしてきてくれていた。


「ジュリ…………すみませんっ、ボーっとしてました。とにかくまずは座ってください」


 ジュリは向かいの席に腰を下ろしながらクスリと笑った。


「やっぱりシノンはスタイルいいよね。スカートも似合ってるし、普段から履けばいいのに。こんなに素敵な女の子をお待たせして、ごめんね?」


 普段男物のパンツやジーンズで過ごすウチには珍しく、今日はジュリのリクエストでスカートを履いてきていた。

 スカートなんて高校を卒業してからというものほとんど履く機会もなく、これも成人式で人の集まりがあるからとちょっと自分の中では冒険して買ったもの。

 履きなれていない分、こんなに心元なかったっけと思うほど落ち着かない。

 それなのにジュリは褒めるものだから、動揺で早口になってしまう。


「ううん、ぜんぜん。ほら、この通り。それより、ジュリも何か頼むよね?」


 1口だけ口にしたケーキとコーヒーがテーブルにあるのを手で示して、装丁付きのメニューをジュリに手渡す。


「じゃあ私はー……カフェラテセットにしようかな〜。ラテアートもしてくれるのよ、ここ」


「ラテアート……! こんなにクラシックなお店でラテアートまでしてくれるの!?」


「そうなの! シノンにもここのコーヒーとかラテアートとか色々紹介したくて。だからこのお店にしてみちゃった」


 ジュリはウチの興味に合わせてお店を選んでくれていた。

 以前もウチのバリスタになる目標を応援したいと言ってくれた。


「ジュリ、ありがとう」


 ウチなんかのために……


「ううん、私のわがままに付き合ってくれるシノンにだから、私がよく見られたいだけ。だから今日は、私にエスコートさせてね?」


 ジュリの買い物に付き合うだけと思ってきたのに、しかもこの間のウチがジュリの部屋で眠っていたのとか、勝手に友達を部屋に呼んだことの償いだったはずなのに、いつの間にかエスコートされることになっている。

 どうして?なぜ?という疑問が浮かぶも、それを尋ねるのもジュリの顔を見返すのも今はできそうにない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る