第三章 影と策謀

 瞬きする間に、男の視界は魔力の光に包まれた。足元から立ち上る淡い紋様が脈打つように明滅し、光が収束すると景色は闇に沈む石造りの空間へと変わった。冷たい空気が肌を刺し、耳の奥でかすかな残響がこだまする。壁の隙間からは淡い靄が漂い、吐息さえ白く滲む。


 その奥、黒寄りの深い紫色のコートを纏った人物が、石の椅子に静かに腰掛けていた。布地には複雑な装飾が縫い込まれ、低い光を鈍く反射している。フードの奥は影に覆われ、口元には感情の色がない。だが、その沈黙の奥には、人を試すような冷たい眼差しが潜んでいるように感じられた。


 男は胸に抱えていたコアを差し出そうとしたが、その手を引き、低く凄む声を落とす。

「どうなっている。列車が暴走するなど、聞いていない」


 人物は表情を動かさず、すっとコアを男の手から奪い取った。

「些細なことだ」

 冷ややかな声音が、空気の温度をさらに下げる。


「些細? 大勢の人を巻き込むことがか」

 人物は何も答えない。その沈黙が、否応なく圧力となって男の胸を押し潰す。


「お前の目的は……大規模魔力災害から世界を救うことだったはずだ。だから私は協力した。このままでは多くの人が死ぬ」

 男は声を抑えて言った。指先に力がこもり、関節が白くなる。


「世界は救える」

 人物は淡々と告げる。

「だが、この列車に犠牲が出てしまうのは……避けられないことだ」


 両手で包み込み、指先で表面をなぞる。

「……ん? この魔力は……」


 人物の指先がわずかに止まり、沈黙が落ちる。やがて低く吐き捨てるように告げた。

「……偽物か」


 硬質な音とともに、コアは無造作に握り潰され、砕けた結晶が床に散った。淡い光は霧のように揺れ、やがて消える。床に転がった破片からは、まだ温かい魔力の余韻が漂っていた。


「そんな……本物のはずだ」

 男の声には驚きが滲み、次の瞬間、何かを閃いたように短く息を呑む。

『……まさか、あの時の……』


 人物は視線を向け、冷たく告げた。

「本物を持ってこい。――魔力を最高に引き出している時でなければ、この結晶は真の力を現さない。その瞬間を逃せば、意味がない」


「計画は中止だ。これ以上は危険すぎる」

 怒気を抑えた声に、人物の口元がかすかに動く。

「中止などという選択肢はない」


 ゆっくりと距離を詰め、耳元に冷たい囁きが落ちる。

「……娘には、無事でいてほしいだろう?」


「……どういう意味だ」

「もう、お前は後戻りできない。協力をやめれば――娘は戻らない」


 男の表情が揺らぎ、指先がわずかに震える。胸の奥で何かが崩れ落ちる音がした。唇がかすかに開くが、声にはならない。

 人物は懐から、掌に収まる黒い結晶板を取り出した。表面に刻まれた魔法陣が淡く明滅し、周囲の闇を脈打つように照らす。

「これを使え。本物は壁の中に封じられている。物理では触れられない。これなら封印を一時的に解除できる」


 返答はなく、男はその結晶板を握り締めたまま転送陣に足を踏み入れる。光が一閃し、姿は闇に溶けた。


 ──列車後方、薄暗い通路を歩く男の足取りは重い。脳裏には娘の笑顔が浮かび、胸の奥を締め付ける。その笑顔が脅迫の鎖に変わっていることが、何よりも耐え難かった。

 その頃、離れた保管庫の奥で、古びた羅針盤が小さく震え、淡い光を灯す。針がゆっくりと回り、ある方向を指していた。


 男は足音を響かせ、闇の中へ消えていった。

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