(6)潔癖の話

 「ただね、ちょっとした問題があるのよね」

 「問題、ですか?」

 「そう、この子のね」


 そう言って、マキちゃんはトモヤの脇腹をレポートの束で小突く。

 それを鬱陶しそうに払いのけて、トモヤが口を開く。


 「問題って言いかたは、おかしいだろ?」

 「でも、それで人を雇えないんじゃないの!」

 「そうだけど、料理人としては当然のことだから」


 また、なんの話か分からなくなって、タクミはキョトンとする。


 (問題? ぶっきらぼうな態度?)

 (でも、店ではちゃんと挨拶もできていたよな……?)


 「ほら、また困っちゃってるじゃないの!」

 「いや、オレのせいかよ?」

 「問題って、なんですか?」

 「問題なんかじゃねぇ! とオレは思う」

 「なに言ってんのよ。問題でしょ」

 「え? え? 本当になんなんですか?」

 「それがね、この子、極度の潔癖なの」


 (え? 潔癖?)

 (目が隠れるくらいの前髪で、机に突っ伏して寝るトモヤが?)


 「ははっ。そうは思えないですけど?」


 前髪にいってしまったタクミの視線に、マキちゃんも気づく。


 「ああ! そうじゃなくてね。厨房限定の潔癖なのよ」

 「厨房限定……ですか?」

 「あなたも少しは、見たんじゃないかしら?」

 「え? 何をですか?」

 「店の変な支払いシステムとか……」

 「ああっ!」


 確かに、支払いに店員が関わらないシステムだった。

 ひとりだから、手が回らないだけかとタクミは思っていた。


 「セルフレジ的なものかと思ってました」

 「まぁ、人手不足は本当だから、そういう面もあるわね」


 トモヤが渋々といった感じで、口を開く。


 「おまえも見たことない? レジした手で調理に戻るスタッフ」

 「あ、ああ。なくはないかも」

 「オレは、ああいうのが許せねぇんだよ」

 「まぁ、衛生的には問題ありね」

 「そうですよね。だけど、ほとんどの人は気にしないのでは?」

 「そうだよ! だけど、オレは料理人としてだなぁ〜」


 なるほど、とタクミは思った。

 こういう風に考えるのなら、人を雇うのは難しい。

 だけど、タクミはこれが問題とは思えなかった。


 「マスクにエプロン、手袋も見たでしょ?」

 「ああ、はい」

 「厨房にも人を入れることはないわ」

 「それは徹底してますね」

 「そうなの! 困るでしょ〜?」

 「そうですか? ボクは、好感が持てますよ?」

 「え? あなたも潔癖なの?」

 「そこまでではないですが、人に出す料理なら気を遣います」

 「それで、あんなに実習中は……」

 「え? なんですか?」

 「ううん。気にしないで」


 トモヤのほうをチラリと見ると、少し胸を張っているように見える。

 「ふふん、どうだ」とでも言っているみたいに。

 前髪と黒マスクで、ホントのところは分からないんだけど。

 タクミには、そう思えた。


 「それで……、どうかしら? バイトの件は」

 「ボクは、やってみたいと思いますけど」

 「けど?」

 「彼がボクで良ければ、ですね」


 (なんで、ボクは試すようなことを言ってるんだ?)

 (今日のボクは、ずっとおかしいみたいだ)


 なんだか自分が、少し嫌なやつになってる気がする。

 タクミは、自分に対して変な嫌悪感を覚える。


 そんなタクミの気持ちなんて、ちっとも気づくはずもないトモヤ。


 「さっきから、オッケーだって言ってんじゃん」


 そう返して、やっぱりマキちゃんに一発くらいそうになる。


 「きてもらえると助かる。おまえがいいんだ」


 言い直したトモヤの言葉に深い意味なんてない。

 そんなことは分かっているのに、タクミの胸はトクンと鳴る。

 きっと求められることが嬉しいんだ。

 そう自分に言い聞かせるタクミ。


 そうして、タクミはトモヤと働くことになった。

 タクミの退屈で平凡な日常に、するりと入り込んだ非日常。


 「じゃあ、さっそく今日から頼むわ」


 また雑な感じにタクミに話しかけて、マキちゃんに叩かれるトモヤ。

 その光景を笑って見ながら、タクミはトモヤに向かって頷く。


 「今日から、よろしく。店長。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る