第4話 初めての成功体験

 翌日の昼前。リリアは約束通り、俺の店に顔を見せた。その手には、ギルドで受けてきたばかりのゴブリン討伐の依頼書が握られている。


「アレンさん…。行ってきます」


「ええ。くれぐれも、無理はしないように。危ないと思ったら、すぐに逃げるんですよ」


「はい!」


 俺はカウンターから最下級のポーションを一本取り出し、彼女の手に握らせた。


「これはサービスです。お守りだと思って」


「あ…ありがとうございます!頑張ります!」


 リリアは深々と頭を下げると、緊張と決意が入り混じった表情で店を駆け出していった。その小さな背中を見送りながら、俺はため息をつく。


(さて…俺にできることは、もう何もない)


 ただのNPCである俺は、彼女の無事を祈ることしかできない。急に、心臓が落ち着かなくなる。前世では感じたことのない、誰かを案じるという感覚に戸惑っていた。


「アレン!ぼーっと突っ立ってるんじゃないよ!品出しを手伝え!」


「は、はい、ただいま!」


 店主の怒声で我に返る。そうだ、俺は道具屋の店員なんだった。目の前の仕事に集中しよう。そう自分に言い聞かせても、頭の片隅では、ずっと彼女のことが気になっていた。





その頃、リリアは街の西にある草原にいた。


(アレンさんの言った通りなら、このお守りを使えば…)


 ゴクリと喉が鳴る。昨日アレンに磨いてもらった、ゴブリンの骨のお守りを強く握りしめた。すると、近くの茂みがガサガサと揺れ、三匹のゴブリンが姿を現した。棍棒を振り上げ、下卑げびた笑いを浮かべている。


「ひっ…!」


 思わず後ずさりしそうになる足を、ぐっと踏ん張る。


(大丈夫。アレンさんが、価値があるって言ってくれたんだから…!)


 リリアはお守りを胸の前に掲げ、小さく魔力を込めた。すると、お守りがぼんやりと黒い光を放ち始める。その光に呼応するように、ゴブリンたちの目がギラリと赤く光り、リリアだけを睨みつけた。完全に、敵意が自分一人に集中しているのが分かる。


「アレンさんの言った通りだ…!」


 以前のパーティーでは、ゴブリンたちは予測不能な動きで連携し、翻弄された。だが、今は違う。三匹とも、ただ真っ直ぐに、リリアに向かって突進してくるだけだ。


「一体ずつ、確実に…!」


 リリアはポーチから別の呪物――相手の動きを鈍らせる、カエルの干物を取り出し、一番手前のゴブリンに投げつけた。ゴブリンの足がもつれ、わずかに動きが鈍る。その隙を見逃さず、懐から抜いた短剣で、喉元を切り裂いた。


「ギッ!」


 一匹目が、断末魔を上げて倒れる。残り二匹。動きは単調だ。冷静に一体ずつ対処すれば、勝てる。以前は恐怖でしかなかった戦闘が、今は解くべきパズルのように思えた。





 夕方。店の明かりを落とす時間になっても、リリアは戻ってこなかった。


(何か、あったんだろうか…)


 最悪の事態が頭をよぎる。俺の無責任な提案が、彼女を危険な目に遭わせてしまったのではないか。後悔と不安が、胸の中で渦を巻く。


 その時だった。


「はぁ…はぁ…!アレンさんっ!」


 店の扉が勢いよく開き、息を切らしたリリアが駆け込んできた。その服は泥で汚れ、顔には小さな擦り傷がある。だが、その瞳は、今までに見たことがないほど強く、輝いていた。


「リリアさん!無事だったんですね!」


「はい!やりました…!見てください!」


 彼女がカウンターの上に、乱暴に置いたのは、ゴブリンの耳が詰め込まれた小さな革袋だった。依頼達成の証拠だ。


「アレンさんの、アレンさんの言う通りでした!お守りが、本当に役に立って…!私、一人で、ゴブリンを五匹も倒せたんです!」


 興奮した様子で、まくし立てる。その満面の笑みを見て、俺は心の底から安堵していた。


「…やりましたね、リリアさん。あなたの力です」


「ううん、アレンさんのおかげです!本当に、本当にありがとうございます!」


 何度も頭を下げる彼女に、俺は少し照れくさくなりながら言った。


「ともかく、お疲れ様です。報酬を受け取ったら、今日はゆっくり休んでください。作戦会議は、また明日にしましょう」


「はいっ!」


 元気よく返事をして、リリアはギルドへと走っていく。その背中は、今朝とは比べ物にならないほど、自信に満ち溢れて見えた。


(よかった…)


 俺は一人、静かになった店内で、ほうっと息を吐く。誰かの成功を、自分のことのように嬉しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

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