Story#0000:ミラ・パトリシアの退院日

 今日、学校から帰ると二歳年上の姉であるミラ姉さんの靴が玄関にきちんと並べてあるのを見て、なんだ帰ってきたのかと不愉快になった。元々、変な能力を持って生まれたミラ姉さんは、自分が生まれるのと同時期にWSAの施設に預けられた。

 厄介者のミラ姉さんが家に帰ってきた、しかも、お目付け役の知らないお兄さんと一緒に。父さんと母さんは何と言うだろう、マレウスじいちゃんは何を考えているのだろう。適当に靴を脱ぎ捨てて上がるが、いつもは優しいけど怒ると怖い琴音に何か言われるのも嫌だったので靴を揃えた。

 父さんと母さんは思った通り、姉さんのことで口喧嘩している。二人共、変な力を持った姉さんと、姉さんを保護し続けるマレウスじいちゃんが怖いんだろう。二人の喧嘩を横目で見ながら自分の部屋へと歩いていくと、マレウスじいちゃんの部屋から姉さんとお兄さんが出てくるのを見た。

 二人と目が合う前に、部屋に逃げ込み、ノートパソコンを開いた。スージーからのメールは、届いていなかった。パソコンの電源を落とし、廊下に誰もいないのを確認してから、マレウスじいちゃんの部屋に行った。ドアをノックすると、中からは入りなさい、と言うじいちゃんの穏やかな声が聞こえた。

「じいちゃん、何であの二人を家に入れたの?」

 そう訊ねるとマレウスじいちゃんは少し顔をしかめた。マレウス・アルベルト・レイ。この世界の統治を行う政府機関、世界治安維持機構(World Security Agency)の隠れたトップに立つじいちゃんは、ミラ姉さんに対しては特別、目を掛けている。その理由については聞いたこともなかったが、何故か聞いてはいけないという暗黙のルールが出来上がっている。

「お前は、姉さんが嫌いか?」

「大嫌い」

 正直に答えると、マレウスじいちゃんは微笑んだ。元よりあのどこか遠くばかりを見ている姉さんの目は、嫌いと言うより怖いと言っても良い。

「お前にはまだ、話すのは早いかもなあ、ルイス」

 マレウスじいちゃんの口調は、どこまでも穏やかなものだった。

──────

 2032年11月26日に入院したサイト‐4056から退院したのは、二月中旬のある寒い日のことだった。退院の一週間前に、自分の担当の柳さんとあの子の担当の楓さんは、自分にこんな話をした。


 君に一つ、新しい名前と、肩書をあげよう。あの子のお目付け役として、あの子の婿養子として、レイ家に入ってほしい。


 断る理由はなかったので頷くと、二人は笑みを溢して、じゃあこちらで色々と準備をしておこう、君は一週間後に退院すると告げた。ミラはさらに一ヶ月ほどしてから退院するので、それまでにこちらの世界に慣れておきなさい、という。

 ミラが正式に退院するまでの一ヶ月間、ミラの実家───レイ家で暮らしたが、自分があまり家人に好かれてはいないというのは直感で分かった。無視されたりは流石に無かったが、こちらに話す口調はいつもどこか冷たいものだったのだ。唯一、家政婦の三田さんだけは普通に接してくれた。

 レイ家に来て一週間すると三田さんとの会話は自然と増えていき、手伝いも自然とするようになり、三田さんを通して家人の対応も次第に温和なものになっていった。


 レイ家の家人は五人。当主であるアレン・オスカー・レイ氏、その妻のアルマ・イザベル・レイ女史、二人の実子であるルイス・ライアン・レイ、住み込みで働く三田琴音さん、一家のリーダー的存在であるマレウス・アルベルト・レイ氏。五人で暮らす家は広く、三階建ての瀟洒な洋館だった。

 オスカー・レイ氏とアルマ・レイ女史は上流階級の人らしく上品であり、自分を家族とは思っていないようだったが、対等に人間として接してくれている。ルイス・レイ君はさらに分かりやすく色々と変てこな嫌がらせをしてきたが、まだ子供なので可愛らしいことにしか見えない。

 三田さんはいつも柔和な笑顔を絶やさない優しい人であると同時に非常に有能な人物で、オスカー氏からもアルマ女史からも信頼されており、またわがままばかり言うルイス君も三田さんの言葉には正直に従う。

 この一家をまとめているのは、御年321歳というマレウス老である。マレウス老は寡黙な性格であり、あまり言葉を発さないが、それだけに随一の発言権を持っているようだ。この家に来る前に柳さんから聞いたが、彼はこのパラレル311世界の太陽系全域に拡大した人類社会を統治する世界治安維持機構(World Security Agency)の隠れたトップに立つ人物であるらしい。

 彼らとの日々に慣れてきたある日。明日、ミラが退院すると柳さんから聞かされて、マレウス老に呼び出された。

「君はミラを、どう思っている?」

「面白い子だと思います」

 正直に答えると、マレウス老は微笑んだ。そして、これは君のような人物に話しておきたくてずっと取っておいた話だと前置きして一つ、昔話を聞かせてくれた。その長い昔話が終わる時、自分もそのスケールに圧倒されているのを自覚した。そして、マレウス老は再度、こちらに同じ質問をする。

「君はミラを、どう思っている?」


「貴君はあの少女を、どう思っているのかな」

 眠りに入る前の数分間に、枕元に立ったシーナさんは、こちらを覗き込み、尋ねてきた。

「何でそんなことを聞くんですか」

「この質問は、貴君をこのパラレル311に連れてきた理由、貴君の"使命"と関係があるからだ」

 答えてもらおうかな。シーナさんは静かに、目だけで問うてくる。少し考えてから、聞く。

「この質問に答えたら、何故あなたが死神として僕をあの世に連れていかないのか、何故僕をこの世界に連れてきたのか、教えてもらえませんか」

「それは別に、構わないがな。先に、私の質問に答えてもらおうかな」

 思わせ振りな態度を崩さないシーナさんの赤い目が、こちらを見据える。この瞳の前では、嘘はつけない。正直に答える。

「僕は、ミラが好きです」

「ほう?」

「彼女の立ち振舞い、言葉遣い、考え方、笑顔、全部好きです」

「・・・・・・成る程な」

 シーナさんは静かに頷いた。その赤く光る瞳を見据える。今度はこちらの番だ。シーナさんは、しばらく何も言わなかったが、少ししてゆっくりと口を開いた。

「私が"ここ"にいるのは、死神としての仕事ではない。まあ、ただのわがままだな」

「わがまま?」

「ああ。死神は元々、自殺した人間がその苦痛を癒すために仮初に天に召し上げられて、なるものでな。また人間として生きることを、望むようになれるまで他人の人生に触れ続けるのだ。そしてそれを望むことが出来るようになったら、人間の守護霊となったり、胎内に入ったりする。私は、貴君の死の間際の生き様に触れて、また人として生きたいと思ったのだよ」

 あまりに簡単に教えてくれたそれは、"死神"というものに対する観念を塗り替えるのに充分なものだった。

「あの、シーナさん」

「何かな」

 静かに微笑むシーナさんに、言い淀みながら、一つ質問をする。

「どうして、自殺したんですか」

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