第23話

 夜にレオナルドが店に来るという連絡があった。しかもヒナコを指名してスペシャルサービスも予約してくれた。だからヒナコはお昼から機嫌が良い。マッテオとエリザベスが仲良くしているのを見ても、今日は羨ましいと思わない。

 今晩はレオナルドにどんな技を試してみようかな、と思ってヒナコはマミたんに相談をしている。カウンターに座って具体的な内容を話していたら、横で聞いていた京子が恥ずかしそうな顔をして頬を染めた。それを見るのも楽しい。


 ランチタイムがそろそろ終わるころ、ドアが開いてお客さんが入って来た。身をかがめて入って来る様子ですぐに誰だか分かった。

「いらっしゃい、キミー」

 ヒナコはにこやかに言った。

「もう昼の部は終わりだぞ」

 マッテオが厳しい声で言った。

「渋滞に巻き込まれちゃって。今からお昼の注文ダメかな? 京子」

 キミーが懇願するように言った。

「全然大丈夫。今日はカツカレーがおすすめだよ」

 京子が愛想よく言った。

「カツカレー? うわ、まさに食べたかったやつ。それでお願い」

 キミーが嬉しそうにして言った。

「大盛にする?」

「もちろん!」

 キミーが答えて京子が笑った。この二人はカッコよい女の見本みたいな感じだ。独特の色気がある。『可愛い』だけが女の魅力では無いのだ。

「キミー、今日お泊りするつもり?」

 ハッとしてヒナコが言った。

「うん、そうだけど」

「あのー、私は予約が入っちゃったんだ」

 すまなそうにしてヒナコが言った。

「あ、そうなんだ。マミたんは?」

 キミーがマミたんを見て言った。

「私はいてるけど、この店には泊まれる部屋が一つしかないんだよね。……じゃあ今日は、私とホテルに行く?」

 マミたんが言った。

「行く行く! マミたんとホテル行く!」

 テンションをぶち上げてキミーが言った。

「2メートルの女がチビのマミたんとホテルに行くのかよ。凄い取り合わせだな」

 マッテオが笑って言った。キミーが聞こえないふりをした一方で、マミたんはマッテオのみぞおちに鋭いジャブを入れた。

 

 ランチタイムが終った。エリザベスに見送られて、マッテオが名残惜しそうにして店を出て行った。キミーは大盛のカツカレーをお代わりして食べた後、眠たそうにしてソファーにもたれている。

「キミー、二階で寝ていいよ。私はヒマワリ園に用事があるから」

 京子が言った。いつもなら夜の部が始まるまで、彼女は二階で昼寝をしている。

「いや悪いよ。このソファーで十分。ありがとう」

 キミーが豪快にあくびをして言った。

「本当に用があるんだよ。というわけで私は一旦戻るから、みんなまた夜にね」

 そう言って、京子がエプロンを畳んで店を出て行った。

「遠慮しないで二階で寝なよ」

 ヒナコが言った。デカいキミーが横になっていると、ソファーがとても小さく見える。

「そう? じゃあありがとう」

 そう言ってキミーが立ち上がった。同時に、マミたんが彼女の服の裾を素早く掴んだ。

「ねえ、今からしたくない?」

 マミたんがキミーの顔を見上げて言った。三秒ほど真顔で固まったあとに、キミーがマミたんを勢いよくお姫様だっこした。

「眠いんじゃなかったのかよ……」

 ヒナコはボソッとつぶやいて言った。


 二人が二階に上がったのが午後の三時半。六時半にヒナコが二階に上がったら、部屋の中ではまだ続いているようだった。

「あのー、もうすぐ夜の部が始まりますけど」

 ドアをノックしてヒナコが言った。

「ちょっと待って! もう終わってますから!」

 中からキミーの元気な声が聞こえた。

「別に急がなくていいけど」

 ヒナコが言った。

「ごめんごめん。いつも以上に盛り上がっちゃって」

 ドアを開けたキミーが素っ裸のまま、潤いに満ちた顔で言った。

「この子やっぱり凄いよ。人間離れしてる……」

 ベッドの上で天井を見つめつつ、放心状態のマミたんが言った。自慢のツインテールが派手に乱れてボサボサになっている。

 

 夜の部が始まった。午後七時きっかりにマッテオがやって来て、エリザベスと晩酌を始めた。この二人はもう、長年付き合っているカップルか夫婦のように見える。特におしゃべりをすることもなく親密な空気を作っていて凄い。やっぱりうらやましいな、とヒナコは思った。

 午後九時を過ぎてもレオナルドが来ない。いつもならそろそろ来てもいいころなのに。彼はいつも、ちょっとしたお土産を持ってきてくれる。花束とか高級なチョコレートとか。もらったお菓子をヒマワリ園に持ち帰って、クロエと一緒に食べたりするのも楽しい。

 午後十時を回った。ヒナコはカウンター席を離れて、キミーとマミたんが飲んでいるソファーの席へ移動した。

「連絡も来ないの?」

 マミたんが言った。

「来ない」

 しょぼくれた顔でヒナコが言った。キミーがヒナコの肩を抱き寄せてほっぺたにキスをした。

「レオナルドは忙しいのに、なんでマッテオは毎日来れるんだよ」

 マッテオに聞こえるようにキミーが大きな声で言った。

「最近ビジネスにちょっと変化があってさ。それで兄貴は調査とか会議が続いてるんだよ。そういうのは俺が出る幕じゃないから」

 言い訳するようにしてマッテオが言った。

「ビジネスって例の奴? 砂漠で取れるアレの話?」

 キミーが言った。彼女は砂金のことを知っているようだ。

「ああ。もしかしたら稼ぎが少し増えるかもしれない。状況が落ち着いたら、兄貴も自由な時間が増えると思うけどな」

「でも今日は予約してくれたんだよ……」

 ヒナコが小さな声で言った。

「ちょっと兄貴に連絡を入れてみるよ」

 エリザベスの眉間にしわが寄っているのを見て、マッテオが言った。


 連絡はすぐについたようで、マッテオがレオナルドとの短い通話を終えて端末をテーブルの上に置いた。

「ちょっと事件があって、手が離せないらしい。すぐにヒナコに連絡するってさ。でも今日は店に来るのは無理っぽいな」

 マッテオが気まずそうにして言った。

「事件って何? 大丈夫なの?」

 ヒナコが心配そうに言った。

「大したことないよ。小さい地割れが起きただけ。新しい採掘ポイントになるかもしれないから、一応チェックするってさ」

 マッテオが言った。そうこう言っているうちに、ヒナコの端末にレオナルドから連絡が入った。ヒナコは素早く端末の応答ボタンにタッチした。なぜか店内に緊張が走る。


「ヒナコ、ごめん。だいぶ待たせたな」

 レオナルドが言った。

「いいの。緊急の用事だったんでしょ? マッテオに聞いたよ」

 落ち着いた声でヒナコが答えた。

「うん。それで……今夜は徹夜になりそうなんだ。つまり、店には行けそうにない。申し訳ない」

「気にしないで。また時間ができたら遊びに来てよ。待ってるからね」

「すまない。今日は俺も楽しみにしてたんだ、本当に。こんな時に限って何か起こるんだよ」

 疲れた声でレオナルドが言った。

「頑張りすぎないでね。人間は壊れやすいんだから。ちゃんと休んでね」

「うん、ありがとう。またすぐに連絡する」

「うん、待ってるから。じゃあね」

 そう言ってヒナコが通話を終えた。そしてそのまま、ばったりとソファーにつっぷしてヒナコは動かなくなった。

「あーあ、キャンセルか。こういうのが一番ストレスが溜まるんだよね」

 マミたんが言った。

「あれ? ということは二階がフリーになったのか。俺、今日泊まっていこうかな」

 マッテオがエリザベスの手を取って言った。エリザベスが眉をひそめてマッテオの手を払いのけた。

「こういう時に冗談を言わないでください」

 エリザベスが冷たく言った。

「はい、すみません」

 マッテオが平謝りしている。そんなみんなのやり取りを、ソファーに顔をうずめたままヒナコは黙って聞いている。自分でもびっくりするくらいガッカリしている。期待をしすぎたのがまずかった。

「ねえ、代わりと言ったらなんだけど、私にスペシャルサービスしてくれない? マミたんとはお昼にいっぱい楽しんだし、夜はヒナコと過ごしたいな」

 キミーがヒナコの頭をやさしく撫でながら言った。

「本当?」

 ソファーから顔を上げてヒナコが言った。頬には涙の跡がついている。

「可哀そうなヒナコをめちゃくちゃにしたい気分」

 キミーが男前の表情で言った。

「めちゃくちゃにされたいかも。でもマミたんはいいの?」

「あたしはもう満足してるから全然いいよ。それにしてもキミー、あんた凄い体力だね。アンドロイド相手に二回戦するなんて、本当に人間じゃないみたい」

 マミたんが呆れた顔で言った。

「あのー、気づいてると思うけど、わたし生身なまみじゃないからね。上半身はほぼ機械。だからメイドさんたちとも、そこそこ戦える」

 キミーが笑って言った。

「ああ、やっぱり? なんとなくそんな感じがしてた。スラムじゃ珍しいよね」

 京子が言った。京子は100%義体のクロエと親しいから、その分野にはある程度詳しいのだろう。

「私が10歳の時に車に爆弾が仕掛けられててさ、上半身が半分くらい吹っ飛んじゃったの。父親が狙われてたんだけどそっちは無事で、私はその巻き沿いを食った形。マフィアのボスは常に狙われてるからしょうがない。ねえマッテオ?」

 キミーが言った。

「まあな……。あの時は抗争が激しくて、ボディーガードが弾除けにもならない感じだった」

 マッテオが言った。

「それで? 上半身が吹っ飛んでからどうしたの?」

 マミたんが興味深げに訊いた。

「奇跡的に脳が無傷だったの。だから緊急手術で電脳化して、内臓もほとんどサイボーグ化して生き延びた。だけど地元の病院には大人用の旧式部品しかなくてさ、それを無理やり子供の体に使ったんだよ。だから副作用が酷くて。それで身長もこんなになっちゃって。二十歳ハタチまで生きられないだろう、と医者には言われていました」

「だからこいつ、怖いもの知らずでものすごい荒れてたんだよ。マジで殺戮マシーンだった。それでクレイジーキミー」

 マッテオがため息をついて言った。キミーがおかしそうに笑った。

「今はもう大丈夫なの? 副作用とか」

 ヒナコが心配そうに訊いた。

「うん。子供用の成長義体って知ってる? それが発明されたおかげで助かった。めちゃくちゃ金が掛かったらしいけど、親が移植手術を受けさせてくれたの。都市部の病院でね。おかげで今は全くの健康体。しかも体の半分がサイボーグっていうのは、裏社会ではメリットが多いんだよ。スラムだと割と無敵」

「こいつ暗殺部隊の隊長だからな。ボスの娘なのに」

 マッテオが言った。

「成長義体が発明されて、本当に良かったよ」

 京子がしみじみとして言った。カエデさんの発明で救われた命がここにもあったわけだ。不思議な感動がある。

「キミーの成長義体、ダイス・インダストリ製だよね。私たちもそこで作られたんだよ。だから私たち、体の相性がいいのかもね」

 マミたんが言った。

「え? マジで? いや、確かにそういう感じがするよ。人間を相手にするよりもしっくり来るし、満足感が全然違うの。というわけでヒナコ、今夜はお互いにじっくりと相性を確かめようね」

 キミーがヒナコの細い体を引き寄せて言った。

「製造元が同じなら、キミーは私たちの妹という感じもしますわね」

 エリザベスが楽しそうにして言った。

「妹と寝るのはちょっと気持ち悪いかも」

 ヒナコが嫌そうにして言った。

「えー! そんなこと言わないでよ」

 本当に悲しそうにキミーが言ったので、みんなが笑った。


 宣言通りなら、その晩はキミーがヒナコをめちゃくちゃにするはずだった。しかしストレスの溜まっているアンドロイドほど恐ろしいものはない。ヒナコは乱れに乱れて、キミーの体をめちゃくちゃというか、ボロボロになるまで酷使した。キミーの体力が朝まで持ったのは、やはり体が半分ロボだからだろう。

 早朝。体の重心が定まらない感じで、ふらつきながらキミーは店の外に出た。バイクのシートに倒れこむようにしてから、やっと顔を上げて太陽の光を浴びた。もともと色白の顔がさらに白くなり、血の気を失った肌の透明感が増している。

「ごめんね……」

 ヒナコが申し訳なさそうにして言った。

「満足できた?」

 震える手をヒナコの頬に添えてキミーが言った。

「おかげで元気一杯。スッキリしました」

 ヒナコが微笑んで言った。

「次はレオナルドをめちゃくちゃにしてやりなよ」

「うん」

「じゃあ、また来るから」

 キミーがバイクにまたがり、小さく手を上げて走り去っていった。その大きな背中が遠く見えなくなるまで、ヒナコは道に立ってじっと見ていた。私は彼女を愛している。親友と言ってもいい。そんな大切な人に対してやり過ぎてしまった。相手がキミーじゃなかったら、本当に体がバラバラになっていただろう。冗談抜きで。


 店に戻ってヒナコはぼんやりとしている。余韻を楽しむ感じでソファーに座って、店の照明や食器をなんとなく眺めている。お弁当の仕込みは、エリザベスとマミたんがやってくれている。昼の部が始まるまで自由だ。コーヒーをいれてみようかな、と思って立ち上がったのと同時に、店のドアが開く音がした。なんとレオナルドだった。

「どうしたの?」

 ヒナコは驚いて言った。

「どうしてもヒナコに会いたくて」

 疲れ切ったような声でレオナルドが言った。高級なスーツが土で汚れてヨレヨレになっている。

「なんか泣きそう」

 ヒナコがつぶやいて言った。レオナルドはヒナコをそっと抱きしめた。

「キミーは? まだ二階にいる?」

 レオナルドが視線を上の階に向けて言った。マッテオがキミーのお泊りについて彼に話したのだろう。

「さっき帰ったところ。私、キミーをめちゃくちゃにしちゃった」

「じゃあヒナコも疲れてるか。いや、アンドロイドは疲れないよな」

 レオナルドが笑った。

「レオナルドこそ徹夜で疲れてるでしょ? あ、お腹は空いてない? 昨日の残りでよければ……」

 キッチンへ向かおうとするヒナコの手をレオナルドが捕まえた。

「二階に行こう」

「え、でもまだ掃除してない。ベッドもめちゃくちゃだし……」

 気まずそうな顔をしてヒナコが言った。

 レオナルドは何も言わず、ヒナコの手を引っ張って二階の部屋に向かった。

 二人は一緒にシャワーを浴びたあと、お昼の部が始まるまでの数時間、二階の部屋でゆっくりと時間を過ごした。早々にレオナルドは寝てしまったけれど、ヒナコは彼の寝顔を見ているだけで幸せだった。

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