あやかし宮廷モフモフ

青星明良

プロローグ 妖狐の少女

 秋風に波打つ稲穂いなほは、まるで黄金色こがねいろの海のようでした。


 夕焼け空の下、少年はほほを伝う涙を手で乱暴にぬぐいながら、稲穂の海がどこまでも広がる田舎いなか道を歩いていました。


 引っ越してきたばかりで道もわからないのに、父上とケンカをして屋敷を飛び出したのがまずかったのでしょう。早速、迷子になっていました。ここがどこなのか、ぜんぜんわかりません。


(ま……迷子で心細いから泣いているわけじゃないんだぞ、オレは)


 少年は、心の中で、そんな言いわけをつぶやいていました。


(父上が「もう都にはもどれない」なんて弱気なことを言うから……。だから、そんなかっこ悪い父上のことが嫌で、オレは怒っているんだ)


 少年の父上は、正義感があって、どんな困難にも負けない強い人なのです。


 でも、悪い大臣のわなにはまって都を追放されてしまったせいで、今はすっかり意気消沈いきしょうちんしていました。


「負けてたまるか。何とかして、都に帰る方法を考えなくちゃ。雲母きららさまも、兄妹きょうだいのように育ったオレと会えなくて、きっとさびしがっているはずだ。藤原一族なんてやっつけてやる!」


 父上をおとしいれた悪い大臣が憎い。呪ってやりたい。そんな攻撃的な心が、少年の心を支配しようとしていました。そんな時――。


「ねえねえ。どーして泣いているの? 迷子なの? お腹減ったの?」


 どこからともなく、女の子の声が聞こえてきたのです。


 少年はびっくりして、あたりをきょろきょろ見回しました。


 すると、風にゆらぐ稲穂のすきまから、ふさふさの尻尾しっぽがひょっこりと出てきたではありませんか。その尻尾は、稲穂と同じように、夕日に照らされて黄金色に輝いています。どうやら、狐の尻尾のようです。


「お腹が空いたのなら、わたしのおにぎりをわけてあげるよ! コンコン!」


「…………」


 声がするたびに、尻尾がフリフリ動きます。


(やっぱり狐だ。狐に話しかけられた)


 少年は黙りこみ、ソレが目の前に姿をあらわすのを緊張しながら待ちました。


「ねぇっ~たら~。話しかけてるんだから、返事してよぉ~」


 のんきそうな声がだんだんと近づいてきます。


 とがった大きな耳が、少年の目に映ります。


 稲穂の波をかきわけ、ソレはついに少年の前にあらわれました。


「泣き虫くん、これどーぞ。おにぎりをあげるから、泣かないで?」


 狐は――いえ、頭に狐耳きつねみみ、お尻にモフモフ尻尾をつけた少女は、そう笑いかけながら、少年におにぎりを差し出してきました。


「あ……あやしのケモノ!」


「わたし、怪しくないよぉ~?」


 何となくそうじゃないかと思っていたけれど、やっぱり妖怪でした。


 人の姿に化けた動物の妖怪を、人間たちは妖しのケモノと呼んでいます。そういった不思議な存在そんざいは、昔からこの国にいたようです。


 人間に従順じゅうじゅんな犬や馬、牛などの妖しのケモノは、都でも人間たちといっしょに暮らしているし、少年も見かけたことがありました。だいたいは、貴族の家来か召し使いでしたが。


 でも、狐の妖怪――妖狐ようこは今まで一度も見たことがありませんでした。


 少年が大人たちから聞いた話によると、妖狐は、妖しのケモノの中でも最強の霊力を持つ種族だとか。


 ――妖狐は危険だ。人間にどんな悪さをするかわからない。


 そう警戒した大昔の帝は、都から離れた土地をいくつか妖狐族にあたえて、地方の豪族ごうぞく任命にんめいしました。恐いけど、やっつけることもできないから、遠くで大人しくしていてもらおうというわけです。


(よくよく考えてみたら……。稲穂が豊かにみのるこの三野みのの国も、妖狐族の領地りょうちがある場所だったな)


 少年は、ふとそう思い出しました。


 つまり、妖狐の少女が自分の縄張なわばりを歩いていても、なんら不思議ではないのです。妖狐の縄張りに足をふみいれてしまった少年こそが「怪しいヤツ」だったというわけです。


「……すまない。勝手に君たちの土地に入ってしまった。オレは帰るから見逃してくれ」


 身の危険を感じた少年は、きびすを返して狐の少女から逃げようとしました。


 でも、狐の少女はちょこちょこと小走りして先回りし、少年の退路たいろをふさぎました。


 やばい。何か恐ろしい妖術をかけられる。そう思っていると――。


「おにぎり、どうぞぉ~! コンコン!」


 にへらぁ~と緊張感のカケラもない満面の笑みで、狐の少女はもう一度おにぎりを差し出してきたのでした。彼女の右手首には空色の腕輪、左手首には紅色くれないいろの腕輪がキラキラと輝いています。


(毒でも入っているのか? それとも、オレは今こいつに化かされていて、馬のフンか何かを食わされようとしているのか?)


 少年はそううたがいました。


「い、いいよ。オレは都からやって来たよそ者だ。ここで静かに暮らしている君たち妖狐にとって、外から来た人間なんてうっとうしいだけだろ? オレはここにいたらいけない邪魔者だ。さっさと立ち去るから、オレにかまわないでくれ」


 皇族こうぞくという身分でありながら都を追放されたため、少年の心はやさぐれていたのです。父上とオレは邪魔者なんだ、のけ者にされたんだ……となげやりな気持ちになっていました。だから、知らず知らずのうちに、そんなぶっきらぼうな言葉を口にしていました。


 狐の少女は、夕空よりもあかいふたつの瞳で少年をじーっと見つめ、ちょこんと首をかしげます。


「君が『ここにいたらいけない』なんてだれが決めたの? 神様?」


「え? い……いや。だれかに言われたわけじゃ……」


「そうだよね! 神様はそんな意地悪いじわるなこと言わないもんね! それに、神様にだって、『君がどこにいて、どこにいたらいけない』なんて勝手に決める権利はないもん!」


 狐の少女は、うれしそうに尻尾をパタパタとふります。少年は(へ、変なヤツ……)と心の中でつぶやきました。


「ねえねえ。泣き虫くんは都から来たんでしょ? おにぎりあげるから、わたしに都の話を聞かせてよ。わたし、一度でいいから都に行ってみたいんだぁ~」


「いらないよ、そんなもの。あと、泣き虫って言うな。オレは泣いてなんかいない」


「ウソだぁ~。黒い瞳から水がポロポロ出ているもん」


「う、ウソなんかじゃ……!」


「スキあり!」


「む……むぐぐぅ⁉」


 少年が大声を上げるため口を大きく開いた瞬間しゅんかん、狐の少女は彼の口におにぎりをほうりこみました。


「ぐ、ぐるじい……。み……水……水をぐれ……。じ、じぬ……‼」


「は、はわわ! もしかして、のどにつまっちゃった⁉ ち、近くに井戸があるから持って来るぅ!」


 狐の少女はそう叫ぶと、人間離れした脚力きゃくりょくでどこかに走って行き、すぐにもどって来ました。そして、おわんにたっぷりと入った水を飲ませてくれました。


「ごめんねぇ~、泣き虫くん。そこの石に腰かけて? 背中さすってあげるから」


「オレを泣き虫と呼ぶのはよせ。オレの名は、壱師いちしおうだ」


「そうなんだぁ~。じゃあ、君のことはいっくんって呼ぶね」


「そんな可愛らしい呼び方はやめてくれ……」


 少年――壱師王はそんなふうに文句を言いつつも、今度は狐の少女の言葉に大人しくしたがい、紅い彼岸花ひがんばながそばに咲いている石の上に座りました。石の表面は平らになっていて、ヒトが二、三人腰かけるのにちょうどいい形をしています。


「ここで、よくみんなで休むの。わたしたち狐族と人間さんが農作業につかれた時に」


 狐の少女は、壱師王のとなりに座ると、彼の背中を優しくさすりながらそう教えてくれました。


「え? このあたりは妖狐の領地なんだろ? 人間も住んでいるのか? てっきり、君たちがみんな追い出したのかと思っていたけど……」


「そんなことするわけないよぉ~。わたしたちは人間さんのこと大好きだもん。狐族と人間さんが夫婦になることも、ここではふつうだよ?」


「そうなのか。都の人間は妖狐の力を恐れているけれど、妖狐がいっぱいいる三野の国ではちがうんだな。オレたち都の人間が、勝手に『妖狐は危険な妖怪だ』と恐れていただけだったのか……」


「キケンって何ぃ~? おいしいの?」


(最強の妖怪のくせして、アホっぽいヤツだなぁ……)


 壱師王は、狐の少女を恐がっていたさっきまでの自分が馬鹿らしく思えてきました。


(こんなぽやぽやんとした妖狐が、人間に悪さをするはずがないじゃないか。大人が言うことなんて、あんまり信用できないな。あはは)


 などと考えていると……狐の少女がいきなり抱きついてきたから、壱師王は「うわ⁉」とおどろきました。


「な、何だよ。急にどうしたんだよ」と、顔を赤らめながら壱師王はたずねます。


「い、い、犬……」


「犬だって? ああ……。こいつのことか」


 いつの間にいたのでしょうか。可愛らしい野良の子犬がクゥ~ンと鳴きながら狐の少女の足にすり寄ろうとしていました。


「わたしたち妖狐は犬が苦手……。た、たすけ……」


「ワン!」


「びえぇぇぇぇぇぇ⁉」


「うわわ‼ お、押すなってば!」


 ドッスーーーン‼


 壱師王は、狐の少女に押したおされ、腰かけていた石から落ちました。


 大きな音におどろいた子犬は、どこかに走り去って行きます。


「うえーん! うえーん! 犬こわーい!」


「お、おい。もう犬はいないぞ。早くどいてくれ。重たい」


「うわぁぁぁぁぁぁん‼」


 めちゃくちゃ泣いています。泣き虫なのはおまえのほうじゃんか……と壱師王はあきれました。


 女の子に泣かれて困ってしまった壱師王は、不器用な手つきで、狐の少女の頭をでてあげます。


「泣くなよ。もしも犬におそわれたら、オレが守ってやるからさ」


「ほ……本当?」


「ああ。おにぎりをくれたお礼だ」


 壱師王と狐の少女は見つめ合いました。


 彼女の彼岸花のように紅い瞳に、壱師王の顔が映っています。


(うっ……。こいつ、よく見るとものすごく可愛いな)


「ありがとう! 君、優しいね。わたしの名前は瑞穂みずほ。『瑞々みずみずしい稲穂』と書いて瑞穂。これから仲良くしようね!」


 黄金色の美しい髪を夕風になびかせ、モフモフの尻尾をうれしそうに動かし、妖狐の少女・瑞穂は愛らしく壱師王にほほえみました。


 それが、二人の出会いだったのです。

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