アイザックの手記
浅井夏終
第1話 1
初夏、汽車は貨物を含めて三十両以上の長い列を作って広大な土地に続く一本の線路を惰性で走っていく。ゴトゴトと言う音とシュクシュクと言う音が車内の揺れと同調し、一定のリズムを刻んでいて大きな揺りかごのようで緊張が少し緩む。
「あ! ほら見て下さい! あそこに人形がいます!」
窓を開けて身を乗り出したライナを勇者が慌てて引きずり下ろす。
「ライナ姫! 落ちたらどうするんですか!」
「どうなるのですか?」
「死ぬに決まってるでしょう!」
慌てる勇者に引きずり出されボックス席の真向かいにキチンと座り直させられたライナはそれでも窓の景色から目を離さなかった。
白いワンピースに麦わら帽子を被っている姿は町の娘と変わらないが、その絹のような長い金髪と気品溢れる清楚な顔立ちは一目で王家の者とわかる程に美しい。しかし、この子供のような行動はとても王家の人間とは思えない。お忍びである必要もないのだが、おかげで周りから身分がバレる事はなかった。
「そうか。ライナは案山子を知らないのか」
勇者のはす向かい、ライナの隣に座るアイザックは風で乱れた栗色の髪を片手でかき上げ、足を組み直してクスクスと笑う。冷涼な顔立ちにショートカットの風貌は大人の色気を持っていたが、服装は迷彩服に武骨な黒のブーツなのでそれは限りなく押さえられていた。
「アイザック先生も笑ってないでしっかり見ていて下さい」
「おや? 私はそのような命令は受けていないぞ? それは君の任務だろ元勇者君」
アイザックは、窓に手をかけて物珍しそうに外の景色を眺めるライナの頭を撫でた。ライナはそれに気付いていない。もう一時間以上変わらない、果てまで広がる田園地帯に今も尚、夢中のようだ。
列車はガーランド王国を南下してアイゼル国に向かっていた。
ライナは正式名称ライナ・クルーネル・ガーランドと言い、ガーランド家の長女。つまり第一王女にあたる。今回の旅は父、ガーランド王の命により近隣諸国の外交を任されてのものだった。
本来なら王が赴くはずなのだが、生まれてから十五年間ほとんど城を出た事がないライナの見聞を広めたいという王の意向で、特別に勇者の護衛をつけてライナが赴く形となった。
「ところで元勇者君。既に敵は倒してしまったと言うのに護衛を任された気分はどうだね?」
「そんな事聞いてどうするんですか? アイザック先生」
「後学のためさ。元勇者である君にしか味わえない気分だろうからね。わからないから聞いている。それ意外に深い意味はないよ」
「はぁ……まぁこの前まで働いていた建設会社よりかは自分の持ち味が発揮出来るかと」
「敵はいないのに?」
「魔王軍がいないだけです。周りは友好国だけじゃない。何があるかわかりませんよ」
「人間はいる……か。それもそうだな」
アイザックは勇者の腰に下げられている剣に視線を移し、ふむ。と納得した。
勇者は選ばれし者の剣『ロードクリフ』を持つ世界最強の剣士。ロードクリフは勇者にしか扱えず、その絶大な能力によってかつてこの世を恐怖に貶めた魔王軍をたった一人で倒した功労者だったが、悪魔が去り、社会の秩序を取り戻した世界ではその強さはあまり必要のないものとなってしまった。魔王軍討伐以降、ガーランド王国の建設会社で働くも、過去の名誉から未だに『勇者』と呼ばれている。しかしこのアイザックにだけは『元勇者』と呼ばれていた。
「アイザック先生! 山が雲の帽子を被っています! やはり暑いんでしょうか?」
ライナは視線を窓の外から外さずに隣のアイザックの肩を叩く。遠くに見える山々に大きな入道雲がかかっている。何でもない初夏の風景がライナによってストーリーを帯びていくのを勇者は微笑んで見守った。
自分にはあの入道雲が退屈そうに鎮座しているようにしか見えないのに、ライナにかかれば全てが夏を楽しんでいるように書き換えられる。そのギャップを感じる度に勇者は心の殻が一欠片落とされるような気持ちになった。
「あいつは私たちより高い場所にいるからな。太陽の暑さも倍以上だろ。しかし、あれだけでかい帽子は一体どこに売っているんだろうね?」
「ホントですね! あんな素敵な帽子。私も被りたいです!」
「ははは! 雲の帽子か! ようし! アイゼルに着いたら帽子屋に寄ってみるか!」
豪快に笑うアイザックにライナはようやく振り返り帽子のふちを両手で持ちながら「はい!」と大きく頷く。
アイザックは今回の外交に同行する『タビの先生』という役目だった。アイザックの家系は代々、王国に仕えており未来の国王となる人物に授業では学べない様々な事を教える役目をおっている。アイザックの父も現ガーランド王の『先生』だった。
アイザックはライナの幼少の頃からよく面倒を見ているので、ライナには懐かれている。しかし、勇者は初対面なのでこの『先生』が何を意味しているのかよくわからず、未だに何故アイザックが同行する必要があるのかと疑問に思っていた。
「アイザック先生は何故今回の外交に同行なさっているのですか?」
またもや窓の外に夢中になるライナをよそに勇者は質問する。
「何故って。国王がそう命じたからだよ」
「でも旅の仕方なんて自分が知っているのに、今更何を教わるのか……と……」
つい、言葉に角が立ってしまい勇者は口ごもる。アイザックはそれを察して「別に良いよ」と髪をかきあげた。
「元勇者君の旅って魔王軍を倒す旅だろう? 目的はあくまで敵を倒す事。しかし、今回は違う。これは外交だ。そして様々な国で色んな物事に触れ合い、ライナの見聞を広める為のものでもある。つまり……」
「つまり?」
「タビの楽しみ方を教える先生って事だな」
「楽しみ方……ですか?」
「殺伐とした一人旅をしてきた君にとってもこれは良い旅になると思うよ? だってその為に私がいるんだから。まぁ細かい事は気にするな。今はライナの事を見守っていてくれればそれで良い。君の役目はそれだ。他は私に任せていれば良い」
「は、はぁ……」
「気の抜けた返事だなぁ全く」
アイザックは肩をすくめて腕を組むと「まぁいい。着いたら起こしてくれ」と言って眠りについた。
質問に答えてもらったはずなのに勇者は増々アイザックの存在がわからなくなっていた。国王は一体、何を意図してこの人を同行させたのか。確かにライナは喜んでいるが、外交には必要ない人材だ。楽しむためと言っていたが……
勇者は席の横に置かれた大きな荷物に目を向ける。アイザックが用意した荷物だったが荷物持ちは勇者になっていた。その重さは尋常ではなく中身を疑ったが、アイザックは中を見る事を禁じていた。
「風が気持ちいいですね勇者様」
「あ、あぁはい」
ライナは開けられた窓から入って来る風に帽子を押さえて目を瞑った。窓の外は緑に生い茂った稲が波打ち、風の動きを教えてくれる。まるで海のように波打つ緑の海は田舎の匂いを風に乗せて列車の中へ届けてくれた。故郷の香りでもないこの匂いに不思議と懐かしさを憶える勇者。ふと視線を横にずらすと少し傾いたアイザックの頭から垂れた前髪が風にサラサラと揺らされていた。涼しげな寝顔のその美しさに一瞬息を飲む。
「お城の外はこんなに素敵なものが広がっているのですね」
「え? あ! はい!」
アイザックの寝顔に見蕩れていた勇者はライナの言葉で我に返る。
「これからが楽しみでなりません。終わって欲しくないですね……なーんて! まだ始まったばかりだと言うのにもう終わりを考えているなんておかしいですね!」
イタズラに笑うライナは民衆に向けるいつもの顔とは違う笑顔を見せた。それは温かくそして子供っぽく、女の子らしい顔だった。
「いえ。終わるまでずっとそう思えるような旅にしたいですね」
「勇者様にとってもそうである事を願っていますよ!」
「光栄です。ライナ姫」
屈託のないライナの笑顔に勇者もつられて笑ってしまう。
(細かい事は気にするな)
アイザックの言葉が頭に甦る。
今はその言葉に従って、この風に、この気持ちに身を任せてみよう。
これと言った理由は無いが何となくそう思った。
勇者はライナと同様に窓に手をかけ変わらない景色を眺める。変わらないと思っていた景色はよく見れば小さな変化を起こしていた。雲の形、山の峰、点々と存在する家屋。どれ一つとっても同じものなど存在していなかった。
勇者と姫はお互いに顔を見合わせてクスリと笑う。言葉はなかったが気持ちは同じだった。
それから三十分。スヤスヤと眠っていたアイザックが突然、目を覚ました。
「……来る!」
腕を組んだまま体を通路側に倒し、車両の後方をじっと見据える。ゴトゴトと揺れる音の合間に車間ドアが開く音が響いた。
「ご乗車ありがとうございます。車内販売でございます」
丁寧で良く通る女性の声に、勇者は座席に立て膝をついて後ろを振り返った。
車内遥か後方には、彼らが現在乗っているカノープス急行特有の夜空をモチーフにした紺色の制服を身に纏った麗らかな女性が様々な物を乗せたカートを押して、ゆっくりと前に進んでいた。
「あれは何ですか?」
勇者は座席に立て膝を着いたまま顔だけをアイザックに向ける。選ばれし者の剣ロードクリフから得た飛行能力によって各地を飛び回るまで国を出た事がなかった彼は、電車に乗って長時間かけて移動するという行為そのものが初めての経験だった。
「なんだ。元勇者君は車内販売も知らないのか。あれは長距離列車特有の言わば醍醐味というやつだ」
「醍醐味ですか?」
「全く……君のしてきた旅は本当に旅だったのか? 一つ教えておこう。旅とは目的地を目指す事ではなく、過程を楽しむ事を言うのだよ。さて……君のしてきた旅とはどんなものだったんだい?」
「え? ……ロードクリフの飛行能力を使って魔王軍を駆逐する為に各地を飛び回ってました……けど」
「それは旅ではない」
「な! じゃあ何だと言うのですか」
「『移動』だ」
勇者は口を噤む。言い返す言葉がまるで見当たらない。旅と移動の境界線がハッキリした訳ではないが、確かに昼も夜も無く敵を倒す為だけに飛び回っていたのと、この十時間以上かけて汽車で一つの国を目指すのでは根本が違う気がする。
「そう考え込むな。別に大事なことでもない。今、旅をしている。それでいいじゃないか。それに私の言っている事は考えるより体で感じる方がきっとわかりやすい。ちょうど昼時だし。まずは列車の旅の醍醐味を教えるとしよう」
アイザックは通路に顔を出したまま左手を高々と上げた。勇者がアイザックが視線を送る向き直るとカートを押した女性は直ぐ側まで来ていた。
カートの上と下のカゴに様々な食べ物、飲み物。そして町の特産品などの土産物が所狭しと積まれている。
「はい! ご注文は?」
三人の座るボックス席の横にカートを着け、女性は笑顔で口を開いた。
「そうだな……ちょっとワゴンの中見せてもらえる?」
「はい! どうぞ!」
アイザックは席から立ち上がり女性の押してきたカートに積まれた物をまじまじと見つめる。勇者はその間に席に座り直した。普通に座っていれば良いのだが妙に緊張してしまって膝に手をつき、背筋がピンと伸びる。
「よし。やっぱりここは黒豚弁当だな。それを三つと……うん! やっぱりビールだな! ビール一つにお茶二つ下さい」
以上で? と女性がアイザックに尋ねるとアイザックは深く頷いた。合計金額を聞いて商品を受け取りながらポケットをまさぐり金額ピッタリを支払う。それを受け取ると女性は「ありがとうございましたー!」と元気よく言ってまた前へと移動して行った。
旅の資金はアイザックが全て管理しているので勇者とライナは一銭も持ち合わせていない。なので買い物権は全てアイザックが握っていた。
「列車の食事と言えばやっぱり駅弁だよな。ほら。ちょうどラスト三つだったぞ。カノープス急行名物! 黒豚弁当! これがまた美味いんだ! ほら! ライナも食べろ!」
アイザックはテキパキと弁当とお茶を配り、早々にビールの蓋を開けた。プシュッと炭酸がはじける音に思わず顔がにやける。
「アイザック先生。え、エキベンとは……?」
「あん? そんなのそのまんまだろ! 駅で売ってる弁当だよ! ほら! お前らはそこのテーブルに駅弁置いて! 早くお茶の蓋を開けろ!」
聞き慣れない『駅弁』と言う言葉に勇者は率直な質問をぶつけるが、アイザックは早く食事にありつきたいのか、今までにないくらい大雑把に答えてビール片手に窓の直ぐ下丁度真ん中に備え付けてある小さなテーブルを指差す。その勢いに流され、二人はとりあえず弁当をそこに置いて言われた通りお茶の蓋を開けた。
「よーし! 我々の旅が素敵なものになる事を祈って! かーんぱーい!」
「かんぱーい!」
「か、かんぱーい……」
高々と上げられたビールとお茶二つがコツンとぶつかる。それにバウンドするようにビールだけアイザックの口元に猛スピードで飛び込んでいった。
「プハッ! これだよー! これ! わかる? 醍醐味! これ!」
気持ち良さそうにアイザックはウインクをするが、勇者はまだお茶に口を付けていなかった。
「ぷはー。うん! なんだかお城で飲むより美味しい気がします!」
ライナは両手でお茶を飲むとアイザックの真似をして息を吐く。
「そりゃそうだよ。車窓の風景とそこから流れる風と運ばれる香りも一緒に飲んでるんだもの。しかもそれは弁当と一緒に食べられるんだぞライナ!」
「えー! すごいです!」
「そうだ! 正に列車での食事ならではの醍醐味だ!」
アイザックは自分の膝に置いた弁当を片手で器用に開ける。中には大きな豚の角煮が四つとキンピラゴボウ、そして出汁で炊いた色身のついたご飯が詰まっていた。
アイザックが弁当を広げた瞬間に風に乗って香りが勇者の鼻をかすめる。豚の角煮の芳醇な香りに唾液が口中に広がった。思わずお茶を一口飲む。
「あ、おいしい」
「おそいんだよ。もう。早く食え。絶品だから」
アイザックは呆れた顔をして顎で窓際の弁当を指す。ライナは弁当を広げて割り箸を割る所まで来ていた。
「は、はい!」
勇者も急いで弁当に手を伸ばし蓋を開ける。いざ! と食事に移ろうとしたが違和感に気付いた。
「あれ?」
「ん? どうした? あっはははは!」
勇者の弁当を覗いた瞬間にアイザックは高笑いを上げる。ライナも覗き込むと「わぁ!」と声を上げクスクスと笑い始めた。
「笑い事じゃないですよ……もう」
蓋を上げたまま勇者は項垂れる。彼の弁当だけ、角煮の数が三個だった。一つ一つが大きい訳ではなく、ただ単純に一つ少なかった。
「お前って奴は! それは旅のベテランがやることだぞ!」
「ゆ、勇者様。笑ってはいけない事なのにすいません! で、でも可笑しくて……」
二人の笑いは止まらない。席に充満する豚の香りが勇者には切なかった。
「おいおい! そんな暗い顔をするな! ほれ!」
アイザックは自分の弁当から角煮を取り出し、勇者の弁当に入れる。
「え? アイザック先生。そんな」
「いいからいいから! 言っただろ? こういうのはベテランのする事なんだって。初心者はおとなしく普通に食ってろ」
アイザックは箸を持ち替えて手を合わせた。ライナも同じく手を合わせる。勇者は小さくお礼を呟いて割り箸を割り顔の前で手を合わせた。
「いただきます!」
三人の声が揃い、思い思いに箸をつける。勇者は早速、角煮を一口食べる。口に入れた瞬間、今まで形が崩れなかったのが不思議なくらいに柔らかく溶けていき、同時にタレと豚の旨味が合わさった味わいが脂身と混ざってさらに濃厚さを増し、口の中に広がっていく。こうして濃縮された角煮の旨味が一気に広がると、何も考えずとも当たり前のように箸が米を掴み口にかき入れる。そしてまた角煮を一口。米を一口。出汁で炊いた米は角煮と味がぶつからずに美味く口の中で足されていく。角煮を一つ食べ終えて、角煮を置いていた場所のタレを十分に吸った米を食す。旨味を吸った米はそれだけでもうおかずはいらないくらいジューシーだ。もはや贅沢の極みだった。
時折お茶を喉に流し込んで、思い出したように挟むキンピラゴボウも甘辛な味がたっぷりと染み込みながらもシャキシャキとした食感で絶妙な箸休めになった。
キンピラを咀嚼しながら車窓を流れる景色に見入る。縦横に巡る土の道に区画された田畑。遠くで笑い声を上げながら薄着で走っている子ども達が釣り竿を持っていた。川に釣りにでも行くのだろうか。ここら辺はどんな魚が釣れるのだろう。今まで考えた事もなかったとるに足らない疑問が勇者の胸に懐かしさを染み渡らす。
目の前の座席に視線を移すと、アイザックはビールをゴクゴクと飲みながら恍惚に満ちた表情を浮かべている。
ライナはゆっくりゆっくりと弁当を口に運んでいた。
不意にライナが顔を起こし勇者と視線を交わらせる。
「美味しいですね」
「はい。美味しいです」
ニコッと笑うと、また弁当に視線を移すライナを見て勇者も微笑む。一瞬のうちにもう半分も食べてしまった弁当を勇者もペースを落としてゆっくりと口へ運ぶ。
何とも味わい深い。
車窓からの風に吹かれながら何度も味わう極上の味というのは、目で見て、鼻で香って、口で味わい、耳で聞くものだった。
なるほど。これが列車の旅の醍醐味か。
なかなか良いものだな。
アイザックの言う通り、考えるよりこうして感じると、とても分かりやすい。タビの先生とはなかなか侮れないものなのかも知れないな。と勇者は誰よりも美味しそうに弁当を食べるアイザックを見て思った。そして、それでも崩れない先生の美しさに感心もした。
食事を終えると、再び景色に夢中になるライナの横で、アイザックは胸ポケットから革製の表紙の手帳を取り出した。
「何を書いているんですか?」
「ん? あぁ。ただの日記だよ。父から移った癖でね。一日の終わりにじゃなくて、こうして何か感じる度に書きためるようになってしまった」
一度やってみると良いよ。と勇者に目も向けず話しながらペンをサッと走らせて、パタンと本を閉じる。それをまた胸ポケットにしまうとアイザックはまた眠りについてしまった。
勇者は一人、あちらこちらに視線を泳がせる。ライナと景色を見ながら気分を共有する時間も悪くはないのだが、アイザックの言う『列車の旅の醍醐味』という言葉が頭から離れない。彼女の言う醍醐味とはまだはっきりと理解した訳ではないが、車窓を流れる景色やこの唯一無二の食事だけではない気がして、いつしかそれを探し始めていた。
もちろん、駅弁の絶品な味わいが彼をそう動かした原因の一つである。
カノープス急行の内装は木目を基調としたシックな作りで、目立つ装飾はないもののシンプルな作りは落ち着く空間を作り出している。座席部分はやはり夜を意識しているのか深めの紺で長距離列車のためクッション性は中々のもの。
所々に空席はあるものの、それなりに席は埋まっているので車両の中は少しだけ人の声が反射していた。
通路を挟んで勇者達の席の隣には老夫婦が向かい合って座っていた。座席の横に杖をかけた男性は茶色いスーツに合わせて同じく茶色に黒帯のハットを被り、口には白い髭をたくわえている。婦人はライナより少し縁の狭い麦わら帽子を被り、白いブラウスに緑のロングスカートを穿いていた。会話の間に挟む笑い方や、その格好に気品が感じられるものの、貴族はこのような長距離列車を移動手段として選ぶはずがないので恐らく地位が高い者達ではない事が分かる。
しばらく勇者は辺りを見回していたのだが、いつの間にかその老夫婦に釘付けになってしまう。二人のもつ和やかでゆったりとした雰囲気は時間の流れをまるで遠くの景色を眺めているように感じさせた。
「ご旅行ですか?」
「え? あ、はい!」
じっと向けられた視線に気付き、男性が勇者に話しかける。その向かいに座る婦人もこちらに顔を向けて笑っていた。
「まぁ。どちらまで?」
「あ、はい。アイゼルまでです」
まぁ遠くまで。と頷く婦人に「いえいえ」と頭を下げる。男性にも婦人に対しても一礼しながら答え、また頭を下げる勇者の姿に男性はハッハッハと笑い声を上げた。
「そんなにかしこまらないでくれ。私たちは大した人間じゃあない」
「いえ! そんな!」
「それにそちらの方こそ地位が高い方とお見受けしますぞ?」
「え? な、何をまた!」
慌てて両手を振る勇者に男性はニヤッと笑う。
「年の功をなめてはいかんぞ? ……なーんてな! さっき君たちの会話が聞こえてしまった! 申し訳ない。盗み聞きするつもりはなかったんだがな」
婦人がペコリと頭を下げるので勇者も慌てて頭を下げ返す。男性は笑ったまま膝をパシンと叩いて手を差し出した。
「まぁ。今はただの旅のともだ。余計な詮索は無粋だな。私たちは途中のマダルーという小さな町で降りるが、それまでよろしくな。それと世界を救ってくれてありがとう。若き勇者殿」
世界を救った勇者の顔はガーランド国以外では、あまり似ていない似顔絵しか出回っておらず、勇者達の会話を耳に挟まなかったらこの老夫婦も気付かなかったであろう。
勇者は腿で手の平の汗を拭いて男性と握手を交わした。世界を救ってからもう何年も経っている今ではこうしてその時のお礼を言われるの事自体珍しい。改めてお礼を言われると何だか恥ずかしくて照れくさくて勇者は顔を真っ赤にした。
「お口に合うかわからないけど、良かったらこれ食べて下さいな」
婦人は膝の上に置いた紙の箱からパウンドケーキを取り出して勇者に差し出した。
「これは妻の手作りでね。これの味に私は惚れてしまったんだよ」
「もう。冗談はやめて下さい。はい。あなたも」
二人は手を離して紙ナプキンに挟まれたパウンドケーキを受け取る。冗談ではないんだけどなと頬を掻きながらイタズラな顔をする男性につられて勇者もついつい笑ってしまった。
「そちらのかわいいお嬢さんもいかが?」
婦人の言葉にライナは振り向く。『姫』ではなく『お嬢さん』と呼ぶ心遣いが旅のともならではのものなのか、この老夫婦の人間性のなすものなのかはわからないが、男性の言う「余計な詮索は無粋」と言う言葉がこの空間の居心地を良くしている事は確かだった。
「わー! おいしそう! ありがとうございます!」
天真爛漫な笑顔を振りまいてパウンドケーキを受け取るライナに老夫婦も優しく微笑む。手渡されたパウンドケーキはプレーンとチョコのマーブル状のもので少しだけ崩れた形が手作りらしかった。
「いただきまーす!」
楽しそうに声を上げるライナに合わせて勇者もいただきます、と頭を下げパウンドケーキを口に入れる。
「あ! これバナナだー!」
ライナが一口食べて直ぐに声を上げる。ライナはバナナが大好物だった。
勇者がプレーンだと思っていた生地はバナナ味のものだった。つまりこれはチョコバナナ味のパウンドケーキ。続けてもう一口。柔らかくしっとりとした生地にバナナの自然な甘みとチョコの少しほろ苦い甘さが甘過ぎない良いバランスを保っていて、どんどん食べ進めてしまう。おいしい! を連呼しながら夢中で食べている三人を嬉しそうに見つめて婦人もパウンドケーキを口に入れた。
「おいしかったー! ごちそうさまでした!」
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
先に食べ終わったライナと勇者に婦人は手で口を隠しながら「いえいえ」と少し頭を下げる。
「うむ。やはりこれは絶品だな。しかし……このカノープス急行に乗ってまたこれを食べる日が来るとはなぁ」
食べかけのパウンドケーキを持つ手を膝に置いて、男性は二回頷く。婦人も懐かしいわねぇ、と溜め息をついた。
「あぁ。この味はずっと変わらず絶品だ。あの日食べた味と今も何ら変わりがない。それでもこの列車に乗って食べるのは……やはり特別だな」
男性はパウンドケーキを見つめながら物思いに耽るような表情をしてフッと笑った。
「あれから随分経ったというのに。まるで昨日の事のようだな……」
老夫婦の言葉に勇者の胸から言葉が喉を通りかけるが、それを必死に飲み込んで無言を貫いた。
余計な詮索は無粋。
その言葉通り、勇者はこの二人の過去に何があったのかを聞こうとはしなかった。
「あのー……昔、何かあったんですか?」
ライナは首を傾げながら自然に二人に問う。先ほどの会話を聞いていなかった彼女は勇者が喉元でグッと押さえた言葉を簡単に吐き出した。
「ははは。いやぁお恥ずかしい」
ライナの言葉に我に返り、自ら発した台詞に照れて男性は少し顔を赤らめて頬を掻く。きっと癖なのだろう。
「差し支えなければ是非聞かせて下さい!」
ライナの両目からキラキラと眩しい光が放たれる。この純粋な瞳には変な勘ぐりなど一切ない。老夫婦はこの瞳の力に押されてか少し気恥ずかしそうに頷き合うと男性が感慨深げに口を開いた。
「もう四十年前になるのか……」
マダルーの高台に建つ真っ白な病院は海側から見上げればまるで青い空に浮かぶ雲のようだった。名はセイラント病院。三階建てで、マダルーで一番大きな病院でもある。とは言え、ちっぽけな港町の一番なんて王国のそれから見たら、たかが知れた大きさだ。
それでもそこの最上階から見える景色は中々のものだった。
半円状の海に沿うように並ぶマダルーの町並みが一望出来、その先、一面に海が広がる。その向こう側には空と海の境目が見えた。
「窓を開けてくれる?」
ベッドから上半身だけ起こして窓の外を見つめる母の言葉に、男は黙って椅子から立ち上がる。
窓を開けると海から届いた湿った風が病室をさらった。白いカーテンがふわっと揺れて一瞬母の顔を隠した。
男の名はゲイル。彼は唯一の肉親である母の病状が、もう取り返しのつかないとこまで来ている事を伝えられたばかりだった。もちろん本人は知らない。
彼は伝えない。医者にも伝えないように頼んだ。
現実を受け入れられずにいた訳ではない。それでも尚、奇跡を信じ、助かってくれと願う事を止めたくなかった。
「あら、換気していたの? 寒くなったら直ぐに言って下さいね」
母の病室に入ってきた女はゲイルの幼なじみでもあり、恋人でもあるノーラだった。
彼女の言葉に母が微笑んで小さく頷くと、ノーラは病室のドアを閉めて水を換えてきた花瓶を棚の上に戻した。
「もうすっかり秋ですね……」
「そうね……まさか一年も入院するなんて思いもしなかったわ。ノーラごめんなさいね。お店、ずっと手伝ってもらっちゃって」
「いえ……そんな」
ノーラは俯いて首を振る。母はノーラの手を取ると優しく語りかけた。
「本当にありがとう。あなたは私の誇りの娘よノーラ」
「……フェノ母さん」
ノーラは両親が居なかった。六つの時に事故で亡くし、このマダルーに住む遠い親戚の家で養われた。
しかし、両親を亡くしたばかりで塞ぎ込んでいたノーラはこの一家となかなか馴染む事が出来ず、もともと厄介者を押し付けられる形で引き取る事になった一家もまたノーラを疎ましく思っていた。
その結果、中等教育に上がる頃にはもう家を出て、働きに出た青果店で下宿させてもらいながら学校に通っていた。その青果店の隣で本屋を営んでいたのがゲイルと母フェノである。
ノーラと同じく幼い頃に父を病気で亡くし、女手一つで店を切り盛りする母を手伝いながら同じ学校に通うゲイルとは直ぐに仲良くなった。時々、学校帰りにゲイルに連れられて本屋に顔を出すようになったノーラをフェノは毎回、娘のように迎え入れた。
ノーラもまた久しく忘れていた母の温もりに触れたいのもあってだんだん自ら足繁く通うようになる。そうしてノーラはいつしかフェノを「フェノ母さん」と呼ぶようになっていった。
「今でも時々思い出すのよ。あなたが初めてうちに来た時の事。ゲイルもあなたも泥まみれでビックリしたわ」
母はクスクス笑ってノーラの手を優しく撫でる。ゲイルは窓の外の景色を眺めながらノーラと初めて会話した日を思い出していた。
中等教育学校の初登校日。ゲイルは家を出てからずっと前を歩いている同じ学校の制服を着た女が隣の青果店で働き始めた奴だと言う事は知っていたが、なんせその女は昨日から働き始めたばかりなので、挨拶どころかまだ顔も見た事が無かった。
追い越して顔を見てやりたい所だったが、数歩先を歩く女の方が背が高く、歩幅も女の方が広い為に早めに歩いても差を保つだけだった。
息が切れてきたゲイルをよそに穏やかに歩く女のポケットからひらりと何かが落ちる。
ゲイルはそれを拾った。何も書かれていないピンク色の小さな便せんだった。
「お、おい!」
ゲイルがそれを手に立ち上がり声をかけると女が振り向く。と同時に春特有の瞬間的な風が吹いた。女の顔を肩口で揃えられた栗色の髪が風になびいて隠す。
「あ……」
風が凪いだ瞬間。ゲイルは心臓が一回大きく脈打ったのを感じた。
鞄を両手で持ちながら目の前に立つ自分より背の高い女から目が離せなくなってその場に立ち尽くす。
「あの……何か?」
女は怪訝な顔をして首を傾げた。ゲイルはようやく我に返り、慌てて手に持っていた便せんを差し出す。
「こここ、これ落としましたよ!」
「あ、ありが……」
「じゃ、じゃあ!」
女がそれを受け取り礼を言う前にゲイルは全力で走り出した。どんどん脈を大きくする心臓は運動によるものではない事はわかっていた。
もろもろの式典を終えて教室に入ってもゲイルの心臓は高鳴りを止めない。同じ教室にあの女が居るせいだった。
ゲイルは色んなクラスメイトから話しかけられてもずっと女から目が離せず、全て上の空で答えていたので、話しかけた者達は簡単に興味を失い、直ぐにどこかへ行ってしまった。ゲイルはそんな事も構わずじっと女を見続けた。
そうやって見ている内に、誰からも話しかけられずただ黙って座っている女に疑問が浮かぶ。
何故、誰も彼女に話しかけず、彼女もまた誰にも話しかけないのだろう?
浮かんだ疑問は徐々に疑惑へと変わっていき、ゲイルは思わず隣に座る男に話しかける。
「なぁ。あの子……」
ゲイルは隣に座る男の肩を叩いて女を指差す。男はゲイルの指差す方向に顔を向けると少し苦い顔をして身をゲイルに寄せた。
「ノーラだよ。あいつ俺と同じ海側の初等教育学校に通ってたんだけどさ。なんか親が死んで親戚の家に引き取られたとかでスッゲー暗いんだよ。だから友達もいないってわけ。お前山側に通ってたんだろ? だったら知らないと思うけど。あいつには関わらない方が良いぜ。あいつの事いじめてる奴らもこの学校なんだけどよ。これがまたスッゲー悪くてつえーんだよ。目つけられたら終わりだぜ?」
隣の男はコソコソと耳打ちした後、目線で一人の男を指す。そこには同じ歳とは思えない程の体つきをした目の細い男が数人の男と笑い声を上げていた。
ゲイルはそのバカ丸出しの声に辟易すると共に、ノーラに妙な仲間意識を持ち始めていた。ゲイルも幼い頃に父を亡くし、夫と共に作り上げた本屋を潰すまいと必死に働く母の手伝いに明け暮れて、誰かと遊ぶ事が無かったから友人が一人も居なかったからだ。
教師が教室に入ると途端に教室は静かになり、教師はわざとらしく咳払いをして教壇に手をついた。
「えー。君たちは今日から一年間一緒に学んでいく仲間だ。仲良くやっていこう。まずは自己紹介だな。私は君たちの担任のレブロだ。よろしく」
教室を見回すレブロに生徒達は無言で頭を下げる。初等教育とは違い、教師に全くフランクさが感じられない。そのギャップにみんな萎縮していた。
「じゃあ端から。起立」
レブロに指差された廊下側の一番前に座る女がビクッと立ち上がり、自身の名前と簡単なプロフィールを言う。それが次々に続いていった。どこの方面に住んでいるだとか、家は何の店をやっているだとか、兄弟は何人だとか。言う事は様々だったが、みんな一貫して家の事を話していた。
ノーラの前の席の自己紹介が終わると、ノーラはゆっくりと立ち上がり、自己紹介を始めた。
「ノーラ・ウィンストンと言います。山側の青果店に住んでいます」
「おいおい! ウィンストンなんて名前の奴この町に居たか?」
「いーや! 聞いた事ないね! 死んだんじゃない?」
「住んでるんじゃなくて働いてるんだろ! 貧乏人!」
ギャハハハと下品な笑い声が教室に響く。さっきの奴らがからかう声を無視してノーラはそのまま着席した。聞こえるようにわざと大きな舌打ちをして大柄な細めの男がノーラを睨む。後ろの奴が立ち上がると、フンと鼻を鳴らして顔を前に戻した。
自己紹介は何事も無かったかのように続いたが、教室内はヒソヒソ話に満ちていて誰も自己紹介なんて聞いてはいなかった。みんなノーラの身の上話に夢中だった。
ゲイルの出番が来ると、彼はわざと思いっきり立ち上がった。ガガガっと椅子が音を立てて後ろの机にガンとぶつかる。その音で一瞬みんなの会話が止まり、視線がゲイルに集中した。
「ゲイル・リーベルトです。あ。そういや父親死んでるからこの町にもうリーベルトは居ないんだった。今はゲイル・ロスです。山側で母が一人で本屋をやっているので一緒に働いています。でも大した売り上げも無いから貧乏です」
ゲイルは静まり返った教室なんてまるで紀にもせず、後ろの席の男に「悪い」と謝って席に着いた。後ろの席の男もゲイルの発言に面食らって頷く事しか出来なかった。
周りの視線が集中する中、ノーラと目が合う。ノーラもこちらを見ていた。そして大柄な男もゲイルをジッと睨んでいた。
初登校の予定を終えて、午後には教室のみんなが帰っていく。ゲイルもあんな事をしてしまったので一応身構えていたのだが、不思議と何かをされる事はなく、大柄な男とその子分達は教室から早々に姿を消していた。
「おいお前。何だってあんな事言ったんだよ。あれじゃケンカ売ってるようなもんだ」
「別に。何となく。それに事実だし」
ゲイルは隣の男にそう吐き捨てて教室を出る。正直、面白くなかった。ノーラがからかわれた内容も。そしてからかう人間の存在も。ゲイルには許せなかった。
「明日も懲りずにやってくるようならどうにかしないとな。まずはどうしてやるか……」
自分ではなくノーラがやられた際の行動をブツブツ呟きながらゲイルは今朝の道を引き返す。いっそ自分に何かしてくれれば大義名分が立てやすいのだが、何もされないのでは何かすればこっちが悪者になってしまう。何とか頭を捻るが、名案はなかなか浮かばなかった。
「おい! 貧乏人のくせに新品の制服なんか着やがって!」
「どうせ洗濯なんかろくにしないんだろ? ほーら!」
「お前くせーんだよ! こうすりゃ洗濯もさせてもらえるし風呂にも入れてもらえるだろ! 感謝しな!」
少し離れた所から声が聞こえた。ちょうど道からは民家が邪魔で見えない。ゲイルはその声の主が誰かが分かっていた。急いで民家の裏手に回ると、大柄な男と子分達が少し距離を取るノーラに泥を投げつけていた。
必死に避けようとするが避けきれる訳もなく制服はどんどん汚れていく。泥がノーラに当たる度に男達は互いの点数をカウントした。
「おい! お前ら!」
ゲイルが叫ぶと男達は一斉に振り返る。
「何だお前か。よう。今日は随分と調子乗ってくれたじゃねえか!」
大柄な男が泥を手に取ってゲイルに投げつける。ゲイルの胸に泥がビチャッと広がった。それを合図に子分達も一斉にゲイルに泥を投げつけるが、ゲイルはそれを一切避けようともせずただ立ち尽くしていた。
ゲイルは喜んだ。これで大義名分が立つ。
ニヤリと笑うとゲイルは鞄を投げ捨て、一目散に男達の元へ走った。急に走り出したゲイルに男達も泥を捨てて走り出す。
「やっちまえー!」
大柄な男が叫ぶと同時に子分の一人が泥地に飛ばされた。ゲイルは突き出した右手を引く反動で左手を突き出す。
「ウグォ!」
子分のもう一人が顔面にそれを食らい地を滑った。足を止めてうろたえる子分の最後の一人にゲイルは走る勢いを使って飛び蹴りを食らわす。
「あぐぁ」
泥だらけになったゲイルの周りに三人の子分が倒れ込む。一瞬で残りは大柄な男だけとなってしまった。
「やるじゃねぇか。てめぇ!」
大柄な男はその体格に似合わず俊敏に動き、ゲイルとの距離を詰めると右の拳を顔面に見舞った。
ゲイルは避けきれず食らってしまうが、倒れずに負けじと殴り返す。
泥地で掴み合い、殴り合い、蹴り合う。
対格差を考えれば圧倒的にゲイルが不利に思われたが、徐々に勢いをなくしていったのは大柄な男だった。ゲイルは亡き父の腕っ節の強さを色濃く受け継いでいて、山側で彼に敵う者は大人でもなかなかいなかった。
「ううううぅ」
大柄な男がゲイルに打たれた腹を抱えて泥地に倒れ込む。ゲイルも泥だらけで傷だらけだったが、息を切らしながら大柄な男の襟を掴んで顔を上げさせると拳を鼻先に持って行く。
「いいか。もう二度とノーラをからかうな。もし次またこうやってノーラにちょっかいだしてみろ。そしたらこんなもんじゃすまさねぇぞ。わかったな」
ゲイルは掴んでいる襟を大きく揺らした。
「わかったな!」
「は……はいぃ」
男の返事を聞くとゲイルはフンと掴んでいた襟から手を離す。解放された大柄な男は既に起き上がっていた子分達と逃げるようにその場から走り去った。
それを見送ってゲイルはドサッと道に座り込む。
「いててて……ちくしょう。あの馬鹿力め」
「あ……あの……」
ゲイルは血が出ていた口元を拭って振り返る。そこには同じく泥だらけのノーラがゲイルの鞄を持って立っていた。
「あ……ありがとうございます!」
ノーラは深々と頭を下げて鞄をゲイルに差し出す。ゲイルはその鞄を受け取り立ち上がった
「あ、あのさ。良かったらうちでその泥落としていかないか?」
「え?」
ゲイルの言葉にノーラが顔を上げるとゲイルはポリポリと頬を掻いてそっぽを向く。
「そんなんで帰ったら下宿先に何言われるか分からないだろ? 仕事にならないし。その点うちはそういうの大丈夫だからさ」
ゲイルの顔は泥だらけでノーラには気付かれなかったが、その泥の下は真っ赤になっていた。ノーラも同じく泥だらけの顔を赤くして答える。
「そ、それじゃ……お言葉に甘えて」
病室の外が赤く染められていく。ゲイルは唇をギュッと結んで窓を閉めた。
「あの日の出来事は私にとってかけがえのない思い出です。あの日のおかげでゲイルとフェノ母さんに出会えたんですもの」
窓から差し込む夕日に照らされたノーラの顔はとても美しかった。母は優しく微笑むと「ありがとう」と呟いた。
その顔を見ると心が痛み、ノーラはまた顔を伏せてしまった。
母が必死に守り抜いた本屋は入院費を捻出するのに三ヶ月前に売り払ってしまっていた。
「フェノ母さん……知ったらきっと自分を責めるわよね」
病院の帰り道。ノーラはゲイルの隣で空を見上げた。
「あぁ。助かったら正直に白状するよ。でもまだ言えない。体に障るだろうし」
「そうね……」
海風が吹くマダルーの秋の夜はもう薄手の服では肌寒い。白い息を吐きながら、ポツポツと灯る明かりを辿るように二人は歩いた。
「なぁノーラ」
「なに? ゲイル」
二人は夜道で向かい合い立ち止まる。ゲイルはポケットから手を出してギュッと握りしめた。
「俺と……俺と結婚してくれないか?」
「え?」
ノーラの口から白い息が漏れる。
「その……金もないけど。こんな俺だけど。ノーラさえ良かったら。その……」
ゲイルが目を合わせるとノーラの瞳から大粒の涙がポロポロと流れ落ちた。
「私……家族になっていいの?」
「あ、あぁ! もちろんだ!」
「あなたが夫になって。フェノ母さんが母さんになるの?」
「そうだ! ノーラ・ロスになるんだ!」
「うわあああ!」
ノーラは泣きながらゲイルに抱きついた。一瞬よろけたゲイルだったが声を上げて泣くノーラの背中をそっとさする。
「全く……はいもいいえも言ってないぞノーラ」
笑いながら吐いた溜め息が白く染まり、夜空に溶けていく。真っ赤な顔は泥に隠されていなかったが隠す必要はなかった。自分に抱きついて泣きわめくノーラに見えているのはきっと自分の顔なんかではなく沢山の思い出とこれからの未来だろうから。
翌日、二人で母に結婚の旨を伝えにいく。母はこの結婚の報告を聞いた時、ベッドから飛び上がる程喜びノーラに抱きついた。
「ノーラ……私の娘ノーラ!」
「お母さん!」
二人は抱き合って互いに声を上げて泣いた。ゲイルは何事かと病室を尋ねる看護士や医者に何度も状況説明をした。そしてその度に「おめでとう」と言われ、顔を赤くしながら頬を掻いた。
結婚が決まったものの、資金もないので、教会での結婚式はもちろん挙げずに母の病室で三人だけの結婚式をひっそりと行った。
白いワンピースに手製の花の冠をつけたノーラが二人の前であるものを取り出した。
「あ。それ……」
ゲイルが声を漏らすとノーラは手に取ったピンクの便せんの封を開ける。
「これはね。母が私の誕生日にくれた最後の手紙なの。私の宝物よ」
中から手紙を取り出し、二人に手渡す。ゲイルと母は顔を寄せて手紙を読んだ。
『愛するノーラ。どんどん可愛く成長するあなたの姿が愛おしくて仕方がないわ。いつかとっても綺麗なあなたの花嫁姿を見るのが私の夢よ。その時はお父さんきっと泣いてるわね。なんて今からこんな話してもね。来年はどんな姿を見せてくれるのかしら? 今からもう楽しみよ。また来年もあなたが笑って私の手紙を読んでいますように。母より』
ゲイルは目に涙を浮かべ、手紙を返した。あの日、偶然拾ったこの手紙はきっと運命だったのだ。そう思えて仕方がなかった。あの時、ノーラが振り返った瞬間にゲイルは恋に落ちてしまったんだから。
「きっと両親も私の花嫁姿を見て喜んでいると思う。だってこんな素敵な家族に出会えたんだもの」
涙を流して笑うノーラに母とゲイルが抱きつく。ノーラは泣いて笑いながら二人を強く抱きしめる。一度失った家族の温もりが愛おしくて仕方がない。ノーラはあの日、便せんを落としたのは両親の仕業に違いないと思った。おかげでこんなにも幸せなのだから。
その二ヶ月後に母は亡くなった。
本当の娘になったノーラ、そして愛する息子に看取られた死に顔は幸せに満ちていた。
「こちら。フェノ・ロスさんから亡くなった時に二人に渡してくれと頼まれていたものです。恐らく遺言だと思います」
死亡の際の手続きを終え、病院を後にする時に担当医から一通の手紙が渡された。
二人は近くの公園にあるベンチに腰を下ろし、手紙を広げる。
『愛するノーラ。愛するゲイルへ。これを読んでいる時に私がこの世に居ないのはまぁ当たり前なんだけど少し寂しい気もするわ。せっかく素敵な娘が出来たのに。と言っても今までも娘だったから変わらないんだけどね。二人には色々と迷惑かけたわね。ごめんね。母さん病気に勝てなかった。一足先に父さんの元へ行ってきます。きっと父さんもあの本屋を売った事は怒ってないはずよ。あの人でもそうしたと思うわ。わたしの事が大好きだったからね。ゲイル、あなたはそんな父さんにそっくりよ。そしてノーラは若いときの私そっくり。本当に血が繋がっているんじゃないかしら。なんてね。二人とも幸せになりなさいね。ノーラの両親にはしっかり挨拶しておくから安心して。そしてゲイル。あなたは本当に頑張ってくれた。私と一緒にあの店を守ってくれてありがとうね。あなたと過ごした日々は私の人生でかけがえのない時間でした。苦労ばっかりかけてごめんね。どうかあの店を無くした事で自分を責めないで下さい。これであなた達を縛るものが無くなったから逆に良かったかもね。まだまだ若いんだからこれからの未来。精一杯幸せになりなさい。私みたいにね。母より』
手紙のインクが二人の涙で所々滲んでいく。手紙を持つゲイルの手が震えてそれを支えるようにノーラが手を重ねた。
「お母さん。知ってたんだ……お店の事……」
ノーラの声も震えている。母は全てを知っていた。自分が助からない事も入院費の為にゲイルが泣く泣く店を手放した事も。その上で幸せだったと言ったのだ。沢山の苦労を重ねて必死に生き抜いた人生。決して楽しい事ばかりではなかったはず。それでも母はいつだって微笑んでいた。泣いている所なんて見た事がなかった。それが母親なのだ。
フェノ・ロスのような母親になろう。
ノーラは泣きじゃくるゲイルを自身も泣きながら抱き寄せて固く決意した。
吐く息の白さは雲のように濃い。マダルーはもう冬を迎えていた。
冬空の下、マダルーの駅に二人の姿はあった。荷物は互いに鞄一つのみ。ほとんどのものは入院費に消えていった。
「向こうはきっとこんなに寒くはないんだろうな」
ゲイルは手に息を吹きかけ、両手を擦り合わせる。
「そうね。それにこんなに星は見えないかもね」
見上げた空には今にも降り出しそうな満天の星が瞬いている。海沿いに位置するマダルー駅ならではの光景に二人は体を寄せ合った。
全てをなくした二人は遠く離れた大国に向かう事に決めた。そこでゲイルは今までなかった本の流通を生業とする職業を立ち上げ、もっと沢山の本を沢山の国に届けたいと言う夢を叶えようとしていた。そしてノーラもそれを支え続ける覚悟を決めていた。
何も知らない場所で何もない状態から始めるのはそこらの苦労では足りないだろう。それでも二人の母から言われた「私のように幸せになりなさい」と言う言葉がゲイルとノーラを突き動かした。
二人で幸せになる。たとえどんな苦労があったとしても。ずっと笑っていられるよう。
マダルー駅に到着したカノープス急行が汽笛を上げる。二人は列車に乗り込み、互いに向かい合ってボックス席に座った。
「なぁに?」
自分の顔をじっと見つめるゲイルにノーラは首を傾げる。
「いや。何だか不思議な気分でね。寂しくもあり悲しくもある。けれど嬉しくもあり楽しくもある」
何なんだろうね、と同じく首を傾げたゲイルにノーラは優しく微笑む。
「何って。そのまんまでしょ? 思い出に心が惹かれながら未来にときめいているのよ。私も同じ気持ちよ」
汽笛がもう一度鳴り、カノープス急行は北上する。遠ざかる町に残したものはなく、全てを持って行った。持てるものは全て。
「ねぇあなた?」
窓の外をボンヤリと眺めていたゲイルは頬杖をついたままノーラに視線を移す。
「お誕生日おめでとう」
ノーラの持つ箱には小さなマーブル状のパウンドケーキが二つ入っていた。ゲイルは目を見開く。マダルーを出発する今日はゲイルの二十歳の誕生日だった。準備に追われて本人はすっかり忘れていたが、ノーラはちゃんと忘れずにいた。
「そんなに材料も買えなかったから量も少ないし飾り気もないけど……」
「い、いや。ありがとう」
ゲイルは箱からパウンドケーキを一つ取り出す。ノーラもケーキを取り出して箱をしまった。
「いただきます」
声を揃えてもノーラはケーキに口を付けず、ゲイルがケーキを頬張るのをジッと見つめていた。
「あ。バナナ味」
ゲイルは一口食べて呟く。バナナはゲイルの好物だった。
「おいしい。おいしいよ……本当に」
パクパクと二口目を口にするゲイルを見てノーラは満足そうにケーキを頬張った。
「うん。おいしいね」
少しでもゲイルに喜んでもらいたくて作ったチョコバナナ味のパウンドケーキ。本当はもっとしっかりしたケーキを作りたかったがそんな余裕はなく、せめて味だけはとゲイルの好物のバナナを使った。そして見事に美味しそうにケーキを頬張るゲイルを見てノーラは満面の笑みを浮かべる。
「おい。口元にケーキついてるぞ」
「あら? あ! ほんとだ!」
「全く。相変わらずだな!」
二人は声を上げて笑った。その顔は泥んこになって笑ったあの時と何ら変わりのない笑顔だった。
「そ……それからどうなったんですか?」
勇者は身を乗り出して男性の話の続きを催促した。余計な詮索は無粋と言う言葉は今の彼には何の抑制にもならない。
「わ、わたしも聞きたいです!」
ライナもぐっと身を寄せる。男性はニッコリ笑って続けた。
「最初は苦労しましたけどね。基盤が出来るまでに十年以上はかかった。そうしてようやく出来た会社が今で言う出版社の先駆けです」
「なるほど! そういう事ですか!」
「すごいです! すごいですおじさま!」
「それからはもう順調に進んでいきました。無闇に利益に走らず、出来る事をやってゆっくり会社を大きくしたんです。そうして国で一番の出版社になった所で部下に会社を譲って私たちは故郷に帰る事にしてこの列車に乗っていると言う訳ですよ。子宝にはめぐまれなかったが息子や娘のような社員で溢れた幸せな会社でした」
婦人は思い出を噛み締めるように頷く。男性は目の前の婦人の顔を見て頬を掻いた。
「実際、私は帰るつもりなんてなかったんですけどね。全部こっちに持ってきていたんで。でも彼女が持って来れなかった思い出も必ずあるはずだから、それを探しながら余生を楽しみましょうって聞かなくてね」
「でも結局あなたもこうして心を弾ませているじゃないですか」
得意げな顔で男性を見つめる婦人は何だか少し若返って見えた。
「まぁ確かに。いざ、帰るとなると寂しいやら悲しいやら嬉しいやら楽しいやらでね」
「それは思い出に心惹かれながらこれからのタビにときめいているんですよ」
ハハハと男性は笑って帽子を取った。
「全くその通り。私はあの頃とちっとも変わっていないようだ。そしてノーラ。君はあれからどんなに生活が苦しくても私の誕生日は絶対にこのパウンドケーキを作ってくれたね。ありがとう。ずっとこれを食べ続けられた私は世界一の幸せ者だ。本当にありがとう。今も昔も私はこれが一番の好物だよ」
帽子を旨に抱いて深々とお辞儀をする男性の膝に婦人はそっと手を置いた。
「もう。何を急に改まって……よして下さいな」
婦人の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
この二人は母の言いつけ通り、母のように幸せになったのだろう。そしてその幸せはこれからも続いていくのだ。
勇者は微笑み合う老夫婦を見ながらそんな事を考えた。
「じ、じあわぜっっでいいものでずね」
「ひ、姫?」
ライナは鼻をすすりながらボロボロと涙を零していた。勇者は慌てて鞄からハンカチを取り出し、ライナの手に握らせた。
チーーン!
思いっきり鼻をかんだライナは深く息を吐いて老夫婦に言った。
「私も……私もあなた方のような幸せな人生を送れるように頑張ります!」
目を真っ赤にして高らかに宣言するライナを見て老夫婦は優しく微笑む。
「ええ。私もそうなるように願っています」
男性はライナと固い握手を交わした。
「次はマダルー。マダルーでございます」
車内アナウンスが響く。話に夢中になっていて気付かなかったが、外はもう一面に海が広がっていた。
「では。私たちはこれで。おかげで楽しい旅でした」
男性は立ち上がり様に帽子を取って軽く一礼する。
「もう会う事はないかも知れないけれど。もしマダルーに立ち寄る事があったら是非とも山側の本屋をお尋ねくださいな。私たち夫婦がひっそりと店を開けていますので」
婦人が頭を下げて二人は駅に下りていく。小さな駅だったが見晴らしも良く綺麗な町だった。二人は並んで車内に居る勇者一行に手を振る。窓を開けて姫と勇者も笑顔で手を振り返す。
「素敵なお話をありがとうございます! どうかお元気で! いつか必ずこの町に立ち寄りますから!」
「私も! 私も絶対に来ます! そしたら面白い本いっぱい教えて下さい!」
老夫婦は何度も頷きながら笑った。そして手を降り続けた。
列車が進みだして駅が見えなくなるまでずっとずっと手を振っていた。
「どうやらまた旅の目的地が増えたようだな」
「い、いつから起きてたんですかアイザック先生!」
アイザックは胸ポケットから手帳を取り出しペンを走らせる。ライナは窓の外を眺めながらまた鼻を啜っていた。
「うん? 昔話からだよ」
「ほとんど最初からじゃないですか」
呆れる勇者にアイザックはニヤリと笑う。
「どうだい? 旅の醍醐味。少しは分かってきたんじゃないのかい?」
勇者は溜め息をつきながら首を縦に振る。このような出会いも旅の醍醐味と言うならば納得せざるを得ない。旅はなかなかいいものだ。間違いない。
カノープス急行はマダルーを過ぎてからしばらく海岸線をゆっくりでもなく、まして急ぎすぎる訳でもなく走って行った。おかげで景色はすっかり海辺が続いていて、開けっ放しの窓からは潮の香りが運ばれて来る。
「海って青いですけど空のように明るい青ではないですよね。それも遠くになればなるほど」
「そりゃ光が届いていないからな。当たり前だ」
沖を見つめる勇者にアイザックは自分の荷物をガサゴソと探りながら答えた。
「光が届かないってどんな感じなんですかね?」
アイザックは荷物の中から一つの書物を取り出して席にドサッと座り直す。
「さぁな。それは私も経験した事がない。もしかしたら一生知る事が出来ないかもな」
「……僕もです」
「でも、そうやって知ろうとするのとしないのとじゃ大きな差がある。そういう人間ならいつかは分かる時が来るかもな。常に考えろとは言わないが、思い出したときぐらいは考えてみると良い。また違った答えに出会えるはずだよ」
アイザックは書物を開いて膝の上で捲っていた。勇者は、そうですか、と相槌を打ってずっと海と空の境目を見つめていた。
勇者はこの列車に乗ってから普段では考えもしない事に頭を巡らせていた。あおの川では何が釣れるのだろうと、海は何故暗いのだろうと、光が届かない世界はだんなものなのかと。
自分の生活に必要のない事に頭を働かせるのが楽しく思えるのも果たして、旅のせいなのだろうか。人が聞いたら下らないと嘲笑するような話題もアイザックは笑いもせず、疑問を持つのは当然と言った具合で返答してくれる。不思議な時間だった。
「お! やっぱりだ!」
アイザックは書物のページを指でなぞった。
「ライナ! 次のパールノートと言う町で降りるぞ!」
「はい! わかりました!」
アイザックの言葉に振り向き頷くライナに勇者は慌てる。彼らの目的地はアイゼルであって、直通のカノープス急行に乗る以上、途中下車する必要はない。むしろこの列車は朝に南下と夜に北上で一日に一本ずつしか走らない。つまり途中で下りてしまうと次の電車まで二十四時間待つ事になる。
「ちょっと待って下さい! そんな事したらアイゼルに着くのが一日ずれてしまいます!」
勇者はアイザックの突拍子のない発言を咎める。アイザックは手に持つ書物をそっと閉じて勇者に笑いかけて後、キッと睨みつけた。
「いいんだよ。待たせておけば」
「な、何を言っているんですか?」
「いいんだよ。どうせ向こうも暇を持て余しているんだから連絡を入れておけば大丈夫さ。そんな事より大事な事があるんだ」
「大事な事って……この旅は外交のためのものでしょ。その目的以上に大事なものって……一体何なんですか!」
アイザックは勇者の言葉を鼻で笑った。勇者はその太々しいアイザックの顔に自分は正しい事を言っているはずなのに何故か恥ずかしくなってきた。
「この旅は見聞を広めるものでもある。正直、外交の方がそのついでなのだよ。君はまるで理解していなかったようだがね」
両の手のひらを上に向けて、やれやれと首を振るアイザック。勇者は何も言い返せなくなってしまい、黙り込んだ。
「でも今、理解したんだからそれでいいだろう。元勇者君。そうとわかれば余計な事は気にせずに次で降りる準備をしようではないか」
アイザックは書物を荷物の中に戻して、黙りこくる勇者の肩に手を置く。
「……はい」
勇者は項垂れるように頷いた。
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