その心地よさに ―セレスティアSide


 ふと、隣の温かさがないのに気づいて、目が覚めた。

 まだボーっとする頭のまま、ゆっくりと瞼を開けてみる。


「ああああ! お姉さまが起きちゃったじゃん!」


 目を開けたと同時に、近くで騒がしい声が聞こえた。


「スクルのせいだよ!」

「キ! キキ!」

「いやいや、だって! スクルがほっぺた引っ張ってくるから、逃げるの当たり前! ってだから、引っ張ってこないでってば!」

「キキ!」


 視線を向けると、何故かベッド下で今朝現れた白い毛のお猿と手を掴んで取っ組み合いをしている義妹の姿が視界に入ってきた。


「……」

「はっ! お姉さま、ごめんなさい! せっかく気持ちよさそうに寝ていたのに起こしちゃって!」


 体を起こすと、義妹がそばのシーツを掴んで、ベッド上にいる私のことを見上げてくる。……ほっぺたが赤くなってる。


 でも、それ以外は眠る前と変わらない義妹の姿。


 何故かずっとそばにいる。


 一昨日、義妹は池に落ちた。

 私の手を引っ張って、池の中にいるお魚さんを見に行こうと言って、結局自分で足を滑らせて落ちた。熱を出してそのまま寝込んだ。その後はいつもどおりに私のせいになって、義母が責めてきた。熱が下がらないと言われた。


 このまま熱が下がらないのだろうか?

 どうすればよかったんだろうか?

 あの時の義妹の手をまた払えばよかったんだろうか?


 答えが分からなくて、グルグルと頭の中で考えていたら、どっちにしても、結局父はまたこの部屋から出るなと言ってくる。


 何をどうすればよかったのか分からないままだったところに、何故か義妹はいきなり部屋に入ってきて、抱きついてきた。泣いて震えて、くっついて離れなかった。


 いつも笑顔だった義妹が何故か泣いていて、さらにどうすればいいか分からなくなった。


 熱が下がってからの義妹は、どこかいつもと違う気がする。


 寝る時もくっついてくるし、いきなり何が食べたいとか聞いてくるし、起きたら大きな声で挨拶してくる。さらに強引に厨房に連れていかれたかと思えば、泣きながら笑っていた。


 義母に対してもそう。

 あんなに義母に対して冷たく答えているのを初めて見た。


 ずっと義母と私の間に入って、私を庇うように会話している義妹は、自分が知っている義妹じゃなく感じた。


 確かにあんな反抗的でも、義母のこの子に対する愛情は変わらないかもしれないけど……いつも嬉しそうに抱きついていたのに。


 それに、あんなことを父にお願いするとは思ってもいなかった。


 父にもああいう風に何かを聞かれるのは初めてだったけど、義妹があんなに一生懸命私と一緒にいることを頼むとは思っていなかった。


 私は義妹に特に何もしていない。

 この前の池に落ちたのだって、私が手を離してしまったからだ。


 そんな私なのに、どうして義妹は私と一緒にいることをあんなに喜んでいたのか。


 分からないことばかりで、どうすればいいのかも全然分からない。

 父に対して一緒に動物のお世話をすると言ってしまった自分も分からない。


 でも。


『一緒にいられますよ! お姉さま!』


 さっき嬉しそうに満面の笑顔でそう伝えてきた義妹が、頭の中で思い出される。


 それでよかったって、

 そう答えてよかったって、


 何故だか思えた。


 そっと目の前にいる義妹の赤くなっている頬に手で触れてみると、目を丸くさせて見上げてくる。


「……赤い」

「そうなんですよ! このスクルがやったんですよ! 全然やめてくれなくて!」

「キキ……」


 お猿さんの方に今度は視線を向けると、ぷいっと横を向いていた。そんなお猿さんを恨みがましいような目で見ている義妹。


 ……スクル?


 聞き慣れない言葉につい首を傾げてしまうと、「あ」と何かを思い出したように義妹がベッドの上に登ってきた。私の隣で正座して、「スクルもこっちこっち」と自分の隣のシーツをボフボフと叩いている。


「えーお姉さま。実はですね、この子の名前なんですけど」

「……スクル?」

「そうなんです! この子、スクルって名前らしいんですよ!」


 ……らしい? てっきりもう自分でつけたのかと思ったのだけど?


「あなたがつけたんじゃないの?」

「え⁉ あ! そそそうですね! なんか、こう! ピーンと閃いたって感じで!」


 あははと誤魔化すように笑っている義妹の腕が、お猿さんの白い尻尾にはたかれている。義妹は一度お猿さんの方にまたジトーっと視線を向けてから、何故か今度は私の方を見てきた。


「お姉さま……勝手に名前つけたこと、怒ってたりします?」

「?」


 質問の意味が分からない。何故ここで怒る必要があるのだろうか?


 疑問に思っていると、ちょっと言い辛そうに恐る恐る私の方を見てくる。


「わ、私と一緒に名前考えたかったかなぁとか、思ったりしちゃって……」


 ……何故? 私が? 本当に分からない。どうしてそういう風に思ったのか。お猿さんの名前とかも全く考えていなかった。


 首を傾げると、今度は自分の頬に手を当てて顔を俯かせていた。隣のお猿さんがどこか呆れた様子で義妹を見ている気もする。


 でも義妹は「で、ですよねぇ」といきなり何かを納得したように、パッと顔を上げてきた。


「あはは、気にしないでください、お姉さま。そう、その、本当に気にしないでください。私が自分でちょっと、ちょっと思い上がってただけなので!」


 思い上がり? 何を?


「いや、本当に本当に気にしないでくださいね! ごめんなさい、困らせちゃって! あ、でももしスクルっていう名前が嫌だったら、一緒に考えましょう? 勝手に名付けても困りますよね。お姉さまと一緒にお世話するわけだし」


 ふいに義妹が私の手を両手で掴んできた。ギュッと掴んで、申し訳なさそうな顔をして見つめてくる。


 ……また。


 その温かさに、胸騒ぎが起こる。


 厨房に行く時も、さっきも、こうやって掴んできた。

 さっき掴まれた時も、胸の奥が苦しくなった。


 どうして?


「お姉さま?」


 つい掴まれた手を見つめて、呼びかけられてハッとした。でも何も言葉が出てこない。


「どうかしました?」


 分からない。

 そう聞かれても分からない。


 どうしてこんなに胸の奥が苦しくなるのか、どうしてこんなにモヤモヤするのか。


 何も、分からない。


 分からないから何も言うことが出来なくて、つい黙ったままでいると、義妹はお猿さんと目を合わせて首を傾げていた。


 そのあとすぐに、バールが部屋を訪ねてきたから、内心ホッとする。やっと息を吐けた気がする。


「え⁉ ここで過ごしていいんですか⁉」

「ええ。当面は何も問題ありません。旦那様にも奥様にもご了承してもらいました」

「すごい! バールすごいですね! お姉さま、ここで一緒にいられますよ! スクルも!」

「おや? スクル?」

「あ、えーっとですね。この子の名前、スクルにしたんです! 今のところ!」


 お猿さんを持ち上げてバールに説明している義妹をつい眺めた。


 やっぱり嬉しそうにしている。

 それもやっぱり分からない。


 私と一緒にいることが、どうしてそんなに嬉しいことなのか。


「ベッドはどうされますか? まだ体は小さいとはいえ、さすがにもう一つ運び入れましょうか?」

「一緒がいいです!」

「ふむ。セレスティアお嬢様もそれでよいのですか?」


 ……全然話を聞いていなかった。ベッド? 一緒に寝る? どうしてそんな話に?


 バールが私に確認するように問いかけてくるけど、それよりもじーっと目をキラキラさせながら見てくる義妹がいる。どう見ても、期待している。……これ、断ったらどうするんだろう? 


「お姉さま……嫌ですか?」


 ……嫌と断ったら、絶対泣く。昨日この部屋に突撃した時みたいに。さすがにあれは困る。余計どうしたらいいのか分からなくなるから。


「……平気」


 呟くように小さい声で言ったら、またパアっと華やかに笑顔を咲かせた。スクルが何故かまた白い尻尾で器用に義妹の腕を叩いている。バールも私と義妹を微笑んで眺めていた。


「では、当面はそのようにいたしましょう」

「はい!」


 満面の笑顔でバールに答えている義妹は本当に嬉しそうで、



 断らなくて良かった、と、思った自分がいた。



「えへへ」

「……」


 夜、宣言通り義妹はベッドの中で私の隣にいる。


 バールはあの後、本当に色々とやってくれた。

 まずは私たちのお世話をする侍女を二人連れてきた。昔、母が生きていた頃にお世話をしてくれていた二人だった。義母が来てから見なくなっていたのだけど、バールがその日の内に呼び寄せたらしい。


『奥様に似てきましたね』


 二人が、懐かしそうに、でも少し涙ぐんで私を見つめてきたから、やっぱり困ってしまった。義妹はどこか嬉しそうに笑っていたけれど。


 料理もあのタックという料理人が自らこの部屋に運んできたから驚いた。これからは毎日彼が手配してくれるらしい。昼食も夕食も、義妹と一緒にそれを食べた。


 今までとは違って、温かい料理で、変な気分だった。


 バールは私が食べているのを見て、目元を緩ませて微笑んでいた。新しい侍女も、タックも、そして義妹もみんながどこか温かい眼差しを向けてきて、正直困る。どうしてそんな目で見てくるのか分からないから。


 明日からは家庭教師が来るらしい。


『知識は武器になりますから』


 そうバールは言っていた。まだ幼いけれど、今から少しずつ学んだ方がいいとも。


 何故か義妹がコクコクと深く頷いていた横で、お猿さんのスクルも一緒に頷いていた。言葉が分かっているのだろうか、少し不思議だった。


「明日から楽しみですね、お姉さま」


 さっきバールに言われたことを思い出していたら、布団の中で義妹が話しかけてくる。


「スクルも寝床気に入ったみたいだし、良かったです」


 つい枕元にあるクッションの上でもうスヤスヤと寝ているスクルに顔を向ける。これは新しい侍女が用意してくれたものだ。


「なんか、明日からのこと考えると、ワクワクして眠れません」


 えへへとまた笑っている義妹は、でももう体がポカポカしてあったかい。眠いのでは? そういえば、私が今日朝ご飯食べた後に寝た時も、義妹はスクルと取っ組み合いをしていて寝ていないはずだ。


「そういえば、お姉さま。結局スクルでよかったですか、名前?」

「……ピーンと閃いたって?」

「そうですけど、でも、えへへ、お姉さまと一緒に名前考えるのも楽しいかもとも思いまして」


 ……一緒に考えるのが楽しい? やっぱり昨日の夜から義妹の言ってくることはよく分からない。


「スクルで、いいわ」

「そうですか?」


 また視線を寝ているスクルに向けてみる。別に嫌がってるわけじゃなさそうだし、義妹にその名前で呼ばれて、この子はすぐ反応していたから。もう自分の名前だって分かっているのかもしれない。


「お姉さまがそういうなら、いいですけどね」

「……もう寝たら?」


 少し欠伸をしながら、それでも喋ろうとする義妹に視線を戻すと、やっぱり少し眠そうだ。暗闇でも分かるくらい、目がとろんとしている。近くだから分かった。


「もう少しお喋りしたいなぁ……って思いまして」

「……明日、できるから」

「……そっか。そうですよね。明日も、ありますもんね」


 またふふって笑って、私の腕にくっついてきた。


「明日……もっと楽しいこと、いっぱいやりましょうね……お姉さま」

「……」


 寝つきがいいのか、そう呟いてから、もう完全に目を閉じてスウスウと寝息を立てている。


 明日……また明日。


 明日は何を食べさせられるのか。

 明日はどんなことで怒られるのか。


 私にとっての明日は、楽しみにするものじゃなかったはずなのに。


 けれど、腕に感じる温もりが、その明日を考えさせてくる。


 明日は、どんな日になるのか。

 今までは予想できたことが、今は予想できないものになっていて、少しだけ怖くなる。


 腕にくっついている義妹の顔をつい眺めてみた。恐る恐る手を伸ばして、さっきまで赤くなっていた頬をつんつんと触ってみる。


 ふにゃっと、義妹が笑った気がした。

 また胸の奥がざわめく。


 ……何やっているんだろう、私は。


 ハアと軽く息をついて、自分も目を閉じる。明日からはまた今までとは違う日常になるかもしれないけど、何が起こるかなんて分からない。結局あの義母が来るかしれないし。寝られるうちに寝た方がいい。


 そう自分に言い聞かせていると、すぐに眠くなってきた。

 不思議と、今日はよく眠気がくる。


 腕に感じる温もりが、そうさせるのかもしれない。



 ……? なんか、前にも?



 少しの疑問が頭を過った。



 だけど、その温もりがどこか心地よくて、



 胸の中も、ポカポカと温かくなって、



 その心地よさに身を委ねて、知らない内に自分も深い眠りに落ちていった。


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