8話 いい夢を


「ひとまず、お部屋でお寛ぎください。やることが出来ましたので。ああ、大丈夫です。フィリアお嬢様が先程心配されていたことは、もう起こさせませんので」


 そう言って、バールは私とお姉さまの前から颯爽と消えていった。早っ。歩くの早っ。


 というか、なんか楽しそうだったんだけど。何する気なんだろう? たぶん、お母様やジルたちの嫌がらせとかを何とかしてくれるんだとは思うんだけど、具体的に何する気かはさすがに分からない。


 信じて、大丈夫かな? 


 少しだけ不安に思ったけど、すぐにぶんぶんと頭を軽く振って、その不安を振り払う。


 いやいや、お姉さまにもお力添えするとか言ってたし、なんか前の時間軸とはバールの言動も行動も違うから、ここは流れに任せてみよう。


 もしやっぱりバールが裏切るようだったら、その時はその時だ。

 今の自分にできることは、やっぱりお姉さまのそばにいることなんだから。


「キ」


 つい考えこんでいたら、またお猿さんが腕をグイっと引っ張ってきた。


 そうだった。とりあえずこの子のお世話をどうするかだ。


 お父様にお姉さまと一緒にいられる許可貰ってはしゃいでいたら、まさかのバールが多分味方になってくれて……なんか今の時間だけでいっぱいのことがあった気がする。


 ……あ、お姉さまの手、握ったままだ。今更だけど。でも勢いに任せていたから。

 お猿さんから、お姉さまの方に視線をあげた。


「お姉さま、嫌ですか?」

「……」


 いきなり何を言っているんだという目で見てくるお姉さま。だから握った手を持ち上げると、目をパチパチさせていた。


「嫌かな、と思いまして」

「……別に」


 ふいっと目を逸らされたけど、お姉さまは離そうとはしない。嫌じゃないってことで、いいのかな? 


 でも、お姉さまと手、握れるの嬉しいな。


 ……そういえば、こういう風に手を握るのも前まではなかった。こうやって温もりに触れられるのって、こんなに嬉しいものなんだ。昨日一緒に寝た時も思ったけど。


 キュッと離れないようにまた強く握っても、お姉さまもやっぱり離そうとしないから、それでも胸の奥があったかくなってくる。


「キッキッ!」

「うわっ!」


 お姉さまと繋いでいる手とは逆の腕をまた引っ張られた。ご、ごめんごめん。忘れてないって! そんな恨みがましい目で見ないでよ。


 まるで呆れているかのようにジトーって見てくるお猿さんに、つい笑ってしまった。今こうやって手を繋げているのって、このお猿さんのおかげかも。ちゃんとお世話してあげなきゃね。


「お姉さま、部屋に戻りましょうか」

「……どっちの?」

「もちろん、お姉さまの部屋です」


 さっきも同じような会話したな、なんて思い出しながらも、でも今度はお姉さまが諦めたかのように「そう」と静かに呟いた。


 またお母様に何かされるとか考えて、嫌な思いしていなきゃいいな。けどバールがさっき言った『心配することは起こらない』っていう言葉を、きっとお姉さまも理解しているはず。


 バールにとりあえず部屋で休んでいなさいって言われたしね。私の部屋でとは言ってなかったし、それに私はお姉さまの部屋と一緒がいいって伝えたんだから、そこも問題ないはず。


 どんなことを考えているか分からないけど、お姉さまは私の手を振り払わないでいてくれる。


 少なくとも、お姉さまは今の私のことを嫌だとは思ってなさそう。


 それが嬉しくて、お姉さまの部屋までずっと、私も手を離さなかった。



 ◇ ◇ ◇



「少しだけ疲れましたね」

「……」


 やっと戻ってきたお姉さまの部屋のベッドに、ボフンと背中から沈み込んだ。お姉さまは静かに腰を下ろしていたけど、私と同じくやっぱり疲れていたのか、ふうと小さく息をついている。


 そうだよね。お姉さまにとっても、さっきまでの朝のやり取りは疲れるものだよね。


 起きたらジルが勝手に部屋に入ってくるし、お母様まで来て怒鳴られるし、せっかくおいしいご飯を食べたと思ったら今度はお父様に睨まれるし。


 チラッと横に座っているお姉さまの顔を見上げると、静かに目を閉じていた。


 少し休んだ方がいいかもしれない。きっとバールが来るのも、あれこれと何かやってからだと思うから。


「お姉さま、少し寝ませんか?」

「?」


 起き上がった私のことを、首を傾げながら見つめてくる。


「……さっき起きたばかりなのに?」

「でも、お腹がいっぱいになったら、眠くなりません?」

「……べつに」


 嘘はよくないですよ、お姉さま? 絶対お父様たちとのやり取りで疲れたはずですから。


 だから私はにっこり笑って、お姉さまに向き合う。


「私は眠くなりました。だからお姉さま、ちょっとだけ私に付き合ってください」

「……」


 私の我儘という体でいこう。お姉さまに私の我儘は通じないかもしれないけど、本音はちょっとでもお姉さまに休んでほしい。


「それに、バールが戻って来るまでにまだ時間がかかるはずですから。この子のお世話もどうしていこうか、とかも考えてくれていると思うんですよね」

「……それは私たちが考えなきゃじゃ?」


 ……うっかりその言葉が嬉しすぎて、頬がだらしなく緩みそうになった。


 私たちって言うから。

 ちゃんと私と一緒にこの子のお世話をするって考えてくれているから。


 それがたまらなく嬉しい。


 そんな私に気づかないで、お姉さまは、この部屋に戻ってきてから自分の腕にまたしがみついているお猿さんを、チラッと見ていた。きっとどうすればいいのか考えているんだろう。


 真面目なんだよね。お姉さまのそういうところ、本当に尊敬できる。前の時間軸の時も、殿下の婚約者としてちゃんと真面目に授業受けていたのを知っている。たまにこっそりお姉さまの教室に覗き見した時、目の下に隈が出来ていたこともあったんだよね。


 でもね、お姉さま。

 疲れた時は、ちゃんと休んだ方がいいと思うんです。


 きっと自分が疲れてることも分かってないんだろうな。

 何も分からないで、言われるがままに頑張って、お姉さまはそうやって過ごしてきたはずだから。


 この部屋に戻ってきてから離れてしまった手をまた両手で掴むと、目をパチパチとさせて私を見てきた。


「お姉さま、その子のお世話をするためにも、ちゃんと休みましょう」

「……だからさっき起きたばかり」

「でもすごく疲れたんじゃありませんか?」


 さっきの我儘が無理だったから、素直にぶつけると、お姉さまが分からなそうに目を彷徨わせている。やっぱり分かってないんだ。


「お姉さま、今すごく疲れた顔してます。だから、少しだけ寝ましょう? その子のお世話をするためにも、ちゃんと元気じゃないとだめです」


 笑顔になるためにも、この先いっぱいの楽しいことをするためにも、元気でいることが大前提だ。そもそも、お姉さまだって今日やっとまともな食事をしたばかり。体力だって全然ないはず。


「私は、お姉さまにちゃんと元気でいてほしいです。その子のお世話だって、色々と相談したいです。なのに、お姉さまが疲れたままだと、私も相談し辛くなっちゃいます」

「でも……」

「お姉さまはもし私がもう見るからに疲れきった顔をしていて、元気だって言い張ったら信じますか? そんな私に相談したいって思いますか?」

「それは……」


 私の言い分にお姉さまは戸惑っている。きっと理解はしているんだろうけど、お姉さま自身に自覚がないから分からないんだろうな。どうしたら、休ませられるかな?


「キ」


 ふいにグイっとお猿さんがお姉さまの腕を引っ張った。いきなりのことだから、驚いたような表情でお姉さまがそのまま背中からベッドに沈み込む。


「キ、キ」

「えっと?」

「キキ」


 お猿さんが飛んだり跳ねたりしながら、お姉さまの周りをうろついている。これは……もしかしてこの子も休んだ方がいいと思っているのでは? 


「ほら、お姉さま。この子も休めって言ってますよ」

「……分かるの?」


 分からないけど、私と同じ気持ちだったらいいなという望みはあります。


 そのままゴロンと私もお姉さまの横に体を沈ませると、お猿さんが「キ、キ」と鳴きながらお姉さまに布団を被せていた。……私にも被せてほしいんだけど、お姉さま優先だから文句は言わないでおこう。


「ね? どう見ても休めってことですよ、これ」


 そうなの? っていう不思議そうな目で私を尚も戸惑っているお姉さまに少しおかしくなってしまう。お猿さんの行動に助けてって言ってるみたいにも思えて。


「バールが来たら、ちゃんと起こします。そうしたら、いっぱいいっぱい相談に乗ってください」


 ポンポンとお姉さまに掛けられた布団の上に手を乗せた。昔こうやってお母様は寝かしつけてくれたな、なんて、あったかい思い出を頭に過らせながら。


 そんな私のことをちょっと困った様子で最初見てきたけど、何を言っても無理だと諦めたのか、ゆっくり静かに目を瞑ってくれる。


「いい夢を見てください……」



 苦しい夢じゃなく、貴女があったかくなる夢を見られますように。



 聞こえたのか聞こえていないのか分からないけど、しばらくすると、お姉さまから静かに寝息が聞こえてきた。やっぱり疲れていたんだね。


 年相応の可愛らしい寝顔を見れて、私の心もあったかくなる。


 でも、私もやっぱりちょっと疲れたかも。本当に朝だけで色々起こりすぎだよ。まだ子供の体なんだから、私も体力ついてない。というか病み上がりの体だった。


 お姉さまの布団の中に自分もやっぱり入った。お猿さんがなんか見つめてきたけど、ごめん、私もちょっと休ませて。


 ポカポカとあったかい。

 お姉さまの体温、なんか安心する。


 生きてるって分かるからかな?


 ああ、本当に、お姉さまが生きていてくれることが、一番嬉しいな――



 ぺシッ!!!!



 ――なんて、もうすぐ寝れますっていう時に、頭に柔らかいものがぶつかってきた。


 ……いや、え、ん? 今の何?



『あんたまで寝てどうすんのよ?』



 頭の中にお姉さまじゃない誰かの声が響いてきて、さすがに寝る状況じゃなくなった。


 誰の声⁉

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