6話 一緒にいられるように
「で、この子どうします?」
「キ」
「……」
タックのいる厨房から自分たちの部屋に戻ろうと廊下を歩いている時に、お姉さまに聞いてみる。
でも返答はない。というより悩んでいるみたい。それもそうだよね。厨房からここまで、このお猿さんはお姉さまの腕にしがみついて離れないから。
そもそも、このお猿さんはどこから来たのかが全く分からないんだよね。前の時間軸の時に、会ったこともないと思うし。さっきはご飯優先で何も考えていなかったけど。
「ねえ、どこから来たの?」
「キ」
私が話しかけると、プイっと顔を背けられた。やっぱり嫌われてない⁉
「……それより、どこに向かってるの?」
「え? 部屋ですけど」
「……あなたの部屋、あっちでしょう?」
ちょうど廊下の突き当りで、お姉さまが私の背中側の方の廊下の先を指さしてくる。
確かに私の部屋はあっちだ。でも行くのは私の部屋じゃない。
「お姉さまの部屋に行きます」
「……」
即答するとまたお姉さまが黙ってしまった。
だって、お母様が絶対この後お姉さまに何かすると思う。一緒にいないと意味がない。
「キキ」
「ほら、この子もそうだって言ってます」
お猿さんもお姉さまの腕にしがみついて見上げていた。一緒にいたいよね~って顔でお猿さんを見ると、また顔を背かれた。やっぱり私、嫌われてない⁉ なんで⁉
「そこで何をしている?」
私の後ろで響いたその声に、ビクッとお姉さまの体が跳ねた。自分もびっくりしちゃったけど。
誰かなんて言うまでもない。
「お父様」
後ろを振り返ると、お父様とお母様、それにジルを含めた侍女数人が、私とお姉さまの方にゾロゾロとやってくる。大方、今朝のことでお母様がお父様に相談したんだと思うけど。来るとは思ってたけど、全員で来るとは思わなかった。
……丁度いいと言えば丁度いいのかもしれない。お父様のこともどうにかしなきゃいけないのだから。
どのみち、お父様とお母様の二人をどうにかしないと、私はお姉さまと引き離される。
それは、絶対に嫌だ。
チラッと見たお姉さまは若干表情を強張らせていた。さっきみたいに、頬を緩ませたりしない。何かを言われるって思っているのかも。
こんな顔をさせる両親は、本当に禄でもないなって思う。
怒りに任せて、お父様たちにぎゃあぎゃあ言うことも出来る。でもそれだと、昨日や今朝のお母様たちみたいに、私が変になったで終わってしまいそう。お母様にはそれでもいい。どうせ私が何かを伝えたところで、何も伝わらない。
けれど、お父様は違う。
確かにお父様はお姉さまに無関心だ。だからといって、お姉さまに酷いことを実はしていない。いや、無関心なだけで十分酷いけど。
前の記憶では直接手を上げたりはしていなかったりする。ご飯だって、服だって、必要な時はお姉さまに与えていた。そこに愛情はなかったかもしれないけど、必要だったからなのかもしれないけど、必要最低限のことをお父様はお姉さまにしていた。
だから、お父様のことはちゃんと解決しなきゃいけない。
お父様は血が繋がっていない私のことを可愛がってくれた。私もお姉さまのことがなければ、本当のお父様だって思うことができた。その愛情を、その温かさを、お姉さまに与えてほしかった。
お母様は無理でも、もしかしたらお父様ならその可能性が――
「部屋から出るなと、伝えたはずだが?」
――やっぱ無理かも。
冷めた目で、お父様は私の後ろにいるお姉さまをジロリと睨みつけている。隣ではお母様がどこか勝ち誇った顔をしていた。
あまりお姉さまのことをそんな目で見ないでほしい。さっきまでおいしそうな顔をしてくれたのに、そんな風に見られたら、お姉さまはきっとまた、あんな風に表情を変えてくれることがなくなってしまう。
お姉さまを後ろに庇うように、一歩私はお父様とお母様の前に出た。にっこりと笑顔を作って。
「お父様、おはようございます」
「フィ、おはよう。体調はどうだ? 心配していたんだ」
なんで私だとそんな風に表情が柔らかくなるんだろう。私じゃなくて、お姉さまにその温かい眼差しを向けてほしいんだけど、言っても仕方がないか。
「大丈夫です。熱もありませんし、それにさっきもお姉さまと一緒にいっぱいおいしいものを食べました」
「……これと?」
お父様の『これ』発言にピキッと怒りが溢れそうになる。あなたの娘でしょうが。なんで血の繋がりもない私には優しいのに、実の娘にはそんな態度なのかな。
……ふう。でも我慢我慢。こんなところで怒りをぶちまけても、何にも変わらない。
まずは、そう。これからのご飯問題だ。
「厨房でね、タックに料理作ってもらったんです。お姉さまと一緒に食べたいなって思って」
「……また厨房に入ったのか?」
「フィ、いなくなったと思っていたら、またそんなところに行って……タックにもちゃんと言っておかなければいけませんね」
お母様が余計なことを言い出した。タックは悪くない。このままだとお姉さまだけじゃなくて、タックにまで何かしそう。
「でもお母様だってタックの料理は好きですよね。他ならないお母様がタックのことを褒めていたから、私もついつい興味が出てしまったんですよ」
あなたの影響を受けたんですよ~って遠回しに言うと、お母様はどこか満足気な顔をしていた。自分の影響っていうのが嬉しいみたい。
ちょっと持ち上げるだけで、お母様はすぐに機嫌よくなるからちょろいなって思う。さっき私がキーキーうるさいって言ったの忘れたのかな? ま、いっか。これでお母様がタックに何かすることはないでしょう。
それに、今はお父様と話すことの方が大事だ。
ここで何としても、これからお姉さまと私が一緒に行動するのを許してもらわないと。引き離されるわけにはいかない。
ニコッとまた笑顔を作って、お父様に笑いかける。
「ね、お父様。タックの作る料理をお姉さまも満足したみたいなんです。これからはお姉さまのご飯もタックに作らせてあげてください」
「……これに?」
だから、自分の娘を『これ』扱いしないでよ! ってまた言いそうになったけど、我慢我慢。
「それにね、私、これからは毎日いつでもお姉さまと一緒にご飯が食べたいです。それにお勉強とかも。いいですよね?」
「……これと?」
「これじゃなくて、お姉さまと! です!」
さすがにこれこれ言いすぎでしょうが! つい突っ込んじゃったじゃない!
ピキピキピキとこめかみに力が入るのを感じている所で、お父様の隣にいるお母様が頬に手を当てながらハアと大袈裟な溜息を出していて、さらにイライラっとした。
「ね、あなた。昨日からこんな感じなんです。なぜかあの子にべったりで。熱を出すまではこんなこと言わなかったのに。ちゃんとお医者様に診てもらった方がいいでしょう?」
「……確かに前までは言わなかったな」
「そうでしょう? 絶対あの子がフィに何かを言ったに違いありませんわ」
言ってない! お姉さまは何も言ってない! お母様は何がなんでもお姉さまのしたいわけね! そうやって、お姉さまを虐める理由を作って、お姉さまから引き離そうとしてる!
このままじゃまずい。お母様が邪魔すぎる。どうすれば……あ! そうだ!
グルっとお姉さまの方を振り向いた。いきなりだったからか、お姉さまが少しビクッと体を跳ねさせている。ごめんなさい。驚かせるつもりはなくて! でも、この子少し借ります!
お姉さまの腕にしがみついているお猿さんをひょいっと持ち上げる。唐突だったからお猿さんも目をまん丸にさせてたけど、ちょっと協力してほしい!
「ほら、お父様! この子! この子のお世話もしなきゃいけないんです!」
そのお猿さんをお父様とお母様にバッと持ち上げて見せたら、二人だけじゃなくて後ろにいた侍女たちも『ん?』っていう目をさせていた。あ、うん。驚くよね。こんなところにお猿さんいたらね。でもさっきから目に入っていたのに、なんで今? ああ、私でちょうど隠れて見えなかったのか。
「……いや、フィ?」
「フィ、一体どこから連れてきたの?」
「え、廊下を歩いていたらぶつかってきました」
事実を言ったら、皆が『大丈夫か?』っていう心配そうな目を向けてきた。いけない。事実だけどストレートに言い過ぎた。信じるわけない。いきなり現れましたなんて。私もなんでこの子が現れたのか分かってないけどね!
でも昔の昔に、本で読んだことがあったのを思い出したんだ。確か、こんな白い毛だった気がする。
「この領にいる種じゃないな……いったいどこの? 新たな魔獣か?」
「魔獣⁉ フィ、危ないから放しなさい!」
お父様がボソッと言った言葉にお母様がぎょっとして私の方に手を伸ばしてくるけど、私は一歩下がって、またズイッとお猿さんをお母様たちに向けて抱き上げる。
魔獣ではないと思う。知らないけど。
「お父様、魔獣じゃないです! この子、西の大陸にあるあの伝説のお猿の神様の使いですよ!」
「「「「「は?」」」」」
皆が一斉に呆けた声を出した。あと抱き上げているお猿さんも何故か目をぎょっとさせて私の方を振り向いてくる。あの、あなたはお父様たちの方を向いててくれない? 神様の使いとして。
「この白い毛、黒い顔! 間違いないです! 本で見たことがあるんです!」
「フィ⁉ 本当にどうしちゃったの⁉」
「お母様、ちょっと黙っててください」
お母様が入ってくると、どうにも話が進まないんですから。
だからお母様は無視して、お父様にズイズイッとお猿さんを向ける。あらら、ちょっと顔が引き攣ってる? ま、いいか。このまま続けさせてもらおう。
「お父様、この子、お姉さまにべったりなんですよ」
「…………それが?」
「神様の使いのこの子がお姉さまにべったりなんですよ? 何か意味があるのかもしれません。でも見た目は赤ちゃんです」
「それが?」
お父様、さっきから「これが」とか「それが」としか言ってないです。というか、いい加減お姉さまのことを『これそれ』扱いやめてください。いや、今はそっちが優先じゃない。冷静に、冷静になれ、自分!
すうっと息を吸った。これでお父様の許可をもぎ取る!
「私がお姉さまとお世話します! 神様の使いのこの子に何かあったら大変じゃないですか! それに、一緒にいれば、何故この子がお姉さまにべったりなのか分かるかもしれないし!」
滅茶苦茶な理論だけど、私はこれで押し通す! 押し通してみせる! なぜなら、他に今パッと思いつく案が何もない! 皆がポッカーンとしている気がするけど、気にしない!
「お父様、お願いします! この子のお世話をするためにも、お姉さまと一緒に行動させてください!」
もう素直に一直線にお父様にぶつけた。勢いが大事って、朝のお母様とのやり取りで分かったから!
真剣な目でジッとお猿さんごしにお父様を見つめる。隣でお母様が「あなた、聞かなくていいですから」とか言ってるけど、お父様は何故かさっきの引き攣った顔じゃなくて、目を窄めて私のことを見ていた。
お姉さまと一緒にいたい! 伝われ、この気持ち伝われ! それにこれ以外の理由が思いつかない!
って思いながらお父様から目を離さないでいると、やっぱりお母様が隣で「こんな子じゃなかったのに」とか言っている。そうですね、あなたの理想の娘ではないかもしれませんね、と心の中で軽くあしらっておく。
それ以上に、今の私はお姉さま第一だ。
お姉さまはさっきから何も言ってこない。たぶん、かなり混乱しているとは思うけど、今は私に任せてくれると助かります!
「…………」
「あなた、見たでしょう⁉ こんな得体も知れない、魔獣かもしれないものを神の使いなど! 絶対あの子がフィに何かを吹き込んだんです!」
お母様のヒステリックな叫び声にお父様は反応しないで、じっと私のことをまだ見てきた。顎に手を置いて、何かを考えこむように。
さあ、お父様。これでも私、分かっているんですよ。お母様と同じく、あなたも私に甘いって。
だから、私のおねだりに、前みたいに頷いてください! というかお願いします!
内心かなり焦りながらも、ジッとお父様を見つめていると、さっきまでの厳しい表情のお父様が目を閉じてからフウと息をついた。
それは、どっちの反応? いいってこと? だめってこと?
「ちゃんとお世話ができるのか?」
……え? それって。
「あなた⁉ 何を⁉」
「昔、文献でその猿みたいな絵を私も見たことがあったのを思い出したんだ。確かにフィの言うとおり、その文献で猿神の使いとしての表記があった」
「何を言っているのですか⁉」
お母様の言葉につい頷いてしまいそうになった。いや、昔読んだ本で確かにそういうこと書いてはあったんだけど、お父様がそれを知ってるなんて思わなかったんだよ。
いや、それ以上に、私が言うのもなんだけど、なんで⁉ え、本当にあんな理由で納得したの⁉
「それに、こういうのも悪くはないのかもしれない。生き物を育てることも、フィにとって大きな成長に繋がるだろう。元々優しい子だが、私はフィに命の大切さを学んでほしい。君はそうは思わないか?」
「そ、それはっ……で、ですが! 百歩譲ってその魔獣まがいの神の使いとやらの動物を飼うのは許しても、その子と一緒になど、許せるはずがありません! この前も、その子がフィを突き飛ばしたりしたから、風邪を引いて寝込んだんですよ⁉」
だからそれ違うって朝にも言ったのに。お母様に何言っても無駄なのは分かってるけど、聞いてすらいなかったの? ちょっと呆れる。
でも、なんかお父様が乗り気になってくれてるみたい。完全に予想外だけど。それにさらっとお母様はこの子をお世話するのを認めてるし、そこから何とかお姉さまと一緒にいる方向で――
とか思考を巡らせていたら、お猿さんが私の手から逃れて、ぴょんっと飛び跳ねた。うえ⁉ ここであなたに逃げられたらまずい!
でも、お猿さんの行動を目で追うと、あ、うん、そうだよねって思ってしまったよ。お姉さまの腕にまたしがみついている。我慢できなかったんだね。お姉さまはやっぱり困り顔でその子とお父様を交互に見ていたよ。
ままままあ? 私が嫌だったかもしれないけど、この際そこは考えなくていいや! このべったり具合も利用して、お母様の言い分をどけてみせる! 渾身の演技力を振り絞って!
「お父様、私、お父様がそういう風に考えてくれてたなんて知りませんでした……。だから! お父様の言う通り、この子のお世話をちゃんとして、命は大切なんだってこと学んでいきたいです! でもこの子はもうお姉さまにべったりですから、お姉さまと一緒じゃないとやっぱりダメだと思うんです!」
大袈裟に手を広げて、頑張り屋の少女風に、お父様に語った。
お母様が「私は許すことはできません」とかお父様に言っているけど、お父様は私じゃなく、今度はお姉さまに視線を向けている。眉間に皺寄ってるけど。
や、やっぱり駄目とか言う? どどどうしよう。他に、他に何を言えば――
「……フィと一緒に出来るのか?」
――たった一言、お父様が呟いた。
私じゃなく、お姉さまに。
初めて聞いた。
お父様がお姉さまに疑問を投げかけているのを。
いつもは命令だけだったのに。
後ろのお姉さまが息を吞んだのが分かった。
「……やり、ます」
小さい声で、でもはっきりと伝わる大きさで、お姉さまがお父様に応えた。
お姉さまが、頑張ってくれている。
きっとお父様のこと苦手なはずなのに。
本当は私が頑張るところなのに。
だけど、お姉さまのその答えに、ギューッと胸が締め付けられた。
一緒にやるって言ってくれたことが、嬉しくて。
嬉しくて嬉しくて、胸が張り裂けそう。
嬉しがっている場合じゃないのに。
「なら、今後は二人で面倒見なさい」
お父様が、あっさりと許可して、また頭が真っ白になる。
え、え⁉ 今、お父様なんて⁉
隣にいるお母様が「あなた⁉」と叫んでいるのを、お父様が手で止めていた。
「今後、二人でその子の世話をするように」
「あなた、本気ですか⁉」
「本気だ。もうこの話は終わりだ」
「そんなっ⁉」
信じられないものを見る目でお母様はお父様を見つめていたけど、お父様はそんなお母様を見ずに、踵を返して歩き出した。「仕事に行ってくる」と、執事のバールに一言言っていて、バールは恭しく頭を下げていた。
「お嬢様たちのことは?」
「お前に任せる。フィの要望通りにしてやれ」
「かしこまりました」
「あなた! お待ちください!」
お母様がお父様を追いかけていく。その後ろから侍女たちもゾロゾロと慌てるように続いていた。私はというと、口を開けたままその光景を眺めてしまった。
あまりの急展開で、頭が真っ白。
「キ」
「うわっ」
いきなり腕に重みがのしかかって、やっと我に返ったよ。腕の方を見たら、何故かジトーッとお猿さんが私を見ていた。ふと顔を上げると、お姉さまはやっぱり困ったように私を見てきた。
いけない。呆けている場合じゃなかった。
「お姉さま……一緒にいられます」
さっきのお父様の許可が頭を過って、口に出たのがその言葉。
だけど、口にしただけで、どんどん嬉しくなってくる。
「一緒に、いられます」
お猿さんが腕にしがみついたままだったけど、ぎゅっとお姉さまの手を両手で包み込んだ。私のその行動に、なおも戸惑っている様子のお姉さまがいるけど、さらにギュッと強く握る。
だって、嬉しい気持ちでいっぱいで。
さっきのお姉さまが、お父様に「やります」って言った言葉を思い出して、もっと嬉しくなっちゃって。
「一緒にいられますよ! お姉さま!」
「いや……あの……」
ぶんぶんと握ったままその手を振った。「キ、キ!」と腕にいるお猿さんの鳴き声が聞こえてくるけど、そんなの気にならないくらい、嬉しい気持ちで溢れかえる。
前の時間軸ではできなかった。
お父様に言っても、結局一緒にいることなんてできなかった。
でも、今回は違う。
今回は、ちゃんとお姉さまのそばにいることができる!
そのことが嬉しくて、
お姉さまも一緒にやるって言ってくれたのが嬉しくて、
しばらくの間、抑えられない笑顔を振りまいて、お姉さまの手をブンブン振った。
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