侯爵令嬢は満足して笑った
Nakk
0章
温もりを置いていく
あなたが憎かった。
「はじめまして、セレスティアお姉さま! フィリアっていいます! お姉さまができて嬉しいです!」
そう言って、肩口まであるウェーブがかった淡いプラチナブロンドを靡かせ、琥珀色の瞳を輝かせながら、無邪気な笑顔を向けてきた。
八歳の秋。
母が病気で亡くなった次の日、侯爵の父は後妻を連れてきた。後妻は前の夫と離縁しており、フィリアはその前の夫との子供らしい。
彼女はとても嬉しそうにニコニコと笑いながら、手を握ってきた。
あたたかい手だった。
その時、
後ろにいた後妻が蔑んだ目で私を見ていることに気付かずに、
ギュッと握ってきた。
■ ■ ■
「お姉さま! 一緒にお散歩してください!」
義妹のフィリアはよく笑いかけてきた。
だけどあなたは知らない。
そうやってあなたが笑いかけてきた後、私が義母に叩かれることを。
関わるなと言われていることを。
お仕置きだと言われ、食事も与えられないことを。
断ると、義妹は泣いた。結局、その日の食事は出なかった。そのことには気づかず、義妹は父と義母と楽しく食事をしていた。
義妹は家族の中心になっていった。
自分の子どもにも前妻にも無関心だった父が、義妹を見て笑っている。きっと可愛くて仕方がないのだろう。義妹は私と違い、表情がコロコロ変わるから。
「お姉さまも一緒にドレスを見よう?」
父と義母の前で、無邪気に笑って手招きしてくる。父と義母がこちらを嫌そうにしていることにも気づかずに、無邪気に笑っている。
その日、父から「もう部屋から出てくるな」と言われた。それから、私の食事は野菜の屑のスープだけになった。侍女たちがおかしそうに笑っていた。
「お姉さま……パン持ってきたよ?」
さすがに父と義母の私への扱いに気付いたのか、時々義妹が食事を持ってくるようになった。けどすぐに侍女に見つかり、そして私がまた義母から責められる。
「フィに近づかないでちょうだい! あの女と同じく、今度はフィに手を出すんでしょう⁉」
義母は亡くなった母を憎んでいた。私の母が無理やり父と結婚したとか、父と愛し合っていた自分に数々の嫌がらせをしてきたとか、そんなことを言っていた気がする。
「その目も髪もあの女に瓜二つ! その目で、私を見ないで頂戴!」
いつもそう言って、義母は私の銀髪を引っ張り、私のサファイアの瞳を見ないように床に叩きつける。水を私にかけて「掃除しておいて」と侍女に指示し、狼狽える義妹を連れて出ていくまでが一連の流れになった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
夜中、義妹は勝手に部屋に入ってくる。
寝ている私の額にそっと手を置いて、その温もりを残していく。
知らない感情が、胸の奥に渦巻いた。
■ ■ ■
「御機嫌よう、セレスティア嬢」
第三王子がお手本のような笑顔を向けてきた。
この日、この国の第三王子ラーク主催のお茶会に呼ばれていた。
招待されたのはこの王子と同年代の貴族令嬢たち。婚約者候補を探す目的があるらしい。我が侯爵家も例外にはならなかった。
義母は恨みがましく睨みつけてきたが、義妹は王子のお茶会に招待されたのを「すごいすごい」と嬉しそうに喜んでいた。さすがに王子に会うからか、父が仕方なさそうにドレスを新調してくれた。それを見て、今度は「綺麗です! 似合ってます!」とまた義妹は笑っていた。
集まった令嬢たちはやはり気合を入れているのか、私なんかより綺麗に着飾っていた。次々と王子の周りを取り囲んで、自分を良く見せようとしているのが明らかに分かる。
でも私には関係ない。今回だって、父が体裁を保つために私をここに来させたのだ。きっと帰れば、またいつもの日常が待っている。
ああ、少しでもこのお菓子たちを持って帰ればいいだろうか? お腹の足しにはなるかもしれない……あの義妹が好きそうな綺麗なお菓子だ。
そんなことを考えていたら、王子が何故か近づいてきて声を掛けてきた。後ろからあの義母のような目をしている令嬢たちが睨みつけてきている。
「……御機嫌よう」
この国の王子に無言で通すわけにはいかない。さすがにそれは分かるからそう返事をしたら、彼はニコニコ顔を変えずに、「隣いいですか?」と私のテーブルの椅子を指さしてきた。なんでここに? という疑問を持ったが、断る訳にもいかない。仕方なしに「どうぞ」と言うと、カタッと静かに座って、ニコニコ顔を向けてくる。
「……何か?」
「君は、静かだね」
静か。そう言われてなんと返せばいいんだろう? よく分からない。
質問でもなんでもなかったから、とりあえず紅茶を喉に流す。静かと言えば、さっきから令嬢たちの声が聞こえなくなっていた。ふと気づいて、周りをそっと見てみると、少し離れたテーブルに座ってこっちを見ている。いつのまに。
「僕は王位には興味がない。一番上の兄上がどうせ王太子になって王位を継ぐだろう」
「……そうですか」
いきなり王子が語り出したから反応に困ってしまった。そうですかとしか言えない。私には関係ないし。
彼は私に構わず、視線だけをさっきの令嬢たちに向けていた。
「なのに、彼女らは僕が王族だというだけで群がってくる。親に言われたのかもしれないけど……正直、鬱陶しいんだ。僕にそんな権力を求められても困るのに」
「……そうですか」
「君は欲しくないの? 王族との繋がりを」
今度は興味深げに私を見てくる。
王族との繋がり? この王子様は何を言っているのだろう? そんな繋がりよりも、目の前にあるお菓子との繋がりを持ちたいとは思っている。
この綺麗なお菓子を持って帰ったらどんな顔をするのかと……何故か、思ってしまったから。
王子よりそのお菓子に注目してしまったら、クスッと笑った声が聞こえた。
「そんなに興味なさそうにされたのは初めてだよ」
「……そうですか」
「君は……静かだね」
「……そうですか」
面白い事を何も言っていないのに、何故か王子は満足そうに笑っている。そのお茶会の間、特に話をするわけでもなく、私の向かいで静かに紅茶を飲んでいた。
帰りに、何故かテーブルにあったお菓子を使用人から渡された。王子様に渡すように言われたらしい。なんで? と疑問だったが、貰えるものは貰っておこうと思ったから受け取った。
持って帰ったお菓子を義母が取り上げようとしたが、王子様から貰ったと言ったら、その手が止まった。父は複雑そうな表情をしていた。
義妹は何故か目を輝かせてこっちを見ていたが、その手にお菓子を無理やり乗せたら、今度は驚いていたようだった。私とお菓子を交互に見てきたけど、どう反応していいかも分からなかったから、静かに自分の部屋に戻った。
夜中、またいつものように義妹が部屋に入ってきた。
「ありがとう……お姉さま」
額にまた手の温もりを残されて、その声がやけに耳に残った。
後日、何故か第三王子の婚約者に選ばれたと父から伝えられた。
義母はこっちを射殺さんばかりの目で睨みつけてきたが、義妹は「おめでとうございます!」とニコニコしていた。
「君は静かだから」
第三王子からまたお茶会に招待された。今日は二人だけだ。とは言っても、王子の後ろには侍女やら護衛やらいっぱいいたが。
「君の父親のローザム侯爵は中立だしね。権力にもそこまで執着しなさそうだ」
満足そうにラークは紅茶を飲んでいる。
父が権力に執着しないとかは正直分からない。どんな仕事をしているとかも知らない。ただ、侯爵という位を賜っているということだけだ。母がまだ生きている時についていた家庭教師の先生がそう言っていた。
黙っていると、王子が茶器を置いて、微笑みながら私に視線を向けてきた。
「急に事を進めたのは悪かったと思っているよ。事後承諾になってしまうけど、どうかな? 僕と婚約してくれないか?」
「……」
「もし君に心から慕う人が出来たら、その時は解消しよう。僕としては成人するまで、あの令嬢たちに付きまとわれたくないんだ」
つまり、その時まで盾になってほしいということなのか。どれだけ鬱陶しかったんだろう。そもそも王子にそういう人が出来た場合はどうするのだろうか?
その私の疑問を見透かしたかのように、王子は笑みを貼り付けたような表情をしていた。
「大丈夫だよ。僕はね、生涯結婚するつもりはないんだ。もちろん、君に慕う人が見つからなければ、その時は僕が君の相手を紹介するよ。ちゃんとしっかりした人をね」
ニコニコと笑みを崩さずに王子は告げてくる。これは、私に拒否権があるのだろうか? いやないだろう。
そもそも『慕う』とはどういう感情なのだろうか。
ふと、思い浮かんだのは、何故かあの義妹の笑顔だった。
私が何も言わないからか、王子はそれを承諾と受け取ったらしい。この日、正式に私と王子との婚約が決定した。
帰ってから父には「くれぐれも迷惑をかけるな」と言い含められ、義妹はどこから取って来たのか、色とりどりの花束を渡してきた。義母はやっぱり忌々しそうに私を睨みつけていた。
その日から、私の食事が普通に戻された。
義妹は満足そうに笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます