第15話 「僕」と「隣」
老舗の出版社である文藝新波社の社屋で、「十代若手作家対談」の公開収録が催された。
季節感のない、だぼっとした灰色のパーカーを着た藤岡春斗は視線が泳いでおり、迷子になった幼い子供のように挙動不審だった。よくよく見ると綺麗な顔立ちをしているが、猫背で小柄なため、余計に幼さが際立っていた。
「本日は文藝新波社主催、十代若手作家対談にお集まりいただき、ありがとうございます。私は司会進行を務めさせていただきます編集者の篠原と申します。今回の対談は収録され、ネット上でも同時中継されますが、ご了承いただけますと幸いです」
いかにもインテリ然とした編集者が挨拶をした。おそらく四十代ぐらいだろうか。
ライトブルーのジャケットにポロシャツ、グレーのスウェットパンツを履いた篠原が壇上脇に立ったままマイクを掴み、挨拶をした。すらりとした長身で、細いシルバーメタルフレームの眼鏡をかけている。
景は当初、聴衆席に座るはずであったが、イベント開始前に案内があり、聴衆席から少し離れた関係者席に座らされることとなった。
凜の担当編集者である潮乃杜書房の八千草の計らいなのか、景は八千草とともに関係者席に座らされた。
「僕、関係者ではないので」
「いえ、せっかくですので」
景は丁重に断ろうとしたが、八千草といちど顔を合わせていたこともあり、半ば強引に押し切られた。八千草の隣には、清楚な黒髪の女性作家が座っていた。
「ご紹介します。こちら、
「ああ……」
景はおずおずと頭を下げた。
「初めまして、高槻です」
「佐原景と申します。僕はただ凜の身内なだけで」
ちょっとでも文学を齧ったことがある人間であれば、その名を知らぬ者はモグリだろう。
元祖・女子高生作家――高槻沙梨。
鮮烈なデビューはもう六、七年ぐらい前になるだろうが、佐原凛とは違って、数々の賞を受賞した。
歌って踊るアイドルではなく、純然たる女子校生だったことで世間の注目が集まった。
デビュー当初から騒がれたという点では、ある意味で凛と似たような境遇と言える。
「春斗くん、大丈夫かなあ」
高槻沙梨は壇上で居心地悪そうにしている藤岡春斗を心配そうに見つめていた。
ピアノ教室の発表会で、我が子が上手に演奏できるかハラハラしている若い母親みたいだった。
「お知り合いなんですか」
景が訊ねると、高槻沙梨は曖昧に頷いた。
「中学生の頃から知っているんです。デビューが同じ文藝新波社で、師弟関係だと言われるんですけど、春斗くん、けっこう物議を醸す子なので」
「はあ……」
対談が始まったので、高槻沙梨との会話は中断された。
明らかに場慣れしていない様子の藤岡春斗とは対照的に、大所帯のアイドルグループのセンターを務める佐原凜が対談を切り回していた。
「罪とバグ、お読みになっていただけましたか」
「はい。いちおう……」
「ご感想、お聞きしてもいいですか」
感想を求められた春斗はしばらく
「……嫌いじゃなかったです」
聴衆席はほとんど佐原凜のファンなのか、春斗の不遜な態度にざわついていた。
もっと手放しで褒めろよ、という見えない圧力を感じてか、春斗が余計に縮こまっている。
春斗はちらちらと関係者席を見て、「タスケテ」と視線を送っていた。
小説のお師匠である高槻沙梨は苦笑し、小声で補足した。
「春斗くんの中では、わりと最上級の褒め言葉なんですよ」
「あれで?」
「はい。あれで」
お師匠様の解説によれば、春斗の感想は「どうでもいい」が大半で、「嫌いじゃない」と評することはなかなか希少であるらしい。
「けっこう好き」はさらに希少で、そう評することはほぼほぼないので、実質的に「嫌いじゃない」は春斗的には最上級の褒め言葉なのだという。
会場の空気がどことなく悪く、春斗はすでに帰りたそうな表情を浮かべている。
対談はさっぱり盛り上がらず、編集者の篠原も苦み走った顔をしていた。
佐原凜見たさに集まった観衆も、「この時間、なに?」という困惑した空気が流れていた。
「藤岡さんがだいぶ緊張なさっていますが、罪とバグという物語、率直にどうお読みになったか、お聞かせいただいても良いですか」
編集者の篠原に話を向けられ、春斗はびくっと肩を震わせた。
「……春斗くん、篠原さんを恐れすぎ」
高槻沙梨が苦笑した。担当編集者の篠原は優しい顔をした鬼であるらしく、春斗が原稿を書いても「なにかが足りないんですよねえ」と言われ続け、フラストレーションを溜め続けているらしい。
「小説の読み方に正解はないので、率直な感想を申し上げますと。編集者的には正解はあるのかもしれませんが」
春斗がちらちらと関係者席にSOSを求めた。
高槻沙梨のため息交じりの副音声がなかなかに面白い。
「……春斗くん、ひと言余計」
時の人である佐原凜に比べれば、ほとんど無名の春斗がつらつらと感想を述べ始めた。
「作中にこんな記述がありました。僕と
壇上横のスライドに、該当部分の記述が映し出された。
「
いきなりの深読みに、会場中が水を打ったように静かになった。
春斗は対談相手の佐原凜をちらりと見て、ごにょごにょ言った。
「大外れしていると思うので、答えは聞きません」
「僕と
編集者の篠原が相槌を打ち、春斗に話を続けさせた。
「罪とバグという作品は、ごく簡単にまとめると、どこか賑やかな場所で母親が刺される。隣が攫われる。いなくなってしまった隣を探し続けるただそれだけの物語なのですが、純文学特有の訳のわからなさでいろいろ曖昧に誤魔化されているけど、家族構成も曖昧、父親は最初からいないのか、まったく触れられない。一切言及がない。ただ書かれないだけなのか、あえて書かれていないのか、すごく不自然なんです」
春斗は何かのスイッチが入ったのか、異様なほど滑らかに話し始めた。
関係者席に座る高槻沙梨が驚いていた。
「春斗くんがめっちゃ喋ってる。基本、ぜんぜん喋らない子なんですけど」
「珍しいんですか」
「人がいっぱいいて、バグってるのかも」
春斗はひたすら話し続け、対談相手の佐原凜すら話に割って入れなかった。
「賑やかな場所。ここがどこなのか具体的にはよくわからないけど、とにかく賑やかな場所。遊園地にも思えるし、ライブ会場のステージにも思える。はっきりしているのは僕はステージの外にいる傍観者という立ち位置で、逆に言うと、それ以外のことはよくわからない」
藤岡春斗は話し続けるが、特に熱を帯びることもなく、ただぼそぼそと喋った。
「現役のアイドルが書いた、という文脈からすると、母親というのはマネージャーとか運営の比喩で、僕というのはアイドルグループを推しているファンで、いつでも手の届く隣の子がいつしか手の届かない高みへ行ってしまった、みたいにも読める。あるいは、攫われた隣は虚像としての自分で、アイドル辞めたい、という話に読めなくもない」
呆気に取られていた佐原凜が口を開いた。
「そんな話でしたっけ?」
「作者がアイドルである、という文脈で読むと、刺すという行為は、平気でアンチコメントを投げかけてくる不粋なファンともとれますけど、なんとなくそんな感じがしない。包丁かなにか、物理的に尖ったもので刺している」
対談はほとんど成立しておらず、春斗には霊的な何かが乗り移ったようだった。
「罪とバグという物語は、僕が隣をずっと見つめている話に見えて、実は違う。隣の子は、あまり病んでいない。壊れた感じはしない。一方で、僕は最初から内面が壊れている。けっこうバグってる。バグとは、欠陥、故障の意味。罪とバグというタイトルのバグはわかる。じゃあ、僕の罪はなに? この物語は徹頭徹尾、僕が狂っていく話。内面がバグっている僕の罪はなんなんだろう」
藤岡春斗は自問自答するように言った。
「作者に関する情報を白紙にして読めば、これは徹頭徹尾、僕が狂っていく話でしかない。賑やかな場所は、ライブ会場だとは思わない。せいぜい遊園地。遊園地で、さながら双子のように思っている親しい隣の子が攫われて、母親が刺されて亡くなった。たぶん、刺したのは誘拐犯。隣の子は誘拐されたまま、いなくなってしまった。アイドルとか、そういう文脈を無視して読むと、だいたいそういう話。それで僕が狂っていく」
春斗は答えを求めるように、ちらりと佐原凜を横目で見た。
「それで、罪とバグというタイトルに戻りますけど、僕の罪というのは母親を見殺しにしてしまったことなんじゃないかな、と」
「なんで、そんなにわかっちゃうんですか。いや、もう怖いです」
佐原凜の声が震え、目元にはうっすらと涙が滲んでいた。
凜はしゃくり上げるように泣き出してしまい、水を打ったように静かだった会場がにわかにざわつき出した。
藤岡春斗はばつが悪そうで、「ぼく、なにか地雷踏んじゃいました?」みたいな困惑した表情を浮かべていた。
編集者の篠原がこほんと咳払いをすると、マイクを掴んだ。
「ただ今より、十五分間の休憩とさせていただきます。対談はまだ続きますので、お時間までにお席にお戻りいただけますと幸いです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます