終演
「─────は」
意識が回帰する。視界がはっきりする。少しぼんやりとした思考の中で起き上がろうとした雷花は、その手首を縛っていた拘束が無くなっていることに気づいた。
「……なぜ……」
手を開いたり閉じたりしてみても、異常はない。なぜ、誰が、いつの間に拘束を解いたのだろう。皆目検討も付かないが、雷花の心はなぜかほんわりと満たされていた。
もう大丈夫だと、何もかも上手くいくと。もう怖いものは何もないと、そう言われたような心地がして。
「……いや、今はとにかく、風雅くんのところへ向かわないと……」
感慨もそこそこに立ちあがろうとした雷花は、しかし見えない力に阻まれてしまう。魔法でモノクロになった視界に足を映せば、足首にギッチリと魔力が紐のように結びついていた。どうやら、拘束が解かれたのは手首だけらしい。
どうにかしてこれを解かなければ、風雅の元には向かえない。傍には梅も倒れていて、同じく拘束に苦戦しているようだった。どうすればいい。雷花は考える。これだけハッキリ見えているのに、どうにも出来ないだなんてもどかしい。雷花は歯がゆい気持ちを覚えつつも、その魔力痕に手を伸ばして────指先が微かに熱を帯び、魔力痕がにゅっと伸びた。
「……まさか」
雷花は理解が追いつかないまま、その紐を掴む。そして力任せに引っ張れば、魔力の紐は呆気なく千切れた。
見えるから、触れる。触れるから、千切れる。どうやら雷花の魔法は、ただ見えるだけの物ではなかったらしい。
動揺もそこそこに、雷花は梅へと駆け寄った。
「梅さん。梅さん! 大丈夫ですか?」
「ぅ、う……雷花、くん?」
「はい。今から拘束を解きますから、終わったらすぐに時を止めていただけますか。風雅くんの命が危ういかもしれません」
「ッ、うん、分かった」
雷花の直接的な物言いに梅は一瞬怯むも、覚悟を決めたように頷く。雷花はその反応を待たずに、梅を縛っている魔力に手を伸ばした。黄金色の細長い紐のようなそれは、力任せに引っ張ると呆気なく千切れる。なんだ、最初からこうすれば良かったのか。雷花は自分自身に呆れを覚えながらも、梅の四肢に纏わり付いた拘束を引き剥がして、
「出来ました! 梅さん、お願いします!」
「任せて!!」
雷花の飛ばした合図に、梅は体を起こしつつも魔法を発動する。刹那、世界がモノクロに染まった。屋上への戸を叩く風も、吹き付ける雨も、全てが動きを止める。一人の息吹しかない世界で、梅は素早く雷花の腕を掴んだ。一拍遅れて雷花が動き出し、モノクロだった全身に血を巡らせる。雷花は世界が止まっていることを確認してから、梅の手を強く握って立ち上がった。
「……ありがとうございます、梅さん。さあ、行きましょう」
「うん!」
威勢のいい返事をした梅に微笑み、雷花は屋上へと続く扉を開いた。
屋上、曇天の下には、三つの人影があった。屋上の真ん中より少し後ろには、プリンみたいな髪色をした女子生徒。そこから離れて、屋上のふちに立っているのが風雅。そしてその二人の間に、影からぬるりと体を出した、黒髪の女子生徒が般若の形相で止まっていた。
風雅を今にも突き落としそうな姿勢で固まっている、黒髪の女子生徒。彼女が纏う魔力は黒く影のようで、間違いなく、風雅に付き纏っていた第三者の正体だった。コイツが、かつて風雅を突き落とした犯人。雷花は底知れぬ怒りが湧き上がりかけたのをグッと堪えて、梅に告げた。
「フカちゃん……!」
「梅さん。僕の手を離してもらって構いませんから、風雅くんをここまで連れてきてもらえますか。このまま時を進めれば、風雅くんは突き落とされるでしょうから」
「う、うん……! 任せて!」
動揺を飲み込んで頷き、梅は雷花の手をそっと離す。一呼吸置いて、雷花はモノクロの世界に同化した。梅は急いで駆け出し、固まっている風雅の腕を掴む。一拍置いて色づいた風雅は、驚いたように目を見開いた。
「……っ、あ……? なんで止まって……って、梅!?」
「無事で良かった……ッ、もう! フカちゃんのバカ! 一人で勝手に動いて! ばかばかばか!」
「いてっ!? や、やめろって! 悪かったよ! 一人で行ったのは謝るから……!」
「わたしだけじゃなくて、雷花くんにもちゃんと謝って! ほらこっち!」
動揺している風雅の腕をこれでもかとガッチリ掴み、雷花の元へと引っ張っていく。風雅は気まずいのやら申し訳ないのやらで、見たこともないほど複雑な顔をしていた。一人で動いて心配をかけた罰だ、と思いながら、梅は雷花に触れる。モノクロの世界を抜け出して再び色づいた雷花は、眼前に立っている風雅を見つめると、
「……風雅、くん」
「あ〜、その、なんだ……心配かけて、悪かったな」
「……風雅くん」
「……なんだよ」
「悪かったなで済むと思っているんですか? 僕が今までどれだけ心配して心血を注いできたか分かっていますか? 君のお節介は美徳でもありますがわざわざ一人で首を突っ込むのは蛮勇と変わらないんですよ? それと」
「あーあー分かったって! 悪かったな!!」
怒りを通り越した顔で詰めてくる雷花に、風雅は叫ぶように謝罪を繰り返す。全く反省の色が見えないその言動に、雷花は相手をするのを諦めてため息を吐いた。
これでは一生掛かっても治らないだろう。風雅の悪いところだ。
ようやく無事を確保できた安寧もそこそこに、雷花はしかと風雅の手を握って告げる。
「それより今、多治見先生が警察官を呼んでこちらに来ています。一度時間を進ませて、彼らの助けを待った方がよろしいかと」
「警察官? んな大袈裟な……」
「君は自分が置かれた立場がどれほど重要で危険か分かっていますか?」
「そうだそうだ!」
「わ、悪かったって……」
二人から責められれば流石に参ったのか、風雅が申し訳なさそうに眉を下げる。分かればよろしい、と雷花は手を離し、梅に目を移した。その目線の意味するところは梅も分かったようで、雷花の手を強く握りながら言った。
「じゃあ、進めるよ? せーの……!」
梅の掛け声をきっかけに、世界がまた動き出す。色づき、息を吹き返し、それでも鮮明とは言えない曇天の下で、プリン髪の女子生徒が目を見開いた。
「はッ!? どこに……っ、あ、アンタ……!」
「初めまして。想い出研究同好会二年、菅野雷花と」
「アンタね!? ママの愛情を奪ったのは! この泥棒犬!」
「……はて? なんのことだか」
「しらばっくれるんじゃないわよ! アンタなんかがいるせいで、ママはひなたのこと愛してくれなくなった! 何をしてもライちゃんライちゃんって、全然ひなたのこと見てくれないッ!!」
ほぼ言いがかりのようなことを叫ぶひなたに、雷花は一人合点がいく。雷花のありもしない悪評を書き連ねた手紙を出してきた主犯格は、雷花の実の母親の娘だった。恐らく血は繋がっていないだろうが、やられてきた仕打ちは雷花とそう変わらないだろう。そんな娘が、母からの愛情が貰えないのは雷花のせいだと叫んでいる。しかも忘約者。考えなくとも真相は分かった。
「ほう。つまり貴女は、母が愛してくれないのを、実の息子である僕のせいにしたいと」
「せいじゃない! 事実よッ! 何やっても、ライちゃんの方が良かった、ライカはもっと大人しくて従順だったって! ひなたのことなんてちっとも愛してくれない!」
「ですが多治見先生の話では、貴女は虐待を受けていたと……血が繋がっていようがいまいが子どもを殴るような母親の愛など、人を殺してまで得るものですか?」
「っ、ちが……ママは、ひなたのこと、愛して……っ」
返答に窮して、ひなたは俯いてしまう。こんな者が大事な大事な風雅の命を奪おうとするなんて、烏滸がましいなんてレベルの話ではない。だが彼女は奪おうとしただけで、実際に奪ったわけではないのだろう。
そう、実際に殺めたのは、もう一人の方。雷花が怒りを通り越して殺意を宿した目を向ければ、呆然と立ち尽くしていた黒髪の女子生徒はギョッと目を見開いた。
「ところで風雅くん、彼女は?」
「アイツは藤原みかげ。こっちの、藤原ひなたの双子の妹だ。オレのことをずっとストーキングしてた」
「ちょっ、風雅さん! それは言わない約束で……っ!」
「それは、アンタがあの一回限りでストーカー辞めるって言ってたからだろ。でもアンタは辞めなかった。今日だって学校帰りのオレの影に潜んで、ここまで来るようにオレへ声をかけたじゃねえか」
「で、でも、今日は風雅さんの役に立てたし……っ、うち、何も悪い事してない……」
「実の姉にストーカーがバレたからって殺しに掛かってきた奴が何言ってんだ。鏡見てからものを言え」
真実を語りながら責め立てる風雅に、雷花は今までのピースが嵌まっていくような心地を覚えた。風雅の魔力痕に寄り添っていた、あの黒い魔力痕はみかげのもの。風雅が、まっすぐにひなたの元へと来られたのもみかげの証言があったから。そして前回、風が吹き荒れていたという屋上で風雅を突き落とせたのも、風の影響を受けない影の魔法を使っていたから。つまり、コイツが犯人だ。殺害動機は、ストーカーがバレたから。
今にも殴りかかりそうになる衝動を抑えながら、雷花は最後の答え合わせをするように風雅へ尋ねた。
「風雅くん。影の魔法を操るストーカーには、どうやって気づいたんですか?」
「あ? あ〜……まあそうだな。言ってもいいか……」
雷花の質問に躊躇いながらも、風雅は空を仰ぎ見る。青一つない曇天、そこに向けて風雅の手が伸ばされ、ふらりふらりと揺れる。蚊を追い払うような仕草に合わせて、空にかかっていた雲が払われた。同時に風が止み、雷が鎮まって、すぐに雲一つない快晴が現れる。そして晴れ渡った空の下、風雅が平然と告げた。
「オレの魔法は、これだ」
「……これって、つまり」
「フカちゃん、天気が操れるの!?」
「ああ。使い過ぎると大事になりかねないし、程々にしてたんだが……これで雲を動かした時、うっかりあのストーカー野郎が入ってた影を消しちまってな」
「それでバレて口封じを、ですか……恐ろしいことですね……」
うへえ、とこぼす梅と雷花に、言われたい放題のみかげが肩を震わせる。すると、やられっぱなしの妹に何を思ったのか、ひなたが激昂しながら手を上げた。
「さっきから聞いてれば、みかげのこと好き勝手言って!! アンタらなんかぐるぐる巻きにして、屋上から投げてやるッ!!」
堂々とした犯行予告を伴って、ひなたが指先から無数の糸を投げつけてくる。不可視で不可避の拘束魔法は、三人の体をあっという間に、
「見えれば触れる、触れればどうということはないんですよ」
縛らなかった。
視界にばっちり映った魔法を、雷花はパシパシと手で捕まえる。普通の人には見えないだけで、耐久度はただの糸だ。手で掴んで防ぐことぐらい容易である。最後の切り札を防がれ、ひなたはそれでも怒りが収まらず、
「あ……っ、アンタらなんか、アンタらなんかあ……ッ!!」
「それ以上はやめておけ」
凛とした声が空気を切り裂き、双子の姉妹が目を見開く。いつの間にやら屋上を包囲した警察が、完全に二人を取り囲んでいた。その中心、雷花たちを庇うように立っているのは、白衣を翻らせた多治見である。彼女は片手に持った警察手帳を見せつけながら、現行犯の双子をまっすぐに射抜くと、
「警察だ。想魔犯罪の現行犯で逮捕する!」
その力強い声によって、事件は終焉を迎えた。
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