マイちゃん先輩と弟


「すみません。マイちゃん先輩、少しよろしいですか?」


「え? ああ、アンタらか。はは、そのあだ名で呼ばれたのは久々だなあ」


 第二音楽室の前、楽器を片手に真生が笑う。首に下げていたストラップが楽器をぶら下げていて、両手は軽く添えるに留まっていた。真生は雷花と風雅を見遣り、辺りを見渡した後、少し申し訳なさそうに言う。


「立ち話もなんだし、音楽室で話さないか? 立ちっぱなしはちょっと辛くてな……」


「ああ、楽器重そうですもんね。バリトンサックスですっけ」


「まあそれもそうだが……」


「それもそうだが? 何です?」


「いや、なんでもない。とにかく来てくれ。上履きは脱いでそこに入れるんだぞ」


 入り口の近くに置かれた下駄箱を指差しつつ、真生は緩慢な仕草で上履きを脱いで第二音楽室に上がる。音楽室の中はカーペットが敷かれていて、土足禁止なのも何となく理解できた。風雅は下駄箱に上履きを入れ、真生の背中を追う。真生は楽器を片手に、大量に並べられた椅子と椅子の間を抜けていった。机がほとんどないのに、所狭しと椅子が並べられている様子はすごく奇妙だ。真生はその中の一つに座ると、近くにあった椅子を引き寄せながら手招いた。よく見ると、椅子の下には分厚いファイルやらタオルやらが置かれている。吹奏楽部員の持ち物だろうか。

 椅子の位置を直しつつ、風雅は腰掛ける。雷花も着席したのを確認して、真生は楽器から手を離さないまま尋ねた。


「それで? 何が聞きたいんだ?」


「先ほど返却したメトロノームについてお伺いしたくて……あの血がついた事件について、マイちゃん先輩は何かご存知ですか?」


「……う〜ん……期待に添えなくて悪いが、詳しいことは知らなくてな……なにせ別学年だし……」


「ご存知ないのですか? メトロノームの管理を担当されているようなご様子でしたが」


「いやいや、そんな大層な立場じゃないさ。メトロノームは普段吹奏楽部が活動で使っていて、その貸し借りは確かに管理してるが……合唱祭の練習に関しては、特に管理してないんだよ」


「そうですか……」


 どこか納得のいっていない様子で、雷花が渋々と頷く。するとまた疑問が浮かんだのか、雷花は矢継ぎ早に問いかけた。


「では、僕らの部室に置いてあった件に関しても知らないと?」


「ああ。誰かが練習用に持ち出して置き忘れたんだろうが……うちの部員である可能性は、ちょっと低い気がするな」


「? なぜです」


「ほら、吹奏楽部って見ての通り人数が多いだろう? だから練習時には他の教室を借りることが多いんだが……君たちの部室は借りてないんだ」


「ああ、道理でこんなに椅子がいっぱい……」


「それに少し前、メトロノームの置き忘れで顧問にこっぴどく叱られて、部員が一人辞めてな。まだ日が経ってないのにうっかり忘れるとは思えない」


「辞めた? 誰がです?」


「三年生の低音パートの子さ。多分、そっちの事件とは関係ないと思うぞ」


 そう言い切った真生に、雷花は「確かに関係なさそうですね……」と呟く。一年生の事件を調査しているのだから、そう断定できてもおかしくはなかった。

 しかしそうなると、真生は何も知らないということになる。通常の捜査なら容疑者から外れるだろうが、この事件は忘約者の事件だ。何も知らない人物こそ怪しい。雷花が真生を疑っているのもそのせいだろう。いかにも人が良さそうな顔をしているし、そうは思えないが。

 不意に、話し込む三人の上に影がかかる。パッと顔を上げれば、真生の背後に瑠璃が立っていた。いまいち分かりにくい表情をしている瑠璃を見上げ、真生はパッと顔を輝かせて尋ねた。


「あ、瑠璃! お前は何か知らないか? 同じクラスだろう?」


「……メトロノーム落っことした事故か? それなら知らねえって前から言ってんだろ、兄貴」


「兄……ご、ご兄弟なんですか!?」


「? ああ。結構似てるだろ?」


「嘘だろ雷花……見りゃ分かるじゃねえか」


「気づいてたなら言ってくださいよ、風雅くん……」


「いや、気づいてねえとは思わなくて……」


 裏切られたと言わんばかりの顔をする雷花に、風雅は呆れたような顔で返した。

 段々と辺りが騒がしくなり、楽器を持った生徒が何人も入ってくる。気づけば風雅の隣にも楽器を持った女子生徒が現れ、どこか恨めしそうに見つめていた。慌てて席を立てば、女子生徒は椅子の位置を直して座る。状況が分からずに辺りを見渡す雷花に、真生は申し訳なさそうな声で言った。


「あ〜……すまない。もうそろそろ合奏が始まるから、続きは後で頼む」

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