逃避の想魔
賑やかな校舎から離れ、第二体育館へと繋がる階段を上がっていく。クラスの出し物の準備で忙しいのか、体育館には誰もいなかった。梅は重い扉を開け、上履きを脱いで中に入る。体育館シューズは忘れてしまったが、まあ問題ないだろう。ぺた、ぺたと微かな足音が静かな体育館に反響する。ふと、反響する足音が増えた。きゅ、きゅっと体育館シューズの底を擦りながら来る足音は、段々と大きくなる。誰だろう、と振り向くより先に、足音の主が口を開いた。
「飛田さん。ちょっといい?」
「……皐月ちゃん」
「ごめんね、いきなり話しかけて。気持ち悪いよね」
キューティクルの欠けたロングヘアに、サイズの合っていないメガネ。どこか陰気な気配を漂わせた皐月が、わずか数歩の距離に立っていた。前髪で見え隠れするメガネのフレームに、場違いなほど白い宝石がついている。想魔の結晶だ。梅はごくりと唾を飲み、皐月に問いかけた。
「何の用?」
「と、飛田さん、最近、うちのクラスの出し物について調べてるでしょ。それ、やめてくれないかなって……」
「なんで?」
「な、なんでって、それは……」
「────貴女にとって、調べられたら困ることがあるからでしょう?」
ステージ上から高らかに響いた声に、皐月がビクッと肩を震わせる。その反応を見つめ、雷花は口角を上げた。
クラスメイトの記憶を奪い、オバケが撮った映像を作り出してしまった忘約者。梅は、それを誘き寄せるための囮だった。雷花の記憶も奪いに来た犯人だ、梅や風雅が一人になれば、確実に姿を現すはず。雷花は敢えてそれを逆手に取り、こうして体育館まで誘導したのだ。
その狙いに気づいたのだろう、皐月が慌てて踵を返す。だが、扉の前に立っている人物を目視し、ギュッと足を止めた。重たい引き戸の前に立っていた風雅は、そんな皐月を睨みつけながら言う。
「お前だったんだな。一年一組の生徒と、雷花の記憶を消したのは」
「なっなな、なんの話ですか? ぬ、濡れ衣です……っ」
「しらばっくれても無駄ですよ。現に、貴女はここに来てしまったんですから。梅さんの記憶を消すために、ね」
「そっ……そんな……」
「覚えていないなら、教えてあげましょう」
そう言って、雷花がステージ上でバッと腕を広げる。それはスポットライトを浴びる主演のようで、皐月は思わず息を呑んだ。
「事件の全容はこうです。まず、一年一組は文化祭の出し物を自主制作映画とし、台本や小道具を用意した」
「だがその買い出しの時、クラスメイトの一人が経費でアイスを買ってきた。まあ、よくあるこったな」
「それを小山さつきちゃんが注意して、ケンカになって……そこから、小山さつきちゃんへのイジメが始まった」
三方から語られる推理に、皐月が頭を抱える。どうやら図星らしい。雷花は冷静なまま、話を続けた。
「台本の大幅な変更は、そのイジメの一環……小山さつきさんの出番を削るためだったんでしょう」
「クラスメイトはグルになって、小山さつきを徹底的に文化祭の準備からハブった。そんでお前は……それに見て見ぬ振りをした」
「八月三日から、小山さつきちゃんの投稿に皐月ちゃんが出てこなくなったのは……それで疎遠になったからだよね?」
梅の問いかけに、皐月は答えない。その沈黙は肯定であり、逃避だ。雷花は一歩踏み出し、更に皐月を追い詰める。
「ですがある日、貴女はついに耐えられなくなった。それで想魔と契約し、忘約者となり……クラスメイト全員の記憶を消して回った。すべては、小山さつきさんがイジメられていた事実を消すために」
「だから、クラス全員が撮った覚えのない映画が出来上がったんだよ」
「そっ、そんな……そんなの、証拠は」
「お前のメガネのフレームにある、想魔の結晶が動かぬ証拠だ」
「─────ッ!!」
風雅の指摘に、皐月がバッとメガネのフレームを覆う。表情が一気に青ざめ、唇が震えた。動揺する皐月に、風雅がゆっくりと詰め寄る。その顔には煮えたぎる憤怒が滲んでおり、皐月をじっと睨みつけていた。その気迫に怯える皐月へ、風雅は怒りを堪えきれない声で言う。
「お前は、小山さつきを助けたかったわけじゃないんだろ。じゃなきゃ、イジメが始まって半月以上も傍観してるはずがない」
「……っ、ち、違います……ッ、私はさっちゃんを助けたくて、だ、だから記憶を……っ」
「記憶が消えたって、傷が無くなるわけじゃねえ。現に小山さつきは、あらゆることに過剰にビビるくらいストレスを溜め込んだままだ」
「…………ぁ」
「お前は、何のために契約したんだ」
風雅の言葉を皮切りに、ぶわりと記憶が蘇っていく。足元が揺らめき、変化し、景色を変化させていった。どこまでも果てない宵闇、SFじみたおかしな空間。皐月のメガネのフレームにしがみついた、変な形の想魔。重たい想魔に重心のバランスを取られながら、皐月は夢現の状態で言う。
「さ、さっちゃんが……さっちゃんが、私を拒絶して……ッ、最低だって、言って……わ、わたし何もしてないのに……ッ、か、かなしくて……」
「何もしてなかったから、拒絶されたんだろ」
「な、なにも……?」
「友だちがイジメられてるのを見て見ぬ振りして、いざそれを責められたら忘れて逃げる? ふざけんなよ。忘れる権利があるのは被害者だけだ」
「─────」
「加害者のてめえは、忘れずに生きていく義務があんだよ。罪の意識から逃れんな、クソ野郎」
風雅の正当な憤怒が、真っ直ぐに皐月を貫く。皐月は目を見開き、涙を流し、そして顔を手で覆った。メガネのフレームにしがみついて立つ想魔が、のっそりと頭を持ち上げる。細いペンみたいな形状をしたそれが、その内側に光を溜めた。
あ、これはまずい。雷花は慌てて駆け出し、風雅の元まで駆け寄った。そして驚く風雅の手を取り、想魔の前から退散する。射程範囲から離れてわずか数秒後、強い光線が風雅のいた場所を抉り取った。
雷花は梅も回収して舞台袖に逃げつつ、眉を顰めて風雅に言う。
「ちょっと風雅くん、考えなしに煽るのはやめてください!」
「煽ってねえよ! ただこう……こう、なんか! 耐えられねえだろあんな!」
「そうですけど……」
「それより今は、あのピカッて光るやつをなんとかしなくちゃ……! 雷花くん、多治見先生は!?」
「き、緊急の会議に呼び出されたそうで……」
「嘘だろ!? クソッ……!」
頼みの綱がなくなったことを知り、三人は揃って頭を抱える。想魔の暴走を鎮めるには、物理的に拘束するしかない。だが、この戦力であの想魔を抑えるのは無理難題だ。しばらくここに隠れてやり過ごすか、と考える風雅の頭上に、大きな影がかかる。何だ、と咄嗟に見上げ、風雅は絶句した。
想魔が、長い体を折り曲げて三人を見下ろしていたのだ。
「そ……っ!?」
「二人とも逃げろッ!!」
開けた方に二人を突き飛ばし、風雅は反対方向に避ける。想魔の狙いは元より風雅だったのだろう、のっそりと頭を向けてきた。まずい、まずい、逃げられない。風雅は急いで立ち上がり、二人とは反対方向に逃げた。だが想魔は諦めず、体育館を取り込んだ結界の中で光線を乱射する。その一つが足元を掠め、風雅は思いっきり転倒した。その隙を狙うように、想魔が一際強くエネルギーを貯める。まずい、まずい。早くどうにかしないと─────、
「────フカちゃんっ!!」
梅がそう叫んだ刹那、想魔の動きが止まった。
風雅は思わず顔を上げ、辺りを見回す。反対方向にいたはずの梅が、なぜか風雅の腕を握っていた。世界はなぜかモノクロで、想魔だけでなく雷花も動きを止めている。見覚えのないその景色に、風雅は恐る恐る梅を見た。
梅の胸元、首からぶら下がった想魔の結晶が、眩い太陽のように光っていた。
「……う、梅、まさかこれ、お前が……?」
「わ、分かんない! 分かんないけど、なんか止まって……触ったら、フカちゃんが動き出したから……」
「…………もしかして」
梅の証言から一つの可能性を思いつき、風雅は梅の手を取って立ち上がる。そして固まったままの想魔の横を通り、変なポーズで固まっている雷花に近寄った。梅の手を強く握ったまま、雷花の腕に触れる。刹那、モノクロに飲まれていた雷花が色づいた。
「風雅く……ッ、ぅ、あ……? ふ、風雅くん?」
「おう。ピンピンのオレだ。……間違いねえ、こりゃ時間停止だな」
「じ、時間停止!? わたしがこれをやったの……?」
「……状況から見て、そうでしょう。なるほど。梅さんの魔法は時間停止でしたか……」
完全に固まっている想魔を見上げながら、雷花は困惑したように言う。梅の魔法は今まで知らなかったが、まさか時間停止魔法だったなんて。本人も動揺している辺り、知らなかったのだろう。まあ忘約者なんてそんなものだ。
三人仲良く手を繋ぎながら、固まった想魔から距離を取る。と、梅が名案を思いついたような顔で言った。
「あ、そうだ! このままにしておけば、多治見先生が帰ってくるかも……!」
「いえ。この魔法は、恐らく外の世界の時間も止めているでしょう。止めている限り、状況の進展は見込めません」
「そんなあ……!」
「だとしたら、どうすんだ? あんなでかいの、やっつける方法なんて知らねえぞ……」
「やっつけることは出来なくても、足止めなら出来るかもしれません。少し、手伝ってもらえますか」
藁にも縋るような思いで、風雅と梅は雷花の提案に乗った。
しばらくして、時が動き出す。止められていたことなど知らない想魔は、獲物を仕留め損ねたことを心底不思議がった。はてさてどこに行ったのだろうと頭を回し、ステージ上に三つの影を見つける。いた。煽るように笑う三人に、想魔はがむしゃらに突っ込む。当たればひとたまりもない想魔の突進に、しかし三人は怯むことなく────刹那、その姿を消した。
「!?」
動揺する想魔、その足に何かが引っかかる。体育館の、ステージのカーテンだ。結ばれた分厚いそれに足を引っ掛け、想魔は派手に転倒する。すると、それに連動するように、天井からバラバラと物が落ちてきた。重い小道具の数々に押し潰され、想魔は完全に身動きが取れなくなる。小道具の山の下でうごうごと蠢く想魔に、三人は笑顔でハイタッチした。
「やったー!」
「よっしゃ! うまく行ったな!」
「これで無力化が出来ました。あとはどうにかして結界を……」
「おい、馬鹿ども」
喜びも束の間、そんな重低音が三人を呼ぶ。恐る恐る声のした方に振り向けば、想魔の上に立った多治見が顔を歪ませて、
「仕事を増やすなと何度言ったら分かるんだ?」
怒りの滲んだその声によって、騒動は幕を閉じた。
「何とかなって良かったね〜」
「ですね」
「とっととお帰りくださいませご主人様ァ!!」
メイド服姿で怒る風雅には目もくれず、二人はプリンに舌鼓を打つ。騒動がひと段落付き、三人は文化祭当日を迎えていた。
あの後、駆けつけた多治見に三人はこってり絞られ、警察が来る大騒ぎになった。結局、クラスメイト全員の記憶は戻ったようで、深刻なイジメ案件と判断されて文化祭後にクラス替えが敢行されることになった。忘約者が関わった案件だったこともあって、余計に大事になったらしい。罪から逃れようとした皐月の行動は、皮肉にも罪を世間に晒す羽目になったのだった。
「そうだ! 雷花くん、次はわたしのクラスのお化け屋敷に行こうよ! フカちゃんも一緒に! ね、いいでしょ!」
「おや、それは素敵な提案ですね。なら早速参りましょう。梅さん、風雅くん」
「まず先に着替えさせろ!!」
風雅の悲痛な叫びが、楽しい雰囲気の中に響き渡る。
二日間に渡る文化祭は、平穏無事に過ぎていった。
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