第29話 時を照らす光

 夏至の空は、抜けるように青く晴れわたり、山から吹き下ろす風が村を撫でていた。畑の作物はすでに膝丈を超え、太陽の光を目いっぱい浴びて、ゆるやかに葉を揺らしている。

 その日、グリュンヴァルト村は年に一度の祭礼――『光の歯車祭』を迎えていた。


***


 前日の朝、教会前の広場では設置作業が始まっていた。

 中央に据えられるのは、今年新たに組み上げられた〈太陽の歯車〉。木と金属を組み合わせた回転軸の構造に、光を受ける斜角のガラス板が何枚も取り付けられ、反射を促す鏡面と七色に光る銀箔ガラスが組み込まれている。

 正午の太陽を受けると、光が歯車に沿って連鎖的に反射し、空間を舞う幻光の帯となって広場を照らす仕組みだ。


「方角、もう一度確認します」


 ルーシュは地面にしゃがみ込み、懐中時計を取り出すと、短針を太陽の方向へ合わせる。文字盤の12時との中間にあたる線を読み取り、白墨で石畳に南を示す印を描いた。精度の高い時計の普及が進んでいるこの国では、方位の確認に時計を用いることが多い。


「ここが真南。夏至の日は、太陽がこの線上を最も高く昇る」


 設置に立ち会っていたルドルフ時計技師が頷いた。


「鏡面の向きはこれで正面。正午に真上から差す光が、ちょうど回転軸の装置に届く」


 二人は基礎柱の水平を水準器で確認し、支柱の角度をミリ単位で調整していく。回転装置の歯車が滑らかに噛み合うよう、金具の位置も慎重に決められていった。

 鏡面は反射角を計算し、いくつものパネルが連続して太陽光をつなぐように配置されていく。


「これで、光は時間とともに回転軸を照らし、順に角度を変えて反射される」


 ルーシュの手が最後のピンを締め終えたとき、朝の陽光が鏡面の一角に差し込み、わずかな虹を地面に描き出した。

 彼はそっとその光に手をかざした。

 幼い頃、空中に舞う光が魔法のようで、時の美しさと儚さに目が離せなかった。そして、いつかこれを自分の手で描きたいと心に誓った。


(明日はこの手で、時を光に変えるんだ)


***


 そして、祭り当日。

 鐘楼が七度鳴ると、広場は静まり返った。集まった村人たちは誰もが息をひそめ、広場中央の〈太陽の歯車〉を見つめていた。

 ルーシュは、合図の小さな鐘をそっと鳴らした。

 その音と同時に、仕掛けが動き出す。回転軸に仕込まれた滑車が滑らかに回り、歯車が噛み合い始める。

 鏡面とガラス板が順に太陽光を受け、角度を変えながら反射し、幾重にも重なる光の帯が空中を舞う。銀箔を挟んだレンズがプリズムのように光を分解し、虹のような色彩が広場の石畳を照らした。

 まるで、時の精霊が舞い降りたかのように。


「わあっ……」


 子どもたちが目を輝かせ、大人たちも思わず立ち尽くす。

 そのすべての光が、時を刻むように連続し、村全体を優しく包み込んでいく。


「これが……光の歯車……」


 小さなつぶやきがどこかから漏れた。

 司祭は静かに語る。


「この光は、時の巡りを我らに見せてくれる。太陽の歩み、歯車の律動、そして人の暮らしが重なる、年に一度の刻……」


 ルーシュは、一歩下がってその光景を見つめた。

 もう、誰も彼を『教会に拾われた子』とは呼ばない。今や彼は、自らの手で、村の『時』を動かす一人だった。

 ――時の導きは、ここにある。


 ***


 夕暮れの広場。喧騒が去ったあとの空気はどこか名残を残しながらも静かで、ルーシュは一人、祭壇脇の石段に腰を下ろしていた。村人たちは満ち足りた表情で帰途につき、片付けもほぼ終わっていた。

 風が涼しい。空は茜に染まり、どこか遠い世界とつながっているようだった。


(……やり切ったんだな)


 ひと息ついて空を見上げると、今日まで考えないようにしていたことが頭を巡った。この頃、どうしても意識してしまうエルザの顔が。


(あー……ったく、やっぱエルザのことが好きなんだな、僕は。しょうがないな、本当に)


 ため息をつき、観念したように口元を緩める。

 視線を落とすと、足元の草が風に揺れていた。夏の陽を受けて少し伸びすぎた草。その柔らかな揺れが、やけに心に沁みた。


(大丈夫。今ならまだ……大丈夫)


 目を閉じ、自分に言い聞かせる。

 彼女は地主の家の令嬢、自分は教会に育てられた孤児。背負うものも、歩む道も、あまりに違う。それは理解している。


「……この気持ちを伝える資格があれば、どれほどよかったか」


 ぽつりと呟き、ルーシュは自嘲気味に微笑んだ。けれど、だからこそ進まなければならない道がある。想いを胸に秘めたまま、それでも前を向いて歩く。それが、子供ではいられないということなのだ。


(王都へ行って、僕の『時』を刻む。それが、今の僕にできること)


 教会で教える立場を得て、これからの日々はさらに厳しくなるだろう。それでも、今日という一日が教えてくれた。自分は確かに、ここで『時』を刻んできた。この村で、皆と共に。

 遠く、鐘楼の風見がゆっくりと回る音がした。空は、まもなく夜の色に染まろうとしていた。

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