第8話 事案

 パティは私がサボったのを見つけると、その度に教育係であるシーモアさんに言いつけてくれるおかげで、私は罰として今日も朝ごはんを食べる事が出来なかった。


 空腹を抱えながら今日の日課表を確かめると、午前中は初めての場所の掃除だった。


「ううっ、すきっ腹だと移動もつらいわね」


 ようやくたどり着いた集合場所では、既に集まっていた下級神官見習い達がイライラしながら待っていた。


「ちょっと、遅いわよ」

「ごめんなさぁい」


 頬を膨らませて怒っているのは、パティ・ラッセルだ。


 元々は貴女がシーモアさんに告げ口したからじゃないと、心の中で悪態をついた。


「大体あんたのような黄髪、黄眼なんてこの神殿では特に目立つんだから、ちゃんとしてくれないと私達がシーモアさんに怒られてしまうでしょう」


 指を突き付け目を三角にして怒っているパティは、そのままにしているとずっと文句を言うので、ここらへんで切り上げないと本当にシーモアさんに怒られてしまう。


「さあ、早く掃除を始めましょう」


 私は掃除用具を取りに走り出した。


「あ、ちょっと、待ちなさいよ」

「ねえ、今日の場所は私達の担当じゃないわよね?」


 私が尋ねると、パティはちょっと得意そうな顔になった。


「お客様の対応が忙しくて本来担当する人達が出来なくなったから、私達にその役割が回って来たみたいよ。これできちんと仕事をすれば下級神官に任命されるのも近づくという事よ」


 ふうん、そうなのね。


 今日の掃除場所は3階建ての建物で、1階には大神殿が大々的に実施する豊穣祭に使う道具類が置かれ、2階は法衣等の衣装類、そして3階は立ち入り禁止でアマハヴァーラ教の聖遺物や外に出してはいけない呪具が保管されていると噂されていた。


 そう、噂されているというのは私達下級神官には3階への入室が認められていないから、想像するしかないという意味だけれどね。


 掃除は私とパティが2階、他の子達が1階を担当する事になっていた。


 私達が担当する2階には、神官達が祭事に着用する祭服が物凄い数で収納されていた。


 この数を虫干しのため全部外に出すとか言われなくて本当に良かった。


 私が保管されている衣服の埃をはたき室内の清掃を続けていると、パティが3階に上がる階段の傍でなにやらそわそわしていた。


「ちょっとパティ、さぼっていないで手を動かしてよ」


 いつもは私の方が文句を言われる立場なのだが、今日はどういう訳かパティが上の空だった。


 私がそう注意すると、パティがにやっと悪い笑みを浮かべて3階を指さした。


「ねえ、3階に何があるか知りたくない?」

「え、でも、3階は私達が上がってはいけないはずよ」

「ちょっと見るだけよ。誰にも分からないわ」


 そう言うとパティは、私の制止も聞かずに階段を上がっていってしまった。


 こんな事がシーモアさんにバレたら、きっと、いや、確実に私がパティを唆したと思われるに違いないので、パティを連れ戻す為慌てて後を追った。


 3階に上がるとそこには頑丈な扉がありどうやら鍵がかかっているらしく、パティは取っ手を握ってはうんうんと力を入れていがびくともしなかった。


「もう気が済んだでしょう。諦めて、掃除の続きをするわよ」

「つまんないわ」


 パティはむすっとした顔で階段を下りて行った。


 それにしても頑丈な扉ね。


 私はなんとなく先ほどまでパティが格闘していた取っ手に手を伸ばしていた。


 すると取っ手を握った途端、突然鍵穴を中心に神力の流れが見えたのだ。


 まさか勝手に神眼が発動したの?


 私は慌てて右目を見られないように抑えたが、神力の流れが扉の鍵穴に流れ込んでいるのを見ていると、こんな所に神力だまりがあるなんて何でだろうと不思議に思った。


 そしてふっと魔が差した。


 調力具を作る要領で鍵を作ると、神力が流れ込んでいる鍵穴に差し込んでみたのだ。


 すると「ガチャリ」と音がして、それは開いてしまった。


「え?」


 目の前の扉は、まるで私を中に招き入れるかのように滑らかな動きで開いていった。


 私が内心慌てていると、肩越しにパティの声が聞こえた。


「えっ、開けられたの」


 するとパティは、私をすり抜けて開いた扉の中に入ってしまった。


「えっ、あ、ちょっと」


 私はパティを連れ戻そうと中に入ると、そこには噂されていた聖遺物はなく空っぽの部屋の中央に正方形の大きな木箱が鎖で床に固定されていた。


 その木箱の蓋は透明な材質だったようで、パティは箱の中を覗き込んだまま固まっていた。


 一体何が入っているのか気になった私も、パティの隣に立ってその箱の中を覗いてみた。


 そこには人型をした何かが入っていた。


 その顔を見た途端、私の背中に冷たい汗が流れた。


 そこにあった顔は、昨日元気に他国の賓客と挨拶していたベネディクト・アッシュベリーだったのだ。


 えっ、まさか此処に居るのが本物だったとしたら、昨日、礼拝を行っていたあのベネディクト・アッシュベリーは誰なの?


 いや、待って、この箱の中にいるのが人形という事もあるわよね。


 私はもっとよく見ようと透明な蓋に触れるくらい近くによってじっと中を凝視したが、この距離からではそれが生身なのか人形なのか判断できなかった。


 すると背後からパティの声が聞こえてきた。


「ね、ねえ、これって大神官様、よね?」

「分からないわ。ただの人形かもしれないでしょう」

「でも・・・」


 パティは明らかに動揺していて、今にも倒れてしまいそうだった。


 立ち入り禁止になっていて、そして入口も厳重に守られた部屋の中に置いてあるという事は、これは絶対に見てはいけないものを見てしまったという事よね。


 つまり、これは絶対に人形じゃないという事だ。


 そうするとリドル一族の里を焼く命令をしたのは、一体誰だったの?


 いや、今はそれよりも私達がこれを見てしまった事が、こんなことをした誰かに知られたらどんな目に遭うか分からない。


 私の馬鹿、どうしてあの時、神力で鍵なんか作ったのよ。


 私とパティの身の安全のためにはここに入った痕跡を消して、パティと口裏を合わせてここで見たことを誰にも話さないようにしないといけなかった。


 そしてパティを見ると真っ青な顔でブルブル震えだすと、足に力が入らなくなったのかその場にぺたんと座り込んでしまった。


 大丈夫かしら?


 この事はパティと口裏を合わせなければならないのだ。


「パティ大丈夫? 直ぐにここから出るわよ」

「え、ええ」


 だが、恐怖で力が入らなくなったパティは立ち上がろうとして体勢を崩し、木箱に手を突いてしまった。


「きゃっ」

「どうしたの?」


 突然叫び声を上げたパティに、私は何があったのか声をかけた。


「えっと、この木箱に触ったら手がビリッときたの」


 そういうとパティは手を摩っていた。


 もしかしたらこの木箱には、中身を確かめられないように何か魔法がかけられているのかもしれない。


 そしてそこまで慎重な犯人なら、触った途端、警報が犯人に伝わる手段があったとしてもおかしくなかった。


 いつまでもここに居るのは拙い。


 私は出来るだけパティを不安がらせずに、ここから出て行く事にした。


「もう十分でしょう。戻りましょう」

「う、うん、分かった」


 階段を下りて行くと、パティが深刻そうな顔で聞いてきた。


「ね、ねえ、あれってやっぱり大神官様、よね?」

「只の人形でしょう」

「え、でも」


 これから先無事でいたいなら、ここは一言口止めしていた方がいいわね。


「ねえパティ、良く聞いて」


 私は放心状態のパティの頬を両手で包み込んで視線を合わせた。


「私達は、ここに来なかった。いいわね?」

「で、でも・・・」

「ここは立ち入り禁止の場所なのよ。そんな所に入ったと知られたらどんな罰があるか分からないわ。だから、私達はここには来なかったし、何も見なかった。いいわね?」

「え、ええ、分かったわ」


 パティは真っ青な顔になっていたが、何とか了承してくれた。


 それからの掃除は、突然武器を持った犯人がやってくるのではないかと不安で仕方なかったが、何とか掃除の時間を無事終える事が出来た。



 掃除が終わると昼食の時間だが、あんな物を見た私は食欲があまり湧かなかった。


 それでも朝も食べていないので、固い黒パンを野菜がほんのちょっとだけ入ったスープにつけて何とか胃に流し込むと、午後の仕事に向かった。


 午後は大神殿の正面入り口で巡礼者達の記帳と礼拝料を受け取る仕事だったが、笑顔でやりとげるにはありったけの精神力を使わなければならなかった。

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