第4話:運命の出会いは、泥だらけの笑顔

 その頃、帝国の騎士団本部では、一人の男が眉間に深い皺を刻んでいた。

 彼の名は、アレス・フォン・ヴァルハイト。帝国最強と謳われる騎士団の頂点に立つ、若き騎士団長である。その銀髪と氷のように冷たい青い瞳から、「氷の騎士団長」として味方からも敵からも恐れられる存在だ。

 彼を悩ませていたのは、王国の北東辺境で最近頻発している、魔獣の異常発生と凶暴化に関する報告だった。通常の討伐部隊では歯が立たないほどの事態に、アレスは自ら、お忍びで現地を調査することを決意した。

「団長の座は副団長に任せる。俺は一介の騎士として、邪気の発生源を突き止めてくる」

 部下の心配を振り切り、アレスは単独で辺境の地へと向かった。

 辺境の森は、報告通り、邪悪な気に満ちていた。魔獣たちは異常なほどに凶暴化し、そこかしこで縄張り争いを繰り広げている。アレスは卓越した剣技でそれらをいなしながら、邪気の源流を辿って森の奥深くへと進んでいった。

 数日間の調査の末、彼は奇妙な事実に気づく。森の一角だけ、邪気が完全に浄化され、むしろ清浄で強力な聖なる気が満ちている場所があるのだ。

(何だ、この気配は……?邪気の発生源と何か関係があるのか?)

 好奇心と警戒心を胸に、アレスはその聖なる気の発生源へと慎重に歩を進めた。

 そして、木々の隙間から見えた光景に、彼は言葉を失った。

 そこには、まるで御伽噺の一場面のような、信じられないほど平和な牧場が広がっていた。そして、その中心にいたのは、一人の女性だった。

 彼女は、貴族の令嬢が着るようなドレスではなく、動きやすい簡素な服を身につけ、額には汗を光らせ、その手も顔も、泥だらけだった。

 しかし、アレスの目を釘付けにしたのは、彼女の周りにいる存在だった。

 純白のユニコーンが彼女に頭を擦り寄せ、巨大な銀色の狼たちがその足元でじゃれついている。納屋の屋根にはグリフォンが鎮座し、彼女が空を見上げると、嬉しそうに一声鳴いた。

 伝説の聖獣たちが、まるで飼い犬や飼い猫のように、一人の人間に懐いている。ありえない光景だった。聖獣とは、本来人間を寄せ付けない、孤高で気高い存在のはずだ。

 アレスは、物陰に身を隠したまま、息を殺してその様子を窺った。

 女性――セレスティアは、巨大なフェンリルの大きなお腹に顔をうずめ、「もふもふが足りないわー!」などと叫びながら、心底幸せそうにその毛並みを満喫していた。かと思えば、ユニコーンに向かって、「あなたって本当にイケメンよねぇ」などと楽しげに話しかけている。

 その姿は、アレスが今まで見てきた、王宮の令嬢たちとは全く異なっていた。着飾った美しさや、計算された仕草など、どこにもない。そこにあるのは、生命力に満ち溢れた、ありのままの輝きだった。

 やがて、セレスティアは畑仕事に戻った。土を耕し、作物の世話をするその姿は、ひたすらに真摯で、楽しそうだった。

 そして、大きなカブが抜けた瞬間、彼女は泥だらけの顔のまま、太陽のような満面の笑みを浮かべた。

「やったー! 今夜はシチューね!」

 その笑顔が、アレスの胸を、まるで雷のように撃ち抜いた。

 ドクン、と心臓が大きく跳ねる。今まで感じたことのない、激しい高鳴り。冷静沈着で、感情を表に出すことなど滅多になかった「氷の騎士団長」の、凍てついた心が、一瞬にして溶かされていく感覚。

 美しい、と思った。

 着飾った宝石よりも、磨き上げられた剣よりも、どんな芸術品よりも、彼女の泥だらけの笑顔が、世界で一番美しいと感じた。

 これが、恋だ。

 堅物で、仕事一筋で生きてきたアレスが、初めて知る感情だった。

 彼は、自分の胸の高鳴りに戸惑いながらも、セレスティアから目が離せなくなっていた。邪気の調査など、頭の片隅に追いやられてしまっている。

 今、彼の心にあるのはただ一つ。

(あの女性は、一体、誰なんだ……?)

 運命的な一目惚れの瞬間。それは、帝国最強の騎士が、一人の泥だらけの元令嬢に、完膚なきまでに心を奪われた瞬間でもあった。

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