僕のための推戯
大地智大
A 第1話 彼ら
シャンデリアの光が鬱陶しいほどに照っている。その真下には五角形のテーブルが、そしてその周りを囲むように光を呑み込む黒が四つ、背中を丸めて座っている。立ち込められた空気を泳がせるように、一人が起き上がる。
「…」
まだ重たいまぶたを擦る。まだ夢の中にいるのか、見覚えのない景色に、
「え、どこだ、ここ。」
青年はどうやら夢ではないこの状況を察すると、大きく深呼吸をして動揺を隠したように冷静になり、視線が上目から徐々に下がる。その視線の先にはプレートが、手に持って返してみると『ダミアン』と刻印がされている。
「俺はダミアン…?」
ダミアンという青年—鋭く整った鼻筋に、切れ長の瞳、そこには余裕と緊張が相互に作用し合っていた。全体的に大人っぽい落ち着きがあって、作り込まれた何かのオーラを纏いながら、底知れない闇を隠しているような特別感がそこにはあった。
ダミアンはプレートを元の位置へ戻すと、椅子から立ち上がり、好奇心という衝動に駆られたように部屋を探索し始める。もはや彼の中に恐怖や不安などという感情は残されてなどいないのだろう。
彼らがいるこの部屋は五角形のテーブルを中心とした小さな部屋で、頭上には豪華なシャンデリア、壁の四方は本棚で埋め尽くされており、古い本独特のカビたような、甘いような、きっとそんな香りが充満しているのだろう。ダミアンは一通り並べられた本を見るが、どれも洋書で、一見するだけで興味を失くしてしまった。彼の次なる興味は視線の先—扉に向けられた。正面に一つだけのその扉は、外側から鍵が掛かってしまっているようで開かない。
「やっぱ開かないよな。」
独り言を漏らし振り返ると、俯瞰したテーブルの姿が見えた。テーブルの周りにまで目を凝らして見てみると、どうやらテーブルを囲むように鉄の枠が床に埋め込まれているみたいだ。一体何のための枠なのだろうか、そう疑問に思う頃にはダミアンの興味はまた別の場所に向けられていた。
「まるで見覚えがない」
共通点と言えば、全員が同じ黒いスウェットを着ていることくらいだろうか。
「全く解からん!」
謎ばかりが乱雑に散りばめられているこの状況を前に叫ぶ。
誰かが起きるまでは、何も進展などしない。ただ暇を持て余したように一人で座り続けることしかできない。時間に囚われてはいけない、そんな現代を生きる人間たちへのメッセージか何かだろうか、この部屋には時計がない。何にもないこの部屋で、何もできない。退屈に焦り、貧乏ゆすりが止まらない。
「やっと起きた。」
隣からモゾモゾとする音が聞こえる。そっと動くその音は小さな部屋の中では大きく響きを見せて現れる。女性は怯えたように「誰よ。何?」、鋭い口調で尋ねる。
「俺にも何が何だか…君はエマ、だよね。」
ダミアンは女性の目の前に置かれたプレートを指して言う。プレートには確かに『エマ』と刻印がされていた。
エマという女性—シャンデリアの光に照らされて黄金色に輝く髪を見せびらかしている。優しげな瞳の奥にはどこか幼さがあって、絹のように白く滑らかな肌からは気品が感じられた。
「エマ?私が?そんな名前知らないわよ!」
「名前だけじゃない。ここにいる経緯、そしてその前の記憶が少し、欠けて無くなってしまっているね。君もそうでしょ?」
ダミアンはこめかみを人差し指でトントンと叩きながら言うと、エマもトントンと首を傾げながら真似をする。「ここ?」、「うん。ここがおかしくなっちゃってるの。」、沈黙の中の、沈黙のままでの会話であった。
「ところで?この人たちは誰なの?」
エマは未だに眠り続けている二人を指して言う。
「分からない。もれなく全員初対面といったところかな。」
「ねえ!そろそろ起こさない?」
沈黙に耐えかねたのか、エマがダミアンに提案する。二人が、特に男性の方が、ぐーすかぴーと気持ちよさそうに眠っているので、無理に起こさない方が良いのではと戸惑った様子のダミアンであったが、さすがにこれ以上待ちたくはない。エマを見て頷く。
「ねえ」「ねえ」身体を揺すりながら呼びかける。
先に起きたのは女性の方であった。女性からは戸惑いも恐怖も感じられない。ただあっさりとしたような、そんな様子だけが窺えた。凛とした、その静かな力強さは、テーブルの上のプカプカと浮いたような曖昧さを引き締める。
女性はすぐにプレートの存在に気づいたようで、ダミアンとエマに触れることなくプレートを自身の方に返す。プレートを見ると『モニカ』であった。
モニカという女性—全体的に漂う曖昧な儚さ。そこにメリハリを付ける長いその黒髪は、彼女の雰囲気にマッチしていた。それはただの黒ではなく、光を求めるが故に強くなった、そんな闇を思う。
残された青年は、揺すられるくらいでは起きる兆しが見えなかった。
「揺すりが弱いんじゃないの?」、エマの問いに
「結構揺らしてるよ?しぶとすぎでしょ。」、呆れたようにダミアンが応える。
エマは「分かった。任せて。」それだけ言うと、ダミアンの揺する手を退け、青年の頭をチョップする。青年は静かに震えあがって飛び起きると、まだ意識が朦朧としているのか、それともチョップが痛すぎたのか、沈黙を続けている。
「痛ったああ!」
痛みが後ろから追いかけてきたようだ。声を荒げて痛がっている。
「ごめん。痛かった?」
エマは笑みを隠しきれていない。
「痛ったいよ!なに急に。」
男は頭を押さえたまま動揺している。
「それで、どう?少しは落ち着いたかな。」
ダミアンが尋ねる。その隣でエマは青年の方を向いて、手のひらをスリスリとさせている。謝っているのだろう。ジャスト一分を犠牲にしたおかげで痛みは少し引いたようで、
「落ち着いた!ところでさ、ここは何処なの?」
「分からないな。誰も答えを知らないようでね。」
そう言うと、ダミアンは「そうだ」思い出したようにプレートを指す。青年はプレートを手に持ち、返して見てみると『マイク』であった。
マイクという青年—一重の目に、やや高めの鼻、髪の毛のカールが特徴的で、髪の毛のカールが生み出す膨らみは、優しそうな印象を抱かせる。細くて、クールな印象を抱かせる目は全体の明るい印象とは異なるが、それが良いアクセントとなり、顔全体の調和がとれているように見える。
「やっぱり誰も名前にピンと来ないのね。」
『マイク』という名前を目にし「ん?」と眉をひそめている彼の表情から察したのだろう。
エマがそう言うとダミアンも続けて、「皆、記憶はどんな感じなのかな。」尋ねる。
「有るか無いかで言ったら有るよね。」、マイクに続いて
「名前とここにいる経緯以外はあるんじゃないの。まだ分からないけどね。」
エマはモニカの方を向いて言う。エマが「まだ分からない」と濁したのは、モニカがまだ自分の記憶の状況について話していないからだ。それだけではない。まだモニカは目を覚ましてから一度も言葉を発していない。その状況も加味したうえでエマは皮肉を言ったのだろう。
「二人に同じ。」
モニカの言葉は淡泊だからか、よく通って鋭い。その言葉からは温度を感じない。
「断片的に記憶が欠けてしまっているということで間違いはなさそうだね。」
ダミアンは肘をテーブルに付け、全員の意見をまとめる。その姿は強く思考を巡らせているように見える。
「もしかしたら僕たちは知り合い同士だったのかな。」
マイクのその言葉に視線が集まる。
「え。ごめん。」
視線が怖かったのか、マイクは無意識に謝る。
「ごめんじゃなくてさ、どうしてそう思うわけ?」、エマは少し高圧的だ。
「記憶が欠けてしまっているんだし、可能性はあるのかなあって。」
そんなことないよね、ごめん、という謙遜の気持ちを込めた笑みを浮かべると、
「知り合いじゃなきゃ同じテーブルを囲んでいるはずがない。マイクはそう言いたいのかな。」ダミアンが右耳の耳たぶをスリスリとしながら言うと、言いたかったことを言語化してくれたとマイクは大きく頷いてみせる。
「じゃあ、ここに座ってから記憶が飛んだって言いたいの?マイクはさ。」
モニカが「マイクは」と強調して言うので、マイクはビクっと身体を震えさせる。
「確かに。それだと時系列がおかしくなるね。」
ダミアンも納得したようでモニカに同調する。
「どういうことよ。」エマは理解が追い付いていない様子だ。前髪を整えながら問う。
「記憶が失われてから座ったのか、座ってから記憶が失われたのか、どっちなのかって話。座ってから全員同時に記憶が失われるなんて限りなくありえないことだろう?だから俺たちが知り合い同士だったんじゃないかって説は否定されたのさ。」
ダミアンはエマにも理解できるようにゆっくりと言葉を噛みしめながら言う。
「一人だけならまだしも、全員記憶が欠けているのは不自然というか謎だよね。そんなことあり得るのかな。」
マイクが一人呟くと、
「何かの強いショックを同時に受けた、くらいしか思い付かないね。」とダミアン。
「だからさ、自己紹介をしないか。」
続けてダミアンが提案をする。
「もう顔と名前は一致してるわよ。今更何を紹介すればいいわけ?」
エマはまた高圧的な態度を示す。
しかしダミアンはその問いに考える時間など要せず、ただ端的に
「記憶だよ。」、そう答えるだけだった。
「その記憶が曖昧なんじゃない。だから困っているの。
曖昧なまま、曖昧な情報を共有し合って意味なんてあるの?」
「でも、曖昧じゃない記憶もある。そこから何かの共通点が導き出せたらいいなと思ったんだけど。」
「僕もそうした方が良いと思う。これじゃ何も分からないまま時間だけが過ぎていくだけだし、それは、怖いよ。」
ダミアンとマイクの言い分に納得がいったのか、言い返せなくて意地を張っているのか、エマは沈黙を貫いている。
「沈黙は同意とみなすよ。」
冷たい言葉が部屋中に響き渡る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます