第2話 最愛の彼女の遺した思いとわたしの覚悟
前話からの続き────
悠久の時間を生きてきたわたしだったが、人間を取り込んで同化したのは初めての経験だった。
今までの“おさき”の姿については、写し身をさせて貰っていただけで、取り込んだわけではなかった。
実は、“おさき”は今際の際、『こんな時で本当にすまないな?今すぐ、わたしを取り込んでくれないか?きみには、人生を謳歌して欲しいんだ。』と、振り絞るような声でわたしに言った。
でも、わたしは恩人を取り込むことなど出来なかった。
当時の“おさき”も、突然病を患い、斜面から転がり落ちる程の速さで、病状が悪化の一途を辿り、遂にはわたしの目の前でその生命の灯火が消えた。
その後は、近くにある寺の者たちの手で、“おさき”は弔われたようだ。
その頃には、既にわたしは“おさき”の写し身として、遠く離れた場所で“さき”と名乗り、それから様々な時代をその時々に合わせた“さき”の名前で、生き抜いてきた。
それはそうと、わたしは他のドッペルゲンガーが営む都内の喫茶店で、二十五年間という生涯を終えた、澄夏さんの記憶と向き合った。
それは、生前の澄夏さんからは語られなかった、静岡市で同棲中だった最愛の恋人の正体が、同性の女性だったことが原因でもあった。
美人な容姿の澄夏さんの恋人ということなので、わたしはてっきりイケメンな好青年だとばかり思っていた。そんな最愛の恋人の彼女“成岡澄夏”に、わたしはなったのだから、不敬ながらも少し心躍らせてしまっていた。
ただ、そんな澄夏さんの恋人の女性は、わたしの恩人でもある“おさき”が、令和の世に蘇ったかのような女丈夫、いや今で言うところのイケメン女子だったのだ。
それに、背も男性のようにスラリと高くて、しかもショートヘアで、パンツスーツ姿がとてもよく似合っている。
まさかとは思うが、澄夏さんはわたしの“おさき”の姿を見て、最愛の恋人の姿と重ねて、最後の最後まで笑みを浮かべていたのかもしれない。
しかし、残念なことに【取り込み】中の記憶については、同化対象外になっており、澄夏さんの最期の瞬間については、読み取れなかった。
そんなわけで、わたしは都内から静岡に向けて、新幹線に乗って帰路についている最中だった。
言っておくが、この新幹線の代金については、わたしがこれまでに稼いだお金で支払っている。
他人のお金に手を出すほど、わたしは落ちぶれてはいないが、澄香さんの遺したスマホだけは話は別だ。
これから、わたしが“成岡澄夏”として、令和の世を生きていく為には、そのスマホが必要不可欠だった。
大昔とは勝手が違い、大抵の連絡手段はスマホのチャット機能かSNSのDMが殆どで、連絡先もスマホの電話帳にしか存在しない場合が多い。
そんな訳なので、わたしはやむを得ず、澄夏さんの遺したスマホを、使わざるを得なかった。
ただ、澄香さんが遺していった所持品は、スマホ以外には革製のショルダーバッグが一点、喫茶店の座席の上に置かれ、その上から上着を被せてあった。
ふと、澄夏さんの記憶を辿ると、そのバッグは最愛の恋人からプレゼントされた、二人にとって大切な物だということが分かった。
そこで、わたしは同族の店主から、ショルダーバッグの入るような手頃なサイズの紙袋を要求した。
渋々、店主が探してきた紙袋に、澄夏さんのバッグをそっと入れると、細心の注意を払いながらここまで運んできていた。
下手にわたしが使い、澄夏さんの思い出が宿るそのバッグを、穢すわけにはいかなかった。
──「間もなく新富士です。」
色んな思いをわたしは巡らせていると、新幹線のアナウンスが聞こえ始めた。新富士の次は、もう静岡だ。
悠久の時間を生き永らえてきたが、静岡市に赴いた記憶はわたしにはない。
でも、静岡県自体については、熱海や伊東などの温泉地には、当時の付き合いで何度も訪れている。
それに、わたしはドッペルゲンガーだからといって、別に恋愛をしてこなかったわけではない。“おさき”に言われた通り、写し身ではあるが人生を謳歌してきた。
まぁ、恋愛といっても恋人と手を繋いだり、口付けをするくらいの関係で、いつもわたしは終わらせてしまってはいたが。
あくまで“おさき”の写し身で、実際の中身はドッペルゲンガーという無貌で虚無な身体のわたしが、恋人とはその先の関係には進みたくなかった。
でも、今のわたしは違う。
余命幾許もない澄夏さんの願いを、押し切られるかたちで聞き入れたわたしは、最初で最後の【取り込み】を行って、身体と記憶の同化を果たした。
だから、澄夏さんのおかげで、わたしは生まれて初めて、“ほぼ”人間の女性の身体を得ることが出来た。
これまでの、純粋なドッペルゲンガーの虚無な身体ではない。
そんなわけで、静岡駅には“わたし”的に見ると、生まれて初めて降りることになる。
しかし、澄夏さんの記憶を見る限り、最愛の恋人とは毎週末になると静岡駅の駅ビルへと、買い物にきていたようなので、ごく見慣れた光景なのだ。
説明するのは難しいが、わたしの記憶には澄夏さんの記憶も混ざっている。思い出そうとすると、見知らぬ情景が浮かんできて、一瞬混乱するがすぐに澄夏さんの記憶であると気付く。
そういえば、同族の喫茶店の店主が去り際に、『次第に、自分の記憶だと感じるようになってくるから、それまでの辛抱だ。』と言ってきたのを思い出した。
それはそれで、取り込んだ澄夏さんのことを、わたしが忘れた事になりそうで、なんか嫌だ。
あと、十分もしないうちに乗っている新幹線が到着する静岡市は、現在三つの区に分かれている。
元々は旧静岡市と旧清水市が、二十年ほど前に合併して出来たようで、政令指定都市に移行後に葵区、駿河区、清水区に分かれたようだ。
そして、わたしの一人目の恩人である“おさき”は、駿河国の駿府の生まれと生前に語っており、それは現在の静岡市葵区に該当する。
このあと、わたしの二人目の恩人となった“成岡澄夏”として、帰宅する事になる最愛の恋人との愛の巣も、静岡市葵区にあるようだ。
何の因果かは分からないが、二人の恩人の思い出の場所で、これからわたしは一人の“ほぼ”人間の女性として、人生を歩んでいくことになるのは感慨深い。
そういえば、今日は平日だった。
会社員である澄夏さんは、わたしに会う為に有給休暇を取って、朝早くからバスや新幹線、在来線に私鉄と乗り換えて来てくれていたのだ。
今朝、澄夏さんは最愛の恋人に対して、『これから、わたしたちがお世話になる人に、会いに行ってくるね?』とだけ伝え、自宅を出た事が分かっている。
下手に別れの言葉や、愛の言葉を伝えれば、最愛の恋人に怪しまれると思っての行動だった。
それが、二人の今生の別れだった筈なのに、最愛の恋人に何も伝えられていないのは、本当の辛すぎる。
そこまでして、わたしのところにやってきた、澄夏さんの覚悟や思いを、ふいにしてはならないのだと、思わさせられた。
わたしが“成岡澄夏”として、澄夏さんが成し遂げられなかった事や、やりたかった事、見られなかった光景を、常に最愛の恋人に寄り添いながら、実現していく。
それは、澄夏さんに言われた『わたしの最愛の恋人が死ぬまで、あなたが代わりに愛すると誓って。』との誓いを守るためでも、わたしの覚悟でもある。
例え、最愛の恋人が女性であろうとも、わたしは躊躇ってはいけないのだ。
だって、静岡で新幹線を降りたら、わたしは“成岡澄夏”なのだから。
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