54 お迎え
「ねぇ、何やってんのさ、ファブラード公」
「エリエル……⁉」
「その汚い手を早く離しなよ」
エリエルだ。涙で視界がぼやけているが、わかる。
「なぜここに⁉ メラルダはどうした⁉」
「なぜって……メラルダにあんたがここにいるって教えて貰ったからだよ。
それにしてもあの女、性悪すぎでしょ。俺に飲めって言って媚薬を渡してきたよ。
媚薬も毒だし、そんなもの俺に取ったらただの水だけどね」
やっぱりメラルダ様って性格悪いんだ。
デイヴィスもボロクソ言ってたし、私の作ったバーボフカも叩き落としたもんね。
ファブラード侯爵の後ろから降りてくるエリエルを見上げると、その手に持ってるものを見てギョッとした。
銃だ。
「二度は言わない。そこから動かないなら、ここで撃ち殺す」
「ま、待ってくれ!」
むさ苦しい人間が退いたことで、私の周りの酸素濃度がようやく元に戻った。
その身に似合わず機敏な動きで立ち上がったファブラード侯爵は、突きつけられた銃を見て両手を上げる。
「私がこの姉弟をどう始末しようがお前には関係ないだろう‼
元はと言えばこの姉弟は私の配下だ‼」
「クローリアは俺を外に出すということを条件に。
デイヴィスはメラルダから俺にハニートラップを仕掛ける手引きすることを条件に。
もう両方とも満たしているよ。お前とヴァンクス姉弟はもう無関係だ。
そしてクローリアは公爵家の末息子である、俺の婚約者。
俺の婚約者にこんなことをしたんだから、覚悟はできているよね?」
「婚約者⁉」
「知らないのも無理は無いよ、まだ何処にも公表してないんだから」
「(姉ちゃんってエリエル様のなんなの?)」
「(知らん知らん私が聞きたい私ってなんなの?)」
「(知らん)」
知らない間に嘘がアップデートされていく……。
「何故だ、何故こんな落ちぶれた男爵の娘がいい⁉
体も薄く、なんの魅力も無い! 私の娘なら見目も良いし、後ろ盾もある!
どう考えてもエバンスドール家への恩恵があるのは私の娘だ、それともそんなにあそこの具合が、」
ガウンッ!
鼓膜が破れるかと思うほど、破壊力のある音。
エリエルが銃をぶっ放して近くにあったタルを壊したのだ。
「下世話な親子だな……。
クローリアを貶めるようなことを言うのなら、次はその頭を狙う」
「ヒィッ!」
み、耳が痛い……。膝の上のデイヴィスも目を回している。
「お前達はあまりにも罪を重ねすぎた。だから今からこの運河の管理人は俺ね」
「何を勝手なことを‼ 公爵が認めるはずない‼」
「それが認められたんだな」
ひょこっと扉から頭だけが飛び出した。
「ゼルバニア様⁉」
「やあ、クローリア嬢」
飄々として入ってきたが、筋肉の主張がやっぱり凄い。
「ゼルバニア様まで……⁉ 寄って集って私を貶める気ですかな⁉」
「貶めるだと? 知らないとは言わせないぞ。
運河改良工事の現場からタレコミが入っている。
給料をピンハネするわ残業代は出さないわ、気分で急な完了期限の変更を繰り返し、要求を飲まなければ横暴な振る舞いをされる。
他に仕事があればすぐにでも転職したいぐらいだと。
某現場監督からは、最後に切った女の子の手切れ金があまりにも少ないからってポケットマネーで賄った話だ。
一生懸命働いてくれた人間を切るように指示した、人情のない上司をどうにかできないか、という相談付きでな」
「帰ったらすぐに現場監督に会いに行ってキスぶちかましてきます」
「は? 浮気とかあり得ないんだけど。俺達婚約者だよ? そんなことしたら手足縛ったまま部屋に監禁して一生俺の部屋の中で監禁生活ね。俺以外の男と話すのロバートでも許さないから」
「おっも……」
あとゼルバニア様の前で婚約者とか言うのやめて。
「他にもまだある。
工事現場だけでなく、運河使用料に不透明な請求書。問い詰めるほどでもない年間修繕費の誤差。
お、このタルに入っているのは検疫有害植物か。いけないな、この船の持ち出しをすぐに 探さないと」
冷や汗を流すファブラード侯爵の横を通り過ぎて、エリエルが私達の元にやってきた。
手足の縄が解かれて、ようやく自由が手に入る。
「責任者に問われることばっかりだね。これは管理人の肩書きを資格を剥奪されても仕方がないよ。
しかもその娘は公爵の息子に強姦未遂。薬を故意的に飲ませるし……だめだこりゃ。
仲良く二人でブタ箱行き確定だね」
「そんな……わ、私はただ働きに見合った報酬を貰おうと……‼」
「その報酬で苦しむ人が居る。そんなこともわからないなんて残念だよ」
頬に残る涙を拭われた。
ホテルの時と立場が全く逆だ。
「ファブラード侯爵、エバンスドールの名においてお前を拘束する」
ゼルバニア様の後ろからゾクゾクと兵士達がやってくる。そういえば憲兵団の隊長やっているって言ってたなぁ。
「ごめんね、クローリア。怖かったよね」
「う、うん……」
往生際が悪く、まだ言い訳をしているファブラード侯爵が惨めに見えた。全てを覆い隠すように、エリエルが座り込む私を抱きしめてくれる。
「早く屋敷に帰ろう。今日は沢山仕事をしたから甘やかして貰おうと思っていたんだけど、クローリアも沢山頑張ったね。部屋に戻ったら腕枕してあげる」
「か、帰れるの……?」
「当たり前だよ。迎えに来るのが遅くなってごめんね」
怖かった。
もう助からないかと思った。
あの汚い手で、この身まで踏みにじられるのかと思った。折角停まった涙が、また溢れ出る。
ああ、でもこの恐ろしかったという感情は帰ってから吐き出そう。
そしたら、きっとエリエルが慰めてくれる。今はとりあえず。
「エ、エリ、エル」
「うん?」
「助けてくれて、ありがと」
「当然だよ」
こんな広い運河で、こんな小さな部屋に閉じ込められた私達を見つけ出してくれてありがとう。
唇に辿り着いた涙を、エリエルの唇が優しく奪ってくれた。
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