38 不幸な事故
あれはエリエルがまだ十にも満たない頃だった。
今の様子じゃ想像も出来ないだろうが昔のあの子はとても活発でね、頭も良かった。
今でもゲームは好きだろうが、実は乗馬大会やアーチェリーなんかも得意で、よく大会に出ては優勝をしていたんだ。
俺たち兄弟もそれを誇りに思っていたけど一番誇りに思っていたのは俺達の母親だった。大会がある度、俺達兄弟は母親と一緒に観戦に行ったもんだ。
あの日はシューティングパーティーだった。
大人顔負けの腕を持つエリエルは、勿論その日も優勝した。
俺達家族も大興奮でね、その日は祝いに母がバーボフカを沢山焼いてくれると言ってくれた。
皆楽しみにしていたんだが……。
興奮していたのは俺達だけじゃ無かった。
大会のために森に放たれた猪がまだ残っていたんだ。その猪がこちらに向かって突進してきた。
わけもわからない森に放り込まれて、あちらこちらで銃声が鳴り響いていた。猪にとったら周りは敵だらけだったんだろうな。
そんな中まだ声が高くて姦しい俺達がよく目立っていたんだろう。
子供、いや大人でも猪から逃げ切れるわけがない。
動けなくなった俺達を突き飛ばして庇ってくれたのが、母親だった。
後ろに控えていた猟銃使いがそれに気付いてな。弾を放ったんだが運悪く母に当たってしまったんだ。
「そんな……」
「あれは不幸な事故だった。母は俺達を立派に守ってくれた、そして猟銃使いも決してわざと母に弾を当てたわけじゃない」
あんな爆速で走る猪を猟銃で仕留めるなんて難しい。畑を荒らす猪を遠目で見たことあるが、逃げるときは本当に一瞬だった。
「でもその事故とエリエルとはなんの因果が? 聞いている限り、関係ないように思えるのですが……」
「ああ、全く関係ない。
俺達を襲った猪は、その大会の目玉だったんだ。勿論エリエルも狙っていたが、仕留められなかった、別の獲物に狙いを変えたんだ。
だがエリエルは、誰よりもプライドがあった。だからあの時自分が諦めず最後まで食らいついていれば、と後悔しているんだ。
それからエリエルは母の葬儀が終わった後、引き籠もるようになった。自分がシューティングパーティーなんかに参加したから、自分が仕留めていればあんな悲劇は起こらなかったんだ、と」
「……それでエリエルは、外に行くことを嫌いになったんですね」
「そうだ。大切な誰かをもう傷付けたくない、失いたくないと、思うようになってしまった」
少しだけ、思い当たることがある。
「それで私が一人で街に出かけたとき、やけに慌てていて、怒られたんです。もしかしてお母様のことがあったから、あんなに怒ったのでしょうか?」
「自分のテリトリーに入れた人間は、何が何でも守る。そういう子だからな」
私を大切な人として、自分のテリトリーに入れてくれたのか。
まるで心臓をギュッと掴まれたみたい。
私は、ファブラード侯爵の手先なのに……エリエルもそれをわかっているはずなのに、私を守る対象として見てくれたのだ。
「長年心を閉ざしていたエリエルを、君が外に出してくれた。
きっと母も喜んでいる。もちろん俺たち兄弟も喜ばしく思うよ」
「いえ、外に出ると決めたのはエリエルです。私はほんのちょっと、ささくれ程度のきっかけを作ったくらいかと……」
「そんな卑下しないでくれ……おっと、もう時間だ」
ゼルバニア様はワインを飲み干すと、立ち上がった
なんか、ラウンジの入り口が騒がしい気がする。
「愛しの恋人を勝手に連れ去ったからかな。可愛い我が弟がへそを曲げてしまったようだ」
「ッ……クローリア‼」
大柄な男性達の間から、ぼさぼさの頭でエリエルが飛び出してきた。
「な、なんでいなくなったの……⁉」
「ごめん、どうしても花摘みが我慢できなくて」
「兄様の前で⁉」
「発想がハード過ぎんか?」
周りを見ろ、ドン引きだぞ。私を背中に追いやると、エリエルはゼルバニア様に向き合った。
「既婚者が独身女性をラウンジに誘うなんて、いい噂が立ちませんよ」
「これだけ部下がいるんだ、なんの問題も無い。なにも間違いは起こらないさ。といっても、愛しい恋人をほんの少しとは言え無断で連れ去ってしまった。それは謝罪しよう」
「……クローリアに何を話したんですか」
「さあ? ただ、エリエルの側にいてくれるなら是非その傷ついた心を救ってやってくれと頼んだだけさ」
「母様の事を話したのか⁉」
「エリエル‼」
今にも掴みかかろうとするその背中に飛びついた。やめとけ、絶対負けるから!
ボコボコになるから、あんな筋肉ダルマ‼
「わかった、部屋に戻ろう‼ 積みゲーまだ残ってるでしょ、また寝落ちするまで付き合うから歯ひん剥いてゼルバニア様を威嚇しないの‼」
このラウンジを貸し切ってくれて良かったよ、全く。背中を押して落ち着かないエリエルを誘導していると、後ろからゼルバニア様に呼ばれた。
「弟を頼んだよ」
今度はあの憂いが見えなかった。
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